第4話 まじで滅びる1秒前 前編
「おい!急げ貧弱男!」
「うるせええええ!!!誰が貧弱男だ!!俺は、はぁ、あんたと違って、はぁ、体力がないんだよ!!」
「やっぱり貧弱じゃねえか!」
もはや反論する余裕もない。
前を走る失礼な男に心の中で文句を言いつつ、目的地に向かって少し薄暗い街中を全力で走る。
俺とこの男は現在、団長に任されて任務に当たっていた。
上に目をやれば、数十メートル先の時計台の頂上にカマキリのような頭を持つ異形が見える。右手には巨大な剣を持ち、左手には小さく、黒い箱を持っていた。
奴の目的は世界中の人間を殺し、【人界】を自分のものにすることだ。その計画を阻止するために、俺達はここに来ている。
この男は強いが口が悪い。なんでこんなのと一緒なんだ。これを課された時のことを思い出すと腹が立つ。
話は、数時間前まで遡る───
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宴会の翌々日───俺とネルさんは、昼飯を食べるために、本部から行けるとある街に向かっていた。
大きい組織ならご飯ぐらい出るかと思っていたが、存外そういう訳でもないらしい。ただ、月のご飯代ぐらいの活動資金は出るため、そこまで問題ではない。本部住みだし。
ちなみに、昨日はみんな二日酔いで死んでたから何もしていない。どう考えても飲み過ぎだ。
そして本部に拘束されるかと思ったが普通に外に出れた。
【神覚】を持っている俺の存在を知られればただでは済まないと思うのだが、団長が『まあ大丈夫だろ』とか言って普通に放任した。おかしい。
そんなことを考えながら、ネルさんと連れ立って【秩序の間】にある扉の1つを抜ける。
その先は───少し薄暗く、青白い街灯が多い街だった。そしてこれは俺だけだが、空気が不安定に感じる。
【暗界】と繋がったことで起きた急速な技術革新による、コンクリートを使っている整理された道や綺麗なビル群は、ここが現在最も栄えている都市であることを物語っている。
そして何より目を引くのが──道行く異形。人間はもちろんいるが、タコのような者や昆虫のような者、なんとも言語化しずらい者もいる。
ここは二つの世界を繋ぐ【ゲート】を擁している街───【混沌都市 サクリフィス】
世界で最も差別が少なく、そして最も危険な都市である。
「うおお!俺ここ初めて来ました!」
「そうだよねー、まあそもそも危険すぎて来たがる人なんか居ないけど。」
俺がいた国───【ダナール王国】も大通りは同じぐらい栄えていたが、ここはまた別の魅力がある。
道行く人は目の前に現れる異形を見ても全く気にしていないらしい。…たまにネルさんを見てびっくりしている人はいるが。
まさに【混沌都市】だ。
しかし危険だと聞いていたが、薄暗さと住民の見た目に目を瞑れば普通の街だ。
と思ったら、マンホールから長い手が伸びて近くにいた異形を引きずり込んで行った。
しかし周りの者はまるで日常茶飯事ですと言わんばかりに普通に歩いている。
普通に考えれば、こんなに危険なら【秩序の間】から別の都市に行けばいいのではと思うが、支部に行くには地球儀に貯まっている魔力を使わなきゃならないらしい。だからなるべく【サクリフィス】で生活しろと言われたのだ。
つまり俺は、普段は本部で過ごしつつもこの異常な都市で過ごしていかなくてはならない。死ぬ。
「?!あ、あのネルさん…今のは…」
「ん?あー、よくあるよくある。この街ではマンホールに近づいちゃダメなんだよね。死ぬから。」
「えぇ……」
普通に言っているが、どう考えても異常だ。こんなのが日常だと言うのか。俺なんか全然死ぬだろこれ。
先程の光景に戦々恐々としつつ、ネルさんにしがみついて離れないようにする。
数分歩くと目的地に着いたのか、ネルさんが立ち止まった。
「着いたよ。」
「ここは───ラーメン屋ですか?」
目の前にあるのはこじんまりとした一般的なラーメン屋だ。店の名前は【クトゥグア】というらしい。変な名前である。
「そうそう、めちゃくちゃ美味いよ。入ろうか。」
「あ、はい。」
ネルさんがめちゃくちゃ美味いというラーメンに期待が膨らむ。奢ってくれるということだから、お言葉に甘えよう。まだお金貰ってないし。
ネルさんを先頭に店に入る。内装は普通だが、人間人外問わず、様々な客がいる。
特に違和感のない普通のラーメン屋だが───
「おう!ネルやんやないか!そっちの坊主は?」
「やあクラブ、この子はトイ。うちの新入りだよ。」
───店主が蟹だった。
いや、様々な異形がいるのだ。蟹がいても別におかしくは無い。だが、飲食店の店長が蟹というのはなんか…まあ、いいか。考えるのはやめよう。
「そうかそうか!うちのラーメンは天下一品やからな!きっと気に入るで!」
「あ、はい、ありがとうございます。」
少しおかしな口調だが、結構気さくな人らしい。素直にお礼を言って、席に着く。
メニュー表を開くと、一般的なラーメンが並んでいる。そしてその下に───
「か、蟹出汁…」
蟹出汁味噌汁があった。なんかのギャグなんだろうか。あの店長を見てからこれを頼める猛者はいないだろう。
「ははははっ!やっぱりそういう反応するよね。でも、この味噌汁めっちゃ美味いから頼んでみな。ああ、この店のおすすめは塩ラーメンだよ。」
「そ、そうなんですか…じゃあ、蟹出汁味噌汁と塩ラーメンにします。」
急に饒舌になったネルさんに少し圧される。
だがまあ、常連のアドバイスは聞いといて損は無いだろう。大人しく言われたメニューを頼む。
「…………」
数分後、ラーメンと味噌汁が運ばれてくる。
見た目は普通だが、味噌汁の横に小さい蟹の遺影と、ジョンを使いましたと書かれた紙が置いてあった。蟹の名前だろうか。一体なんの嫌がらせだ。
「よし、じゃあ食べようか。いただきます。」
「あ、いただきます。」
遺影に驚いたが、何も気にしていないネルさんに続いて食べ始める。
まずは味噌汁だ。少々熱いが、我慢して1口。
「…!!!」
非常に美味しい。蟹の味噌汁なんて美味いのかと思ったが、絶品であった。ネルさんが推すだけのことはある。
続いてラーメンだ。見た目は一般的な塩ラーメンだが、味はどうなのだろうか。
箸でつかみ、口に運ぶ。
「…!美味しい。」
「でしょ?」
普通に美味しかった。蟹の味噌汁並のインパクトは無かったが、そこら辺のラーメン屋より美味い。油が多くなく、非常に食べやすい。これなら幅広い客層に好まれるだろう。
その後も黙々と食べ続け、完食する。スラム街時代にはなかった満足感が身体を満たす。
「ふぅ……ご馳走様でした。」
「美味しかったね。また来ようか。」
そう言ってネルさんは席を立ち、会計を済ます。
「坊主!星5しとけよ!」
「ははっ!分かりました!」
クラブさんはラーメンだけではなく冗談も1級品らしい。
実は【無秩序の聖団】として活動していくために、10年前に開発された【スマートフォン】という魔道具を与えられたのだ。
それの機能の1つに、民間人が開発した【喰うログ】というアプリがある。
そのアプリから【クトゥグア】の店を調べ、星5をつけておく。なんとなくいいことをした気になった。また来よう。
2人で外に出て、本部に帰る。ここは危険なのを除けば存外いい街だ。
しかしその途中、声をかけられる。
「あれ?!ネルさん奇遇っすね!」
「ん?…あ、チェイスじゃん。何してんの?」
そこに居たのは、ラッシュさんとはまた違ったタイプの遊び人だ。
顔は整っているし服装もまともだが、なんとなく浮浪者というか、だらしない『空気』を感じる。ギャンブルでもやっていそうなイメージだ。
「俺は団長に呼ばれて本部に向かってるんですけど……ん?そいつは?」
「…トイフェル・アーバンです。よろしくお願いします。」
男───チェイスの興味が俺に移る。なんとなくダメな人間っぽいが、とりあえず下手に出る。
「【神覚】の所持者だよ。」
「?!え?!こいつが?!」
ネルさんの言葉に、チェイスは驚いている。
まあ無理もないだろう。俺も同じ立場ならきっと同じ反応をした。
「なんか…弱そうだな。」
「は?」
やはりろくな人間ではなかった。一言多いんだよ。
「あ、すまん、あまりにも貧弱そうで。」
「何だこの人!!失礼の塊か?!」
すまんと言いつつ更に罵倒を重ねる。
しかし悪感情は感じない。つまるところ悪気もなく、嘘もついていないのだ。心の底から失礼な男ということである。
俺たちのやり取りにネルさんは笑っていた。何が面白いんじゃ。
「はいはい、いいから行くよー。」
「へーい」
「はーい」
まだまだ言いたいことはあったが、ネルさんに言われてはやめない訳には行かない。今日はこの辺にしといてやる。
休戦し、3人で並んで歩く。当然ネルさんが真ん中だ。
街中にはやはり異形が沢山いた。中でも、黒いオーラを放つ箱を持った異形は特に目を引いた。
しばらく歩いていると、本部に続く扉が見える。ちなみにこの扉は普通に開けてもただの部屋が広がっているだけで、【秩序の間】には行けない。手順があるのだ。
まずノックを2回した後、ドアノブを回す。その後ノックを4回、3秒置いて音がならないインターホンを2回鳴らした後扉を開ける。
すると【秩序の間】に繋がるのだ。随分凝っているギミックである。
「あー着いた着いた。」
「そういえば、どこいってたんですか?」
久しぶりに帰って来たと言わんばかりのチェイスに、ふと思いついた疑問を投げる。
昨日と一昨日はチェイスのことを見ていない。
この男はどこにいたのだろうか。
「AT…彼女の家とパチンコ屋の間を反復横跳びしてた。」
「いま彼女のことATMって言おうとした!!」
まさかギャンブラーな上にヒモだとは思わなかった。
俺の【神覚】よりもこの男のだらしなさの方が上ということだろうか。
このふざけた男の彼女になってしまった哀れな女性に黙祷。
そんな男の話は置いといて、いつも通り地球儀を通って本部に行く。
中では団長がソファで昼寝をしていた。この人本当にこの組織の団長なんだろうか。
少し困った顔をしたネルさんは、団長を起こしに行く。
「団長ー、起きなよ。」
「ふがっ!………誰だテメェ。」
「名前忘れることある!?」
正気を疑う言葉に、思わず大声が出る。
ネルさんの顔を見て開口一番誰だとは、この男も随分ふざけている。
「…ああ、ネルとアホと雑魚か。」
「雑魚って…」
とんでもないことを言う。もしかしたら寝起きは機嫌が悪いのだろうか。それにしたって酷すぎるが。
「お前は合ってるだろ。俺なんかアホだぞアホ。4日ぶりに帰ってきたやつにアホって。」
「あんたはアホだろ。」
「は?」
またこれだ。どうしてかこいつがいると煽りたくなってしまう。きっと馬が合わないのだろう。
団長は俺達が言い合う光景を見て笑い、一言。
「仲が良さそうで何よりだ。」
「「どこがだよ!!」」
どこをどう見たら俺とこの男の仲がいいなどと思うのだろうか。あるいは寝起きで適当を言っただけの可能性もあるか。
「まあいいや、じゃあ本題入るが、お前らにはこれを確保して欲しい。」
団長はそう言うと一枚の写真を出す。そこに写っているのは、ただの黒い箱であった。確かに禍々しいが、それだけだ。
いや、ていうか、
「お前ら?俺もやるんですか?」
「…ちょうどいたし、良いかなって。……嘘だって!その目やめろ!…理由はある。」
その言葉に嘘を感じ取り、じーっと見る。これは意外と効くらしい。これからも活用していこう。
団長は俺の視線に負け、話し始める。
「…こいつの名前は【闇楽匣】。効果は【暗界】の深層と繋いで瘴気を吐き出すっつーもんだ。」
「え?!やばくね?」
流石のチェイスも驚いていた。【暗界】の深層には特に強力な異形や、【上位存在】が住む。常に瘴気が漂っており、それに触れると常人なら苦しみすら感じずに即座に死ぬ。
それを吐き出す箱など、世界崩壊クラスの魔道具である。一体どこの狂人が作ったのだろうか。
「一番の問題が、こいつを持つ者は不可視になるってことだ。つまり気づいたら箱開いてたみたいなことが普通に有り得る。」
「あの、これさっき街で見ましたけど。」
「「?!」」
ラーメン屋を出てから数分して街中ですれ違った異形が持ってた箱だ。確かに黒いオーラは見えたが、まさかそんな危険なものだとは思わなかった。
「まじか?!早速【神覚】の面目躍如だな!」
「貧弱なくせに中々やるじゃねえか。」
「一言多いんすよ。」
褒めるなら素直に褒めれば良いのにと思うが、プラスの感情しか感じない。やはりこの男は素で失礼なのだ。
「んで、元々【パンドラ】に保管されてたんだが…最近裏で有名になりつつあるバレイスっていう奴が【人界】征服のために盗んだらしい。手口はわからんがな。」
「そいつを倒せと。でもこいつだけ見えても意味無いんじゃないですか?」
当然の疑問だ。しかし一般には知られていないが、おれの恩寵はそれすらどうにかできる。
「いや、【神覚】は第7感以外なら感覚の『共有』と『貸与』ができるんで大丈夫っす。…やりすぎると脳が沸騰しますけどね。」
「決まりだな。他のやつはいないし俺は行けないからお前ら3人でどうにかしてくれ。」
「え?俺も?ご飯食べたから寝たいんだけど…」
ネルさんが眠そうな声で文句を言ってるが、この男と2人で任務なんて絶対に嫌だ。ていうか団長もついてこいよ。
俺がそう思っていると、チェイスが先に口を開く。
「団長は来れないんすか?」
「……俺は今日こそジャックポットを当てなきゃならんのだ。」
「カジノじゃねえか!」
世界の滅亡よりカジノの方が大事だと言うのか。本当にこの組織の長をやっているか怪しくなってきた。
チェイスは団長の言葉に神妙な顔をしている。団長のだらしなさに呆れているのだろうか。なんだかんだ言ってしっかりこの組織の一員やっているらしい。
「……あそこなら昨日誰かが当ててましたよ。」
「お前も行ってたんかい!」
「…そんな………ばかな……!!」
お決まりのような展開に思わずチェイスの頭を叩いてしまった。
やはりしっかりしているなんてことは無かった。ギャンブル狂い2人はどんよりした顔をしている。もうどうにでもなれ。
「…じゃあ団長行けるよね?俺行かなくて良くない?」
「……俺はもう無理だ…この世界の命運はお前らに頼んだ。」
どうしてどいつもこいつもやる気がないのだろうか。こんなんで世界救えるのか?
寝込んでしまった団長はもう仕方ない。この際諦めるとして、2人は連れていこう。
「ネルさん行きますよ!ほら動いて!」
「うぅ……」
「よし、戦力が増えたな。貧弱だけだとさすがに無理だ。」
「てめえマジで後で覚えてろ!!」
もはや貧弱という名前になった俺と、クソ男チェイス、やる気のないネルさんの3人で、バレイスを探しに再び【サクリフィス】に向かう。