最終話
カノジョがシュトに旅立って1年と半年が経ち、ボクもシュトを訪れている。一週間ほど前に、「もうすぐでデビューする」とカノジョから手紙が届いた。
そして今日がその、カノジョの牛丼デビューの日だというわけだ。カノジョが是非見に来て欲しいというので、友人を代表してボクがシュトに来た。カノジョの両親ももう来ていると思う。
「えーと、ここだな」
黄色い地に、赤で牛丼のシルエットが入った看板。その隣には、黄色い字で「牛丼」と書かれた建物がある。ここが、カノジョのがデビューする牛丼屋だ。
中に入ると、昼時というのもあってかなりのお客さんが来ていた。ボクはカノジョの両親と合流し、席に座る。しばらく待っていると店員さんが注文を取りに来たので、ボクたちは当然のように牛丼を頼んだ。
3分待つか待たないかのうちに、3人分の牛丼が運ばれてきた。ボクは一瞬、それがカノジョだとわからなかった。なにせ見違えるくらい綺麗だったのだ。ふと隣を見ると、カノジョの母親が泣いているのがわかった。父親も、だまってカノジョを眺めている。当然だ。自分の愛娘がこんなに綺麗になって、大勢の人を喜ばせているのだから。
「・・・その、久しぶりだね。元気してた?」
ボクは恐る恐るカノジョに話しかけてみた。怖かったのだ。カノジョがまるで別人のようになってしまっていて、ボクのことなんか忘れてるのではないかと。
「・・・」
カノジョは黙っている。「さすがだ」と思ってしまった。仕事中は、一切喋らない。自分が万人に愛される存在であるという、牛丼としての強い自覚が、カノジョをそうさせている。真面目で、律儀なカノジョらしい反応だ。
「君がシュトに行ってから、喫茶店の売上が半分になっちゃったって、マスターがぼやいてたよ。あそこ、本当にボクたちしか行ってなかったんだね」ボクは話を続ける。
「・・・」カノジョは喋らない。
「それでさ、ボクも色々考えて、なんとかあの田舎を活気付けようと思ってね。会社を作ることにしたんだ」
「・・・」カノジョは微動だにしない。
「牛丼の会社なんだ。とは言っても、普通の牛丼屋じゃないよ。地域に密着したんだタイプの牛丼屋でね」
「・・・」カノジョは静かに佇んでいる。
「コンセプトは、『食べに行ける牛丼』なんだ。これが成功したら、きっと活気付くと思う」
「・・・」カノジョの反応はない。
「それでね、もし、よかったらなんだけど、君にうちで働いてもらいたいんだ」
「・・・」カノジョは何も応えない。
「あはは。そうだよね、せっかくこうしてシュトでデビューできたんだもんね。ボクも自分の力でなんとかしないとなあ」無理やり強がってみせる。本当は帰って来て欲しいくせに。
「・・・」沈黙が苦しい。
「やっぱり、ダメだよね。帰ってきて欲しいなんてお願い」
「・・・」カノジョは黙ったままだ。しかしふと、カノジョの声が聞こえたような気がした。
「・・・え、本当に?」
カノジョの答えが、ボクには聞こえた。
「ありがとう。それじゃあ、いただきます」
ボクは口いっぱいに、カノジョを頬張った。