いろんなこと
「お金が足りない!!」
(ふぇっ!? な、なに?)
暖かい陽気に半分だけ眠りに就いていた頭を起こして声の主を見た。同じく寝ていたようで、腕を枕にしていた唯が頭を起こした。アクビで出た涙が目尻についていた。
「どうした?」
「あれ、あたしスーパーにいて会計の時に財布を出そうとして」
「足りないなら返品すりゃ良いじゃんー」
「銭湯の方だから無理」
「……ずいぶんと、凄い場所へ」
スーパー銭湯に花の女子高生が行ってたのかと、明日奈は遠い目となっていた。
唯の爆弾発言にまともに返した八朔までも言葉を失っていた。
「でも、お金が足りないとハラハラするよね」
「分かるー、返品するのも恥ずかしいしで最悪じゃ」
「それより、二人とも居眠りは止めな」
「ふたり? あたしと?」
神内はジトとした目で唯を見ている。明日奈はギクッとバレないように肩を揺らした。
間違いなく八朔は起きて鏡で自分を見ているし、宇城はマンガを読んでいる。
ああ間違いなく自分のことだと分かり書類で顔を隠した。
神内が顔を合わせない辺り、滑稽過ぎた。
「春じゃなくても、眠いのは眠いもん」
「学校内が丁度良い温度設定のせいでぇ、快適過ぎるからなぁ」
アクビを必死に耐えようとしたが、口が開くのは耐えられなそうだ。書類で口元を隠し何度もアクビをしてるが、目を見れば間違いなく気付かれる。
「もうお昼寝した方が捗るだろー?」
八朔も眠かったらしく提案までしてくる始末。本当に眠いらしく、明日奈はもう目を閉じていた。
「昼って、なんでこんなに眠いの」
「ねぇ、ふぁ、無理だぁ」
「アクビ、ふぁ、移る」
「仕方がない。このままじゃ、何も出来ないね。今から少し寝よう」
「やったぁ。おやすみー」
「おやすみなさい」
神内に真っ先に反応した八朔と唯はすぐにイスをリクライニングにして眠りに就いた。
明日奈は寝顔を見られるのを嫌うため、机に伏せて書類を頭から被せた。
「確かに眠いな。宇城はもう最初から寝てる。確かに暖かいし俺も昼寝するかな」
ソファーに横になると、自分の腕を枕にして少し体を丸めて眠りについた。ポカポカとした陽気に、太陽も差ほど強くないため快適に眠れていた。
「……ん」
ハラハラと書類が落ちる音で目を覚ます。床に落ちた書類を取り上げ時計を見ると三十分ほど眠っていたようだ。
「あ、昼休み終わった」
もう授業が始まっていたため、後から参加することが出来ないため黙って三人を見ることにした。
明日也から授業には無理に出ることはないと話していた。しかも、理由は授業中は無防備になるため狙われやすいと話していたからだ。
そんなこと言われなくとも学校嫌いな明日奈は自分から出るつもりはないだろう。
「んん、あれアス。おはよ」
「ああ」
「そうだ、アスに聞きたかったの。ツボって、どんな感じで押してるの?」
「……リンパとか詰まってると押すと痛いだろ。そこら辺を攻めると結構キツイらしい」
「あー、確かに痛い。それに不健康そうだしね、あの人たち」
「でもたまに、それとは関係ない場所を押してても苦しむ奴がいる。押した場所が全部辛いのかと思ったくらいだ」
「それって最強だよね」
唯はリンパ腺を流すように腕を擦っていた。肘の裏を指で押すと確かに痛くて、これを強く押したらガタイの良い男があっさりと負けてしまう。
「整体とかのツボはないの?」
「少し調べたことがあるだけで、あまり確証はないな。やってあげたことはないし。手加減が出来ないから」
「でも、簡易的なツボでも楽になるよね。手の親指と人差し指の間のヘコミは万能だと聞いたよ」
「まあ、色んなツボとして出てくるが」
「押すと気持ち良いよね。手を使いすぎると固くなるし」
自分の手でツボを押しながら答える唯。揉みほぐしていて、明日奈もまた自分でやってみると、結構固くなっていた。
「あっ! あたしのやってみて」
「……ああ」
席を立ちイスを持ってくると、近くに座って腕捲りをしてから手を差し出す。色白の手で綺麗だった。
握手をするように左手で軽く押してみた。利き手の右でやったら間違いなく容赦ないだろうから反対の手でやってみる。
「わあ、気持ち良い」
「手だけじゃなくマッサージって、気持ち良いからな」
「肩こりにも効くんだっけ?」
「ああ。あと、ここ、中指から中心にかけては疲労回復だったり、目覚ましだったりするみたいだ」
「あ、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「痛いのって、悪いってことだよな」
「ちょっ、ねぇ、お願……やめっ、痛い!」
「ほぐせば痛みは消える」
「だかっら、痛いって! もうツボは良いよぉぉぉぉぉ!!」
どうやらツボ押しサドは男女関係ないようで、薄ら笑いを浮かべながら押していく。爪を立ててるわけではないのに、体の力が抜けるほどの痛さに唯は少し涙を浮かべる。
「はぁ、はぁ。目覚めたよ。もう眠くない」
「凝りほぐれた」
「あ、ほんとだ。もう痛くない。すっごいスカッとする」
同じ力で押したが、先ほどまでの痛みがなくなっていた。やはりきちんとしたツボがある場所は治りやすいのかもしれない。
『効果には個人差があります』と看板を出さないといけない。
「あ、じゃあ女性特有の痛みも?」
「さっきの万能なとこだと何かで見た。足にもあるとか」
「へぇ、足かぁ」
「足と言っても裏じゃなくて、踝から指何本分か上にある場所。まあ一番は血液がドロドロじゃなきゃ痛くないんだってさ」
男として思われてる柊 明日也がなぜ女性特有のことについて詳しいのか、唯は問い掛けることはしなかった。
それは天然であるからなのか、それとも他に理由があるからなのか。
「足って、もう一つの心臓って言われてるよね。いっぱいツボあるし」
「昔は痛くなかった踏むやつ、今凄い痛い」
「トゲトゲのやつ?」
「ああ」
「あれ痛いよね。何秒も乗れなくて変な格好になっちゃう」
花の女子高生がずいぶんと若くなあ会話をしている。スーパー銭湯の時点で怪しかったが、会話だけ聞いてると高齢のように思える。
「あーもうイチャイチャ狡すぎー」
「イチャイチャしてないよ!」
「おはよう」
「おっはー、ってかアス寝なかったの?」
八朔は、赤くなり否定する唯を軽くかわして視線を明日奈に移す。リクライニングを直しギギッと音を立てて立ち上がる。
答えようかとしてると、宇城に目がいった。本を読んでるかと思えば、顔に乗せて寝ているんだと気付いた。
「……うっ、ふぁーあ。もう起きたんだ。おはよう」
「おはよう神内」
「寝坊助ぇー、ツンツン頭の寝癖」
「癖毛なんだよ。何もしなくてもこうなんだから仕方がないだろ?」
「なんで、髪を染めないんだ」
「あれ? アスに言わなかった?」
「いや、聞いてない」
名前を知らないため〔覚えてないだけ〕神内の目を見ながら聞くと、言葉を返されたがその内容にギクッとしながら冷静に答えた。
「昔は茶髪だったよね。アスが黒な方が似合うだろってことで変えたんだよね。何だかんだ神内もアスが好きだよね」
「嫌いだったらこんなことに参加はしないさ」
「……大人っぽい見た目に、反して少し言葉遣い子どもっぽい」
「そうかな」
唯の救いの手に助けられた。そして明日也が大事にされ好かれていることに、少しヤキモチを感じていた。
それは、どちらに対してなのか子どものままの明日奈には分からなかった。
「でもさぁ、神内ってさ学内だけじゃなく、よその学校でもモテるよなぁ。キザな部分少ないのに、腹立つほどにモテるからムカつくぅ!」
(分かるかも、女の子にモテるの。でも、ゴスロリちゃんがムカつくって言うの分かんない)
一つの言葉で賛否両論の部分があることに驚きながら会話がすぐに進んでしまうため追い付けなくなった。
「前に妹がテレビで、とある店が出てたんだけど、自分の住む県にはあるかどうか分からなかったんだよね。それを何て言ったと思う?」
「一緒に住んでないんだから分かんないよぉ」
「これ、どっかにあるよねぇだって」
「?」
「そりゃあ全国放送のなんだから、あるでしょ?」
「あー、なるほど。妹は自分の住むとこのどっかにあると言ったんだ」
「そうそう。でも、あたしは全国区で考えちゃったの」
単なる言葉の足りなさが生んだことなんだと神内の言葉で気付かされた。
それを理解したら、その光景が浮かび書類で口元を隠し笑っていた。
「すごい笑っちゃってね」
「何気ない日常の時だったら笑うかもねぇ。今は面白くねぇしー」
「悪かったわね、八朔」
「俺は、面白いと……思う」
「アス優しすぎぃー、甘えさせても意味ないよ」
「仲が良くて、良いじゃん」
自分のとこと違いがありすぎて、少し泣きそうになる。無口ではない兄のことをバレないようにするために口数が少なくなってしまい、単なる無口少年になってしまう。
「……ありがと。でもさぁ、確かに仲が良いけどケンカしたことがないのが困りもんなんだよね」
「しないのが、一番でしょー?」
「なんか、本気でぶつかってない気がして。妹に我慢をさせてるのかなって思っちゃうんだよね」
「姉が大人だから、妹が怒ることもないだけでは?」
「友達だって、ケンカする人やしない人がいるじゃん。要は相性だろぉ?」
困り顔の唯に神内と八朔は元気付けるように話すが、まだ納得していなかったのか複雑そうだった。
「ケンカするから良いとは限らないけどな」
「アス……、そうだね」
「結局アスが最後に持ってくんだよなぁ!」
八朔は唯の顔色が元気になったのを見て、ぶぅと膨れっ面となっていた。そして腕組みをして睨むように未だに揃って並んでいた唯と明日奈を見ていた。
「うっせぇ」
「ずっと寝てたのに、何それぇ」
宇城が目を覚まし不機嫌そうに本を床に落とした。八朔は彼の言葉に怒っていた。
「……出てく」
「勝手に出ていけよぉ」
宇城は半分寝ぼけたまま部屋を出ていく。八朔は腹が立っているのか地団駄を踏み続ける。
「もうっ、なんでアスはあんな奴を引き込んだの?」
「あたしは、どうやって引き込んだのかが謎だわ。だって、昔は一番の問題児で、不良を纏めてたリーダーだったじゃない。今は別の人だけど」
(それは私には分からないこと。ケンカ強かったみたいだし、何かしらしたんじゃないかな)
どういう人なのかは聞いていたが、一切頭に入っていない。
だから、どんな風に手懐けたのか謎だった。
「アス、なんか静かだよね。落ち着いてるし、ケンカ吹っ掛けないし」
(お兄ちゃん、あなた学校でなにをしているの?)
呟くように話した八朔の言葉は、もう苦笑いを浮かべさせるしかない。暴力沙汰にはしないと話ながら、吹っ掛けるってどういうことなんだと聞き出したい。
「それより、あたしたちもそろそろ授業出ないと。次の授業、あいつだからイビるんだろうなぁ」
「ボクあいつ、きらぁい」
「他の人は状況を分かってるから、不在でも見てみぬフリしてくれるが、アレは性格が最悪だしなぁ」
「珍しい、神内まで言い出すなんて」
(そういえば、女子二人は一年生だっけ?)
一人女ではないが、纏めて言うのに楽だった。一番の楽は会計だと話すことではないだろうか。
ちなみに、明日奈は二年生で神内と宇城が三年生だ。
会計二人が教室に行ってしまい、残された神内と明日奈はどうしようかと目を合わせた。
「……」
「ずいぶんと静かじゃないか?」
「そんなことない」
(やっぱり違うよなぁ。こんなんじゃ、お兄ちゃんみたくなれないよ)
怪しまれてしまったら、とその次の言葉は言わないため何をされるか分からない。それが怖いため、意地でもバレないようにしないといけない。
「……なんだよ」
「いや、華奢になった気がするって思っただけだ」
「ツボ……押されたいか?」
「遠慮するよ」
据わった目をする明日奈に神内は即座に手を振って拒絶をした。その行動もクールで隙がなかった。
「少し、見回りしてくる」
「俺も行くよ。暇だし、ね」
「ああ」
一人で行くと確かに怖いため、神内の言葉には救われた。
部屋を出て、見回りのために廊下を歩き始めた。
「なんか、だるいなぁ」
「まあ、面倒なのは仕方がないけどね。やるしかないさ」
「どうして、俺に協力するんだ」
「なんでまた、そんなこと聞くんだ」
「気になるんだよ」
(お兄ちゃんにどんな魅力を感じ、なぜ付き慕うんだろうか)
ふと神内の言葉に疑問を持った。彼だけではない、宇城もまた明日也を毛嫌いしていたにも関わらず生徒会に入っていた。それが気になるばかりだった。
「……理由か、顔がタイプだったからかな」
「嘘だろ」
「嘘だよ」
「からかうの得意だな」
「得意だな、からかうの」
ああ言えばこう言う。それを繰り返しながら歩みを続ける。神内は少し笑っていた。
「からかわれるのは、嫌い?」
「バカにされてるようで、好きなのいないだろ」
「意外にいるみたいだね。声をかけてくる子は大半は、してほしいと言うね」
「……呆れるとしか言いようがないな」
「そうだね。前に一緒にいた時に同じ目に遭ってると言ってたな『バカだろ』ってね」
(言いそうだ。絶対に間違いなくバカにしたような目で言うよ)
自分でも思ったのだから双子の兄もまた絶対に言わないわけがないと真っ先に思った。
「それからまた何回か来たのか?」
「みたいだね、懲りずに。まあ、でも一番しつこかった人はアスのおかけで来ることはなくなったな」
(むしろ、その彼女に同情してしまいそうなんだけど。お兄ちゃんに酷いことされたんだろうな)
自分の兄にストーカーがいたことを知っていて、一緒に出掛けていた日に近付いてきたけれど、明日也は凄く嫌そうな顔をしてため息を吐くと、そのストーカーを連れて路地裏に行くと数分で明日也だけが戻ってきた。そして、その後彼女を見ていない。
「何したのか聞いても答えてはくれなかったな」
「どうした?」
「ストーカーってのも、鬱陶しいもんだな」
「そうだな。しかも何が嘆かわしいって校舎の中でも危険があるってことさ」
「危険……」
「男でも女でも狙われるからさ」
「なるほど」
「はははっ、アスだって狙われたじゃないか」
「忘れたよ、そんなこと」
「アスらしいね」
(そういえば、お兄ちゃんも私ほどではないけど、どうでも良いことはすぐ忘れるなぁ)
神内は腰に手を当てながら微笑んだ。けれど見てる方は真っ直ぐと廊下の先だった。
「なんか騒がしいな」
「確かに」
中庭に向かうと声がしたが、それは一人の声ではなく複数の声がした。
「さっさと金を出せつってんだろ!」
「強請?」
「恐喝だな。良い度胸だな、俺たちの前でやるなんて」
「来るとは思ってないんだろ」
「じゃあ俺は大人しくしてるかな」
わざとらしく両腕を上げて降参だとも言いたげな風だった。そして明日奈の出番なんだと落ち込みつつ中庭に近付いていった。
「何してるんだ」
「げっ、生徒会」
「しかも総長自らかよ」
一人の生徒を囲んで四人制服を着崩している生徒たちは、突然やって来た明日奈に顔をひきつらせる。
床に倒れてるメガネを掛けた少年の服に靴跡があるのを見た瞬間プチンと何かが切れた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だろ、一人だけだしな。やっちまおうぜ」
もう一人いるのは分かっていないが、彼はケンカに参加するつもりはない。
タイマンなら負けると考えた彼らは、一斉に襲いかかってきた。
全てがスローモーションのように見えて、近くにいた長髪の男の喉元に目掛けて手を伸ばした。
「かはっ!」
一気に酸素が消え去り、喉が一瞬で焼けたのかと勘違いするほど熱くなり痛くなった。
押し上げる手を痛みから開放されたくて払おうとしたが、力が入らなく床に倒れた。
その二弾、リーゼント頭の男が右手を上げながら殴りかかってきた。
その手首を掴み前腕の一部分を左の親指で押すと、男は目を見開いてもがいて逃げるように、左手で払おうとしたがだんだんと強くなる。
「あー、面倒かな」
残り二人になると意識がある人たちが邪魔になってくる。腕を掴んでいた男の首元に空いていた右手の親指が食い込んだ。
さっきまでのツボとは違い呼吸が止まる。それは一瞬のことだったが、急所だったらしく意識を失い横に倒れた。
そして最初、地面にいたツボの被害により跪いていた男にも同じように気絶させた。
「二人目……、次は誰だ?」
「っ、ゆ、許してくださいー!!」
「ずっ、ずるっ! てめぇ、逃げんな!」
加害者も被害者も無傷でいるためか、残る二人はすぐに逃げ出していた。ツボ押ししていたが手から離れてしまった瞬間、冷めたように呆れていた。
「うげっ」
「がっ……、う、宇城」
走り去ったと思われる廊下の方から声が聞こえ、すぐに引きずる音がして、すぐに中庭の地面に先ほど逃げた男二人が倒れた。
「……おう」
「おまえ、なに逃がしてんだよ」
「弱いもの苛めは嫌いだからな」
「良く言うぜ。サドが」
「それより、規則違反じゃないのか? 暴力は」
「身に降りかかる火の粉を払うのには問題ねぇだろ」
「……自己防衛って言いたいのかよ。分かったよ、今回は不問な」
「つーか、逃がせば後で痛い目見るって言ったの、てめぇだろが」
「忘れたよ、そんなこと。で、大丈夫か? 立てるか? 金盗まれた後だったか?」
「立て続けに聞くと疲れるよ。少し落ち着かせてやりなよ」
「神内、てめぇ隠れてやがったな!?」
「うるさいぜ、黙ってるってこと出来ないのか?」
「んだと!?」
隠れていた神内が出てくると、怒りのボルテージが最高潮になる宇城。
カツアゲされていた少年は怯えながら、中腰で話を聞いてくる明日奈を見上げる。
「怒鳴れば良いってものじゃないし」
「丁度てめぇとは決着つけてぇと思ってたところだ。おもてに出ろ」
「外出したい気分ではないんだ。残念だね」
「俺に勝てないから気弱になったのか?」
「直球な考え方する人は安易だ。そう思いたければ、それで良いんじゃないか?」
暖簾に腕押し、あまりに絡み付いてもマジシャンのように脱け出すのが上手い。
これは間違いなく宇城の敗けだった。
「怪我は?」
裾を上げるように引っ張り上げてからしゃがむと、男と目を合わせた。
怯えているせいか、目をあちこちに動かしている。
「だ、だ……だだだだ、大丈夫、です」
「金は?」
「あ、あまり僕持ってません! だ、出せるお金がないから、ゆ、許してください」
「勘違いすんなよ。取られてないんだな?」
「は、ははははい」
さっきの質問と同じことをしたはずなのに勘違いする男にイラッときていた。
明日奈の言い方が悪いということを彼女は気付いていない。
「こいつら、手を出したのは初めてか?」
「は、はい」
「次、どもったら痛いとこ押すから」
「……」
男は何も言えなくなった。生徒会の噂も総長の噂も聞いていたため、正直なところ怖すぎて仕方がない。
「保健室に行った後、書類書いてもらうが放課後残ってろよ」
「わかり、ました」
「アウトじゃね? 今の。よしっイライラしてるから殴らせろ」
「ひぃっ!」
「邪魔すんな」
「……!」
宇城の空気の読めない発言により、明日奈は半目の状態で立っている宇城を睨み上げた。
双子で妹という状況だろうが、やはり顔がそっくりなため宇城には明日也がそこにいるような錯覚を感じた。
「眠いんだよ、こっちは」
「さっき良いだけ寝ただろうに。まあ、眠いのは眠いな」
目が虚ろだったのは単に眠気がやって来たからだった。何分か寝たとはいえ、満足できる睡眠ではなかった。
「一人で行けるか?」
「恐い、です」
「何がだ」
「また、不良たちがやって来るんじゃないかと」
「じゃあ俺が着いていってやる。ここで寝てる奴らの対応は任せた」
「任されたよ」
「俺はやらねぇからな」
「それは好きにしなよ」
立ち上がった明日奈に軽く答える神内。ヤル気なく床に倒れてる人たちを見下ろすと、神内の冷たい言葉に軽く話した。
「あー、そうかよ。じゃあ俺は早退する」
それだけを話すと、さっさと中庭から出ていった。明日也が彼を手懐けるのは難しいし無理だと話されていたため、ほとんどは放置をすることに決めた。
「一人で立てるか?」
「大丈夫、です。見た目ほど酷くない」
明日奈が触れることなく立ち上がる少年と二人で、一階の玄関近くにある保健室に向かうことにした。
保健室の利用は、中学生の頃が一番多かったと言葉にはせず考えていた。
(あー、怖かった。お腹も空いたし、こんな日がいつまで続くんだか)
何日いようと慣れることなく、未だに怖さがあった。しかも、動き回ったせいか空腹になりグゥと鳴っていた。
「……あれ、いないのかよ」
「みたいですね」
保健室に着くと扉を開けて中を覗いたが、保険医がいなくてがら空きだった。
「まあ、とにかく座れ」
「えっ、は、い」
何かされるんじゃないかと少年は怯えていた。そこまでに酷い噂しかないからだ。
ベンチ型イスに座ると、足を揃え手を太ももの上に乗せて背筋をピンと伸ばした。
「服を脱げ」
「ひっ、あ、いや……えぇ!?」
直球な言葉に怯えのメーターが吹っ切れて、イスの上で体育座りをして背凭れに必死にしがみついた。
「怪我してないか見るんだ」
「あ、そっち……」
「なに勘違いしてんだ」
「……えーっと、すみません。変なこと勘違いして、ました」
どう考えても勘違いするしかない。理由は分かっても、脱ぐのに抵抗はあった。
明日奈は救急箱を探して、ようやく見つけ近くのテーブルに置いた。
少年は少し照れながら腕や腹回りの服を捲って、怪我が酷くないか見回した。
赤く擦れてるところを除いて、出血してる部分は殆どなかったようだ。
「……っつ」
「そりゃ滲みるよ」
消毒液を大量に吹き掛けて、タラタラと雫として服を濡らしていた。清浄綿で拭き取ってあげていた。
「そんなにやる必要あったの」
そう呟いたため、ジィッと顔を見つめた。分厚いレンズの黒縁メガネ。肌は綺麗でも目が良く見えない。形の良い唇は固く結んだまま一文字だった。
「な、んですか」
「なんで敬語止めたんだ?」
「すみません!」
「別に良いけど、服着たらどうだ。終わったし」
「ありがとうございます」
服を着てはいるが、上げてるだけでずっと腹を出していた。
赤い傷跡が目立つほどに色白の肌。いかにも引きこもりのような病的な色だった。
「何年?」
「三年生です」
(げっ、年上? ってか、この人……)
明日奈は見た目年齢に惑わされ、てっきり年下とばかり思っていた。しかも、さっき何かに気付いたようだったが、相手に気付かれないように驚いた。
「って、授業中だろ今は」
「あ、その、遅く来てて……」
授業中という言葉としては明日奈も人のことはいえない。
その事を言う度胸もないため、当たり障りのないように遅刻した理由を続けた。
「電車が事故って、来るのが遅れたんです」
「怪我人はいなかったのか?」
「何人かが救急車に乗ってたけど、話を聞く分には大怪我はないようです」
ニュースを見ていない明日奈にとって驚きの話で、帰る頃には大丈夫かなぁと暢気に考えていたが、電車が復旧したから来たということに気付いていない。
「目、そんなに悪いのか?」
「まあ、そうです」
「マンガみたいなメガネだな」
「良く言われます」
「いつも、あんな目に?」
「いえ、今回が初です……あの、職務質問ですか?」
「いや?」
「顔が近いです」
良く観察するためか、目を細めるように睨みあげる。ベンチ型のイスの両隣に座って、座席に両手を置いて至近距離に顔を寄せるにも関わらず、照れがない明日奈。
顔が近付く度、少し距離をとって後ろに下がる少年。左脇を必死に背凭れに挟めていた。
「そういや、名前なんだ」
「安月」
「あつき?」
「です」
「ふぅん、珍しい名字だな」
「いつも、安っぽい月かよってふざけられました」
「センスねぇな、そいつ」
「あははは、そうですね」
響きはカワイイと思ったが言葉には出来ず沈黙の時間が続いた。
相変わらずの近距離に安月は少しどぎまぎとしていた。明日也の双子の妹でもあるため、一応は整っている。そして女でもあるため、明日也よりは柔らかい表情。
「……」
(なんで、ドキドキしてるんだ。相手は男だ)
安月は戸惑っていた。女だと思わない彼にとって、心拍数が上がることに違和感しかなかった。
彼なりに今まで好きになってきた相手はもちろん異性だった。
「あ、チャイム。まあ、調書は今聞いた分で良いや。寄らなくても良いから」
「え、あ、はい」
「吃るな」
「すみません」
「ほんと、盗まれてないよな。再三聞くけど」
「大丈夫です。心配かけました。あ、助けてくれてありがとうございます。言うの遅れました」
「ふぅん、それなら良い。じゃあな、気をつけて帰れよ」
「はい、お世話になりました」
頭を下げる安月に明日奈はイスから立ち上がり、満足そうに話を聞き終えると保健室を出ていった。
保健室に安月だけが残ると、姿勢を変え足を組みメガネを外した。
お約束のように、整った顔立ちでパッチリとした大きな黒い猫のような目にパーツ一つ一つが綺麗な物だった。
「噂ほど怖くはないな、あんなのが総長とは、ここも落ちたな」
物騒な言葉に不気味な笑い方。人を見下したような冷めた目になる。
生徒会室に戻ると先に戻っていた神内が部屋の掃除をしていた。黙々としていたのか、ピカピカとなっていた室内に感動していた。
「あれは危険だね」
「……?」
「ああ、帰ってきたんだ。おかえり」
「ただいま」
ぼそりと話したことの意味は分からないが、神内は明日奈に気付くと近付いてきて頭を撫でる。
「誰にでもやるのか? こんなこと」
「あー、なんか撫でやすい感じがしたんだよね。何でだろうな」
「……知らない」
「何もなかった? 何かあっても面倒だけど」
神内はすぐに手を離したが、言葉の真意は明日奈にしか分からない。だが、次の言葉は何のことか分からなかった。
「何かって、なんだ」
「何かだよ」
「面白いことは特別なかったな。ただ強いて挙げるなら、安月っての結構鍛えてる。ソフトマッチョってやつ」
「裸見たんだ」
「怪我してないか確認のためにな。ってか男の体見て興奮するか?」
「いや、普通はしないな」
神内は明日奈の言葉に笑いを堪えられなかったようで、クスクスと笑いながら答える。
興奮しないと話したが、興奮する暇もなかったというのが正直な感想だ。それに自分を男としているため、その発言にもなった。
「じゃあ、俺の体を見ても興奮しないのか」
「するほどに自信でもあるのか」
「相変わらず、ジョークが通じない。というより、流すのが上手すぎ。ちょっと寂しいよ」
(人に対して何の感情も持てないのも理由かもしれない。恐怖はあっても、愛や友情を持ったことがない)
感情を持てないからこそ、ときめきやカッコイイという感情以上が持てない。それが悩みどころでもあった。
「好きになった人はいるのか?」
「なに、その質問。予想外だなぁ」
机に寄りかかるように座る神内、苦笑いを浮かべ目線は書類の並んだ棚を見ていた。
「昔にいたよ、あの人以上に完璧な女性はいなかった。だからこそ比べてしまうんだ」
「そう完璧なら、他の人では満足出来ないだろ」
「そう、だね。ふと思うんだ、俺に対する感情は、みんな同じなんだって。結局、アクセサリーのように綺麗でならなくてはいけないっていう決めつけ」
「自画自賛かよ」
「みんな、そう言うんだ。俺個人でなく、自慢したいから付き合ったってね」
「……ひどいな、それは」
「でも、それでも近付いてきてるから、困ったりしたことはないな」
「どっちもどっちか」
「そうだね、結局、俺も同類さ」
嘲笑いの表情に変わる。一番まともそうな人が女たらしだったってことに明日奈は一番の驚きだ。
「女たらし一号、だな」
「二号がいないことを望むよ」
「でも、人間味あって良いんじゃないか? 完璧すぎる人形なんて、抱いてもつまんないだろ」
「ははっ、直球だな。確かに体だけ人形ならすでにあるからな」
「俺は、おまえが完璧な奴だとは思ってない」
「それは光栄だね」
「どことか知らないけど、ほとんど勘だ」
「……あはははっ! 勘か、特別理由がないのか、そっか」
神内は一通り笑った。明日奈は口が滑ったように話したが、全く何も考えていない、そのことがツボにはまったようだ。
明日奈はどこか抜けてるところがあるが、本人はそれは本気で答えてることから気付いてはいない。
「あれ、神内が笑ってるなんて珍しい」
「何か盛り上がる話でもしてたのかぁ?」
唯と八朔が戻ってきた。神内の笑い声が廊下まで響き届いていた。声を大にして笑ってるのがレアだと穏やかな雰囲気で会話している。
「いや、自惚れていたかなと思っててね」
「自惚れ? なんの話?」
「アスと二人だけの内緒話かな」
「えー気になる」
「裸体についての談義だ」
「なっ! ちょっ、それは色々とあたしには刺激が強いかなぁ?」
「ボクも参加したいー! ボクの体もけっこう筋肉質だぜ。ほら、見た目分からないだろぉ?」
「腹はやっぱり男なんだな」
「そうだぜぇ? でも触ると筋肉あるの分かるんだ」
上着の裾を上げてちらりとお腹が見える。どんなに女の子らしくとも男のウエストにしか見えない。筋肉があるようには思えず、くびれのある綺麗なお腹。
「本当だ、筋肉ある。相撲取りと一緒か」
「え? そうなの?」
「ああ、聞いた話だが、あの脂肪の奥には筋肉があって、ちゃんと割れてるらしい」
「ふぇー、雑学新しく覚えさせられたよぉ!」
「どこで役立つか不明な雑学だ」
明日奈が実際に触ると脂肪の奥にゴツゴツとした肌触りがあった。不思議な感覚で、映像がパッと閃くように頭に流れたことを呟くと、八朔は欲しくなかった雑学が頭に入ったことを嫌そうに言う。
神内は知っていたのか、ニコニコと笑うだけだった。
「こういう時に役立つだろ」
「確かに」
「なんか、神内とアスが仲良すぎー。ちょっと嫉妬だ、このやろー」
「……八朔、そろそろ服下ろしたら? みっともないよ」
「あ、それは失礼しました」
ずっと沈黙となっていた唯は、服を上げたままの八朔にお腹が下すと思い親切心から助言をすれば、すぐに服を下ろした。
「そうだよ、せめて三秒だけでも悩んであげるのが優しさよ」
「唯、短すぎぃ!」
「お笑いトリオになれるよ。売れないだろうけど」
「ゴスロリ制服なのに、毎日違うんだな」
「手作りなのだよぉ」
「へぇ、手先器用なんだな」
「アスも欲しい服があったら作ってあげるね」
「遠慮する」
「はやっ! もうちょっと悩めよぉ!」
地味な毒舌合戦になっていると、明日奈は楽しんでいた。
あまり人と長く話すことが出来なかった自分の変化に驚いていた。
「なんか不思議な日だ」
「そうだね、色んなことがあった」
「何があったんだぁ?」
今日の出来事を思い出すように話していた。まるで長い長い時間を一日として凝縮させたようで贅沢な日だった。
話を聞き終えた八朔と唯は、新たな出会いの安月に対して良い感情を持つことはなかった。