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 僕が何とか山小屋に辿り着いたのは、雪がちらつき始めた夜のことだった。

 なんとか間に合ったかと思いながら扉を開けて「ただいま」と声を掛けると、椅子に座ってぼんやりとしていたらしい少女が、びくりと背を伸ばし顔を上げて、僕のことを見返してきた。


 いつもと違う様子に首を捻りながらも

「ごめんな、遅くなって」

 と言葉を続ければ、少女は妙にぎこちない様子で笑みを返してくる。

 中に入りコートを脱いで、少女の方に近付くと、何故か少女は少しだけ身を引いたようだった。

「……どうかした?」

 聞けば、少女は慌てた様子で首を振り、僕のことを見上げてきた。そして笑みを浮かべて、お土産は、と口の動きで尋ねてくる。

 そんな彼女の様子にほっと安心して息を吐き、荷物を取り出した。そして、いいもの無かったけど、と言い訳じみたことを言いながら土産を差し出す。

 幾分かの布と、ソレに包まれた、小さな可愛らしい髪飾りだ。


「中古で売られてたものだけど……似合うかなって思って」

 言われて、少女はそっとそれを拾い、手の平に載せた。

 じっと見詰めて、ゆっくりと何度か瞬きを繰り返した後……そっと目を閉じる。


「……どうか、した?」

 そのまま考え込むようにして動かない少女が心配になって聞いてみると、彼女はそっと首を振って僕のことを見上てきた。そして、ゆっくりと笑みを作って、ありがとう、と口を動かす。嬉しそうに笑って髪飾りを撫でる少女の様子に違和感を覚えながらも、僕は、ああ、と小さな声で答えた。

 髪飾りをつけようとせずに、軽く伏せた瞳でそれをみつめ、撫で続ける少女のことが不思議でならなかった。


 寒さも深まり、雪が降り始めた。

 最初はちらちらと舞うように、それが気付くと激しい吹雪になっていて、外へと出られなくなった。

 雪の日が続き、外では雪が高く降り積もっていくのが見える。


 薄暗い部屋の中、数日の間、少女は何かを考え込むように、その吹雪を眺めていた。


どうやら少女は、髪飾りを気に入ってくれたらしい。

 雪が降り続いていたある日、アイリスの彫られた髪飾りを手に持って、僕のところまでやって来たのだ。そして、にこりと笑って髪飾りを渡し、背中を向けた。

 最初のうちこそ、その意味は分からなかったが、しばらくして付けてくれと言っているのだと気が付いた。

 苦笑してそれをつけてやると、少女は自分の手で確認するように軽く触れて、嬉しそうに笑ってみせてくれたのだ。


 それから毎日、髪飾りを持って僕のところへ来るようになった。髪飾りをつけてやれば、少女は嬉しそうに笑って、僕から離れていく。

 その様子は、今までの彼女と同じように見えた。

 無邪気で、何も知らない少女。

 それが僕の知っている彼女であり、今目の前に居る彼女だった。


 けれど時々、違う少女が目の前に居る。

 僕の見たことの無い、僕が知らない少女だ。

 彼女は時々、黙って吹雪を見ていることがあった。

 僕の動きを追っていることもあった。


 そして何より、

「……?」

 背中に何か重みがかかり振り返ると、少女が、背中合わせになるように座っていた。

 軽く首をかしげ、どうしたの、と聞けば彼女は振り返って僕のことをじっと見た後、にこっと笑んだ。

 苦笑して返し、再び前を向く。


 少女が僕の知る少女で無い時、彼女はよくこうやって、僕の後に来るのだ。

 何をするでもなく、座り込んで、ずっとそうしている。


 何を考えてるの、と聞いたこともある。

 けれど少女はにこりと笑って、言っている意味が分からないというように首を傾げて見せた。だから僕は、それ以上何かを聞こうとはしなかったのだ。


 それでも、少女は少女だった。

 時々違和感を覚えたこともあったけれど、彼女はやはり何も思い出していないのだ、と、そう思った。


 背中合わせに少女が座って考え込んでいる間、落ち着かず、自然と雪の降り続ける外を眺めるようになった。雪の降る日は、とても静かだ。柔らかな雪に吸収されてしまうせいで、音が全て無くなってしまったかのような、しん、とした静けさが辺りを支配する。


 僕は、この何か欠け落ちてしまったような静けさが好きだ。

 昔は、何かに迫られている様な気がして、嫌だった。

 少女と暮らすようになってからは、この小屋が他界と分断されていることが実感できるから、好きになれた。


 この小屋には、争いがない。

 戦争のことは気にしなくてすむ。

 他界よりも、穏やかで、平和で、暗い。


 窓の外を見ることは、他界を意識することでもあった。

 この小屋の静けさは好きだ。少女とこの歪んだ空間で過ごすことも、キライじゃない。それでも僕は他界を意識して、春が来ることを想い、戦争が終わって、町へ下ることを考えた。

 考えなければならないのだ。

 僕は黙って、窓の外を眺めていた。

 毎日毎日、遠い先にある春を想って、外を眺めた。背後に座る少女も、じっと蹲るようにしながら窓の外を眺めていた。

 彼女の存在が、暖かくて、柔らかかった。


 冬は長い。特に、今年の冬は。

 長くて、でも暖かくて。

 春を待ちながら、永遠を望んだ。


-----


 見てはいけないものだったのだ、と思う。

 ”彼”の部屋にあった拳銃も。

 ”彼”が家族を撃ち殺したことも。その時の”彼”の様子を封じた、自分自身の記憶さえも。


 記憶が重い。


 ”彼”がくれた髪飾りを何度も指でなぞり、胸元で抱きしめる。

 可愛らしい髪飾りだった。

 前の自分ならば似合ったのだろうか、とわたしはぼんやりと考える。無邪気に”彼”のことを信じて、他のことを考えることも無く、小屋での生活だけを思って。あの時の自分ならば、戸惑いなくこの髪飾りを付けられた。


 でも、今は記憶が邪魔をする。過去が重い。


 ならばどうすれば良いのだろう、と彼女は髪飾りを撫でながら考えた。

 ”彼”は、わたしの家族を殺した。

 でも、少女を助けてくれた。

 彼女を暖かく迎え入れて、守ってくれた。

 少女は、”彼”と過ごすのが好きだった。今の生活を手放したくは無いと、そう思っていた。


 そうすると、答えは簡単だ。

 ”彼”は、自分が振り返ったことに、まだ気付いていない。

 ならば、”彼”にそれを気付かせなければいい。

 わたしは、永遠に少女を演じれば良いのだ。そうすれば、彼女は”彼”の知る少女のまま、”彼”を憎み愛しながら、過ごすことができる。


 矛盾しているのは分かっている。おかしいのも、分かってる。それでも、望むのは”彼”との生活だ。どれだけ歪んでいても、構わない。

 わたしだけが振り返ったのならば、”彼”がソレに気付かなければいい。”彼”が気付かず、振り返ることもせずにいれば、一緒に居られる。わたしがどれだけ”彼”を憎み恨んだとしても、殺したいと思ったとしても、彼女は許すことができるのだ。

 だから。


 時々、”彼”が憎くて仕方が無くなる。家族を殺された時のことが甦って、”彼”を殺してしまいたくなる。

 ”彼”に髪飾りをつけてもらうのは、わたしが彼女である証。

 それでも憎くて仕方が無い時は、”彼”に気付かれないように、顔を見られないように背中に寄りかかる。

 そうしていると、落ち着くことができた。段々とわたしが消えていって、”彼”の知る少女に戻ることができたのだ。

 わたしが少女でいられれば、冥界に落ちなくてもすむ。

 そう思いながら外を眺めてみれば、遠くにあるはずの春も、近付いているように感じた。


 二人で、一緒にこの冬を越える。

 そして、暖かな春を迎えて、穏やかな世界を過ごす。

 他の世界なんて、要らない。

 今までどおり、二人でいられればいい。そうすれば、わたしは少女でいられる。

 時々甦ってくる憎しみを封じて、少女のまま。歪んでいても構わない。ただ、この生活が壊れなければ良いのだ。

 それは、多分”彼”も同じはず。

 だから、わたしは少女でいよう。彼女を演じ続けることにしよう。それが、わたしのため。”彼”に髪飾りをつけてもらって、少女でいていい、という許可を貰うのだ。

 そして、”彼”と一緒に過ごす。過ごしたい、と思う。

 この冬の間”彼”にばれなければ、一生ばれない自信がある。

 だから、春になったら――。


 冬は長い。特に、今年の冬は。

 長くて、苦しくて。辛くて、淋しい。

 愛憎の矛盾が、痛いぐらいで。

 この冬、”彼”にばれずに過ごせれば

 もう永遠なのだと、そう信じた。


 そして時が過ぎ、春が来る。

 雪がやんで、寒さが和らぐのを見た。

 少女が外に出れば、春の息吹が感じられた。


 戦いが終り、平和が訪れる時期が。

 もうすぐ、春がくる。

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