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春が近付けば、空気が変わりはじめる。
冷たく張り詰めていた空気が緩んで、暖かく包み込んでくれるようになる。
外に出よう、とそういったのは少女だった。
正確に言うと、言葉には出さず、とんとんと何度も窓の外を指差して見せて、出よう、というかのように口パクして見せただけなのだが、そんな細かいことはどうでもいい。
まだ早いと僕が言えば、少女はそんなことはない、というように何度も首を振ってまた窓を叩いたのだ。
だから、苦笑しながらも分かったと答えて、僕らは外に出ることにした。
少女は、駆け出すようにして外へ出た。
髪留めをつけていないため、珍しく髪がなびいていた。
雪の中、楽しそうに……無邪気で幼い少女のように、はしゃいでいた。それなのに、雪の中振り返り、笑顔で手を振ってきた少女は、どこか、泣きそうにも見えた。
「……転ぶなよ」
はしゃぎすぎだ、と言葉を続ければ、少女はいつか見たのと同じように、にっこりと笑って僕のことを見返した。
そして、早く早く、というように手招きをして、転びそうになりながら、雪の中を進んでいく。
「どこ行くのさ?」
少女に追いついて聞けば、彼女は微かな笑みを浮かべて僕の手を引いた。吐息が白い。
雪で埋もれる山道を登っていき、開けた場所へと出る。
山の中にある、展望台のようなところ。かなり前に少女が見つけたところで、何かと気に入ったらしく、前にも二人で何度かやって来たことがある。
遠くにある町まで見渡すことができ、春先や秋などは、とても綺麗な風景を見ることができるのだ。
「これは、すごいな」
少女に手を放されて、へえと声を上げながら一歩踏み出す。
雪景色、は見慣れたものだった。
しかし、真っ白な雪に覆われた町は、また違う。
特に、このようなところから見た風景は、もの珍しさもあるが、綺麗だった。
「なあ」
声を上げれば、少女は首を傾げて僕のことを見上げてきた。
それを横目に、春なんだな、と言葉を続ける。
「戦争も終わるよ。もう、ここに居る必要はない。これ以上、辛い生活をすることもないんだよ」
僕の言葉に対して、少女は何も言わなかった。
いえなかったのだから当然だが、彼女は僕があげた髪飾りを指で撫でながら、じっと言葉を聞いているようだった。
「雪が溶けたら、町に下りよう。平和な町って、見たこと無いだろう? すごいんだぞ、活気があって、皆楽しそうで……だから」
一度言葉を切り、軽く首を振る。
それは、僕の望みだ。
あくまで僕の望みであり、少女が望むべくも無いものだ。
だから、
軽く深呼吸をする。少女の方は、見なかった。
「町に下りたら、生活できる場所を探そう。君が一人でやっていけるなら、俺は、行くから。だから」
だから、何だというのだろう、と自問する。
だから、と言葉を繰り返して、苦笑した。
言うべきことは、最初から、一つしかない。
「ごめんな」
大変な思いをさせたこと。今まで黙っていたこと。彼女を一人にさせてしまうこと。そして、少女の家族を殺してしまったこと。それら全てに対する、謝罪だった。
僕の言葉を聞き、隣に居た少女は何故か軽く首を振った。
くるりと背を向けて、数歩下がるのを見て、少しだけ首を傾げる。不思議に思いながらも今一度風景を楽しもうとそちらを見た僕には、彼女が目を細めてこちらを見ていたことなんて、知る由も無かった。
チガウヨ。
最初、それが何なのか分からなかった。
――振り返らないで。
と続いた言葉でようやく、それが少女のものであったのだと理解する。驚き、しゃべれるようになったのか、と声を掛けようとしたところで、ねえ、と声を掛けられて口を閉じた。
「私は、楽しかったよ。あの小屋で、二人で過ごしてた時間、すごく好きだった。だから……」
背中にそっと、少女の暖かい手が触れるのが分かった。
それから、とん、と少女の額が、僕の背中に触れる。
振り返ろうとすれば、こっち見ないで、と少女に厳しい声を投げられた。
だから、とその状態のまま、少女が言葉を続ける。
「春が来ても、戦争が終わったとしても、ここに住もうよ。一緒に、ここに居よう?」
少女の言葉に、僕は目を伏せた。
そして、ソレはムリだよ、と言葉を紡ぐ。
ぴくりと、少女の手が震えた。
「俺は、君とは居られないから」
ごめん、と微笑みながら続け、振り返る。
泣きそうな顔をした少女と目が合って、そっか、と微笑まれた。
わかった、と少女の口が動く。
「ばいばい」
言うと同時に、
ぱん、と長い発砲音がして――。
僕は、ころされた。
え、と小さく声を上げる間もなく、転落していくのが分かった。体が木にぶつかって、骨が折れて、どうしようもなく壊れていくのを感じる。
振り返らないでって言っていたのに、と心の中で呟く。
振り返ってはいけない、と僕は彼女に言った。
少女も、振り返ってはいけないといった。
振り返れば、どうなるか知っていたから。
だから、振り返った。
僕は――。
彼女を慰めようと伸ばした僕の手が、何の役目も果たさずに、地面におちた。
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動くことも無く、真っ白な雪に赤い色を染み込ませていく”彼”を、黙って見詰める。手が白くなるまで、強く髪飾りを握り締めながら、じっと”彼”のことを見ていた。
ああ、結局”彼”の名前も分からなかったな、と思い、少女は苦笑した。
折角、好きになった人だったのに。憎みながら、復讐の時を思いながら、一緒に暮らしても良いと思えた人だったのに。
最悪だな、と一人呟く。
けれど、その道を断ってしまったのは”彼”自身だ。”彼”が、その道はないのだと言ったから。わたしに、罪は無いなんて、そんなことは言えない。
それでも、他に選ぶ道なんてなかった。
わたしに、泣く権利はあるのだろうか。
家族の為に、死んだ”彼”の為に涙を流す権利は。
わたしは、
少女は小さくため息を吐いて、身を翻した。真っ白な雪の中を、一人歩いていく。アイリスの花が彫られた髪飾りを握り締め、俯きながら、少女は歩いた。歩き続けた。
そして、春になり――。