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【02-03】

「キリシマ」

 

 静まり返った教室に、澄んだ声が響く。

 

「ゆゆゆユキナ教官に敬礼!」

 

 半ば裏返った号令が飛んだ。

 全員が慌てて踵を鳴らし、敬礼の姿勢を取る。


「よし、そのままだ」

 

 小さく頷くと、目をゆっくりと移動させる。

 生徒達から教壇の近くに立つフリルの塊に。

 

 鋭い視線にフリルの塊がゴクリと喉を鳴らす。

 興奮で紅潮していた頬が、すっかり色を失っていた。

 

 ユキナは隣のクラスの担当教官で、学年主任の立場にある。

 ミユと同じ学区出身で、一年先輩。軍では同じ部隊だった。

 いつも気まぐれで好き勝手に振舞うミユが、唯一苦手とする相手だ。

 

「先輩、これは、あの、その」

 

 ミユの声は震えて、聞き取れないくらい小さい。

 

「ミユ、朝から随分と賑やかだな。元気で明るいクラス、なかなか良いじゃないか」

 

 にっこりと微笑む。

 鬼のユキナと言われるほど、厳しい指導で定評のある彼女にしては珍しい表情。

 初めて目にする生徒も少なくない。

 

 が、その表情にミユは安心するどころか、更に恐怖の色を濃くする。

 

 長い付き合いのミユには解っている。

 これがユキナの怒りが頂点に達した時の顔だ。

 

「ただ少し騒ぎが大き過ぎないかと思ってさ」

「おっしゃる通りでございますです!」

 

 ぺこぺこと頭を下げるミユに向かって、ユキナが踏み出した。

 一歩一歩、ゆっくり時間を掛けて歩を進める。

 

「ミユが悪かったです。反省しています。もう二度としないですから」

 

 逃げ場はない。

 確実に近づいてくる恐怖に為す術もなく、懸命にごめんなさいを繰り返す。

 

 眼前で足が止まった。ミユが見上げる。

 

 実際には三十センチくらいしか差がないはずなのに、数倍は大きく錯覚してしまう。

 

「あの、あの」

「ミユ、私は褒めてるんだよ」

 

 相変わらずの笑顔。

 でも許す気がないのは明白。だって目が笑ってないから。

 

 ミユの肩にそっと手を回すと、軽々と引き寄せた。

 

 見た目と裏腹に、それなりの腕力があるミユだが、力の桁が違う。

 

「あわわわ」

「ちょっと廊下で話そうか」

「いやぁ! いやですぅ! 誰かぁ! 助けてぇ!」

 

 なんと逃げようとするミユを引きずって、ユキナは瞬く間に教室の外に出る。

 

 生徒達はただ見送るのみ。

 敬礼のままというのが、何か特別なセレモニーみたいだ。

 

 ドアが閉まったところで、ようやく敬礼を解いた。

 ユキナの怒りが飛び火しなかった事に安堵しつつも、愛すべき担当教官の処遇を思う。

 

「大丈夫かな、ミユちゃん」

「すっごく怒られるんだろうな」

「自業自得って言えば、それまでだけど」

「あのフリルはやっぱマズくね?」

 

 案外、冷たい意見が多い。

 ミユが何かをしでかして怒られるのは月に一度くらいはある。ぷちイベントなのだ。

 

「やっぱりこうなったか」

 

 溜息を溢すソネザキに、ドルフィーナは性悪な表情を作る。

 

「いやいや、これで最良なのだ。何事にもオチが付かないとダメだろう」

「血も涙もない感想だな」

「オートマトンだからな。そんな物はなくて当然だ」

 

 

                       * * *

 

 

 十分後、教室に戻ってきたミユに、全員が先刻以上の衝撃を受けた。

 世にも奇妙なフリルお化けが、世にも地味なエンジのジャージ姿に変わっていたからだ。

 

 ふわふわと綺麗にカールしていた髪も、首の後ろで硬く留められていた。しかも輪ゴムで。

 唯一残された首のチョーカーがあまりにアンバランスで、一層哀愁を誘う。

 

 力のない足取りで教壇に立つと、大きく鼻をすすった。

 

「うぅ、みなさん、おはようございます」

 

 掠れて弱々しい声。

 目に溜まった涙は今にもこぼれそうだ。

 

「今日は十月十日ですね。お待ちかねの演習日ですよ。みなさんの端末に資料を送付しておきました。後は、それに従って行動して下さい」

 

 時折、声を詰まらせながら、どうにか最後まで告げた。

 

 全員がポケットから携帯端末を出す。

 手帳サイズのそれは通信機能やスケジュール管理、支給品の申請までできる優れ物だ。

 

 ミユの説明通り、今日の演習についての詳細が書かれている資料が届いていた。

 各々が目を通す。

 

「後は頑張って下さい。私は体調が優れないので帰ります」

 

 肩を落とし、ふらつきながらドアに向かう。

 あまりに憔悴した様子に、誰もが無言で退室を見送るしかできなかった。

 

 が。

 

「先生!」

 

 透き通った声。

 クラス中の視線が声の主に移動する。赤味のある長い髪をポニーテールに纏めた少女に。

 

 ミユの力ない姿を見て、半ば反射的な行動だったのだろう。

 コトミは椅子を蹴って立ち上がっていた。

 

「先生、元気出してください。ボク達はいつも明るく優しい先生が大好きなんです」

 

 ゆっくりとミユが振り向く。

 その表情は普段から想像できないほどに暗い。

 

「ありがとうございます。コトミさんは優しいのですね。でも、今のミユは人前に立てる自信がありません。だって」

 

 ふっと自嘲気味の笑みを浮かべた。

 

「だって、この格好ですよ。こんなジャージで人前に立てるわけがありません!」

 

 そこが原因かよ。と誰もがツッコミたい衝動に駆られるが、じっと我慢。

 下手に泣き出されでもすると、厄介この上ないからだ。

 

「ちょっぴりレトロで可愛いと思いますよ」

 

 コトミのまっすぐな瞳を見ていると、それが口先だけの適当なフォローでないのが解る。

 

 しばしの沈黙があった。

 

「地味な衣装でも素材が良ければ、とても魅力的に見えるってことかしら」

「はい?」

 

 ぱあっとミユに笑顔の花が咲く。

 

「そうなのね。そう言いたいのね?」

「え?」

「地味なジャージでも、ミユが着れば、ウシさんパジャマ並みに可愛い。そう言いたいのね?」

「そんなことは言ってな……」

「ミユが着れば、十二単のように豪華だと! ウエディングドレスみたいに華やかだと! そう言いたいのね、そうでしょう!」

 

 どんどん声のボリュームが上がっていく、既にコトミの存在は眼中から消えていた。

 

「ホントに幸せな性格してるよな」

 

 ソネザキの漏らしたコメントは、生徒達全員の意見だろう。

 

「我としては、あの歳でウシさんパジャマを愛用している点を問い詰めたいところだがな」

「いや、そこに関しては納得できる。ああ、ミユちゃんらしいって」

「ソネザキ、ソネザキ」

 

 ドルフィーナとソネザキの建設的なディスカッションに、当惑顔のコトミが割り込んできた。

 

「ボク、どうしたらいいのかな?」

 

 ミユの理論は大きく飛躍し、美の女神や満天の星空にまで肩を並べるくらいまで展開していた。

 エンジのジャージもここまで持ち上げられたら本望だろう。

 

 ソネザキが口元に手を当てて、目を閉じる。

 数秒間思考を巡らせた。

 

「コトミ、もうすぐミユちゃんが何か聞いてくると思うから、何も考えずに笑顔で頷けばいいよ」

「そんな適当なのでいいの?」

「大丈夫、それで万事解決だからさ」

「うん、良く解んないけど、解ったよ」

 

 了承して顔を前に戻したのと、ほぼ同時だった。

 

「コトミさんは、そう言いたいのね?」

 

 瞳を輝かせながら、ミユが尋ねてきた。

 

 質問を聞いていたわけではないが、絶対に「ノー」が正解だろう。

 いや、「いいえ」や「違います」でも良いかも知れない。

 

 コトミは白を黒と言うのには抵抗を感じる性格だ。

 しかし、嬉しそうなミユの表情を見ていると、まあ薄い灰色くらいならセーフかもという気にもなってくる。

 

 とりあえずはソネザキの助言に従って、ぎこちない笑みを浮かべつつも、首を縦に振った。

 

「うん、やっぱりそうなのね。そして、それはクラス全員の意見だと思って間違いないわね?」

 

 明らかに間違いです。勘違いです。現実から目を逸らさないで下さい。

 

 そんな空気がまるで目に見えるようだが、ミユはそれを読まない人間なのだ。

 

 どことなく後ろ暗い気分になりながら、コトミが再度頷く。

 

 そのリアクションに満足したのか、ミユがくるりと身体をターンさせ、足取り軽く教壇に戻った。

 

「はぁい、では説明を始めますよ。ほらほら、時間は待ってくれませんよ」

 

 急転直下の展開に、唖然とする生徒達にウィンクして注意を促す。

 当人は愛くるしいつもりだが、ジャージ姿でその仕草は滑稽の極みだ。

 

「はい、コトミさんも。ぼんやりしてないで、座ってください。まずは今日の演習について、ざっくり適当に説明しますね」

  

 

 

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