第5話:山寺の静寂と波乱
俺、佐藤太一、18歳。この呪われたトイレに振り回される日々も、もう何だか日常の一部っぽくなってきた。でもさ、慣れるとかじゃなくて、毎回心が折れそうになるんだよ。昨日は石油タンカーの甲板で海風に煽られながら用を足したし、もう驚く気力も薄れてきた……とか思ってた俺がバカだった。
今日は昼に食ったコンビニの肉まんが胃の中でモヤモヤしてて、仕方なくトイレに駆け込んだ。ドアを開けた瞬間――。
「うおっ、山の中!?」
目の前には、切り立った岩肌に囲まれた古い石段。苔むした木々が風に揺れてて、遠くで「コン、コン」って鐘の音が響いてる。見上げると、山の斜面にへばりつくように木造の寺が立ってる。山形県の山寺、立石寺だ。旅行番組で見たことあるぞ、ここ! で、俺はいつものように便器ごと、その石段のど真ん中にポツン。
「いや、マジかよ……山寺の参道でトイレって、罰当たりすぎだろ!」
周りはしんと静まり返ってて、ジージーと蝉の声が岩に染み込むように響いてる。なんか昔の俳句で聞いたことあるな……「静けさや いわにしみいる 蝉の声」だっけ? 松尾芭蕉もここに来たらしいけど、こんな静寂の中でトイレミッションとか想像もしねえだろうな。俺だってしたくねえよ!
「見えてるのは俺だけで、向こうからは見えない」ってルール、信じてるけどさ。目の前の石段を登ってくる袈裟姿の僧侶っぽいおじさんが、なんかこっち見てる気がする。いや、錯覚だろ。錯覚であってくれ!
腹の中じゃ、肉まんの油がじわじわ暴れ始めてる。時間がない。蝉の声に混じって俺の腹が「ぐぅ」と鳴った瞬間、芭蕉の俳句が頭をよぎった。静けさ? いやいや、俺の腹がこの静寂ぶち壊してるじゃん!
「おっ、おっ、おっ……頼む、出てくれ!」
その時、風がスーッと吹いてきて、木々がザワザワ揺れた。そしたら僧侶が立ち止まって、「む?」って顔でこっちをチラ見。やばい、見られてる!? 俺は慌てて息を止めて固まる。でも彼、首をかしげてそのまま石段を登っていった。見えてねえよな……よな?
静寂の中、蝉の声に負けないよう、俺は全神経を腹に集中。
ぽとっ。
「……ミッションクリアー、通常トイレに戻ります」
光がパッと弾けて、俺はアパートの狭いトイレに帰還。換気扇の音と便器の安定感が、いつも以上にありがたく感じる。汗だくで息を整えながら、俺は呟いた。
「山寺って……『静けさや いわにしみいる 蝉の声』とか風流な句がある場所でトイレとか、芭蕉に謝れってレベルだろ……」
考えてみれば、あの僧侶、俺のこと気づいてなかったよな? 風と蝉の音に紛れてセーフだったか。でも、あの厳かな雰囲気の中でやった事実は消えねえ。俺の罪悪感、メーター振り切ってるわ。
「ったく、次はどこだよ……もう寺とか静かなとこは勘弁してくれ」
肉まんは当分パスだなと思いながら、俺はトイレのドアをそっと閉めた。でも、次に開けるのがやっぱり怖いんだよな、これ。