星空は眠らない
【主な登場人物】
・大岐 和珠
死ねない主人公。過去に闇を抱える。
・オルデュール
喋るとうるさい幽霊。主人公の呪いの根源。
・時瀬 華撫
高飛車で自信家。『幸せ宅配部』の部長。
・昏名井 結璃
ギャル子。ファッション雑誌をよく読む。
・月座 繭羽
非処女。次回は多分出番有り。
・小豆沢 碧斗
陰キャでクソオタ。出番なし。
◆時瀬家
・時瀬 春子
華撫の母。今回は出番無し。
・時瀬 昂太朗
華撫の父。今回は(以下略)
夜。
慣れない環境に寝付けず体を起こす。実家から寮に来た時もそうだったが、いつもと違う場所だと眠ることが出来ない。俺が今いる場所は、時瀬家の奥にある方の客間だ。女子たちは手前側にあるもうひとつの客間を寝床にしているらしい。近付いたら殺されそうなので詳しくは知らない。
隣で眠る小豆沢碧斗の寝顔を見る。口を開けていびきをかいている。俺が寝付けないのはこいつが原因なのもあるだろう。規則的に掃除機のような音が口と鼻から溢れ出ていて凄くうるさい。
スマートフォンを開くと、パネルは時刻は2時過ぎを表示していた。草木も眠る丑三つ時だ。しかし、俺は眠ることすら出来ない。
「もう夜中よ?もしかして寝れないのかしら?」
「うっせえ。…つーか、何故ここにいる。女子部屋にいたんじゃないのか」
「和珠の側にいたい気分なのよ。こう見えて和珠がいないと人見知りしてしまうのよね。それに、ボクは眠る行為を必要としないわ。…生きている人は大変ね。まあ、この可愛いボクは、眠らなくても、お肌はツルツルだし、髪もツヤツヤだもの」
相変わらず何とも言えない調子で、自称天使のオルデュールは口角を上げながら語る。コミュ力お化けだと思っていたため、人見知りするという事実は驚きだ。オルデュールがあまり話したことない相手にモジモジしている様子は中々想像しがたい。
「ちょっと散歩してくる。お前は静かに天井の木目でも数えてろ」
「えっ…、ちょっと!?なんならボクも付いてくわ!」
「だからうっせぇ!付いてくんな!ちょっと外の空気を吸ってくるだけだ。退屈なら昏名井のファッション雑誌でも見てたらどうだ?文字が読めなくても良い時間つぶしになると思うぞ」
「…むぅ。そこまで拒絶しなくても良いじゃない。仕方ないわね。ここにいろって言うのなら待ってるわ。適当に時間つぶしでもしようかしら」
「やけに素直だな」
「そう?境内を無闇に歩いてあんたの体に障ったらいけないし。気を付けてね」
「じゃあ少し行ってくる」
オルデュールにそう呟く。小豆沢を起こさないようにそうっと襖を開けて廊下に出た。5月の廊下は昼間の温かさと異なり、床から体内にドライアイスを流されたように冷たかった。ジャージを羽織っていてもまだ寒い。
そのまま玄関へと向かい、靴を履き替え、扉を開ける。
午前2時の夜空は澄んでいてとても綺麗だった。
東京とは比にならないぐらい数多の星が空に瞬いている。宝石箱という表現が本当に相応しい。
「何処に行くの?」
背後から声をかけられ、振り向く。腰まで届く黒蜜のような髪を揺らしながら美しい顔つきの少女は俺に問う。髪を下ろしていた為、一瞬誰かと判別出来なかったが、そのハスキーな声色とやや釣り上がった目付きで時瀬華撫であるのだと俺は気付いた。
ところで、女子は髪型を変えられると誰か分からない。人の顔を覚えることは苦手ではないのだが。誰か分かってくれない?
問う時瀬に俺は返答する。
「何処という訳でも。ちょっと散歩でもしようと思ってな。時瀬は?」
「足音が廊下から聞こえたから気になっただけだよ。眠れないみたいね。私もだけど」
ジャージ姿の時瀬は言う。
「私はコンビニでも行こうと思って。大岐くんも良かったら付いてく?チャリあるし、気分転換にもなると思う。うち、コピー機無いからさ、序に教科書コピーして中間対策もしたいな」
「…そうだな。お前がそう言うなら、少し出掛けるか」
「分かった。裏に回ってチャリ出すからこっち来て」
言われた通り、時瀬の後ろに数歩離れて俺は続く。
怖いものは基本的に平気な部類だが、夜の神社となると少しだけ怖じ気立つ。ホラー映画をはじめとした映像作品ではなく、実物を目の当たりにすると、抱く感情はまた別であるのと同じような話だろうか。
「怖いの?」
「別に怖くはない。ただ、ちょっとゾクゾクってしただけだ」
「それを怖いって言うんじゃないの…?普段から幽霊に取り憑かれてる大岐くんがそんなこと言うなんて意外だよ。ホラーはエンターテインメントとか言い出しそう」
「いや、怖くねぇよ!?否定しただけだぞ、俺は!?」
「はい、乗って。怖かったから私に掴まっててどうぞ」
「人の話を聞けよ!?」
時瀬は裏口からシルバーに光るママチャリを出す。何の変哲もない普通の自転車だった。砂利道からコンクリートになった通路に車輪は回転する。
「いいよ、乗って」
「……?どっちが運転するんだ?」
「そりゃ私でしょう。大岐くんはこの辺りの土地について分かるの?」
「分からないが、幾ら何でも女の子に運転させる訳には…。俺だって男だし。後に乗ったら重くないか?時瀬潰れない?」
「ああ…。てか、潰れるほど私は重くないと思うけど。…言われて見れば大岐くん重そう」
「デブではないけどそう言われると傷付くなぁ!」
「私と身長大して変わらないのに」
「それは否定させてくれよ…!?」
付け加えるように俺を無下にする時瀬に反論する。
「そんなに言うなら聞いてあげるよ。身長いくつ?」
「…165だ」
「ふーん。私は163だよ。因みに昏名井さんは164」
「ギリギリ勝ってた…。ギリギリ…、ギリギリな。喜んでいいのか、これ?」
「はいはいおめでとう。私が道案内してあげるよ。大岐くんが運転して」
「…結局俺が運転するんだ。いいぞ。お前なら軽そうだし」
「あ、自転車の運転の仕方って分かる?」
「馬鹿にすんなよ!?背は低くてもお前より精神年齢は上だと俺は思ってるぞ!?」
「どうかな」と鼻で笑う時瀬。
俺はママチャリに跨る。その後に続くようにすました顔で彼女は後に乗った。思ったよりも重くなく、ハンドルも言うことを聞いてくれそうだ。そのことに俺は安堵する。
「取り敢えずずっと真っ直ぐ。曲がるところがあったら私が指示するから」
「了解」
肩から下げたポシェットを抱きかかえながら時瀬が後ろで呟く。風に流れる髪の毛からは優しいシャンプーの香りがした。その香りに俺の心は擽られるようにドキドキする。
居たたまれなくなって、夜空を瞬く星空を見上げた。
「星が…綺麗だな」
「何?私に告白?随分と詩的な告白だね」
「月じゃねぇよ!俺が言ったのは星だ!…冗談にしても自意識過剰だぞ。少なくとも俺は今のお前を恋愛対象としては見ていないから安心しろ」
「ああ、そう。勿体無いね。私ってこんなに美人なのに」
「そのつまらないジョークがお前の顔面偏差値を下げてるんだよ…」
平常運転の高飛車な時瀬に俺は呆れる。そもそもジョークなのか本音なのか不明だ。
「昼間、昏名井さんと何を話していたの?」
「他愛もない話だ。小豆沢や昏名井が持つ友達という価値観についてだとか」
「恐らく2人も不登校経験者だよね。まあ、人間不信になるのは分かるよ。私だってそうだし」
「…聞いてもいいか」
俺が尋ねると時瀬は黙る。そしてやや間を開けて「次の信号右だよ」と言った。気まずくなって俺はたじろぐ。
「ごめん。自分のことも大して語らないで踏み込みすぎた。今の台詞は忘れてくれ」
「…いいよ。話してあげる。その代わり大岐くんの過去の話も聞きたいな。等価交換ってやつだ。ね、それなら良いでしょ?」
「ああ」
肯定すると時瀬は子どもに昔話を語るように言葉をゆっくりとつむぎ出した。
信号は赤だ。自転車は止まり、俺たちは人気のない車道に佇む。世間から隔絶されたような辺りは静まり返っている。彼女の重々しいトーンが響き、辛い過去が開かれる。
「兄がいるんだ。時瀬高嶺という名前の、6つ年上のお兄ちゃん。私と違って気が弱くて消極的だった」
「一人っ子じゃなかったのか」
「うん。でね、お兄ちゃんは中学の時に酷いいじめにあった。原因は何か分からないけれど、いじめってそういうものだよね。鈍臭いから、顔が醜いから、学業の成績や運動神経が他者と比較して劣っているから。そんなものでしょう。兄はクラスの男子にリンチされたり、カツアゲされたり、パシられたり。こんな田舎にある学校だから尚更。言うまでもなくかなり酷かったみたい」
「…学校側はどうもしないのかよ」
「するとでも?教育委員会も学校もこんなの遊びの範疇とか言ってるクソ野郎しかいないよ、あそこの世界には。ーーーだから兄は不登校になった。問題はそれからなんだ」
「何が…あったのか?」
信号が青に変わる。右に自転車が曲がり、車体が傾く。車が後から来ていないか確認しながら少しスピードを落とし、話をしながらも、運転に集中する。
「兄の心は壊れてしまった。家にいる時はずっと部屋に引きこもり。聴覚にやたら過敏で、隣の部屋で音を立てると、私の部屋の扉をこじ開けて怒鳴り散らす。気分が優れない時は、いきなり私の髪の毛を引っ張ったり、母や父に暴力を奮ったり。父は抵抗出来ても、私や母に、体格の大きい兄の暴力は体に堪えるよ。さすがに6つも離れた男の人には敵わない。レイプされそうにもなった」
「…っ」
「何も言わなくていいよ。これは私の独り言だとでも思って。当時私も幼かったし、実は大きな男の人が苦手なんだ。母は公立に兄を進学させて失敗したから、私は小学校から小中高一貫の私立に入学したの。でもやっぱり男の人は苦手。特に年上の男性ね…。背が低かったり高身長の人は本当に無理だった。今は小豆沢くんや大岐くんとも会話出来るぐらい普通に接するけどね」
声色を明るくして時瀬は笑う。だけれど、それは時瀬の強がりだ。本当は怖いのだろう。小豆沢だって中身は陰キャのクソオタだが、黙っていれば体格の良い男だ。心の中に抱えたトラウマがいつ疼いても不思議ではない。
「小1・小2は頑張って学校に通ったけれど小3で挫折。だから、ここの高校に来なかったら最終学歴は幼卒になるのかな?ふふっ、ここまで回復したのか自分でもよく分かってないよ」
「フリースクールとか…行ってたのか?」
「うーん。まあ、そういう感じの施設かな。兄もそこでお世話になって、今はちゃんと就職して働いてるよ。父が神主下りたら、きちんと継ぐって言っていたし、ちゃんとハッピーエンド。病んだ心はきちんと治った。だから、私や私の家族に気を使わなくていいからね?」
「…俺は怖くないのか?」
「治った、とは言い難いけど、だいぶ平気。大岐くんが小さいってこともあるかな?」
「もう身長のことはやめてください…」
「次の角、左でまっすぐ」と時瀬は言う。振り返って表情を見ると、清々しく笑い返された。
「次は大岐くんの番だよ」
「俺は言うまでもないだろ…。お前が俺と初めて会話した時覚えているか?」
「ああ、思いっきりロリを蹴っ飛ばしていたね」
「違ぇよ!?いや、違くないか…?まあ、俺の名前を『大きなゴミ』って言っただろ。その延長でいじめになった。時瀬と比べたら軽いものかもしれないけどな。俺の心はポッキーだから耐えられなかった。それだけだ」
「何された?」
「…言うのかよ。強烈だったのは、口に雑巾詰められたり、給食に消しカスやチョークの粉入れられたりそれぐらいかな。ゴミはゴミに帰れって言われたっけ。俺って他と比べて背が小さいからそのことも揶揄されたなぁ」
「…よく立ち直れたね。高校に進学するの怖くなかったの?」
「怖かったぞ。死のうとして死にきれず、今に至るんだから。マジで本気で命を絶とうと思っていたからな。今じゃ考えられない」
「大岐くんは……」
「ん?どうした」
彼女は途中で声を小さくする。何を言っているのだろうか。上手く聞き取れない。
「ううん。何でもない。もう着くよ」
指差した先には、真っ暗な町の中に、発光する看板が現れた。都会でも見かける、誰もが知るコンビニだ。
「私はコピーするから大岐くんは何か買ってきたら?待たせちゃも悪いし」
「そうするよ」
コンビニの奥に進む。ドリンク売り場からホットコーヒーを1本手に取る。ここで少し思考を巡らせ、時瀬の分も取る。あいつのはマックスコーヒーにしてやろう。俺は天下のボスで。
コンビニ内をフラフラしながら物色する。残念ながら特徴的なご当地商品は置いていないようだ。小腹が空いた為、カップ麺のコーナーも見るが、どれも普通の割に値段が張るので諦める。そして俺はそのままレジに赴く。
お会計を済ませようとした時、ふと肉まんに目がいった。
「あと肉まん3つ」と店員に告げ、購入。コンビニをあとにする。
「時瀬。待ったか?」
俺が物色している間にどうやらコピーは終わったらしい。コンビニの外のベンチで鞄を抱えながら星空を見ていた。座っている彼女の頬に缶コーヒーを押し付ける。
「ん」
「冷たっ!?じゃなくて熱っ!?…って、あっ!これ、マックスコーヒーじゃない。もしかして私にくれるの?」
「おうよ。俺からの誕プレだ」
「は?私って大岐くんに誕生日教えたっけ?」
「チャットのIDでバレバレだ。『kanade0501』とかもう誕生日バラしてるようなものだろ」
「ごめん、それ兄の誕生日。私の誕生日は4月3日だよ。終わってるけど有難く受け取っておく。ありがとうね」
「なんちゅうフェイクだ…」
時瀬は缶を開けて口を付ける。1口飲んで息をつくと、白い息が空中に舞い、溶ける。
「寒いな。5月だって言うのに」
「ここは特に夜は冷えるんだよ。…うわっ。甘い…。久々に飲んだよ、これ。嫌いじゃないけど、甘すぎないかな…。大岐くんはブラックなんだ?」
「ブラック好きだから。コーヒーで甘いのはそんなに好きじゃない」
「へぇ。私が苦いの苦手だと知って甘いのにしたの?」
「別にそんなんじゃねぇよ。…肉まん食うか?」
「じゃあ貰う」
俺の隣に座る時瀬華撫は、いつも不機嫌で高飛車で、面倒くさい女のイメージだった。それは事実だが、以前と比べて、かなり物腰が柔らかくなった気がする。
真実を告白し、笑い、心を許して隣に座ることができる。何とも言い難い関係だ。
「なぁ、時瀬」
「何?」
「俺と友達になってくれ」
勇気を出してその言葉を言う。
昏名井と親密な仲になることは彼女はずっと拒絶してきた。あれは時瀬ジョークのひとつかもしれないが、心の壁を設ける理由が分からない。
彼女のことを知っても、その心の内側は俺は知ることが出来ない。
「何を言ってるのかな?」
「…すまん、愚問だったか」
「もう友達でしょ」
拒絶されるかと思った。思わず、俺は「は?」と聞き返してしまう。
「肉まんとコーヒーご馳走様。美味しかったよ」
「え…おい?お前正気か?乖離性人格障害か?」
「ねえ、ちょっとそれは酷くない?2度も言わせるつもり?恥ずかしいからやめてちょうだい」
そう言って目を逸らす。頬を染めながらボソリと囁いた。
「勘違いしないでよね。好きとかそう言うんじゃないから。あくまで部活を続ける上でのパートナーだからね!?」
「ツンデレかっ!?」
時瀬華撫は確実に変わろうとしていた。