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この恋はフィクションです。

作者: Manary

 シャープペンがかつんと古びた机を叩いた。

 ちらっともう一方の机を見る。……空席。

 安堵の溜息をついて、思考を外から内に戻した。




 隣の席の白石さんの顔を、俺は一度も見たことがない。

 席替えをすると二分の一の確率でお隣さんになる女子生徒の顔を見たことがないなんて、嘘だと思うだろう?本当です。マジです。

 前髪で顔を隠して、残りの面積は紙マスクで完全防御。真夏のランニングで汗だくになろうが、飲み食いしようが、何が何でもはずさない。もはや白石さんの印象は紙マスクガール。

 基本的にうつむきがちで、話しかけられても首を振るか単語を呟くかくらいのバリエーションがなく、会話が成立しない。要は、重度のコミュ症なのだ。


 ……と、思っていたのだ。ついさっきまで。


「おーい、どうした古瀬。自分の平凡顔に惚れちゃったのか〜」


 からかうような声にハッとする。ずいぶん長く鏡を凝視していたらしい。

 適当に答えつつ、視線はやはり鏡の向こうにいってしまう。

 もちろん、自分の顔なんかに興味はない。俺が見ていたのは、紙マスクガール白石さんだ。

 その白石さんが、マスクをつけていない。

 人違いでも見間違いでもない。バッグの中を探っている彼女は、間違いなく白石さんだった。色素の薄い髪と肌でわかる。

 そして、めちゃくちゃ可愛い。

 西洋人形のような顔立ちで、想像の何倍も整っている。マスクを取ったら美少女って、そんなの現実に有り得るのか。反則だ。

 ぼうっと見惚れていると、白石さんはバッグから紙マスクを引っ張り出し、装着。そのままいなくなってしまった。


「おい古瀬、ふーるーせー」

「……なぁ、知ってたか。知らないだろ」

「人のことさんざん無視しといていきなり何だよ!?」

「何って、白石さんだよ。いつもマスクしてるだろ?でも、本当はめちゃくちゃ可愛いんだ」


 怪訝な顔をする友人に対し、俺は優越感でだいぶ気持ちよくなっていた。

 今日の俺、グッジョブ。柄にもなく鏡を持ってきてよかった。


「いや、知ってるけど?何を今更」


 ……うん?


「白石さんの素顔が可愛いことなんて、とっくの昔にみんな知ってるよ。いつもしてるわけじゃないし。てか、去年まではつけてなかったらしい」

「待て待て待て」


 白石さんがマスクをつけてないことがある?そもそも、去年まではつけてなかった?


「冗談やめろよ!俺、見たことないぞ!」

「あんだけ隣の席になってるのに!?それはまぁ……ドンマイ!って、どこ行くんだよ!」


 俺はふらふらと立ち上がり、あてもなく歩き出した。

 俺が白石さんと同じクラスになったのは今年から。

 つまり、俺が嫌いで顔を見られたくないということじゃないか!

 好きとまではいかないが、白石さんのことは結構気になっていたのだ。それで実は美少女でしたなんて、もう好きになるしないのに、秒で失恋。

 乾いた笑い声を漏らしながら彷徨っていると、ドンと誰かにぶつかった。


「ごめんなさ……あっ」


 聞き覚えのある声に顔が引きつった。神様、そんなに俺が嫌いですか。

 白石さんが尻餅をついていた。俺のせいだろう。ここでイケメンなら手を差し出してロマンスが始まるところだが、悲しいかなこの恋は始まる前から終わっている。


「ごめん、大丈夫?」


 こくり。小さく頷いて、うつむいてしまった。


「あ、あのさ、俺、何かしたかな?」


 白石さんが首を傾げる。戸惑っているようだ。

 まずかったか。でも、もういい。ヤケクソだ。


「俺の前でだけマスク外さないから、そんなに嫌われてるのかなーって……いや、嘘!ごめん意味わからないよね!今の忘れてっ!」


 しかし、ヤケクソになりきれなかった。畜生俺の半端野郎が。


「違うよ!」

「え」


 白石さんが慌ててマスクを取った。頬が林檎のように赤くなっていて可愛い。

 が、次の瞬間、そういう不埒な感想も吹っ飛んだ。


「ふ、古瀬くんといると、緊張しちゃって。私顔が赤くなりやすいから、マスクで隠してたの。嫌いとかじゃ全然ないよ!むしろ……」


 急に言葉をつまらせて、先ほどより顔を赤らめてうつむいてしまった。組んだ手が少し震えている。

 これは、もしかして、もしかしなくても、期待していいんじゃないか。


「あ、あのね。古瀬くん」

「は、はい」

「急にこんなこと言われても困るかもしれないんだけど、私、ずっと古瀬くんのことが……」




「好きでした〜付き合ってください〜ってね?」

「えっ?……ぎゃあああああっ!」


 ()はシャープペンを放り出し、絶叫した。私のすぐ後ろに、今絶対にいてほしくない人間がいたからだ。

 そいつは私の書きかけの原稿用紙をひょいっとつまみ、あろうことか冒頭から読み始めた。


「ベタなラブコメだねぇ?今井さん、こういうの書くのか。僕にはツッコミどころ満載の文学もどきしか見せてくれないから、知らなかったよ」

「やめて返して読むなあああっ!」

「あはは、それはできない相談だ。だってこの“白石さん”、僕だろう?そんでもって“古瀬くん”は今井さん。いやぁ、こんな風変わりな告白は初めてだよ」

「やめろおおおおおっ!」


 全力で原稿用紙を取り返そうとするも、相手は高身長を活かして防御。なすすべなし。

 私はガクリと膝をついた。何もかも終わった。死にたい。


「黒川先輩……何でいるんですか……今頃は部長会議に出てるはずですよね……」

「逆に聞くけど、僕が最後までちゃんと出席したことあった?」

「この不良部長……文芸部の恥晒しめ……」

「否定はしないけど、どうせ部員は僕ら二人だけだろ」


 ケラケラとマスクの内側で笑い声を上げる。色素の薄い髪と肌、愉快そうに細めた瞳に妙に色気があって、腹が立つ。

 私が所属する文芸部の部長で、常時紙マスクで顔を覆い、決して素顔を見せようとしない、気まぐれ系のろくでなし。


 出来心だった。あと、珍しく黒川先輩が部長会議に向かったので、油断した。

 いつも通り、ガタつく机に原稿用紙とシャープペンを置き、何を書こうか考えて、思いついてしまったのだ。

 私、今井を“古瀬”に、黒川先輩を“白石”にして、あと照れくさいので性別も逆にして、短編を書くことを。

 もちろん、先輩はあんな可愛い性格ではないし、ああいう展開を望んでいるわけでもない。

 正真正銘、まぎれもなくフィクションだ。

 ただ、いつまで経っても絶対にマスクをはずしてくれない黒川先輩への、密かな当てつけだった。それがまさか、こんなに早く帰ってくるなんて。



「ところで今井さん。手鏡持ち歩いてる男ってなに?そもそも、手鏡に別の人間の顔がそんなにはっきり映るわけないでしょ。バカだね〜」

「うるさいです、いいから返してください!」

「何で?これラブレターでしょ?」

「んなわけあるか!」


 怒鳴りとばすと、ニヤリと目を細めて覗きこんでくる。この野郎、自分の顔のよさをわかっててやってる。絶対だ。

 因みに、黒川先輩は半分はマスクで見えないもののたぶんイケメンの範疇だ。しかし、全くモテない。いくら顔がよかろうと中身に問題がありすぎる。


「いいですか、それはフィクションです。実在する人間とは何のかかわりもありません。ヒロインがマスクしてるのもたまたまです」

「どっちにしろ、今井さんが僕のこと好きなのわかってるから大丈夫だよ。普段から気持ち駄々洩れだからねぇ」

「うっざい!先輩みたいな変人は嫌いで……」

「じゃあ、何でこんなもの書いたの?僕に見られて困るようなものを、僕に隠れて」


 くすくす笑う声に、色々な要因で顔に血が上った。

 最悪。最悪だ。

 このクズ、全部わかった上でからかっている。こんな奴、好きじゃない。私のタイプはもっと優しくて謙虚で誠実な人だ。

 それなのに、畜生。


「こんな男は嫌だ~とか言いながら、君は僕から逃げていかないじゃないか。それとも、自意識過剰だって言う?」


 知ってるくせに。わかっているくせに、言わせようとする。腹の中どころか、顔も見せてくれないのに。


「〜〜〜〜ッ、そうですよ!好きですけどそれが何かッ!?イタいとでも気持ち悪いとでも言え!いっそフってくださいよっ!」


 先輩が目を見開いた。何を今更驚いているんだ。

 ずるくて、腹立たしくて、こっちばかり割りを食って、何だかもう泣けてきた。

 あのお粗末なフィクションは、本当はただの言い訳だ。先輩が顔を見せてくれないことへの。


「そんなに怒らなくても……てか、泣いてる?」

「誰が泣くか!」


 泣けてくるとは言ったが実際には泣いてない。てか、死んでも泣かない。


「あのですねぇ、悪いのはあんたですから!顔も見せてくれないような人間好きになっちゃった気持ちがわかります?!わかりませんよね!」

「そりゃわかるわけないよね」

「でしょうね!とにかく、アレはただのフィクションなんで!あんたには何も求めてないので!こんな部活やめてやります!」

「待って、落ちついて」


 急に真面目な顔をしたって遅い。廃部になってサボる場所を失うのが嫌なのだろうが、いい気味だ。バーカ。

 さっさと出て行こうとしたところで、腕をつかまれた。


「待った。ひとの話を聞きなさい」

「そっくりそのまま返してやる」

「ぐうの音も出ないな……」


 珍しく渋い顔。目だけで表情がわかる辺り、とっくの昔に重症だったらしい。あんなものを書いてしまうくらい。

 黒川先輩は眉根をきつく寄せて考えこんでいたが、ぽんと手を叩いて、


「マスクはずせばいいの?」

「もういいです。あとそういう問題でもないです。次の被害者が可哀想なのでもう少し女心を学んでください」

「次の被害者を出すつもりはないんだけど……。あと、僕が年がら年中マスクつけてるのは、単に素顔だと面倒くさいからだよ。そこらのアイドルも真っ青な美形だから」

「自分で言う辺り最低ですね」

「でも、今井さんならいいかなって」

「どうせ嘘でしょ。わかりました、退部はしないので安心してください」

「そうじゃなくて」


 黒川先輩が深々と溜息をついた。いや、何であんたが疲れた顔するの。


「僕、君のことわりと好きだよ」

「ブラックジョークありがとうございます。ゴミ箱に捨てておいてください」

「さすがに失礼だよね?」

「この状況でわりととかつける方が千倍失礼だと思います」

「……そうなの?いやでも、これかなり本気だよ?」

「もう黙ってください。帰りますさようなら死ね」

「待って」


 ガシッと肩をつかまれた。反射で睨むと、先輩の顔が結構近くにあって、淡い瞳が誘うようにきらめいた。


「マスク取っていいよ。そんなに気になるなら、自分の目で確かめてみるといい。気にならなくてもタダなんだし。ね?」

「……自分ではずせばいいじゃないですか」

「それじゃつまんないだろ」


 どうぞとばかりに両手を広げ、先輩が笑う。

 じぃっと睨むが、どこ吹く風。何か企んでいるかもしれない。

 無視すればいい。どうせからかっているだけだ。

 理性が忠告してくるが、好奇心とちょっとの期待は抑えられなかった。

 そろそろと手を伸ばす。紐に爪が触れた瞬間、急に恥ずかしくなってきた。何のプレイだ、これ。


「や、やっぱり自分でやってくださいよ」


 目を逸らしながら呟くと、くすりと笑う声が聞こえ落ちてくる。これはダメだ。

 意を決して、心臓の音も無視して、先輩の紐に指をかけて引っ張る。

 その瞬間、強く引き寄せられ、意識が飛んだ。見えない。……違う、近すぎて焦点がブレる。だって、もう距離が、


「……引っかかってくれてありがとう。これがやりたくて、今まではずさなかったんだよね」


 熱い。やわらかい。

 それが離れてから、感触がじわじわと伝達され、ついでに甘ったるい声も鼓膜に届き、全身の血が沸騰する。

 ふらりとよろめいて、抱きとめられた。


「ちょっと刺激が強かったかなぁ?よしよし」


 先輩に髪をくしゃくしゃにされる。もう片方の腕は腰に回され、きつく抱きしめられていた。逃げたくても逃げられない。

 頭の中が真っ白で、何も考えられない。けど、布ごしに聞こえてくる鼓動が一定で、私のよりずっとゆっくりなのが悔しかった。


「君のフィクションよりもあまぁい演出にしてみたけれど、お気に召したかい?君の気持ちがわかった上で遊びすぎたから、お詫びのつもりなんだけど」


 まあこれ、僕が楽しいだけでもあるね、と嘯く。まだマスクははずしたままのようで、いつもよりずっと甘い声と吐息が鼓膜を震わせて、びくりと肩が跳ねた。

 全部わかった上でやっているなんて、そんな可愛いものじゃない。

 たぶん私は、このひとの書く物語に踊らされている。くるくる空回る玩具を見て、楽しんでいるのだ。私が今日アレを書いたのも、きっとシナリオのうち。


「……せんぱい」

「私、結局、先輩の顔を見てません」

「目を閉じてたの?そのわりに硬直してたけど」

「……ッ、先輩のせいで見てる余裕がありませんでしたっ。今もシャツとボタンとネクタイしか見えません」

「じゃあ今見る?僕も君の顔がそろそろ見たいし。耳まで真っ赤な君がどんな顔をしているのか、気になってたんだ」

「……やっぱりいいです」

「抱きしめられて、頭を撫でられているこの状況のままがいいってことだね。そう解釈した。可愛いなぁ」

「……」


 悪魔だ。思っていたよりもずっと性根が腐っている。

 これは遊びだ。黒川先輩は私と同じステージに降りてくるつもりもない。

 先輩は私と付き合うつもりはないだろうし、そもそも私のことを玩具以上に思っているか、どうか。

 何もかも無駄だ。そんなの、わかっている。

 わかっているからって、登場人物風情が作者から逃げられるわけがない。

 まだ熱の残る唇を強く噛んで、呟く。


「最低です。クズです。私、先輩のそういうところが」

「そういうところが?」


 頭を撫でていた手が私の手を取って、指を絡めてくる。酷い温度差だ。むこうは冷たくて、私は熱しすぎている。

「き……き、」

「嫌い?好きの間違いじゃなくて?」

「………………ずるい」


 ぽそっと言うと、愉快そうな笑い声が狭い部室に響いた。

 最初からアンフェアだった。勝てるはずがない。引き分けすら有り得ない。

 だから、せめて。

 この遊戯(フィクション)に彼が飽きる日が、ずっと先のことでありますように。

これは、三題噺のお題、「マスク」「鏡」「フィクション」をもとに書いた短編です。

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[良い点] 思ってもいない展開でとても面白かったです。冒頭も効いていて感心しました。 [一言] ありがちなキャラ設定なのに、キラキラしていて華がある。 魅力的で、おばちゃん読者には眩しいくらいでした。…
[一言] オーソドックスなラブコメかな、と思って読んでいたら、まさかの大回転! 騙されました(笑)。冒頭の文章は伏線だったのですね。リアルとフィクション、まさに鏡合わせのような構図でした。 古瀬くんと…
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