お肉かアイドル
「ローストビーフ、食べたい」
「え?」
「ローストビーフ食べたい」
「あー、じゃあスーパーで買って食べる?」
「……良いな」
「お酒はダメだよ?」
「飲まねぇし」
「ふふ、分かってる」
まるでデートのような光景。ただ制服で帰宅中だと思わなければ違和感はない。
急な言葉に唯は冷静に返して、どこに売ってるんだろうと考えた。コンビニにあったかな、と滅多に買わない物のため悩んでいた。
「何でまたローストビーフ?」
「昨日、美味しそうな肉をテレビで出してた。赤みが強くて」
「新鮮じゃないと無理だもんね」
「食べたいけど、この近くに食べれる場所がない」
「あー、だからそれで代用ね」
帰り道、さっきから明日奈からお腹が鳴っているのが気にかかっていた。
「僕も食べたいなぁー?」
「ひゃっ!」
「誰だ」
後ろから抱きつくような衝撃を感じ、前のめりに力を込めた。下を見ると、ぴったりと両足がくっついていることから、身長は明日奈より高いことが分かる。
耳にその人の息が吹きかかる。腕を鎖骨付近に回されていた手は間違いなく男だった。
「ねえねえ、食べたいー。参加して良い?」
「……あーーっ! 志波ぁぁぁぁぁ!」
「ちょっと、煩い」
「ご、ごめん。アス」
叫びあげる唯にため息をして注意すると、落ち込んでいた。後ろにいる志波という少年もまた顔を歪めていて本当に煩かったようだ。
そしてまた、志波という聞きなれない名称に困惑としているが、実は前にも聞いているということを明日奈は気付いていない。
「ローストビーフ、僕も食べたいなぁ」
「いや、食わないから」
「えー、僕が一緒だと嫌なの?」
「ってか、お前誰だよ」
「このギャルっ子が言う志波だよ」
「だから、シバってなんだよ。犬か?」
「え?」
「柴犬を飼ってるのか?」
「えええ!? 僕を知らない子がいるなんて」
煩いと言われた唯は口を押さえて沈黙するため、二人で会話を続ける。豆柴を昔に飼っていたなぁ、とのんびり思っていた。
「……だれ?」
唯に聞いてみると、モゴモゴと何て話してるのか分からなかった。外して良いと話すと、少し悩んだようで上目遣いで見てから頷いた。
「前に話したよね、隣の高校にアイドルグループの一人がいるって」
「言ってたか?」
「うん、話したよ。日向さんが来たときに」
「へぇ、日向来てたんだ」
(あれ、どっかで聞いたことあるな)
志波の声に明日奈は不思議そうにしていた。しかも、呼び捨てするような人だと思わず驚いていた。
「あ、生肉食ってた奴?」
「生は食ってねぇよ。まあ、そう。たぶん君が見てたテレビに出てた」
「どーりで」
(でも……、また別でも聞いたような)
そんな最近ではなく、そして密着したような錯覚。ただ現に今密着してるという。
「……安い月?」
「……?」
「安い月、だよな、あっきだっけ? やづきだっけ」
志波の腕の中で体の位置を変えて向かい合う。自分より少し大きめの志波を睨むように見る。
何ともないような素振りをしてるが、表情は無のまま怖さを感じるほど。
「え、安月って言いたいの? え、確かに隣の高校だけど」
「……知ってるのか?」
「むしろ何でアスが分かってるの!? その人、隣の高校の不良たちのリーダーだよ」
「……マジか」
「否定してないのに、勝手に話を進めないでよ。僕をそれと一緒にしないで」
「隠れた筋肉質、身長も同じ、声も、目も、肌も」
「……ったく、違うって言ってるだろ」
「所々、キャラ崩壊してるわよ。テレビでは人懐っこいカワイイ系で売ってるのに」
「うっせぇ、ギャルっ子」
「ギャルって言わないでよ! 何でみんな、あたしをギャルって言うのよ!」
それは間違いなく見た目の問題である。どこからどう見てもギャルにしか見えない。むしろ、まともに見える方がレアだった。
「ってか、性格破綻してる」
「……そうだよ、僕は安月」
「偽名?」
「偽って言うなよ、芸名な。安月 志波ってだけだよ」
「ふぅん」
「反応薄っ」
唯に対して暴言を吐いたことに明日奈は地味に怒っていた。唯は所々、自分を守ってくれてるから、出来るなら自分も守ってやりたいと思っていた。
「なんで、うちの学校にいるんだ」
「見たかったんだよ、あの学校を締め上げた奴をな」
明日奈と同じことを思っていた。彼女自身も明日也がまとめた時のことを見てみたかったから、彼の言う言葉は同感だった。
「で?」
「予想通りを越して、予想外だったかな」
「なんだ、その言葉」
「だって、そこらの不良たちがガキみたく大人しくしてんだぜ? 面白いって他ないだろ」
「へぇ」
「でも、隣の学校だって静かになりつつあるって言ってるじゃない」
「まあ、多少はな。でも完璧じゃねぇよ。ただでさえ、どっかの阿呆が乗り込んで来たから大変だったけどな」
「……あー」
「へぇ、そんなことあったのか」
「全員、返り討ちされてるからな」
志波の言葉に唯は頬をひきつらせてよそ見をしていて、何も知らない明日奈は頷いて納得をしていた。リーダーである志波が、誰がやって来たのか分からない訳ではないだろう。
未だに抱きついたままで変な至近距離があり、無表情のまま見下ろす志波。
「ってか、そろそろ離れろよ。重い」
「えー、嫌だ」
「……そっか、嫌か」
ニッコリと微笑むと鎖骨の下部分を撫でるように押すと、眉間に皺を寄せ、その刹那、口を開いて明日奈から手を離すと地面に倒れ込んだ。
「っつぅぅぅぅ!」
「痛いか?」
「……っ」
「なぁ、痛い?」
「アス、喜んじゃダメだよ」
明日奈の声が嬉々としていることに唯はすぐに気付いた。スイッチが入ったため、もがいている志波のツボを押し続けている。
「やめっ、ごめっ、離して」
「アス! もう止めてあげて」
「……痛い?」
「痛い」
「分かった。おまえ、体悪いな。不健康だから痛いんだよ」
「そ、そうか。き、気をつける」
よっぽど痛かったらしく、まだ触ったまま目に涙を浮かべて吃る。なんで、問題ばかりを起こす不良たちが大人しくなったのか嫌々ながら理解した。
「なんだ、なんで黙ってるんだ?」
「いや、すっごい痛くて、声でない」
「わあ、キスマークみたいに赤くなってるよ」
「うそっ!? この後テレビがあるのに」
「生放送の歌番組でしょ? 私、彼女いるってネットで広げとくから」
「悪魔だな! カワイイ顔して」
「じゃあ、俺も言い回る」
「ゴシップ記事にする気かお前ら!」
「さっきから調子に乗ってるし。ケンカ売ってるしで腹立つからな」
「謝りますから許してください。アイドルは噂が要なんだ。頼む」
「謝ったし許すか」
「そうだね。あの国民的アイドルに謝られたのってレアだよね。友達になりたいかも。ねぇー」
「俺、携帯ねぇし」
「私も。持ってたら普通に盗まれるし悪いことに使われる」
「俺は、簡単に捕まりたくないからな」
どこでも繋がるからこそ明日奈は持っていない。ただ唯は持っているが学校に持って行くことはしない。
「メアド交換したいなぁと思ったんだけど勿体ないなぁ。まあ良いけど」
「ああああ、良いなぁ。芸能人とメル友なんて最高。家に帰ればあるんだけど」
「じゃあこれ、名刺。メアドあるから」
「わあ、良いの? やった」
「俺は持ってないから、いらない」
名刺を唯だけではなく明日奈にも渡した。後で明日也に渡しとくかとポケットに突っ込んだ。
「やばっ、もうこんな時間か。本当ならもっと一緒にいたいけど仕事だし行かなきゃな」
「その痕、どうするの」
「コンシーラーでも隠せねぇな。まっ、炎上覚悟で出るかな」
「話題性が凄いことに、なるな」
「どんな楽しいことになるか見物だな」
「自分のことなのに、他人事なのが不思議。私もどう話題になるのか気になっちゃうかも」
「んじゃ、生放送楽しみにしててくれ。アスにラブコールするから」
「じゃあ、その間どっかに出てるかな」
「酷いなぁ、もう」
志波はそのまま手を振ると帰って行った。不思議な出会いで不思議な人に出会ったと明日奈は唯と見詰め合った。
「ローストビーフ、どうする?」
「食う」
「お腹空いたもんね。じゃあ、買いに行こっか」
そしてそのまま二人はローストビーフを求め近所の大きめなスーパーに行くことにした。
何がスゴいって、彼女は今まで会った人の名前を忘れてるということ。そして、印象的ということで安い月としか認識されていない国民的アイドル。
「で、俺が何も食えない状態なのに、豪勢にローストビーフ食ったってのか」
「だって、食べたかったし。それに割引になってたの。遅くに行けたから」
「そういう問題じゃねぇよ。俺は味もしない粥に食べた気がしない野菜ばっかだぞ」
「ヘルシーね」
「何がヘルシーだ! 美味い肉食いてぇよ!!」
「豆腐のステーキだったらしいじゃない」
「モノホンが食いてぇんだよ、阿呆!」
「じゃ、堅い野菜のチップス食べる? 昔に食べたカリントウっぽくないカリントウみたいだよ。三つ編みの」
「食えねぇんだよ、阿呆……くそっ」
全く美味しくないと連続で話す。特別、濃いものが好きだというわけではないのに、明日也の言葉は不思議で仕方がない。
「そんなに不味い?」
「味ねぇぞ、あれは」
「柊さん、大声で文句は言わないでくださいねー。点滴間違えて打っちゃうかもー」
「……」
「……こ、こわい」
隙間から覗いた白衣のナースさん。ホラー映画のようで声に抑揚のない棒読みが更に恐怖を掻き立てる。
あまりにも怖い光景に、明日奈は怯えてしまった。
「て、天使じゃない。あれは、悪魔だ」
「ああ、あいつは閻魔だ。逆らうと職権濫用をするからな」
「……あ、始まるね」
テレビをつけると小さめの映像から華やかなステージに司会者がいて、志波たちのグループが出てくると周りの観客の歓声が一際大きかった。
「スコア? 聞いたことねぇな」
「えっと、楽譜や得点って意味だね」
「そんなに顔良いか?」
「まあ、良い方だと思うよ。テレビ映えするし、その中でもこの人が一番顔が整ってるから人気あるみたいだね」
「……まあ、歌は耳に残るな」
「歌は上手だね。ダンスも」
トークが終わり歌を開始されるとマイクを片手に揃ったダンスをする。どれ程の練習を積めば、あんな綺麗なダンスになるだろうか。
「口パクじゃないの?」
「……んー、あ、歌詞間違った。照れた。周りフォローしてる。仲が良いんだね」
「へぇ、ちゃんと歌ってたんだ」
仲が良いグループで、それが作り物かどうか二人には分からないけど、肩を組み歌ってる姿は本当に楽しそうだった。
「こう見ると、カッコイイよね」
「……どこが?」
「えーっ、カッコイイよ。たぶん」
「で、あれがお前が押した痕か。なあ、風邪ひきのツボは?」
「風邪にだって症状はたくさんあるんだよ? どこが一番酷いの。とにかく万能ツボを押すよ、手出して」
明日也は左手を出して、そしてその手の合谷と呼ばれる人指し指と親指の間の押すには難しい場所を突いた。
「……っ」
「あ、ごめん。痛かったら言って。痛すぎると逆効果になるから言ってよ」
「いや、痛気持ち良い。頭が、ジィンとする」
「うん、それが良いんだって」
「変なとこ押すんだな」
「神経が骨の下にあるみたい。ちょっとコツがいるみたい。人によっては力がいるのに、強すぎてはいけないっていうアンバランス」
「へぇ」
『アスー、愛してるぜ』
画面からとんでもない発言が聞こえてきて、病室の中で悲鳴が乱舞していた。そして、にこやかな顔をする志波に二人はイライラしていた。