夕焼けセンチメンタル
【主な登場人物】
・大岐 和珠
主人公。大きなゴミではなく、大岐和珠。死ねない呪いをオルデュールにかけられた。幸せという概念の哲学を模索中。
・オルデュール
見た目10歳の幽霊。名前の由来はフランス語の『ordures』。ドヤ顔が得意。
・時瀬 華撫
天性のドS。幸せ宅配部の部長。ラノベをよく読むらしい。イラストを描くのが上手。
・昏名井 結璃
金髪ポニーテール。尊敬する人は村上春樹。見た目の不健全さから、幸せ宅配部の仮入部員にさせられた。ビッチではない。
「部活っぽいことがしたい!」
放課後を知らせるチャイムが鳴ると同時に、隣の席の女が真顔で机を叩いた。心臓に悪いからやめて欲しい。
ただの独り言だろう。こういう時は気付かない振りだ。知らん顔で、部室に向かおうと席を立ち上がると、襟首を凄い力で掴まれる。
「いきなり何するんだよ!?俺の首を絞める気か!?」
「首絞めたって、大岐くんは死なない体なのだからいいじゃない」
「良くねぇよ!?何度だって訂正するが、死なないじゃなくて、死ねないな。で、部長さん。俺に伝えたいことって何だ?」
「私ね、部活っぽいことがしてみたいの」
「してるじゃん。寮から持ってきた本を読んだり、ロリが入れた紅茶を飲んだり、そのうっさいロリと戯れたり。お前がよく読んでいるような青春ラブコメなラノベはそんな感じだろ?」
「違うの。うん、違う。もっと生徒会に提出する報告書に書けるようなのことがしたいんだ、私は」
部活を立ち上げてから1週間。部員は3人のままで依然として変わらぬままだ。
部室に来たら本を読んだり、お茶を飲んだりと、自由きままらに過ごしているので、寮にいるのと余り変わらない。流石に学期末までこのままだらだらと続けていたら間違いなく生徒会に廃部を宣告されそうだ。
いや、しかし。適当なポスターと部の創設用紙で部活が出来るぐらい優しい世界なのだから、そんな簡単に廃部にされる心配はないのか?現に、旧校舎側の空き教室も余ってるみたいだし。
その旧校舎に向かう、長い廊下を渡りながら彼女は虚空を見つめて呟く。
俺からしたら、部活っぽいことーーー所謂、めんどくさい行動は大の苦手だから、今のままでも満足なんだが。まあ、協調性がゼロである故に、中学時代は帰宅部だっだし。やる気なんて元から俺には備わっていなかった。
「時瀬が思う部活っぽいことって、どういうのだ?そもそもこの部のコンセプトが不明なのに、面白いアクションを起こせる訳は無いだろう」
「うーん。私が思うのは日常系アニメのような、脳味噌空っぽに出来るやつかな。それで大岐くんが幸せを見つけられたらもっとハッピー」
「ごめん、さっぱり分からねぇ」
他愛の無い会話をしている内に部室に着く。
扉を開けると、既に昏名井が来ていた。ちなみに、昏名井も時瀬と同じくラノベ愛好家らしい。以前、趣味を聞いた時にそう話していた。
部室の後ろにあるロッカーの整理を、俺の背後霊であるオルデュールとしている。俺たち2人が教室に入ると、こちらに優しい笑みを浮べて手を振った。
「あら和珠、随分と遅かったわね!」
「こんにちは、時瀬さん、大岐くん」
「よう」と俺が片手を上げると、時瀬も「こんにちは」と蚊の鳴くような声で挨拶を返す。俺が昏名井に返答しなかったら、絶対話しかけなかっただろ。時瀬はどうして、そこまで昏名井に苦手意識を持つのか不明だ。
「昏名井は何してるんだ?ダンボールの中にあった備品の整理なら、この間俺がやっておいたぞ?」
「いえ、これ…そういう訳じゃないんです。寮からわざわざ本を持ってくるのは面倒なので、今日纏めて持ってきたんですよ。丁度良いロッカーもありますし」
「確かに、ラノベを並べるにはいいサイズだが、結構持ってきたな…。手に取っても見ても良いか?」
「どうぞ、良いですよ」
断りを入れてから、本に触れる。
昏名井の横にある紙袋には、ラノベが20冊ほど入っていた。アニメ化された有名なものから、俺が知らないものまである。もやしな俺が、部室まで運ぶのは、重くて骨が折れそうなぐらいの数だ。
時瀬は、初めは興味無さそうにしていたが、俺がぱらぱらと物色しているとこちらに歩み寄って来た。
「これ、しでみちじゃん。昏名井さんこういうの読むの?」
「はい。時瀬さんもご存知なんですね。学園異能バトルも大好きなのですが、そちらに劣らず異世界モノって結構好きで。ラノベじゃないんですけど、村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』みたいな世界観と言いますか…ああいった読んだ後に、余韻が味わえるような不思議な世界が大好きなんです」
「へぇ…わたしも異世界モノは好きだよ。意外と趣味が合うのかもね」
「へへへっ、そうですね。ちょっとしたことでも共通点があると嬉しいです。あの、華撫ちゃんって呼んでも良いですか?」
「だから、それは却下」
さりげなく提案した昏名井に、時瀬は即答する。
下の名前で呼ばれること自体が嫌なのか。それとも昏名井に呼ばれることが生理的に受け付けられないのか謎だ。
オルデュールは物静かにロッカーの整理をしている。ロッカーの中は、結構物が入っているらしく、既存のダンボールに益々備品が積まれていく。
「面白いものは見つかったか?」
「そうね…。これとかどうかしら?和珠が好きそうね!」
オルデュールはビニールを開けると中から太めのストローのようなものを出す。それに口を付け、息を吹き込むと、丸まった紙が伸びて高めの音が鳴った。これの何処に、俺が好きそうな要素が詰まっていると思ったのか分からない。
「ピロピロじゃん、それ」
「どう?ボク的にはなかなか面白い玩具だと思うのだけれど。和珠も気に入った?」
「…他にもっと面白そうなものは無いのか」
ピロー、シュルルと、間抜けな音を鳴らすオルデュールをジト目で見ながら、備品が高く積まれたダンボールを漁る。また整理しなくてはならないことを考えると、やや憂鬱だ。
「原稿用紙か。結構あるな…。ここは前、文芸部だったのか?」
ダンボールの場所を取るほど、多く積み重なった原稿用紙。ビニールで包装されているからか、積めば積むほど、つるつると滑り落ちてしまう。
俺が原稿用紙相手に悪戦苦闘している様子を、時瀬は黙って見つめ。
「そうだ、リレー小説をやろう」
「何を考えていると思えば…。京都に行くみたいに言うなよ」
「部活で青春と言ったら、リレー小説を連想するね!」
「リレー小説って3人でするのか?オルデュールはどうする?つーか、オルデュールって、そもそも日本語書けるのか?」
「ボク?意思疎通は出来るけど書けないわ。ちなみに母国語は、話すどころか全く書けないわ!」
「お前の故郷って本当にスペイン…?その様子じゃまともに記憶が無いのじゃないのか?」
「多分、スペインね!」
フフーンと言いながら、自慢気にオルデュールは答える。どこからその自信は湧いて来るのだろう。多分って何だ、多分って。
「じゃあ、参加メンバーは私と大岐くんと昏名井さんの3人になるね」
「3人でも書く時間を考慮すると、待ってる間はかなり暇だろ。どうせやるんだったら、個々で小説を書いて読み合った方が時間も無駄にしないし、楽しめるんじゃないか」
「あ、それ良いですね。わたしも大岐くんの意見に賛成です」
「まあ…言われてみれば私もアリかな。それ」
俺の意見に頷く女子部員2人。オルデュールは自分が関わる場面は無いと判断したのか、電気ポットでお湯を沸かす作業に入っている。今日はどんなお茶を入れてくれるのだろう。
「小説を書くのか…。テーマはどうする?言っておくけど、俺は堅苦しい文章は苦手だぞ。本屋大賞を取った物語でも読むのに悲鳴を上げているぐらいだ」
「大岐くんはあまり読書をしないのね。それを考慮すると、テーマはどういうのが良いだろう?」
腕を組んで時瀬は悩む。
考えている彼女は昏名井の足元にあるラノベに視線を移して、顔を輝かせた。
「ラノベってどうかな?大岐くんは読む?」
「読まないが、ラノベ原作のアニメは見るぞ。バトルしたり、ハーレム作ったりだとか。まるで将棋だなってやつも何だかんだで俺は見てたな。しかし、ラノベってなんだ?」
「うーん。ラノベってはっきりした定義がないから曖昧ですよね。大岐くんが例に挙げた、青春ラブコメから異能力バトル、一般文芸に限りなく近い作風のものまでありますし」
「ラノベの中のテーマか。俺はライトノベルと聞くと厨二病のイメージが強いけどな。中二じゃなくて、厨二な。普段、そういうの読まないような奴が言ったら、とても失礼かもしれないが」
「厨二病…ですか。否定は出来ないものはありますし、わたしは気にしませんよ」
昏名井の言う通り、そもそもだが、まずライトノベルという定義が定まっていない。若者向け小説だと世間一般的には言われることもあるが、そうすると中高生向けの一般文芸はどうなるのかと俺は思う。
ここではアニメっぽいイラストが表紙の本ということで良さそうだ。
「テーマに関して意見は無い?昏名井さんもよく読む方だよね?」
「そうですね…。どうせ書くなら、今流行りの最弱最強の主人公みたいな設定が燃えますけど。あのチートさと、技名の厨二病っぽいお洒落さと、俺TUEEEEしている感じが堪らないです。頭空っぽで読めますし、わたしのような夢女子には格好良い主人公は最高ですね…!」
「また難しい単語を連呼するな…」
魔術や異能に特化した学園を舞台としたものは、確かに俺TUEEEEが多いように見える。しかし、俺たちが即席で作るのは、難易度の壁が高そうだ。最弱最強という矛盾した設定を他の作品と被らないように練らないとならないし。
「じゃあ、ライトノベルで、テーマは厨二病で良いかな。使用する原稿用紙の枚数は自由。間に合わなかったら、裏に設定を書く。形式はラノベのプロローグみたいな感じで。序章に伏線を張って、裏の設定で明かすってのも有りの方向で行こうかな」
「プロローグみたいな形式で書くってことか。小説の引きとも言えるし、それはなかなか楽しそうだな。…厨二病って縛りは主人公がそれなのか、それとも舞台背景がそうなのか、どっちにするんだ?」
「どっちでも良いよ。書きやすい方で。私個人的には技名だとか、二つ名に厨二病要素をぶち込んだ方が書きやすいと思う」
そう告げて時瀬は教室内に掛かった時計を見上げる。針は4時過ぎを差している。部活が出来る時間は6時半までだ。
「読み合うのは、余裕を持って今から1時間半ってことで良いかな?プロローグだけだし、そこまで時間もかからないよね」
ということで書くことになった。
前述した通り、俺は本はあまり好んで読まない。読むものは漫画と空気だけだ。さて、一体どうしたものだろう。
それから1時間後。意外とあっさりと書けたこともあり、俺を含めた部員達はシャーペンを滑らせることをやめていた。やはり、1時間半も必要なかったみたいである。
「誰から読もっか。自分で声出して読むのと、人に読んでもらうのどっちが嫌?」
「どっちが良いかじゃなくて嫌な方を聞くのかよ!?ちなみに嫌な方を選んだらどうなる?」
「愚問だね。そっちを選択するに決まってるよ」
やっぱりこの女はドSだと思わされる俺であった。俺の希望としては、自分で読むのも、他者に読まれるのもどちらも嫌だから、正直、どちらでも気にしないのだが。
いずれ、この学校でもプレゼンテーションをやる機会が設けられると思うが、その原稿を他者に添削して貰ったり、自分で読んだりすることも恥辱的だ。
「くじで決めたらどうかしら?そんなこともあろうかと、可愛いボクが、皆が作業している間に作っておいたわ!もう、可愛いボクを放置するなんて、本当に仕方の無い人たちね!」
「相変わらず物凄く癪に障るけど…。さんきゅ。時瀬と昏名井も、オルデュールが作ったこれで良いか?」
「別にいいよ」、「大丈夫です」と各々が返答する。
オルデュールが作ったくじは普通のあみだくじだった。適当に名前を入れていくと、1番から順に、昏名井、時瀬、俺となる。
「わぁ…トップバッターですか…。これって次の人のをわたしが読むとか、そういう感じでいいんですかね?それだとわたしのって読まれるの最後になりますね…。まあ、ラストでも重たいですけど」
「あれ、やっぱ他人のを音読する方向で行くのか…?」
「その方が楽しそうだから、そうしよう。私が大岐くんのを読むのか…。どんなのが来るのかな?」
「時瀬さん…頼むから期待しないでくれ…」
ニヤニヤと笑いながら時瀬は俺を見る。
その間にも、昏名井は時瀬の書いた原稿を手に取り、目を通し始めた。
「これは…。なかなかのセンスの片鱗を感じます…」
「正直、私は昏名井さんのことがビッチで大嫌いだけど、そう言われるのは嫌じゃないかな」
「嫌われてるのは何となく知ってますけど、あまりストレートすぎるとわたしでも傷付きますよ!?」
少し涙目になる昏名井。時瀬が昏名井を嫌う理由は、見た目がビッチみたいというだけなのか。うんこヘアーと批判された髪型は、今はポニーテールだ。軟骨まで開けられたピアスを除いては、髪色も前よりは暗めになっている。
確かに人間、見てくれは非常に大事だが、昏名井の中身は普通の女の子で、時瀬よりも可愛らしいと俺は思う。
昏名井は気を取り直して、裏側に記された設定から声に出す。
「タイトルは『白妙に嘘は染まらない』…ですか。非ハーレムなラノベっぽくて、手に取りたくなりますね。えーっと…そのまんま読みますよ?『とある都市で行われた<終末世界>という実験。その被験者の少女は失敗作であった。理性が保て無いほどの食人衝動という特性を抱えた少女は、特殊な体を持つ旅人・桐光と出会い世界を巡る物語。』だそうです。どうでもいいですけど桐光さんって日本人ですか?」
「いや、そこの世界は日本とかアメリカとかフランスとか無いから。桐光は苗字でも名前でも無い感じだよ」
「つまりハンドルネームですね。レッツゴーオフ会」
「そういう世界観なの!ツッコまないで」と釣り上がった目を、更に上げて怒る時瀬。必ずしも、名前と名字に分類されている設定を縛りにしている訳ではないので、これはこれで世界観が広がっているように俺は思える。
「女の子が主人公なのか。ラノベって、男が一人称視点な作品多いよな」
「これは旅を主体とした作品みたいですし、少女が主人公なのは、おかしくないとわたしは思いますよ。しかし、<終末世界>ってお洒落ですね…。終末が地獄だと意味付けされてるようで素敵です」
「ありがとう。厨二病要素は主人公の特性と、この実験の名前ぐらいしかないけどね。…先、読んでいいよ」
「分かりました。それでは、プロローグを読んでいきますね」と、昏名井は原稿用紙を表にして、淡々と読み上げる。
「『私に名前は無い。
白い髪、白い瞳。実験の副作用で背負った特性、食人衝動のせいで私は施設に捨てられた。紅い、紅い、バラのように乱れる血を見ると目が疼き、緋色に染まる。
そんな人とかけ離れた異形の姿を持つ私は、人の手で作られた人造人間だ。捨てられて彷徨う私に手を差し伸べてくれたのは、普通の人間の男性だった。
「名前は?」
そう尋ねる人間は、足が長く、それに比例するかのように身長が高い青年だ。顔はそれなりに整っていて、黒い髪と、夢を抱く少年のような澄んだ星空のような瞳は、彼の姿によく似合っていた。
研究者の手で作られた私には、名前というものがない。だから首を左右に揺らす。私の反応を見た青年はゆっくりと声を出す。
「僕はね、桐光っていうんだ。桐の光で桐光。分かるかな?」
そう名乗った青年は私の手を取り、恐らく彼の名前だろう。指先で記すようになぞる。もちろん、私は文字なんて読めないし、書けない。
「その髪、その目…。君、被験者か。<終末世界>の生き残りだよね?隠さなくていいよ、安心して。僕は君の味方だ。絶対に危害を加えたりしない」
青年はにっこり微笑む。分からない。こんな私に何故話しかけるのか分からない。分からないから私は反論する。
「…私、失敗作だよ?<食人衝動>に駆られると貴方を食べてしまうかもしれない。どうして私のような悪魔に関わるの?」
「悪魔なんかじゃないよ」青年は優しく私の手を握り、神に祈りを捧げるように囁く。
「僕は君を助けに来た。通りすがりの旅人だ」
「どうして?私なんかに関われば、貴方も闇に堕ちてしまうわ。不幸は感染するように伝わる、だからきっと貴方だって…」
青年は私の言葉を遮る。
「僕は桐光。僕の中に流れる血は、摂取すると毒のように体を蝕む特性があるんだ。そんな僕を君は食べたいと思う?」
私は黙る。どうしてこんな出来損ないの被験者に構うのか理解できない。そんな私を気に止めることなく、彼は、キリミツは、そのまま続ける。
「僕と一緒に旅をしよう。一緒に世界の終わりを見届けよう。……一緒に着いて来てくれるかい?」
私は頷く。もう知らない。どうなったっていい。今の私に出来ることはこの青年を信じて、その後ろに着いていくことだ。
「私に…どうか、居場所をください」
その答えを待っていたかのように、青年は首を縦に振った。
「今日から君の名前は<真実の愛>だ」
真っ白で、黒い特性を持つ、私に名前が付けられた瞬間だった。』ーーーーだそうです。ぱちぱち」
昏名井は原稿用紙を静かに畳んで時瀬に返却する。返された本人は恥ずかしそうに目を逸らした。
「すまん。俺、桐光嫌いだわ」
「ほう?どうしてですか?やっぱり男性目線だとキザっぽく写ってしまうんですかね…」
「キザなのもそうだが、すっげー胡散臭い。女を食ってそうな雰囲気があるのも嫌だ。もう少し、シンシアと桐光の出会いを勿体振れば良かったかもな。これだとシンシアじゃなくてチョロシアになるぞ。恋に落とすのが簡単そうだ」
「ヤリチンじゃない桐光の描写を増やすべきだと、大岐くんは思うんですね?うーん…やはり、こういうのって口調を変化させるだけじゃ、人格そのものは駄目ですものね…」
「え、ちょっと待ってよ!?勝手にヤリチンにしないで!?!?というか、それだと1巻がキャラ紹介で終わるラノベになっちゃうよ…。」
時瀬はパイプ椅子座り直して、そのまま続ける。
「…本を書くって難しいなぁ。昏名井さんとオルデュールは、今の大岐くんの以外で、私のを聞いて感想とかある?」
時瀬は俺の率直な感想を聞いて苦笑いを浮かべた。俺も、改めて話の展開の仕方の難しさに苦慮する。というかこの間のビッチ呼ばわりやうんこヘアーの件にしろ、女の子が汚いネタを連呼するのは非常に絵にならないので、素直にやめて欲しい。
話を振られた昏名井はともかく、幼女幽霊は意外な指名に「え…?ボクのこと?」と、目を見開いた。
「性悪が書いたそれって、『食人衝動』と書いて『ヒート』と読むのね?なんだか、オメガバースみたいだなぁって、ボクはそこのルビが気になったわ。…あ、ここにコップ置いとくわね。レモンティーよ」
事務的にテーブルの上に、3つの紙コップが並んでいく。ほんのりと揺れる湯気からレモンの良い香りが漂う。ここまで何かを飲む頻度が高いと、そろそろ紙コップではなく、寮から自前のマグカップを持ってくるべきかな。
俺はオルデュールが答えた、オメガバースという理解できない単語に質問をする。
「あの…、無知な俺に教えてくれ。その、オメガバースって何だ?」
「ケツの穴にイチモツを挿入すると男が妊娠する世界の設定よ。発情期中にスイッチが入る状態をヒートって言うの。お互い愛を求め合ってとっても熱いわ!もしかして、和珠はBLを読まないのかしら?」
「もしかしても何も、そもそも読まねぇよ!?」
相変わらずこいつの知識の沼は底知れなかった。というか、オルデュールは実年齢の件は本当に不明確だ。ボーイズラブ作品は幽霊になってから知ったのだろうか、それともあんな可愛らしい見た目をして、死ぬ前は腐女子だったのだろうか。謎だ…。
「まあ、否定は出来ないけれども。ヒートをオメガバースと結びつけるのは置いといて…、昏名井さんはどう思った?」
「わたし、ですか…?読み物としては、普通に面白かったですよ。あと、用紙裏の設定に添えられた絵がとても上手かったです。シンシアちゃん可愛いですね」
「そう。絵の感想は聞くつもりは無かったんだけど…。まあ、いいや。次行こうか」
せっかくの特技を褒めて貰っているのに、そのまま流してしまうのか。ちらりと横目で覗くと、童顔の少女のイラストが見えた。白いまつ毛がぱさぱさと生えていて、とても愛らしい。『キノの旅』に出てくるティーの雰囲気と似ている。
次の順番は時瀬が俺の原稿を読み上げるので、原稿を彼女に渡す。我慢出来なかったらしい時瀬は折られたそれを、受け取った瞬間開いて総覧し始めた。
「タイトル、『僕の妹が厨二病だった件について』。なるほど。やっぱり大岐くんはロリコンだったのね」
「断じて違う!」と怒鳴るものの、彼女は無視して原稿用紙に向き合う。
「よーし。じゃあ設定から読んでいくよ。結構、簡潔に書かれてるね…。『主人公は僕こと、狭間月冴。ゲームとアニメが好き。現在28歳のサラリーマン(尚、作中では15~18の間の学生で語られる)。妹の名前は狭間オルデュール。月冴の2歳年下で、黒髪ロングの美少女。邪気眼系の厨二病で高校卒業まで完治しない。決めゼリフは「終焉の百合よ、儚く散りなさい」。』だそう。私って基本、ツッコミには回らないはずなんだけどさ…。でも今は、私より幽霊ちゃんの方が物申したい感じね」
俺の隣で腰掛けてレモンティーを上品に啜る、オルデュールに視線を移す。ロリは困惑したかのように、顔を顰めて俺に問う。
「…ねえ、和珠。妹の名前ってどうしてそうなったのかしら?美少女って設定はとても嬉しいけれども、なんかボクのことを痛いヤツだって蔑まれている気がするわ」
「それは自意識過剰だ。思いつかなかったからそうしただけ。まあ…、ヒロインにゴミみたいな名前を付けるのは心が傷んだが」
「ゴミがどうあれ、名前のセンスが大問題じゃないですか。月に冴えると書く超格好良い日本人名の兄の、その妹が、ゴミの意味を持つ西洋風の名前だなんて、違和感しかないですよ…。どうせだったら実家の猫だとか犬の名前でも借りたらどうです?」
いや、妹に猫だとか犬の名前を付けるのも、どうかと思うぞ。因みに、俺の実家で飼っている犬は菖蒲という。黒がメインカラーである、柴犬のメスだ。奴は健気で可愛いが、妹キャラに名前を借りるとなると少し悩む。
やや考えた後、昏名井の意見に、俺は例の文句で返事をする。
「そういう世界観ということにしておいてくれ」
「さりげなくさっきの私の発言を馬鹿にしてるよね?」
「そんなことないぞ」
時瀬は咳払いをし、原稿を表に返してプロローグを読み上げる。
「『僕、狭間月冴の二つ下の妹が嫁に行くらしいので、これを機に昔の話をしたい。
妹はいわゆる、厨二病だった。厨二病は医者に通って治る訳ではない、中学生のちょっとした自尊心の権化のような病である。
僕の妹、狭間オルデュールは、自分の事を『緋染めの小百合』と名乗り、原宿で売ってそうなゴスロリを着て、自室の鏡で決めポーズをしていた。その際に吐く台詞は、「我の前に膝をつけよ」や「童に背くのか、罪を抱いた月の使いよ」としばしば唱えていた。ここでの台詞にある、〝罪を抱いた月の使い〟というのは恐らく僕のことだろう。どうでもいいが、我なのか童なのか、一人称を統一して欲しい。
彼女の、そんな不治の病の始まりは中学1年の頃である。受験期の僕をひたすらに邪魔し続けた、彼女の言動とその備忘録をここに綴っていきたい。』」
時瀬は俺のを読み終えると、顔を上げる。
「普通の日常系だね。主人公の日記ではなくて、現在進行形にしたら面白そう。ヒロインは何人出すの?」
「そこまで考えてない。出すとしたら、精々4人かな。大体出す女キャラを全員ヒロインにするとカオスになるし、ラッキースケベとか考えられねぇ…」
「ふーん…そう。大岐くんにしては普通だったね。ネットに投稿しても恥ずかしくはないと思う」
「褒めてるのか貶してるのかはっきりしてくれる!?」
「褒めてるよ?」
普通と感想を述べた後に、褒められてもあまり心に響かない。それはともあれ、ドSの象徴である時瀬に馬鹿にされなくて良かったと俺は安堵する。
「昏名井は何か感想だとかアドバイスはあるか?…人から意見を聞くのって緊張するなぁ……」
「…スカーレット……リリィ…」
ボソッっと昏名井が囁く。その声色は心做しか、笑っているように聞こえた。
「恥ずかしいからやめろ!?…でも、俺なりに一生懸命考えたんだぞ?」
「…すみません、馬鹿にはしてませんよ。年相応の中学生っぽくて可愛らしいと思います。何でもかんでもブラッディにしちゃうのは鬱陶しいですもんね。ブラッディリリィだと、他人の創作に影響された感が出てしまいますし」
そう言って、制服の裾で口元を押さえる昏名井。彼女のツボにハマったみたいだ。ちょっと笑うところが分からない。取り敢えず、冷やかしてはいないみたいで良かった。
「気を取り直して、次行きますか?わたしの傑作ですよ!読みますか?是非読んでください!」
いつもよりテンションが高く、照れながらも俺に渡した原稿用紙の裏には、ぎっちりと文字が埋まっていた。それも1枚ではない。設定だけで10枚は軽くある。書いている途中、やけに紙を取っていた気がしたが、まさかたった1時間でここまで書いているなんて考えてはいなかった。
「何だこれは」
「見たままです。設定ですよ?」
「いや、それは見て分かるわ!?量が凄くないか?もしかしてこれを全部、俺に読ませる気か?」
「もちろんです。あ、嫌なら1部でも良いですよ。その場合は寮に戻ってから、自室でゆっくり読んでください。その場合は声に出さなくて良いですよ」
「結局俺に読ませるんだな…」
最初に、俺は文章を読むことは、そこまで得意ではないと言ったはずなのだが。
斜め読みをしていくと、どうやら今流行りの最弱最強の俺TUEEEEな主人公が革命する、学園都市を舞台にした物語のようだった。主人公やヒロインの能力、置かれた環境から、学内のシステム、ラッキースケベのタイミングなど細かなことまで書かれてる。小説のプロットを出せなんて誰も言ってないぞ…。
「昏名井さんのその作品って、今考えたやつなの?」
「語弊はありますが、大体はそうですね。授業中に閃いた内容を書き起こしたら、楽しくて量が増えちゃいました。タイトルは『無能な俺は無能らしく過ごしたい』、です!」
「もう、そこのロリコンに読ませるのも面倒だから昏名井さんが解説しちゃって」
「おい待て、誰がロリコンだ」
ロリコンではないのにそう扱う時瀬に、俺は不服をぶつける。あと何回繰り返せば俺はロリコンから抜け出せるのだろうか。幼女趣味は無いといっているのに、なかなか分かって貰えない。
原稿用紙を捲っていると、そこに時瀬が覗き込んでくる。俺は大部分ならば目を通したので、そのまま時瀬へと渡す。俺が読み上げないと判断したのか。時瀬は溜息を吐いておもむろに読み始めた。
「痣美黎夜。日本人にして生まれつき、夜のような深い藍色の瞳を持つ。学院で支給される模刀を唯一使わない為、剣術の腕は国立雁字搦学院の1年で序列最下位。能力は精神汚染で目を合わせた瞬間、対戦者を闇に落とす…もう良いや、雁字搦学院って何?」
「えー頑張って書いたのですから最後まで読んでくださいよ」と口を尖らしながらも、昏名井は説明をする。
「国が運営している戦闘訓練の高校です。分かりやすく言い換えるならば、ファンタジー要素を追加した防衛大学みたいなもんですね」
「それは分かるよ…、私だってラノベは読むからこういう設定に偏見は無いけれどさ。大岐くんにしろ、どうでもいい所の名前のセンスが欠落しているよ…。雁字搦めって意味知ってる?」
「雁字搦めですか?そこまで詳しくないですが、束縛みたいな感じですよね。でも響きが格好良いから関係ないです」
「…そう」
「そんなことより、<ラック・サイケ>は傑作でしょう?サイケの部分を、霊魂の化身・プシュケーと掛けてるんです。気付きましたか?」
「もう分かったから…後で読ませて。もう撤収の時間だし」
また時瀬は溜息をつく。
教室上方の時計は6時15分ぐらいだった。鍵を職員室に返す時間を考慮すると、そろそろ片付けを始めるのが妥当だろう。
「ねえ、オルデュール」
時瀬に声をかけられたオルデュールは「何かしら?」と翻って返事をする。
「読めなくても聞くことは出来たよね。今回の小説読み合い大会。優勝は誰かな」
「そりゃもちろん、金髪ポニーテールの…名前なんだっけ、お菓子をくれないだっけ?」
「ハロウィンの悲しい奴みたいに言うな。昏名井だ。お前、時瀬のことを都議選とか言ったこともあったよな。人の名字ぐらい覚えてあげろ」
「あらら…それは申し訳ないわ。ボク的な優勝は昏名井ちゃんね!今度全部読み聞かせて欲しいわ」
「マジで言ってるのか」
「ええ、マジよ」
オルデュールにどういう趣味の傾向があるのか、最後までさっぱり分からなかったが。他の部員のことを知る、いい機会になったかもしれない。
俺もこれきっかけに、ラノベを読む習慣を身に付けてみようかな、と少しだけ思う。
「時間の都合で読めませんでしたが、今度オルデュールちゃんには、細部まで解説しますよ。任せてください」
と、昏名井は素敵な笑顔を浮かべる。
紙コップをゴミ袋に纏め、鞄を持って席を立つ。全員が部室から出たことを確認すると、時瀬は施錠をした。
「私はこれを職員室に返すから、先に帰ってて良いよ。お疲れ様、じゃあね」
そう言って新校舎側へ駆け足で去っていく。何だか名残惜しい。
「わたしたちも帰りますか。寮までご一緒してもいいですか」と昏名井が訪ねてきたので、俺はこくりと頷く。
西日が射す廊下に、俺と昏名井の二つの影と、影にならない幼女一体が並ぶ。
「ねえ、和珠」
「なんだ?くだらないことだったら無視するぞ」
「無視はやめて!?あ、でも、もしかしたら殴られるよりはマシ…だわ」
「まあいいよ。続けろ」
少し俺の前を歩くオルデュールは、振り返って俺と目を合わせた。紅く儚い夕日に照らされる彼女の姿は、影は無くてもとても幻想的で、可愛いではなく、淡く美しいと思った。
「…今日、楽しかった?」
俺は恥ずかしくなって、僅かに目を逸らして肯定する。
「そう。良かったわ」
「わたしも楽しかったです!文化祭で製本して売りましょうね!!」
「だからここは何部だ…」
楽しかった気持ちは嘘ではない。
心の中で、幾ばくか熱を帯びて留まっているこの気持ち。この温かい感情はなんだろうか。
それはきっと他者と意思疎通をして『楽しい』と思う、俺の中の情調だ。
おまけ/
次回から表紙付けたいです。