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「姫よ、目覚めるが良い」

「……ん」


 どうやらいつの間にか気を失っていたようです。ここは、どこでしょう……?

 ゆっくりと目を開けると、薄暗がりの中で魔獣が私を見下ろしている姿が見えました。


「っ!」

「ああ、そう怖がるな。取って食いはしない」


 驚きのあまり肩を揺らし、思わず布団を抱き締めてしまいます。ああ、そうでした。私、魔王に攫われたのですよね。


 これから一体何を言われ、何をされるのか。心を強く持つよう身構えましたが、私を見下ろす魔王が告げたのは事務的な内容に嫌味を添えたものでした。


「説明をしてやるから大人しくしているがいい。といっても、お前はずっと静かだが。ふん、逃げ出す隙でも見計らっているのか? 大人しそうに見える女は油断が出来ぬからな」


 あまりにも決め付けた物言いに、思わず眉を顰めてしまいます。腕を組み、偉そうにこちらを見下ろす姿がより嫌な感じです。


 ですがこうして見ると、やはり威厳のある姿をしていますね。真っ黒な毛並みや服装が余計にそう見せているのかもしれませんが。


「まず、ここは我が城の一室。お前にはここで暮らしてもらう。案ずることはない。不自由のないよう配慮もしてあるからな」


 言われて初めて、自分のいる場所に目を向けました。私はベッドの上に寝かされていたようです。

 いつまでも横になっているわけにもいきませんので、私はゆっくりと上半身を起こして部屋を見回しました。


 天蓋付きのベッド、クローゼット、ドレッサーに立派な文机。さらにはソファやローテーブルもあります。部屋の奥には浴室もありそうでした。

 明かりが点いていないのであまりよく見えませんが、王城の自室と変わらない設備であろうことはわかります。そのことについ目を丸くしてしまいました。


「メイドも用意した。大人しく物腰の柔らかい者にしたが、気になるようならいつでも別の者に変更する。食事や服も心配いらない。望むものをなんでも用意しよう」

「え、あ、あの」


 さすがに状況がよくわかりません。嫌な態度を取られてはいますが、待遇が良すぎることに理解が追い付かないのです。

 私は、攫われたのですよね? 本来なら地下牢なんかに閉じ込められてもおかしくないのでは? なぜこんなにも良くしてくれるのでしょうか。


「理解出来ない、という顔だな」

「それは、そうでしょう……」

「ふん、仕方あるまい。お前にもわかるよう説明してやろう。俺は優しいからな」


 やはり態度はとても嫌な感じです。私の顔はさらに険しくなっていることでしょう。


「俺は魔王ディアンジェロ。いずれ勇者がこの城に攻め込み、倒されることになる。世界から魔王の脅威は消え、人間の世界にはまた長き平和の世が訪れるだろう」


 なんでしょう、まるで他人事のように話しますね? それがどこか引っ掛かりましたが、口を挟む暇もなく彼は続きを語りました。


「お前を攫えば、いつか勇者が攻めに来る。つまりお前は俺に利用されただけで何の罪もない。少しでも快適に暮らせるよう配慮するのは当たり前のことだ」


 先ほどまで獰猛な光を見せていた黒い瞳が、軽く伏せられました。


 ……理由はわかりましたが、それではまるで勇者が攻めにくるのを待っているかのように聞こえます。

 先ほどの言葉からいっても、勇者に勝てると思っているわけでもなさそうですし、死に急いでいるとでもいうのでしょうか。


 いえ、こちらを油断させる罠かもしれません。なんといっても相手は魔王。人間の敵であることに変わりはないのですから。

 低い声も、大きな身体も、魔獣の顔も……どうしても怖いと思ってしまいますが、気をしっかり持たねばなりません。


「魔物や魔獣を使って、人間を襲うのですか?」


 私は末の姫でしかありませんが、一国の王女として聞かずにはいられませんでした。聞いたところで何が出来るわけでもないのですけれど。

 怖くて声が震えてしまいそうでしたが、背筋を伸ばして出来るだけ堂々と問いかけます。


 しかし魔王ディアンジェロは、そんな私を鼻で笑いました。


「なぜそんなことをせねばならない? 人間など殺してもなんの得にもならないどころか、時間や労力の無駄になるだけだろう。俺がそこまでする価値が人間にあるなど、思い上がりもいいところだ」

「そ、そんな言い方……!」

「なんだ? お前は俺が人間を襲った方がいいというのか」

「そんなことは言っていません!」


 やはり失礼な方ですっ! わざわざそんな意地悪な物言いをしなくてもいいのに!


「だがまぁ……俺だってみすみす死んでやるつもりはない。挑まれたなら全力で迎え撃つ。それによって人間が死のうが、それは正当防衛というものだ」


 魔王ディアンジェロはそう言いながら低い声で笑いました。その声も顔を恐ろしくて、思わず自分の身体を抱き締めてしまいます。

 牙がギラリと光ったように見え、やはり魔王なのだと思い知らされました。


「ふんっ。安心しろ。……俺は決して勇者には勝てないのだから」


 ですが、続けられた言葉はどこか諦めたような声色で……なんだか調子が狂ってしまいます。


 それから魔王は困惑して黙り込んだ私を一瞥すると、それまで精々ここでの生活を楽しむがいい、と言い捨てて部屋を出て行き、荒々しくドアを閉めました。


 急に静かになった部屋は、明かりが点いていないこともあって心細く感じました。なんだか、今夜だけで色んな事が起こり過ぎてうまく現実を受け止めきれません。


 じわじわと、感情の波が押し寄せてきます。


「ぅ、うっ……!」


 私はベッドに倒れ込み、枕を顔に押し付けました。泣き声を魔王に聞かれたくなくて、必死で声を殺します。


 そのまま私は、夜が明けるまで涙を流しながら過ごしたのでした。


 ※


 お城での生活は、思っていた以上に快適なものでした。食事をする気にはなれませんでしたが、食べなくてはいざという時に動くことも出来ませんので無理矢理食べました。


 料理はそのどれもが……悔しいほどに美味しくて。この栄養が全て私の血肉となって力になるのだと言い訳をしながら毎食全てを食べました。


 そうです。いつか勇者様が私を救いに来てくださる。そうしたらお城に帰れるのです。その時に、逃げる元気がないなどと言ってはいられませんから。


 帰ったらお父様に謝罪しましょう。ワガママを言ってばかりでごめんなさいって。それから、ちゃんと薦められた相手と結婚し、安心させてあげなくては。そう思いました。


 まぁ、本当は嫌ですけれど。でも、こうして家族と離れることに比べればそのくらい些細なことなのです。けれど……いえ、止しましょう。


「……あの方、何をしているのかしら」


 部屋の窓からは中庭を見下ろすことが出来ました。特にやることもなかった私は時折こうして外を眺めているのですが、魔王ディアンジェロがよく姿を現すのですよね。


 ゆっくり歩いていたかと思えば、立ち止まって花壇を見下ろし、そして再び歩き始める。その繰り返し。ほぼ毎日と言っていいほど彼はそうした動きを見せていました。


 ほぼ無意識に呟いたその独り言を、メイドのリーザが拾って答えを口にします。緑色の髪をきちんと結い上げた、穏やかそうな若いメイドです。


「花壇の手入れをしていらっしゃるのですよ」

「え……」


 自分が声に出していたことにも驚きましたが、思っても見なかった答えにもっと驚きました。

 魔王が、花壇の手入れを? 失礼かもしれませんが、彼はあの魔王なのです。花を慈しむ心があるだなんて、とても信じられませんでした。


「貴女様は、城内を自由に見て回って良いと言われているにもかかわらず、お部屋から出ようとはなさらないでしょう? それを心配して、せめて窓から見える景色を楽しめるようにとああして魔王様自ら手入れをしてくださっているのです」

「心配? まさか、そんな」


 思わず窓枠に手を置いてもう一度彼の姿を良く見てみます。

 どうやら立ち止まっている間は花に何やら魔法をかけているらしいことがわかりました。その魔法がどういった効果をもたらすのかはわかりませんが、悪い影響がないことは確かです。

 魔王が離れた後の花壇の花たちは、いつも生き生きと咲き誇っていましたから。


「……あの方は、花壇の手入れ以外にはいつも何をしているの?」


 思えば、彼は初日に私を攫って説明をしに来て以降、この部屋には訪れません。普段何をして過ごしているのかを知らないのです。


 勇者がいつ攻めてくるかわからない今、さぞ迎え撃つ準備に大忙しだろうと思っていたのに……あんなにのんびりと過ごしているだなんて。

 そう思ったら気になってしまいました。そう、これはちょっとした好奇心。別に魔王に興味があるわけではありません。


「はい。魔王様は毎日、朝と昼、そして深夜に必ず魔力を整えるために瞑想をいたします。その後は政務を行ったり、村を見回ったりとお忙しくされていますよ。空いた時間に鍛錬もしていらっしゃいますが……ああしてゆっくりとした時間も必ず作るようにしておいでです」

「そうなの……えっ、政務? それに村の見回りですって? この周辺に村があるのですか?」


 リーザの説明に私はとても驚きました。ですが、冷静になって考えてみれば当たり前の事です。

 リーザという部下もいるわけですし、他にも仲間がいるはず。広大な森の中に村があったって何もおかしなことではないのですから。

 ただ、あまりにも意外だったので少々頭の悪い質問になってしまいました。


「それはもちろんでございます。この森一帯は魔王ディアンジェロ様の地。そこに住まう者たちを統治されているのが魔王様なのですから」

「そ、そうですよね。でも、まさかこの森に人が住む村があるだなんて考えたこともなかったから」


 自分の無知さが恥ずかしくなって身体を縮こませていると、リーザは気にすることはございませんと微笑んでくれました。とても優しい人です。


「それに、ただの人間ではありませんよ。この森に住む者はみな魔族です。魔物や魔獣が進化し、魔王様に忠誠を誓った者を私たちはそう呼んでいます」

「魔族……? まさか、リーザも?」

「はい。私は元々ゴブリンでございました。集落を訪れた魔王様によって魔力を注がれ、能力も上がり、このような人間に近い姿となったのです」


 どこか色黒で、黄緑色の髪や瞳が珍しいとは思っていましたが……まさか人間ではなかったなんて。


 リーザによると、魔族の存在を知る人間は数も少ないのだとか。だからこそ、村の存在を知らなくてもおかしいことではないのだと。


 その事実はとても衝撃的で、自分の世界がとても狭かったことを知りました。世の中にはまだまだ私の知らないことが多くあるのでしょう。好奇心が疼きます。


「魔王様が討伐され、復活されるまでの間に城をお守りするのが我ら魔族の使命なのです。ですから、こうして魔王様がいらっしゃる間はとても嬉しいのです。直接お役に立てるのですから」


 リーザはとても嬉しそうに魔王のことを語りますね。心から尊敬しているのだということがよくわかります。

 リーザだけでなく、きっと他の魔族の方々からも慕われているのでしょうね。それが容易に想像出来て、私はなんだか複雑な気持ちになってしまいました。


 魔王も魔族も、私たち人間と同じように生きているのだと。そんな当たり前のことを今初めて知ったような気がしたのです。


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