一 ここなろうってさ、なんのための場所なの?
いきなり核心ついた話題ですみません、ごめんなさい。これ言っちゃったらおしまいだよね~。そんなのも分かんないで参加してるの? そう言われそうですから最初に謝っちゃいますね。
なにが言いたいのかと申しますとですね、各人個人個人で小説家になろうというこちらのサイトを利用する意味が、明確に区分けされている部分とされていない部分が少しずれている気がしたんです。
まず当然と言っちゃあそうなんですが、小説を読むのが大好きでより多くの作品に触れる機会が欲しい方が、ネット上からなろうの本サイト、または読もうの方から自分で読みたい作品を取捨選択して、時間のある時に好きなだけ読みまくる。いわゆる読み専? って方々ですね。
なんにもおかしいとこないじゃない? まあそうですよね~、だって読んでくれる人がいないとそもそもこちらのサイト自体の存在意義がないですもんね。間違ってはいないです。
でも、よく考えてみるとおかしな点があるんです。もしかしたらみなさんも、指摘されるまでもなくよくご存知なのかもしれません。それをご理解なさった上で利用されているのなら、なんも言うことなくなっちゃうんですけど、あえて言わせていただこうと思います。
あ、とりあえずなんのための場所なのかについて、ぼくなりの考えを先に挙げていきますから考察はもう少し後でね。
次に、これも当然ですが自分で書いた作品、詩だったりエッセイだったり随筆でも評論、各種小説などなど。およそ文字を使った表現方法を発表したいと思った方が、執筆投稿をして参加する。書き手さんがいなかったら、このサイト自体がありえませんものね。
読み手さんと書き手さんを繋ぐ場所。それがなろうの大きな意義、意味だと思います。紛れもない事実ですよね。
でもちょっと待って。なんか変じゃない? 根本的なとこから。
なろうってさ、小説家になろうが正式名称ですよね? つまりなんらかの文字表現で文筆家として成功するための努力やその結果を発表して、それを内外から応援したり助け合ったりして、小説家になるための足がかりになるためのサイトって意味じゃね?
たぶんここでお叱りをもらっちゃうでしょう。ごめんなさい、言葉足らずの部分は後述で説明しますので、今はまだお怒りになられぬよう。
大きく分けて、読み手さんのことと書き手さんのこと。そして詳しくは後から私見を述べますが、なろうサイトの立ち位置、問題点。この三つが、なろうがどんな場所であったらいいのか、どうなってほしいかの要点です。
では次で、まず読み手さんについて書かせていただきますね。