番外編11-3
「あぁ、面白い。今年、一番笑いましたよ。で、八〇三の件でしたね」
ちらりと手元の資料に目を落とした。
「さっきも言いましたけど、メモリパーツ交換のついでに記憶をリセットしたんです。なにか問題でも?」
ぎりりとアンズが奥歯を軋ませる。
「リセットを頼んだ覚えはありません! 元に戻してください!」
「そんな必要はありませんよ。八〇三は初期教育の結果が芳しくなかったんです。かなりスペックが悪かった。リセットしてやり直す方がいいでしょう」
「いいわけありません!」
頬を紅潮させて怒鳴る。
「スペックは低かったかもしれません。でも、わたくし達にとっては、大切な友人だったのです!」
「はは。あんなオートマトンが大切な友人! あぁ、もう、面白い」
エンジニアの女性は文字通りお腹を抱えて笑う。
「ふう。いやいや、お嬢さんの気持ちは解りましたよ」
メガネを外して、溜まった涙を指先で拭う。
「しかしね、お嬢ちゃん」
メガネを掛け直した。
明らかに見下した目つきになる。
「お前みたいな子供の感情なんてさ。こっちは知ったこっちゃないんで」
「なんですって!」
「あのね。これは商品化についての大事なモニタリングなの。いい? 商売なの。慈善事業じゃないの。ちゃんと結果を出さないといけないわけ。解る? あんなスペックじゃ、データにもならないの。だからリセットしてやり直した。それだけなの」
「モニタリングだから、何をしてもいいと言うわけではないでしょう!」
「はいはい。そういうのはお金を出せるようになってから言ってね。ということでこの件は終了。クレームは受け付けませんので」
そう残して、一方的にコールを切った。
「ちょっと! 待ちなさい! 話はまだ! もう!」
アンズが床を乱暴に踏み鳴らした。
「これは調理中の食材ですね」
透き通った感情のないの声に、アンズが視線を向けた。
オートマトンはいつの間にか調理台まで移動。
途中で放置されたままの食材を指差していた。
「私には基本的な調理プログラムがインストールされています。よろしければ、お手伝い致しますが?」
「触らないで!」
オートマトンの手が包丁に触れる寸前で止まる。
「その料理は、わたしくが大切な友人のために準備した物です。あなたが触れていい物ではありません」
ぐっと拳を握る。
「そう。わたくしが大切な友人のために、心を込めて準備したのです」
自分に言い聞かせるように繰り返した。
大きく深呼吸。
滾っていた心を落ち着ける。潤んでいた瞳から温度が消えた。
「そこで待っていてください。周りの物には一切手を触れないように」
「解りました」
オートマトンに指示を出すと、ゆっくりと自室に向かう。
* * *
アンズの部屋。
デスクの引出しの奥から取り出したのは、手の平サイズの通信端末。
小型ディスプレイとヘッドセットだけの簡易な物だ。
ヘッドセットを被ると、電源を入れた。
待つ事数秒。ディスプレイに初老の男が映った。
濃紺のラウンジスーツに、落ち着いた色のタイ。白い髪と口髭は上品に整えられていて嫌味がない。
やや目じりの下がった瞳は知性に輝いており、引き締まった口元が意思の強さを表していた。
「姫様、いかがなされました?」
低い落ち着いた声で尋ねる。
「ミスタークィンシー、アマミインダストリーへの融資を即刻中止してください」
アンズの言葉に、ディスプレイの紳士、クィンシーは僅かに眉を動かした。
クィンシーはアンズが生まれた時から執事として仕えている。
幼少の頃、教育係も務めていた。
アンズが家中でもっとも懐き、絶対の信頼を置く使用人。
またクィンシー自身にとっても、アンズは特別。孫のような存在だ。
筆頭執事という立場でありつつも、アンズからの連絡は直接受ける事にしている。
そんなクィンシーだから、アンズの異常な様子には直ぐに気付いた。
「どうなされたのです?」
「細かい事は後で話します。アマミインダストリーへの融資を即刻中止してください」
アマミインダストリーは財閥に関わりの深い企業のひとつ。
いきなりの融資中止とは穏やかではない。
返答に迷うクィンシーに、アンズは更に続ける。
「加えて、グループ内の企業にはアマミインダストリーとの取引を禁止するよう通達してください」
クィンシーの表情に驚きが滲んだ。
アンズの意図は明確。アマミインダストリー潰しだ。
アンズの家は人類文化圏屈指の財閥である桔梗グループ。
その力は大きい。少々の規模の企業は睨まれただけで詰む。
ましてアマミインダストリーは、桔梗グループの末端会社。
籠の鳥をマシンガンで撃ち殺すようなものだ。
「姫様、仰っている意味が解っておられるのですか?」
「当然です。早くなさい」
「父君様はなんと?」
「父には話していません。わたくしの独断です」
アンズの父は現在桔梗グループの実質上トップ。
こんな暴挙を許すはずがない。
クィンシーがアンズを見つめる。
温度が消えた冷たい瞳。その奥にちらちらと怒りが燃えているのが解る。
「かしこまりました」
了承の意を示すと、懐から通信用の端末を取り出し指示を出した。
「父君様には、明日にでも私から連絡しておきます。ところで姫様、なにがあられたのです?」
「特に、なにも」
即答する。
その表情は一切の変化が見えない。まるで仮面のよう。
アンズは喜怒哀楽が激しい。
財閥の中では不利と思える特性だが、クィンシーには最も好ましい点のひとつ。
だが、それをコントロールする術を学んでいるのも確か。
まだまだ未熟ではあるが、感情に押し流される事などないはず。
「私にも話せないことですか?」
卑怯と悟りつつも、そう聞き直す。
しばらくの間。じっとりとした沈黙の後。
「いえ、ミスタークィンシー。貴方には話しておくべきですね」
アンズは小さく息をついた。
「今日、大切な物が奪われました。絶対に許せません。報復すると決めたのです」
「それはグループの力を使うほどの価値がある物だったのですか?」
「……わたくしにとっては、掛け替えのない物のひとつなのです」
「解りました。姫様がそう判断されたのであれば、私はその決断を全面的に支持致します」
「ありがとうございます」
「細事は私にお任せください。アマミインダストリーからの通信のみ、直接そちらに行くように手配します」
恭しく礼をするクィンシーに、アンズは深く頭を下げた。
* * *
クィンシーとの通信を終えて数分。
アンズがアマミインダストリー関連の資料に目を通し終えたと同時に、コールが入った。
ディスプレイに映ったのは、五十代後半くらいの男性。
恰幅が良く、スーツはぴちぴち。頭髪は半ば以上後退している。
丸々とした顔には血の気がなく、ぎょろりとした大きな目は不安気に泳いでいる。
「突然融資を打ち切るとは、どういう……」
「無礼な!」
唐突に切り出した男をアンズが一喝。
「わたくしを誰だと思っているのです! 桔梗グループ継承序列六番に位置する人間です! そのわたくしに対し、名乗りもせぬとは無礼にもほどがあります! 最早、話すことなどありません!」
唖然とする男に捲くし立てる。




