壱、
「つまんねぇ。」
綺麗な満月の夜だった。
白髪に黒い着物、足袋に草履、狐のお面を付けた男は、地面に足を着けず、地面と並行に滑るように、夜の街を徘徊していた。
人間ではないその男は、不機嫌そうに満月を見上げた。
「怨霊神殿こんなところにいらしたんですね。」
「何処にいようとお前には関係ないだろ。とっとと失せろガブリエル。綺麗な月が台無しだ。」
「まぁそう怒らないでくださいよ。上からの命令であなたから目を離すなって言われてるだけですよ。」
怨霊神は鬱陶しいという目つきでガブリエルと呼ばれた男を睨みつけた。
「上の奴らに伝えろ、くだらない詮索をするな。伝えなかったら背中の羽を引きちぎるからな。」
怨霊神はガブリエルに背を向け、何処かへいってしまい、ガブリエルの方は一礼してそれを見送った。
人間に神や天使と呼ばれる類、天界人の住む天界に、怨霊神と呼ばれるそれは住んでいた。
しかし怨霊神とは名ばかり、まわりの神とは実質上、身体のつくりから生い立ちまで、何もかもが違った。
"神"とは、時間、生と死、幸福などで、人間を管理するために選ばれた天界人のことを指す。
ところが、人間の悪く汚く醜い部分などが世界に溜まり続けると、やがてそれは力を持ち、人格を持ち、人の形となる。怨霊神もその一人。
人間がはじめて罪を犯した時、彼はこの世に存在するようになった。最初は弱く、力もなく、今にも消えそうな存在だったが、人間達が汚い感情を放ち、それを毎日毎月毎年と吸収していった彼は、いつしか強い力を持つようになった。それを危険と判断した天界人達は、彼を天界に住まわせ管理下に置いたのである。
怨霊神は人間の住む下町まで来ていた。ガブリエルがついて来ると思うと鬱陶しかったし、何より面白いからだ。
どうやら祭りをやっているようで、夜だというのに太鼓や笛の音がした。
出店や露店がズラッと並び、その奥に神社が見えた。
地面に足を付けて、久々の感覚に浸っていると、お面を付けた子供達が、怨霊神の体をすり抜けていった。人間には見えないし、触れることもできないのだ。
しばらくブラブラと歩いていると、酒屋があったので、並べてある一升瓶の中から一つ選び、代金を置いてから頂戴した。それを持って神社の祠に行くと、そこでは神社を守る土地神達が宴会をしており、賑やかだった。
「俺も混ぜてくれよ。」
すると気前のいい返事が返ってくる。
「おう若いの、そこに座んな。」
宴会が再開する。俺はすっかり日本に馴染んでいた。
人間の負の感情が溜まりに溜まると、俺のような存在がいくつも発生し、それを悪霊と言い、それらをこの身に封じるのが俺の役目である。まぁ餌程度にしか思ってないけど。
悪霊は天使達が集めて俺のところに運んでくる。
だが偶に強い力を持つ悪霊がいると、天使達の手には終えられないので俺自らが喰らいにいかなければならない。
日本に来たのもそんな理由だった。
だが、俺は日本の魅力に引き込まれた。欧米や西洋にはない良さがあった。
そして何よりもそこに住む人や土地神達の温もりがあった。
天界いる間、ずっと白い目で見られる俺にとっては最高に居心地がよかった。
俺が身につけている着物も、土地神達が俺に選んでくれたモノで、狐面は顔を隠すのにピッタリだったし付けると落ち着いた。
俺はこうやって天界から抜け出しては日本に度々遊びにいった。
「ひっく、もう飲めねぇ…。」
持ってきた一升瓶はもうとっくに空でその他の酒瓶も床にゴロゴロと転がっていた。
「なんだ?もう終わりか?兄ちゃんもまだまだだねぇ。」
「あんたも足がフラッフラじゃねぇか、ひっく。」
気がつくともう夜明けで、そろそろ終わろうと立てる者だけで片付けをした。
「そういえば兄ちゃん、自分の神社はあるのかい?」
「いや…持ってない、フラフラしてるだけさ。」
どうやらそこいらの九十九神だと勘違いされているらしい。
「なんなら兄ちゃん、ここいらに狐の爺さんが守ってる神社があるんだ。そこへ行くといい。色々と面倒を見てくれる。」
へぇーとその時はあまり気にしなかったが、天界の家に帰って布団に入ると、その神社のことが頭から離れなくなってしまった。
それも何かの縁か、行ってみよう。
そう心の中で決めると、すぐに夢の中に意識が沈んでいった。