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ターナー兄弟と霧の森の王  作者: 雨笠 篁
プロローグ
1/16

行け!キリコー三人組 〈改稿〉

 そこは都内でも有数を誇る高級住宅が立ち並んだ長閑な住宅街。一軒一軒が広大な面積を誇る住宅の向こう側には雲を貫く巨大なビルディングが頭を覗かせ、一際巨大な電波塔がその奥に聳えている。

 平日昼間、それも通勤通学時間帯を過ぎたこの時間では、住宅街に響くのはガソリン車の排気音のみ––––否。

 その他にもう一つ、街の静寂を崩す声が。


「う、うわあああああああああっ!」

「遅刻遅刻ぅ〜って」

「ハァ……メンド」


 それは奇妙な三人組だった。

 一人は、縁なしの眼鏡をかけた小柄な少年。

 もう一人は、うねった黒髪を目元まで伸ばした男。

 最後に彼ら二人よりも頭一つ以上背の高い、長髪の青年。

 閑静な筈の住宅街を絶叫しながら全速力で駆け抜ける、見た目も年齢も異なる三人組。そんな彼らの唯一の共通点は、三人が同じ学校の制服に身を包んでいることだった。

 つまり。


「やばいよやばいってぇっ!こんな日に遅刻とかあああああぁ!」

「あー、今日卒業式だっけ」

「ならそんな焦んなくても別にいいんじゃねーの?、関係ないだろ俺らには……ふあ〜あ」


 彼らは現在、籍を置く高校の卒業式に遅刻しているところだった。

 小柄な少年は焦燥に駆られ。

 うねった黒髪の男はいかにも他人事な風に。

 長髪の青年はつくづく億劫そうにそう呟いた。

 先頭を走る少年は後方をダラダラと走るそんな二人の言動に、ピキリと額に青筋を這わせる。


「いいからもっと急げよお前らっ!それに!僕達は兎も角、君は卒業生だろっ!」


 何「俺も関係ないし」みたいな顔してるんだっ!––––と、少年は背後にいた男にビシッと指を突きつけて叫んだ。

 指を突きつけられた男は、顔に向けられた指をそっと手で払いのけながら、気怠げに答えた。


「別に形式にこだわらなくても、卒業することは決まってるし、大学へ進むことも決まってる。それに俺は、中学の卒業式もまともに出てなかったしな。今更だろ、本当」

「いや、出ろよ。中学の卒業式出なかったからって、高校も出なくていい理屈にはならないだろ。それに『部員』の君達がそういう問題を起こすと、『部長』の僕の評価に響くんだよ」

「だったらお前だけ先に行けばいいだろ。ぶっちゃけ俺ら卒業式とか興味ねえし」

「そうそう、それに元々評価なんてあってないようなもんだろ。俺らには」


 ふっ––––と揃って肩を竦める二人。

 その態度に、少年は額に浮かべた青筋をはち切れんばかりに膨らませて、首だけグリンと後ろに向ける。


「一緒にするな!僕はいつも君達が問題を起こすからその巻き添えを食っているだけだ!それに君達を連れて行かないと結局僕の責任になるんだよ!僕には部長として、君達を監督する義務がある!」

「いや学校の部活の部長ってそういうもんじゃないと思うが」

「前見て走れよ、きしょいな」


 少年の剣幕にも、全く悪びれる様子のない二人。

 ぶちん、と、何かが切れる音がした。


「ふざけるなっ!元はと言えば僕を強制的に怪しげな部活に入部させて、あまつさえ部長まで押し付けたのはどこのどいつだ!お前らだろ!それなら少しは僕のことを敬ったらどうだ!」

「教師の評価や学校の内申がどうした。いつまでそんなものに囚われている。そんなもん奨学金借りるときにしか役立たないぞ」

「そうそう、それに一般受験する俺たちには最早無用の長物だな」

「僕は内部進学するから内申は必要だし、お前達とは違って奨学金も借りるんだよ!黙ってろ!それに大体今日だってこんなに遅刻したのも、お前達が急に昨日の夜中呼び出すからだろ!ゲームの頭数揃えるためだけにド深夜に人を呼び出すなよっ。常識を持て常識を!」

「だってなあ、こいつとばかり対戦してたんじゃ流石に飽きるだろ。クッパばかり倒していてもそのうち味気なくなるもんだ」

「それにたまには雑魚を一方的にボコボコにして自信つけたいだろ?それと前見ろって」

「お前らの歪んだ思想に僕を付き合わせるな。なんだその『当たり前だろ?』みたいな真っ直ぐな表情は。それに!人をまるでクリボーみたいに言うのは––––」


 とその先を荘園が最後まで言い切ることはなく。

 少年は目の前に現れた電柱に全速力で突っ込んでいった。

 少年が最後に見たものは、視界に散らばる無数の星––––のように砕け散った眼鏡の欠片だった。


「だーから前見ろって言っただろバーカ」

「ほら、もっと急げよブチョー。こんな大事な日に遅刻するぞ」


 そして電柱の下で突っ伏した少年の横を、二人は脇目も振らずに走り去った。

 それこそ、ジョギング中にアスファルトの上で乾涸びたミミズをひょいと跨ぐ程度の、至って自然な動作で。

 遠ざかる二人の背中の後ろには、血だらけの顔に怒りすぎて不恰好な笑みを貼り付けた、怨嗟に塗れた少年の姿が、そこにはあった。

 

◇◇◇◇◇


「だから謝ってるじゃねえか部長」

「いい加減機嫌直せよな」

「………」


 あれから無言で走り続ける少年に、流石に居心地の悪さを感じた男と青年は後ろから声をかけるも、少年が後ろを振り向くことはない。

 そのことに後ろを走る二人は顔を見合わせ、どうしたものかと肩を竦める。

 一方少年の内心はというと、


 ––––こっ、殺す。殺す、絶対殺す。今は無理でも……いや物理的には一生不可能だとしても、いつか必ずこいつらに死ぬほどの目に遭わせてやる。社会的にも精神的にも追い込んで徹底的に潰してやるっ。今は無理だとしても……今は無理だとしてもっ!

 と、呪詛の言葉を一心不乱に脳内メモに殴り書きしていた。


「お〜っと不穏な空気」

「何考えてるか丸分かりだな」


 と、歪な笑みを浮かべながら全身からドス黒い漆黒のオーラを滾らせる少年から、二人が距離を取ったその時。


「………」


 ピタリ、と少年の足が止まった。


「おっと……なんだよ、急に立ち止まんなよ」

「どうした、突然」


 咄嗟に身構える二人だったが、立ち止まった少年の意識と視線は二人ではなく、明後日の方角を向いていた。

 剣呑な––––普段二人が向けられているものとはまた別種の、しかし見覚えのある視線を放つ少年に、二人は嫌な予感を覚えた。


「おいおい」

「なあ、お前まさか––––」

「……いや、なんでもない」


 先を急ごう––––と、何かを振り払うように少年は一歩を踏み出して、


「––––––っやっぱ二人とも先に行っていてくれ!」


 堪え切れなくなった風に、少年は突然二人に背中を向けて駆け出した。

 目的地とは正反対の方に走り去る少年を呆然と見送った二人は、再び顔を見合わせると、大きな溜息と共にその場にへたり込んだ。


「クッソ〜またかよっ」

「急げって言ってたのどこのどいつだってーの」 


 急な態度の変化。

 突飛な行動。

 それに––––先ほどの顔ときた。

 この先待ち受ける展開が分かりきっている二人としては、最早頭を抱えるしかなかった。


「どうするよ、お前」


 長髪の青年が、長い前髪をかき上げながら立ち上がり、隣の男に問いかける。


「……どうするもこうするも、放っておく訳にはいかないだろ。それに––––」男は懐から出した萎れた箱からタバコを取り出すと、素早く火をつけて大きく吸い込む。そして吸い込んだ煙を青年に向けて吐き出すと、にたりと笑って言った。「クソかったるい卒業式なんかより、よっぽどマシだろ」

「はんっ、違いねえな」


 吐き捨てるようにそう言って、一転、青年は獰猛な笑みを浮かべる。

 二人は示し合わせたように懐から揃いの腕章を取り出すと、


「そんじゃ行くか」

「ああ。ったく––––」


 男も呼応するように立ち上がり、肩を竦めて言った。


「––––世話のかかる部長だぜ」


 そう言って、二人は少年の姿を追う。

 風紀部––––と、そう刺繍された、えんじの腕章に袖を通して。


◇◇◇◇◇


 三人が走り抜けていた住宅街の程近く。

 繁華街にも近い雑居ビルが立ち並ぶ裏通り。この時間帯は人通りが殆ど無いその場所で、複数の男女が言い争っていた。


「いやっ……やめてっ離してくださいっ。私達そんなつもりで来たんじゃ––––」

「そんなつもりじゃねえならどう言うつもりで来たんだよ、お姉さん達さぁ、普通こう言う場所に連れてこられたらどうなるかくらい、想像つくでしょ〜?」


 言い争っていたのは、五人の男女。

 既に言い争いの範疇を越え、揉み合いにまで発展していたその言い争いの只中にいたのは、小綺麗な格好をした二人の女性と、その二人を建物の壁際に取り囲むように並んだ三人の男達だった。

 二人の女性は見たところ授業終わりの大学生、その周りの男達はいかにもといった風態のチンピラ達だった。


「て、言うか〜、お姉さん達も本当は期待してたんじゃないの?」

「ち、違いますっ。私達はただ本当にお話だけって!」


 肩に置かれた男の指先が、黒髪の女性の肩を撫で回すように動き、その悍ましさに黒髪の女性は咄嗟にその手を払い除ける。

 手を払い除けられたドレッドヘアーの男は、飼い猫に手を噛まれたような不快感を覚え、軽薄な笑みを消し去ると底冷えするような声で呟いた。 


「おいおい、見てみろよ周りをよ。ここらにあんたらのいくような洒落たカフェがあるように見えるか?こんなとこまでのこのこ付いてきたのはどこのバカだよ」


 言うように、女性達が周囲に目をやると、周りにあったのはバーや風俗店がテナントとして入る雑居ビルや、その間に林立するネオン色豊かなホテルばかり。

 女性達がいるのはそんな通りに面した、二階より上がホテルと繋がった、見るからに怪しげなバーの目の前だった。


「………っ」


 今更ながら自分達が引き込まれた場所に、女性達は己が置かれている状況を再認識させられ、恐怖に立ち竦んだ。

 咄嗟に、女性の内の一人がもう一人の背後に隠れスマホを取り出そうとして––––その腕を掴まれる。


「おーっとっと?何しようとしてるのかな〜?それに、ここ俺らの知り合いがやってるバーだから、誰か呼んでも店の中入れないよ?」

「そんな……」

「ハハッ、マジでお前の言う通りちょろかったな」

「だから言ったろ?桐大の女は皆、おめでたい頭したボンボンだから引っ掛けるの簡単だってよ」


 男達の絡みつくような笑い声が、急に遠くに感じた。

 一縷の望みを絶たれた女性達は、これから己の身に降りかかる凄惨な行為を思うと、恐怖のあまり声すら上げられずに、肩を掴まれ薄暗いその店の中に引き込まれる。


「はーい、二名様ごあんなぁ〜い」


 スモークガラスの店の扉が開くと、中からはむせかえる程のタバコと甘い煙の匂いが立ち込め、次いで店内にいた男達の舐めるような視線が向けられる。

 三人の男だけではない。店内には同じように柄の悪い人間が二十名程いて、その全員が下卑た笑みを浮かべている。中には女の姿もあったが、彼女達が女性二人に向けるのは、憐憫の眼差しではなく、巣にかかった獲物でも見るような目だった。

 そこに女性達の味方になってくれるような人物は、誰一人としていない。


 助けは、呼べない。

 呼んでも、助けなんて来ない。

 そんな正義の味方、現実にいる筈などないのだから。


「助けっ––––」


 それでも女性の喉は確かに震えて、咄嗟に助けを求めた。

 望みなどどこにもないことを知りながら、それでも縋る思いで彼女が絞り出したその声は––––


「おいッ何やってんだあんたら!」


 しかし確かに、届くべき人間に届いた。


 突然の闖入者に、チンピラ達も、助けを呼んだ筈の女性達も一瞬、呆気に取られる。

 何故ならそこにいたのは––––声を張り上げながら女性の肩に回されたチンピラの腕を掴んだのは、助けを求めた女性達よりも背の低い、制服を着た少年だったのだから。


「……あん?誰?」

「どう見てもその人達嫌がってるだろ、その手を離すんだ」


 少年は頭一つは高いドレッドヘアーの男に向かってそう凄みつつ、男の腕を掴んで女性から引き離す。


「ん〜何?君この子達の知り合いかなんか?」


 腕を掴まれたドレッドヘアーの男は他の男達に目配せしつつ、先程とは打って変わって爽やかな声と笑顔で、目の前の少年に向き直った。


「違う。だけどその人達は助けを求めてた。あんたら、この人達に何するつもりだ」 

「なるほどなるほど。だったらさーあ?––––」


 ドレッドヘアーの男がそこまで言うと、いつの間にか少年の後ろに回り込んでいた別の男二人が、後ろから少年を一瞬で羽交締めにする。

 と、ドレッドヘアーの男はすかさず少年の鳩尾に膝蹴りを入れた。


「普通こう言う時はスルーすんのがルールって知ってる?」

「がハッ」


 少年は苦悶の声を上げ、膝から崩れ落ちそうになるが、少年を羽交締めにしている男達がそれを許さない。崩れかけた少年を再び立ち上がらせ、再度ドレッドヘアーの男が少年の腹を蹴飛ばしたところで、漸く少年は解放された。

 否、それはただドレッドヘアーの男の暴力から解放されただけ。

 地面に転がった少年には、別の男達による止めどない暴力が向けられる。蹴られ、踏みつけられ、いたぶられ、弄ばれる。 

 目の前でボロ雑巾のようになっていく少年の姿を見下ろしながら、ドレッドヘアーの男はケタケタと手を叩いて笑った。


「何こいつ、正義の味方のつもりかよっ。ハハッウケる……と、おっとっと、どさくさに紛れて何逃げようとしてんだよ」

「きゃっ、ちょっ離してっ!」

「逃すわきゃねーだろ、おい、お前らも見てないで早く店の中連れ込めって––––」


 男達の隙をついてその場を立ち去ろうとした女性達を捕まえ、ドレッドヘアーの男は店内で見物を決め込んでいた仲間達に視線を送る。


「う、うわあああああああああっ!」

「なっ––––こいつっ」


 しかしそれをさすまいと、少年は雄叫びを上げ、ドレッドヘアーの男の腰にしがみつく。


「な––––にしてんだてめえっ!しがみついてんじゃねえよクソガキが!離せオラっ離せってんだよこのッ」


 男は自分の腰元にしがみつく少年の背中に拳を振り下ろす。

 幾度も振り下ろされるその拳に、少年は苦痛に顔を歪めるが、それでも歯を食いしばって痛みを耐え、食いしばりながら眼光を飛ばす。


「いやだっ、離さないっ!ぐっ、離す……もんか!」

「ハア、ハア……なんなんだよお前一体、なんでそこまでしやがる!」


 ドレッドヘアーの男はついには自分の方が殴り疲れ、息を切らしながら自分の腰にしがみついたままの少年に問いかける。問い––––そう、疑問である。


 男にはいきなり現れたこの少年が、何故ここまでするのか理解できなかった。

 見たところ少年と女性達に面識はないようだし、ここで女性達を助けても少年には何のメリットもない筈。

 それなのに何故––––と男の抱いた疑問に、少年は口の端に血を滲ませながら答える。


「それは、こっちのセリフだっ!なんで正しく生きれない––––なんで正しく生きる努力をしないっ!」

「なんなんだよお前………何言ってんのかわかんねーよっ」


 声を裏返して逆火ながら、男は恐怖にも似た動揺を覚えた。

 本当に、たったそれだけの理由でこの少年は見ず知らずの女性二人を助けに来たというのか。明らかに自分よりも一回り以上は体の大きい男達しかいない中に、何のメリットもない、どころか既にここまでボロボロになってまで、たったそれだけの理由で。

 そんな人間、いる筈ない。

 少なくともそのような生き方とは無縁に人生を送ってきた男には、少年のその行動を理解できる筈もなかった。

 そうして手の止まったドレッドヘアーの男に代わるように、別のチンピラが道端に落ちていた鉄パイプを手に持ち、振り上げる。


「チッ、もうめんどくせえからこいつ眠らすぞ」

「––––––っ」


 これまで暴力に耐え続けていた少年だったが、流石に鉄パイプを振り下ろされたらひとたまりもない。数瞬後に自分に振り下ろされるその凶器の威力に固唾を飲み、されど決して手だけは離すまいと、ぎゅっと瞼と腰に回した腕に力を込める。

 そして––––次瞬。


「––––––だらぁあっ!」

 

聞き覚えのある、声がした。


 少年がぎゅっと閉ざした眼を開くと、そこには––––––


「全く、いつでも自分から面倒ごとに突っ込んでいくなァ!お前はっ!」

「ひっひっひ。そこで『君たちは僕が守る〜』とか言えないのが、つくづくお前らしいな」


 視界に飛び込んできたのは、己に対して鉄パイプを振り上げたチンピラの顔面に突き刺さる、大きな膝––––––と、獰猛な笑みを浮かべた青年の顔。

 そして、チンピラの手放した鉄パイプを今まさにドレッドヘアーの男に振り抜かんとする、男の横顔だった。

 

「カッキーン」


 なんて、コミカルな台詞とは正反対な、鉄パイプと頭蓋骨の衝突する凄惨な音が響く。

 血飛沫の架け橋が宙に架かり、ドレッドヘアーの男は見事な放物線を描いて、はるか後方へと弾き飛ばされる。

 そんな、現実離れした光景に、


「ホームラーンっ!」

「ダメだな、飛距離が足りてない。二塁打ってとこだ」


 なんて、まるで草野球でもしているかのような軽口を叩きながら、二つの背中が少年の前に立った。

 揃いの制服。

 そして、揃いの腕章に袖を通して。


「き、君達………」

「正義の味方も程々にしとけよ、お前。そんなボロボロになって、それこそこの後の式どんな面で出席するつもりなんだよバーカ」

「実際問題、俺らが問題起こさなくても、お前から問題に突っ込んでいったんじゃ意味ねーだろ」


 男は呆れ果てた声で、ボロボロになった少年の姿に肩を竦める。

 青年はその言葉に頷きながら、拳骨を軽く少年の頭に落とす。

 青年からすれば軽く––––––とは言え先程のドレッドヘアーの男の拳よりも遥かに重い。

 頭に落とされた衝撃で軽く意識を飛ばしかけつつも、少年はズレた眼鏡をかけ直して、よろよろと立ち上がる。


「………別に、僕は、助けてなんて言ってないぞ」

「ふーん、で?お前だけであの女ども助けられるのか?」


 男の言葉に、少年は黙して目を伏せる。

 分かっている。

 分かっていた––––––自分の生き方をするには、自分の思う生き方を貫こうとするならば、あまりに自分には、力がない。

 単純に、腕力だって。

 現に、自分から飛び出したにも関わらず、自分は女性達をこの窮地から救い出すことすら出来ていない。もし、この二人が今この場所に現れなければ、自分も含め、事態は更なる惨状になっていたことは想像に易かった。

 だからこそいつもこの二人の背中には、安心以上にそれを上回る自己嫌悪を覚えるのだ。

結局は、自分も救われる側の、手を差し伸べられる側の人間なのだと、嫌になる程痛感させられるから。

 だがそんな少年に、二人は呆れたように肩を竦めながらも、少年の丸まった背中を叩いて背筋を伸ばさせる。


「ま、いいんだよお前はそれで。突っ走ってれば。ただお前の思うままに突き進んで、バカやってれば」

「それでこそ、俺らの部長なんだしな」


 青年はそう言って、男はそう言った。

 そう言って、少年の目の前に二人の背中が歩み出る。


「そうやってお前が馬鹿正直に突っ走って––––––」

「––––––俺らがぶん殴る」


 青年は袖を捲って。

 男は鉄パイプを担いで。


「––––––それが俺ら『風紀部』だ」


 そう言い放って二人がチンピラ達の前に躍り出ると、一気にチンピラ達の顔から血の気が引いていく。


「お、おい待てよ……。その服、桐高の制服じゃねえかっ。それに七三の眼鏡に、咥えタバコ、長身ロン毛って」


 あまりに特徴的なその姿。

 あまりに特異なその組み合わせ。

 チンピラ達の脳裏に、最近この辺りでしばしば話題に上がる3人組の名前が浮かんだ。


「まさか……まさかお前ら最近噂のっ––––」


 そこまで言いかけて、チンピラの一人は顔面に鉄パイプが突き刺さり、後方に吹き飛ぶ。

 鼻から吹き出た血飛沫が、まるで虹のごとく綺麗な弧を描いて、チンピラ達の間をとてつもない勢いで飛ばされていく。

 あり得ない光景。

 あり得ないその物理現象に、場の皆が絶句する中、ただ一人。

 たった一人、その静寂を作り上げた青年は高らかに声をあげて口上をあげた。


「ふっふっふ、いかにも!俺達は桐谷高校社会風紀研究部(﹅﹅﹅﹅﹅)––––愛と勇気と学区内の平和を守る、人呼んで桐高ガーディアンズだっ!」

「いや誰も呼んでねーだろ」


 鉄パイプを青年に奪われた男はそうツッコミを入れつつ、コキコキと首を鳴らしながら周囲を見渡し、一人一人に人差し指を向ける。


「一、二、三、四––––二十人か。よし、俺が五でお前が十五だな」

「バーカ。俺一人で十分だってーの」


 青年はそう言って、男はそう言った。

 そして––––


「さあて、それじゃいつも通り––––」

「––––風紀部の活動を始める」


 彼ら桐谷高校社会風紀研究部による、ただの部活動が始まる。




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