第1話 最も不運で最も幸運な日
俺は、昔から運が悪かった。
生まれは普通だ。両親は優しかったし、裕福でもなく貧乏でもなかった。
だが俺が7歳の時、父親の浮気が発覚した。当然母はキレて、問答無用で即座に離婚。
母は女手一つで俺を育て始めた。貧乏だったが、そこそこ幸せだった。
けどその生活が3ヶ月続いた頃、突然男を作って俺を置いて家を出ていった。
家にある飯はすぐなくなり、警察に行くという選択肢も頭になかった俺は、その国のスラム街で暮らすことになった。
7歳ゆえに働くことなんて出来ないから、盗みをして毎日を生きていた。
金の使い方を覚えてからは金も盗み始めたが、ある程度貯まってもスラム街のゴロツキに取られた。それ故常に最底辺の生活だ。それでも上手く毎日を生きて、文字を覚え、ある程度の歳になれば仕事を貰えるようになった。しかし結局、俺の生活は大して変わらなかった。
道を歩けば犬の糞を踏み、ゴロツキに会うまいと遠回りをしたら偶然溜まり場が変わっててボコられる。
この不運にも理由はあるんだが、まあ今はいいだろう。
そんな感じで散々な人生を送ってきたが、実は現在、人生最大の不運に見舞われている。
俺は──────監獄に入れられたのだ。
窓がないため薄暗く、少々埃っぽい空間だ。今座っている小さいベッドは軋む音がうるさいし、トイレは外から見えないということしか保証されなく、当然娯楽もない。
この階にはご飯を運ぶ看守が1人来るだけで、外部の人間は全く訪れない。労働も無い代わりに刺激というものがまるで欠けている。
そんな最悪と言っていい環境だが、1人だけ話し相手がいる。
「どうしたの?」
よく通る綺麗な声だ。
声の主は俺が居る牢屋の向かいにいた。
檻と廊下を挟んだ先にある牢屋にいるのは、長い銀髪をした美しい女性だった。
だが長い投獄生活で、綺麗だったであろう銀髪はくすんでしまっている。
しかし本人は全く気にしていないのか、あっけらかんとしていた。
「ああ、いや、自分の不運を呪ってて。」
「あははっ!なにそれ。」
少し茶化した俺の言葉に、彼女は笑っていた。
彼女は俺が入った時には既にここにいた。
この階には俺と彼女しかいないらしく、必然的に話し相手になったのだ。
「暇だなここ…」
「仕方ないよ。私ら極悪人なんだもん。」
「まあ、そうなんだが…」
俺が適当に放った言葉にも、彼女は律儀に反応する。
だが、こんなとこにずっといれば会話相手に飢えるのは当たり前だろう。
ここは世界中から凶悪犯罪者が集められる世界一…いや二番目の監獄───【アシュトレト】。
塔のような形をしており、上に行くほど罪が重くなっていく。
480年前に建てられて以降1度も脱獄者を出したことがない上に、ここ数十年で新技術を取り入れたことでセキュリティが上がった。
もはや誰もここを出る事は出来ないだろう。
「…まさか最上階に送られるとは思ってなかった…」
「あははっ!そりゃそうだよねえ。」
俺の境遇を知っている彼女は笑っていた。
ちょっと傷ついたが、俺も同じ立場だったらきっと笑ってただろう。というか笑うしかない。
そう、ここは【アシュトレト】の最上階なのだ。
どうして俺がここにいるのかだが、まあ簡単に言うと冤罪である。
10日前──仕事から帰ってくる途中、たまには遠回りして帰ろうと思って路地裏に入ると、たまたまそこにいた不良に絡まれてボコられた挙句、気絶したままどこかに連れていかれた。
目が覚めるとそこは王城前だった。
不良も大勢になっており、俺はその光景を見て、やっと事情を把握した。
あの不良共は国家転覆を狙っていたのだ。
恐らく貧富の差に不満があるスラム街の連中だろう。仲良くはないが、知った顔も数人いた。
だがその後、【生きる兵器】と謳われる国の将軍が出てきて、俺は不良共が逃げる間の囮として使われた。
しかし───将軍の一太刀で逃げる不良は全て死に絶えた。だが、幸か不幸か、俺は囮にされたことで将軍の攻撃を逃れ生き残った。
当然釈放という訳にもいかず、俺は仲間だと勘違いされた。
もちろん釈明はしたが、大して信じてもらえなかった。そして同じスラム街出身というのが決め手になったのか、そのまま【アシュトレト】行きだ。…まさか最上階になるとは思わなかったが、不運は昔からなのですぐに割り切れた。
そんなことを考えていると、ふと頭に疑問が浮かんだ。
「…お前はなんでここに入ってるんだ?」
俺は分かりやすいが、ここの最上階はそもそもそんなに人が入ることがない。
見たところ悪人でもなさそうな彼女は、何をしてここに入ったのだろうか。
「…まあ、色々だよ色々。いちいち挙げてたらキリないね。」
「そりゃそうか。」
別に1つの罪だけで入るわけじゃないのだ。罪を積み上げ続ければ入ることもあるだろう。冤罪という可能性もある。
そこからしばらくは特に会話がなかった。刺激がないこの空間では、話題もいつか尽きる。
なにか話題がないかと考えていると、思い出したことがあった。
「…そういえば、この前看守が話してたのを聞いたんだが…【無秩序の聖団】の幹部がここに入ってるらしいぞ。」
「………へえ、そりゃすごいね。誰が捕まえたんだろ。」
一瞬神妙な顔をしたが、この話にはさすがに乗ってきた。これで少しは退屈が紛れると思うと憂鬱な気持ちが減る。
【無秩序の聖団】とは、とある犯罪組織の名前である。
あらゆる犯罪行為に手を染め、数多くの事件を起こしてきた無法者達だ。
全貌は全く分かっていないが、この組織の目的は───世界を支配から守るというものである。
100年前に人間が住む【人界】と異形が住む【暗界】が繋がって以降、一部の権力者や貴族、そして異形が、【人界】の豊富な資源や【暗界】の力を手に入れようと目論み始めたのだ。
【無秩序の聖団】はそういった者達に対抗するために活動している。
正義の味方のようなことをしているが、やってることは普通に犯罪だし、権力者層が被害を被っている以上は悪になる。
当然のように国際指名手配され、超高額の懸賞金がかけられている。
「そこまでは知らねえけど…案外この階のどこかにいたりしてな。」
「ふふっ、そうだね。」
俺の言葉に、彼女は笑って相槌を打つだけだった。
実はこの話を聞いた時、思い当たることがあったのだ。
あの組織の幹部なら最上階にいてもおかしくは無い。しかしこの階には俺と彼女しかいない。ということは───
「ところでお前、【無秩序の聖団】じゃないよな?」
「……そうだったら?」
予想外の返しをされた。彼女は冗談を言うことが多いが、今回は嫌に真剣な雰囲気だ。
返答に困る。聞いたはいいが話題提供のつもりで言ったから、仮にそうだったところで特に何かある訳でもない。
それに、どうせここから出れないならいつか死刑になって終わりなのだから。
迷った挙句、大胆に行くことにした。
「まあ、そうだな…一緒に脱獄でもするか!」
「ふーん、いいよ。」
「えっ」
精一杯ふざけたのだが、まさか真に受けられるとは思っていなかった。それとも俺のギャグセンスが低すぎたのだろうか。
あるいは、彼女は本当に【無秩序の聖団】なのだろうか。
非常にまずい。本物で、かつここから出る手段を持っている場合、やっぱいいですとも言えないのだ。…殺されそうだから。まあどう考えても自業自得なんだが。
「ところで───どこの看守の話を聞いたの?」
「え?」
彼女は今の話を聞き、お返しとばかりに唐突に切り出す。何か変な点があっただろうか。ただ看守の話を…いや、そうか。今回に限ってこれはまずい。
「この階にはご飯運ぶ人が1人来るだけだよ?」
「あーまあたまたま?たまたま聞こえたんだ。」
だいぶ苦しい言い訳だ。話題提供をしたつもりが俺の胃を圧迫する結果になってしまった。
声が震えている俺を他所に、彼女はさらに追撃する。
「……じゃあ次はこっちの番ね。君はなんの【恩寵】を持ってるの?」
「順番制なのか…」
などと冷静に返したが、内心は冷や汗だらだらだ。
大体予想はしてたが、これは俺が1番されたくない質問である。さて、どう誤魔化すか。
彼女が言う【恩寵】とは、体に流れる【魔力】を消費する事で使用可能な、人間のみが使える不思議な力のことだ。
恩寵は18歳になるまでに、恩寵の名と共に授かる。
その時期は決まっておらず、個人差がある。土壇場で覚醒する者もいれば、朝起きたら使えるようになってたという者もいるのだ。
そして、恩寵には大きく分けて4つの階級がある。
下から【使徒】、【聖徒】、【神徒】だ。【神徒】は希少で非常に強力だが、人類の約5割が最下級の【使徒】であり、その力はカスと言っていいぐらい弱い。
この3つとは別の枠組みに、【異徒】というものがある。
これには強力で危険なものや、特殊な恩寵が含まれる。その所持者は人類の1パーセントに満たないほど少なく、発覚した者は監視対象になる。
そして恩寵を話す上で忘れてはならないのが───【呪縛】だ。
恩寵を持つ者は同時に、【呪縛】と呼ばれる制限を抱える。
強力な恩寵になるほど比例して【呪縛】も強くなっていくため、【使徒】の恩寵を持っている者のそれは全く生活に影響がないほど弱い。
逆に【神徒】の恩寵を持つ者は【呪縛】も非常に強力な物になる。
そうしてこの世界はバランスが保たれているのだ。
では、俺と恩寵は何なのかと言うと───
「…それ、言わなきゃダメか?」
既にアウトに片足突っ込んでるが、こればっかりはさすがに言えない。もし恩寵を誰かに知られれば、俺の運命はそこで2択に決まる。
それ即ち─────死か売却だ。
「……それもそうだね。ごめんごめん。」
「いいって、気にしてない。」
俺の言葉に、訝しげながらも彼女は大人しく引き下がってくれた。ひとまず安心である。
恩寵は迂闊に人に喋るものでは無い。自分の切り札となりうる物だからだ。
監獄とは言え、答えないというのは別に珍しいことではないのだ。
そうして、結局疑問だけ残して互いのことが何一つ分からないまま話が終わる。だがそれも仕方ない。ここに入るような人がまともな経歴や恩寵を持っているとは思えないからだ。
俺の胃が少しづつ痛くなってきた時、彼女が意味深な言葉を放つ。
「さて、そろそろかなぁ。」
「え?」
なにが?と聞く前に彼女は立ち上がり、檻に触れる。
次の瞬間、檻が崩れた。
「?!」
「よーし、行けるね。」
自分の目を疑う。
どう考えても異常事態だ。この檻は最高硬度の金属を使った上に、【暗界】の異形のみが使える魔術をかけたものである。普通は破れないし、破ろうとも思わない。それが崩れたとなれば尚更だ。
これをしでかした本人は軽い足取りで牢屋から出てきて、俺の檻も壊す。
「お前…」
声が出しずらい。心臓の鼓動がうるさい。まるで白昼夢を見ているような感覚に陥る。
彼女は呆然としている俺の手を掴み、檻の外に出す。
この女は本当に───
そこで、何かの音が聞こえる。
「……なんの音だ?」
「…やっぱり、遠くの音が聞こえてるんだ!…私には聞こえないよ?」
にやにやしながらまくしたてる彼女を見て、しまったと思う。やはり看守の話が決め手になったのだろうか。
非常にまずい。俺の恩寵を犯罪組織に知られたらどうなることか。
「…勘弁してくれ……」
「その様子だと聴覚が強化されるタイプの恩寵でもなさそうだね。…君、一体なんの恩寵を持ってるの?」
そう言う彼女の目は、玩具を見つけた子供のようにキラキラしていた。
冷や汗が止まらない。無い頭を絞って対抗策を考えるが、全く思いつかない。
自分から墓穴を掘ってしまった。いやそもそも恩寵の話題の時に聴覚系の恩寵と嘘でもついていれば…いや、無理だ。咄嗟に機転を効かせて上手いこと嘘をつくほどの頭は持ってない。
やはり俺は運が悪い。そして頭も悪い。だが監獄に入ったら【無秩序の聖団】の幹部がいるとか誰が想像出来るんだ。いい加減にして欲しい。
どこからか聞こえる音は更に大きくなっていく。
少しづつ音の輪郭を捉えられるようになってきた。恐らく外から聞こえてくるであろうこの音は───まるで汽笛のようだった。
どうにか彼女の質問を回避できないかと必死に考えを巡らしていると、
「?!うわ!!」
「…先に来ちゃったか。」
壁が破られる。と同時に監獄内に警報が鳴り響き、階下からは看守の足音が聞こえてくる。
この監獄の壁は非常に厚い上に、彼女がさっき壊した檻より頑丈だ。それが破られるなど普通はありえない。そう、普通はだ。
そして、破られた壁の先には───列車が見える。
2両しかないが、何両であっても関係はない。
【アシュトレト】の最上階は超上空にあるのだ。列車があるはずはない。が、あってしまった。せめて空飛ぶ乗り物で来てくれ……
異常事態のバーゲンセールに、俺の狭い常識が壊れていく音がする。
少しして、中から1人の人物が出てくる。
ボサボサの黒髪と無精髭を生やした、やる気のなさそうな大男だ。しかしその体はよく鍛えられており、力強さを感じる。
男は俺を見た後、何かを察したのか微妙な顔をして彼女に一言。
「…おいアイリーン、さっさと乗れ。……どうせそこの死にそうな顔してるやつも連れてくんだろ?」
「久しぶり団長!よく分かったね!…………じゃあ、続きは本部で聞かせてもらうよ?」
「嫌だあああああ!!誰かあああああ!!」
彼女───アイリーンは天使のような笑顔で悪魔のような言葉を吐く。
それを聞いた俺は、これまでの人生で最も大きい声で自分の不運を嘆いた。
俺はこれからこいつらに売られるんだ。
ああ…しょうもない人生だった。
アイリーンは放心状態の俺を持ち、列車に乗り込む。そこから先はよく覚えていない。
こうして、【無秩序の聖団】に連れていかれるという最も不運な日から、俺───トイフェル・アーバンの人生の歯車は回り始めたのだった。
2作目です!不定期更新ですので、気長に待っていただけるとありがたいです。