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 暗かった。

 暗くて狭くて、息が詰まりそうだった。


 足を抱えて身体を丸めて、できるだけ小さくなって耳を塞ぐ。

 遠くから聞こえる悲鳴や歎きが聞こえないように。あの現実から少しでも引き離してくれるように、耳を塞ぐ。

 お願いします、と誰かが懇願している。

 タスケテクダサイ、と悲鳴を上げる人もいた。


 クローゼットの中。


 自分が、何故そこに居たのかは覚えていない。それでも、そこから出ることはならなかった。

 死にたくなかったのだ。

 だから、うずくまってそこに隠れていた。


 何から?


 人間だ。銃を持った、怖い人たち。

 わたし達を殺そうとした人たち。わたし達を殺した人たち。


 ぱん、と長い発砲音がして――。

 わたしが、ころされた。


-----


短調な作業を繰り返すのは、昔から好きだった。

 何も考えなくてすむ。長い時間そうしていても、苦痛に思うことは無い。何か考えなくてはいけない状況でも、脳内が痺れたようになって、考えることはできないのだ。

 だから、ずっと耐える事ができた。悪夢から逃れられた。


 腕を振り下ろすと、かん、と硬い音がした。

 重い手ごたえに力を入れると、先ほどとほとんど変わらない様子で、薪が割れる。乾いた音を立てて転げ落ちたそれを拾って、少し離れたところにある、薪入れへと投げ入れた。

 後でまとめなくちゃな、とそんなことを考えながらも、僕はもう一つ、薪を目の前に置いた。

 再び腕を振り上げて、降ろす。


 かーん…………。


 木々の間にこだまする透明な音が、気持ちいい。

 僕は、この冷たい空気が好きだった。昔は山の中に居ても暗さしか感じられなかったけれども、今にしてみれば、白い光と朝露美しく木々の中に映えているこの山は、美しいところだと思えたのだ。


 薪が割れる。

 子供の頃は、母親にたたき起こされたことも多々あった。なかなか起きれなかった僕の習慣が変わったのは、軍隊に入ってからだ。

 当然だ。目覚めなければ死ぬ。

 結局眠りが浅くなって、常に極限状態に追い詰められることになるのだ。自然、寝れなくなる。

 寝起きがいいわけではない。しかし、朝の空気が好きになったのは、やはり、軍隊に入ってからなのだろう。


斧を置き、ふうと息を吐く。

 汗を拭き、冷たい風に身を当てていたところで、ぎぃと扉が開く音がした。

 振り返り、扉の影から様子を伺うようにこちらを見ていた少女と目が合う。じっとこちらを見上げているその様子に苦笑しながら、おはよう、と声をかけると、少女は無表情にこくりと頷いた。そして、やはり何か言いたそうにこちらを見上げてくる彼女に、少し首を傾げる。


「ええっと、水はあるよね」

 こくり、と頷かれる。

「薪とか食材は足りてる」

 再び、こくり。

「ご飯、できたの?」

 こくこくと小さく二度頷いた少女に、分かった、と返答する。

「直ぐ行くから」

 そういえば、少女は再び小さく頷いた。

 くるりとこちらに背を向けて去っていく少女を見送る。

 そして、散らばった薪を集めて積み、柄杓で水を飲み手を洗って、僕達の小さな山小屋の中へと入ることにした。


 僕はまだ、少女の声を知らない。


 小柄で痩せがたのこの少女について、僕はほとんど何も知らない。彼女の両親が既に死んでいることや、身を寄せるところもないだろう、ということ。それぐらいだ。

 彼女の年齢も、名前も、何も分からない。

 だから、僕はこの少女を“君”とだけ呼ぶことにした。勝手に名前を付けることはしないし、そのつもりも無い。この少女に勝手に名前を付けたとしてその名を呼ぶことは、なんだか、彼女の両親に悪いような気がしたのだ。


 二人で手を合わせ、食事をとる。

 祈りの言葉はない。少女がしゃべれないからだ。

 この習慣を続けることは、彼女に対して失礼だと思った。


 少女が作る食事は、大変、とは言わないがそれなりにおいしい。記憶を失ったとはいっても日常生活には問題はない様子で、掃除洗濯料理などは、少女がほとんど引き受けてくれている。

 まあ、確かに、僕がやるよりはいいのだろうが、彼女を引き取った身としては少し情けない。


 食事を終え、少女が少ない水で皿を洗っている間に、僕は近くの川まで水を汲みに行くことにした。薪割りや水汲みといった力仕事は、ほとんどが僕の仕事だ。

 まあ、女の子にそんなことやらせるわけにもいかないから、いいんだけれども。


 水を汲み帰ってきた僕は、今度は大きな籠を持ち少女と共に山の中へと入っていく。朝食の後は食料の確保をしにいく、というのが日課だった。

 外に出る度に嬉しそうにする少女は、見た目から考えられる年齢よりも、幼い。声が出ない分、それを行動にして表しているためなのだろうか。少女が見せる表情は正直で無邪気、たぶん今まで嘘なんか吐いたことがないのではないかと、そう思えるぐらいだ。

 山道を走って登る少女に苦笑して、「転ぶぞ」と声をかければ、彼女は振り返りこちらを見てにこっと笑みを浮かべた。

 そして、再び前方を向いて、駆け出していってしまう。

 大丈夫だ、という笑みか。


 少女との意思疎通は、半分以上は僕の勘だ。

 言葉がないことが、こんなに不便だとは思わなかった。しかも、少女は文字を書くことができない。最初は紙にでも何にでもいいからいいたいことを文字に書かせて意思疎通を図ろうとしたのだが、それもできず、仕方がなく、僕は少女が首肯するかどうかで何を言いたいのかを判断することにしたのだ。

 しかし、やはり、イエスかノーだけで少女が言いたいが容易に分かるわけがなかった。

 彼女を拾ってすぐはそれはもう苦労したけれど、今はもう、意思の疎通はかなり楽にできるようになった。

 少女の表情とか口や手の動きをうまく読み解いて、言いたいことを想像する。そして少女にそれでいいのか確認して、会話を進めていく。面倒ではあるが。


 木の実が多く取れるところで一度籠を下ろし、少女は木の実を、僕は仕掛けておいた罠を確認しに行く。

 時々ではあるが、小動物が引っかかっていることがあるのだ。そう多くはない食料のひとつなのだから、兎の一匹も無駄にしたくない。街にいる仲間から受け取れる食料もあるにはあるが、ご時世もご時世である。半年に一度ほどしか受けられない仲間からの食料援助も、戦況の変化によってはいつ途切れるともしれない。

 これから、冬もやってくるのだ。準備をしておくのに、越したことはないだろう。

 罠には、白兎が一匹引っかかっていた。

 冬も間近なため、まるまるしている。これなら、ちょうど良い大きさだ。そんなことを思いながら兎はその場で息の根を止めて、耳をしばり、少女にその姿が見えないように持っていたタオルで包み込む。

 少女は、血が嫌いだった。どうやら、彼女は自分以外の家族が殺された所を見てしまったらしく、その記憶が甦るからなのだろう。血を見ると、驚きガタガタと震えだして、痙攣のようなものを起こすのだ。最初出合った時ほどひどくはなくなったが、それでも、見えないに越したことはない。


 少女と合流し、今度は山菜を探す。

 それらは、乾燥させたりして冬篭りの間の食料とするのだ。


 少女とあの小屋で冬を迎えるのは、三度目だった。

 今までの経験からしっかり食料を準備し、薪も十分に中に入れて蓄えておく。そして、雪が解けるまではできるだけ小屋の中に引き篭っているつもりだ。水は外にある雪を溶かして使えばいい。


 小屋に戻って、今度は冬篭りの準備の続きだ。以前の経験から、少女もきちんとこの作業を手伝ってくれる。といっても、乾燥させる木の実や山菜を並べ、日の光に当てるだけだ。

 そんなに難しいことはない。

 だが、何も知らなかった最初の時に比べれば、少女はかなり動けるようになった。


 数日かけて乾燥させた食料は、それなりの分量にはなったが、やはり一冬越えるには足りない。それに、少女の為に新しい服を幾らか準備しておかなければ、寒いだろう。

 身長も少しは伸びたようだし、僕と違って凍えそうな寒さの中で耐えるような経験は……僕と過ごした最初の冬ぐらいしかなかったはずだ。


 非常に寒い思いをして何とか乗り換えた冬のことは、今でも鮮明に覚えている。


 ひとつは、軍隊にいた時の事。戦争が恐ろしく悪化していた時のことで、半年前に仲間に聞いた話では現在の状況はかなりマシになってきたという事だが、あの時の戦争はひどかった。

 いつ敵兵が来るとも知れない極限状態の中で、仲間たちと寒さに震えながら銃を構え、敵を待った。

 そして、撃った。撃って撃って撃ち続けた。

 銃を乱射し続けると、その振動と音が僕の頭の中で反響していた。これが世界の終わりまで続いていて、また世界を構成しているのもこれなのだ、と思っていた。

 僕がいるところを中心に、世界の全てが憎しみと争いと報復で満ちていて、それ以外には何もないのだろう、と。


 そしてもうひとつが、少女とこの山小屋で過ごした最初の冬のこと。前の町で買った食糧と、服と毛布はあった。しかし、薪が非常に少なく、また食料も途中で尽きた。だから、兵をしている時に学んだように、木の皮などをとって来て食料の代わりとした。

 僕よりも、彼女にとってつらい冬だったように思う。

 けれど、この冬を二人乗り越えたおかげで、お互いのことを信頼しあうことができるようになったのだ。それまで、少女は僕に懐いてはいたけれど、それだけだった。

 信頼しているのではなく、ただ他に人がいなかったから僕についてきたのだ。それだけの関係だった。


 作業があらかた終わると、少女と二人で一休みする。

 少女はカーテンで区切った自分の部屋から、僕のためにと町から買ってきたのに何故か少女のものとなってしまった裁縫道具を持ってきて、居間として使っている部屋のど真ん中に座り込み、敗れた服を直したり、もう直せない服を使ってカーテンやら掛け布団やらを作り始めるのだ。

 そして、僕は居間から物置にしてある暗い部屋を通り、自分の部屋に置いてある棚の中からすでに何度も読んだ聖書や新聞・本を適当に持ってきて、居間で読む。


 これが、二人の休憩の時間だった。

 穏やかで静かなこの時間が、僕が、そしてたぶん彼女も、もっとも愛した時間であった。


 冬の一歩手前。木の葉も完全に落ち、冬の気配が微かに鼻をついて来た、そんな時期。

 僕は、一度町へと出ることにした。


 少女は、いつもそうするように悲しそうな顔をして僕を見たが、僕はなんとか彼女をなだめることに成功した。

 彼女は、一人になるのを嫌がる。家族を殺された時の記憶が、思い出されるからなのかもしれない。それでも僕は、町に行かないわけにはいかなかった。冬篭りのために揃えなければならないものが多くあったし、また、僕自身、戦争の状況を知りたがっていたこともあった。

 麓の町ならば、一週間ほどで往復することができる。僕を心配した嘗ての仲間がそこまで来てくれることになっていて、前もって頼んでいた物品と情報を受け取るのだ。


 淋しそうな表情の少女を残し町へやってきた僕は、空へと霞んでいく白い吐息を眺めながら大通りを通り過ぎ、いつもの細いわき道へと入る。暗いボロ家に上がりこみ転がされていた空箱に腰掛けて、よぉ、と声を掛けた。


 寒そうに座り込んでいた男が、僕のことを見て少し笑う。

 一見すると浮浪者以外の何者でもないが、長い髪で眼差しを隠しているこの男は僕の元戦友であり、今でも軍に関わっていると聞いた。


「久しぶりだな。半年振りか」

「そんなもんか……あの子はどうした?」

「置いてきた。まだ、危険だろ」

「まあな」


 僕の言葉に彼は頷き、ほれ、と荷物を差し出した。

 缶詰などの保存食料が詰め込まれたそれを受け取って確認する僕に、それで、と彼が言葉を続ける。


「元気なのか、あの子」

「まあ。相変わらず、しゃべらないけどな」

「手ぇ出して無いだろうな」

「俺がそんな奴にみえるのか?」

「さあ?」


 問うてみればにやにやと笑いながら返されて、少しむっとする。

 僕の批判的な視線を笑って受け流す彼は、そうだ、軍の時代もこうやって人をからかって反応をみては、にやにやと笑う奴だった。

 全くもって、性格が悪いと思う。

 しかし、特に楽しみのないあの生活の中で、そういった楽しみを見つけ出した彼を、僕は責めるつもりは無い。


「それで、医者は」

「駄目だ。まだ、状況が収まらないからな。危なくて会いに行く事すらできない」


 そうか、と呟き彼がため息を吐く。

 少女を拾ったのは、軍隊に居た時だった。


 上司に知らせれば殺される可能性が高かったので、彼と二人で少女を隠し、なんとか軍医に見せたのだ。

 しかし、怪我の治療を主とするその軍医には、何故少女が声を出す事ができないのかが分からなかった。だから、その原因を知る為に医学で名の知れたある街から医者を引っ張ってこようとしているのだが、厳しい戦況にあるこの中で、出てきてくれるような酔狂な医者はそうそういない。


「この冬な。状況が、変わるぜ」


 突然言われて、え、と声を上げる。

 目を瞬かせて彼を見れば、まばらに髭を生やした男は軽く肩をすくめた。それに、少し目を細める。


「確実か」

「多分な」

「おいおい」 


 呆れた声を出せば、彼はしょうがないだろうと声を上げた。

 そして、まあ、と言葉を続ける。にやりと笑うのは、また何かムリなことを言おうとしているのか。


 何だよ、と促せば男は、くつり、と笑った。

「一ヵ月後だ。動きが見えれば、この冬が山場になる」

「……もう一回、来いってか?」

「知りたいなら、だ。別に、ムリにとは言わんさ」


 含みを持たせるように言われて、分かったよ、と片手を上げながら返答した。


「一ヵ月後、だな」


 言いながら、金色に光るコインを一枚渡す。

 兵隊としていた時に他の人と賭けなどして遊んだ時に巻き上げた、それだ。僕は賭けがうまいのか結構な金額になっていて、彼が情報や食料を持ってきてくれるのに対し、手間賃として一枚ずつ渡すことにしている。


 もし本当に冬に山場を越えるというのならば、それで戦争が終わるというのならば、少しでも早く知りたかった。

 僕はまだともかく、少女にいつまでもあの山小屋に住まわせていくわけにはいかないだろう。色々、不便もあるわけだし。


「これで戦況が読めるんだ。安いと思っとけ」


笑いながら彼にそう言われて、僕はため息を吐いた。


 二人の人間が暮らすには、あの山小屋は狭すぎるのだと、そう思う。

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