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それは、昔々のお話。
「ばあや! 金の勇者と黒魔王のお話して!」
「あらあら、リリファ姫様は本当にこのお話がお好きですねぇ。構いませんよ。さ、ベッドに入りましょうね」
初めて聞いた時から妙に惹かれるお話で、兄姉たちは色んな話を聞きたがったけれど、私はこの話ばかりを聞かせてとねだっていました。もう何度この話を聞いたか、数えきれないほどです。
「昔々ある村に、双子の男の子が生まれました。一人は金色に輝く髪と青空のような瞳を持ち、もう一人は漆黒の髪と瞳を持った男の子です。どちらも幼い頃から剣と魔法の腕を磨き、立派な青年へと成長しました。大きくなった二人に敵う者はおらず、双子は最強の戦士となったのです」
物語の始まりはいつもワクワクして、目を輝かせながら話を聞いていたのを覚えています。
「しかし一つだけ問題がありました。実はこの二人は、幼い頃からとても仲が悪かったのです。金髪の青年は黒髪の青年に魔法では敵わず、黒髪の青年は金髪の青年に剣では敵わない。二人の喧嘩はいつも決着がつかず、いつも引き分け。彼らの喧嘩は日に日にその規模を大きくしていき、いつの日か周囲に被害が出るまでになってしまいました」
そして、話が進むにつれて不安になっていくのです。物語の続きを知っているというのに、毎回ドキドキしていました。
「ある日、そんな二人を見兼ねた神様が命令を下しました。次の喧嘩では勝敗が決まるまで戦いを止めてはならないと。そして勝者には褒美を、敗者には呪いを与えると言ったのです。二人は必死になって戦いました。それは長い長い戦いでした。いつまでたっても決着がつきません。そして月が六度ほど巡った頃、ついに勝敗が決まったのです」
私は、いつもこの結果を聞くのが大嫌いでした。
「金髪の青年が勝ち、黒髪の青年が負けました」
何度聞いても、結果は同じ。わかっているのに何度も物語を聞きたがってしまうし、何度も願っていました。
私はどうしても、黒髪の青年に勝ってほしかったから。
それはなぜなのか。
たぶんですが、いつも負けてしまう黒髪の青年がかわいそうだと思ったからだと思います。子どもの感想など、そんなものです。
「決着がつき、神様は約束通りそれぞれに褒美と呪いを与えました。勝った者には宝剣と富を、負けた者には魔獣の姿になってしまう呪いを与えました。金髪の青年は国のお姫様と結婚し、生涯国を守り続けました。一方、喧嘩によって被害を出した罰を一身に背負うことになった黒髪の青年は、深い森の奥に姿を消しました」
そう思うのも、物語のこの部分が深く影響をしていると思います。
だって、ただでさえ勝負に敗れたのに、呪いまでかけられるなんて酷いと思いませんか? 喧嘩したのは二人なのに、なぜ黒髪の青年だけが罰を受けなければならないのでしょう。
「黒髪の青年にも、慈悲が与えられています。呪いを解く方法があるのです。その条件は金髪の青年に勝負で勝つこと。しかし金髪の青年は宝剣を与えられているため、余計に敵わなくなっています。黒髪の青年は人々を呪い、世界を呪い、神を呪いました。これが、魔王ディアンジェロ誕生の物語です」
呪いたくもなるでしょう。無理もありません。
ですが、それも幼い頃に抱いた感想に過ぎません。ただ魔王ディアンジェロがかわいそうだと思っていたあの頃と違い、色々と学んだ今は少しだけ考えが変わっています。
魔王ディアンジェロ。
それは人間にとっての脅威であり、倒すべき存在です。全ての人間を憎み、魔獣や魔物をけしかけて人々を襲うその行為は極悪非道で、倒さなければ人の世に平和は訪れないのですから。
「そんな魔王の暴走を止めるのが、勇者である金髪の青年でした。金髪の青年は最後の戦いで魔王を倒し、世界には平和が訪れました。けれど魔王は何度でも蘇ります。一方、勇者は人としてその生を終えてしまいます。ですから、魔王が復活する周期に合わせて金髪の青年は生まれ変わるのです。何度でも魔王を倒すために」
幼い頃にばあやに聞かされた昔話は、十六歳になった今でもしっかりと覚えています。
……昔のことなど覚えてもいないのに、生まれながらに魔王と戦わされる宿命を背負う金の勇者と、何度もその身で蘇り、戦いを繰り返しては敗れる黒魔王。
一体、どちらが辛いのでしょうね? そんなこと、考えること自体が愚かなことなのかもしれません。
いずれにせよ、いつになったらその罰が終わるのかと考えずにはいられませんでした。
黒魔王の呪いが解ければ終わるのでしょうか? そのためには、勇者が倒されなければならないのですから、そもそも解呪自体が難しいのだとは思うのですが。
……いえ、そんなことを私などがいくら考えても無意味ですね。いくら心を痛めたって、王城で蝶よ花よと育てられた私に彼らの苦しみを理解することなど出来ないのですから。
今、私はバルコニーに立って物語を思い出しています。
なぜこんな時に、とは思うのですが、おかげで冷静を辛うじて保てているのかもしれません。
自分の珍しいオーロラ色の髪が視界の端で夜風に揺れています。
私は目の前に立つ人物を見上げ、物語の締めくくりを脳内で語りました。
「それからというもの、金髪と青空の瞳を持って生まれてきた男の子は、勇者として育てられるようになりました。はたして魔王が勇者に打ち勝ち、その呪いを解く日は来るのでしょうか。しかし勇者が負ければ魔王を止められる者はおらず、世界は破滅へと向かってしまうでしょう。それを阻止するため、勇者は魔王を倒すという宿命を背負って生まれてくるのです」
宿命。今思えば、その宿命こそが金髪の青年に課せられた罰だったのかもしれませんね。
「姫よ」
目の前の存在が、低い声を響かせました。ただそれだけのひと言で、私の身体は恐怖に震えてしまいます。
「お前に咎はないが、俺と……この魔王ディアンジェロと共に来てもらおう」
バルコニーの手すりの上に立ち、真っ黒なマントをはためかせた魔王が低い声で言いました。
王宮の自室にて眠る準備をしていた私はネグリジェ一枚という無防備な出で立ちで、ただただその異質な存在を前に言葉を失っています。
身長は二メートルを超えているでしょう。それなりに広いはずのバルコニーが狭く見えるほど大柄で、マントを纏っていても筋骨隆々なのがわかります。
何より目を引くのは、やはり魔王の頭でしょう。人間のそれとは大きく異なっています。頭には少し曲がった太い角が二本、肌は黒い毛に覆われており、口は大きく牙が飛び出していました。
その姿はまさに魔獣。それなのに人間のように二足歩行をしており、人語を話しているのがどこか不思議でした。
「……どこへ」
私は震える声でそう訊ねます。喉はカラカラでしたが、なんとか声を絞り出せたようです。
「我が城へ。大人しくしているのであれば、危害は加えん」
その答えを聞いて私は小さく頷くと、魔王はスッとその腕を私に伸ばしてきました。
魔王はあっという間に片腕だけで私を抱き上げ、そのまま魔法で夜の空へと飛び立ってしまったのです。あまりのことに私の身体は硬直してしまいます。
ああ、私はこのままどうなってしまうのでしょう。間違いなく、これは誘拐です。
魔王に抱えられながら、私はこれまでの様々なこと思いました。現実逃避かもしれません。
国王であるお父様の言う通りに、さっさと結婚していたらこんなことにはならなかったのでしょうか。
十歳の頃から結婚を断り続けて早六年。そろそろ断るのも厳しくなってきた頃でした。ちゃんと婚約の話を受けていれば親孝行も出来たでしょうに、それももう叶わないかもしれません。
けれど、私は結婚なんてしたくありませんでした。長男である第一王子が国を継ぐことは決まっていますし、国交のために姉たちがすでに嫁いでいましたし。私が結婚する必要はあまりなかったはずなのです。
ただ体裁というものがあるので、私が独身のままでいるわけにはいきませんでした。一国の王女ですので、それもわかってはいます。
ですが、嫌なものは嫌なのです。好きでもない相手と結婚するくらいなら修道院に行くと言ったら、お父様に本気で泣かれてしまいましたっけ。そのくらい本気でしたし、嫌でした。
「わかった。もはや身分は何でも良い。お前が好いた相手なら村人でも構わないから早く結婚して父を安心させてくれ、リリファ姫よ」
そんなお父様のため息交じりのセリフを何度聞いたことか。
ワガママを言っている自覚はありました。そのワガママが許されていた幸せを、今になって噛みしめるなんて。
私は本当に幸せだったのですね。何不自由なくお城で過ごせていたことが、どれほど贅沢なことだったか思い知りました。
もう、家族には会えないのでしょうか。それを思うと怖くなり、身体の震えが止まりません。
「俺が恐ろしいか。まぁ、仕方あるまい」
低い声が頭上から響きます。
そう、ですね。未来を思うと恐ろしくてたまりません。
私はただただ固く目を閉じて、この状況に耐えるのでした。