番外編9-3
「ミユ教官」
感謝と尊敬を込め、改めて礼を口にしようとしたが、足を組んで座っているミユに眉を顰めた。
「どうしました? ソネザキさん」
「その、下着が、かなりの状態で見えています」
「違います。さっきも言ったでしょう。これは」
ぐっと拳を作った。
「見せているんです!」
その力強いひと言に、ソネザキはさっき感じた敬愛は、気のせいだと確信した。
* * *
双子、アオイとアカネは教室に戻った。
保健室で休む事一時間。
コトミやソネザキ、他のクラスメートが帰った頃合を見計らってからだ。
教室は既に消灯され薄暗く、静まり返っていた。
ふたりは電気も点けずに自席に向かう。
「もう、いいよな?」
「でも、姉ちゃん」
答えたアカネの声には元気はなかった。
ここ数年鳴りを潜めていた甘えん坊の妹が、顔を覗かせている。
「そんな顔すんなよ。ウチらは頑張った。もう潮時だよ」
「でも、悔しいよ」
「しょうがないさ。相手はコトミ、強すぎたんだ」
無念の気持ちならアオイも大きい。しかし、悟りきった風に言い切る。
姉は妹の手本になるべきだからだ。
「負けたら最後にしようって決めてたろ」
こくりと頷くアカネを横目に、鞄から水色の封筒、転出申請書在中と書かれている、を取り出す。
『ハトホル』は学習施設の整ったドームでの全寮制。
個人が志望し進路を決めたはずが、カリキュラムについていけなかったり、自分には適正が欠けると判断したり、あるいは己の目指している路ではないと思ったりする生徒が、必ず出てくる。
そんな場合に、他の学区への転向が許される。
まず現学区での転出申請。
次に転入先の試験をクリアすれば、晴れて別学区へ通う事が可能となる。
ソネザキが春に転入してきたのは、この制度による物だ。
「ま、軍人だけが人生じゃないさ」
「そう、だよね。別の路で、無敵の双子を、目指せば、いいんだよね」
ぽろぽろと涙を零しながら、途切れ途切れに嘯く。
「ほら、もう泣くな。いつだって姉ちゃんがついてるだろ」
妹を強く抱きしめる。
自分だって泣きたい。でも姉は妹より強くあらねばならないのだ。
「なに、メソメソやってんだかねぇ」
突然の声に慌てて視線を向けた。
教室のドア付近。
闇の中に血の気のない死人のような、いや分厚いファンデーションで温度の消えた顔が立っていた。
「なんだ。顔面塗り壁かよ。びっくりさせんな」
アオイがアカネを庇うように一歩前に出る。
「何してんだよ。こんな時間に」
「別にぃ。ちょっと用事があって遅くなっただけだしぃ。アンタらこそこんな遅くまでコトミとやってたのぉ? ま、結果は聞くまでもなさそうだけどねぇ」
人の悪い表情を浮かべる。
「薄暗い部屋でさぁ、ぴぃぴぃ泣いてるのを見ればねぇ」
「うるさいな!」
「あはは。で、アタシに八つ当たりなんだぁ。イケてるねぇ」
カラカラと声を上げるイスズ。
アオイは絞め殺したくなる衝動を、どうにか押さえ込んだ。
「でさぁ、負けたから逃げ出そうってハラなんだぁ」
アオイの持つ封筒ちらりと見やる。
「もうねぇ、超ウケるんですけどぉ!」
「黙れよ! お前なんかに、ウチらの何が解るんだよ!」
「はぁ? んなもん解るわけもないしぃ。むしろぉ、解りたくもないんですけどぉ?」
グロスの乗った唇が、にぃっと歪む。
影の中。青白い顔と相まって、不気味な妖怪のようだ。
「いい加減にしろよ! お前!」
怒声にイスズが笑みを消した。
「ま、アンタらがさぁ、どこに行こうとさぁ、何してようがさぁ。アタシには興味ないんだけどねぇ」
「そうさ、お前には関係ないよ」
アカネだ。いつもの気丈さを取り戻しつつある。
「しっかしさぁ、負けるのが解ってるのにぃ。よくやるよねぇ」
余りの言い草に双子は、即座に反応した。
「コトミは特別なんだよ。才能が違うんだ」
「悔しいけど。ウチらが努力しても追いつけないんだよ」
「ふうん。才能で負けたってことかぁ。アンタらって、マジめでたいねぇ」
心底軽蔑を含んだ口調になる。
「お前みたいな、なんでも適当にやってる奴が何を言うんだよ」
「そうさ。ウチらはお前なんかと違うんだ。ウチらは限界まで頑張って……」
「ふざけんなバカ!」
イスズが珍しく声を荒げた。
厚塗りの化粧がなければ、紅潮しているのが解っただろう。
「人のいいソネザキに泣きついて、特訓メニューを考えてもらって、それをなんとなくこなしただけだろっが! しかも戦略まで立ててもらって! 限界まで頑張った? ふざけんなよ! 全部が全部人任せのくせに!」
イスズの言は鋭い。
双子は反論が見つからず、黙り込んでしまう。
「この一週間、コトミが何してたか知ってんの? 特訓だよ。遅くまで。お前らが帰ってからもずっと」
「そんな」
「嘘だろ?」
「嘘だと思うなら、アンズにでも聞いてみたら? コトミがどんな特訓をしてたか」
ふんっと鼻を鳴らした。
「見てるこっちが気分の悪くなるハードなやつだよ。高等部からイカれた先輩まで呼んでさ。あちこち痣だらけになってさ。そんなコトミの頑張りを、才能なんて安っぽい言葉で丸めんな!」
息をついた。
熱くなっていた頭をクールダウン。
らしくない言動に頭を掻いた。
「まぁ、つまりぃ、アレだよぉ。なんてかなぁ。んとねぇ、バカな双子はとっとと転校してくんね? って思うわけさぁ。そうすればさぁアタシのスクールライフも充実するしぃ。みたいなぁ?」
気だるい喋り方に戻った。
「じゃあ、アタシはもう帰るしぃ。まったくぅ、下んないことでぇ、時間潰したなぁ」
ぶつぶつと不満を散らしながら反転。
振り向くこともなく、教室を後にする。
アオイとアカネは呆然と、イスズを見送るしかなかった。
* * *
校門まで来たイスズは驚いた。
待っていたからだ。
大柄の体躯に細い目、短く切りそろえた黒髪。自分とは対照的なチームメイトが。
「フユツキ、アタシを待っててくれたの?」
首肯するフユツキ。
沈黙の異名通り、唇はきゅっと結ばれている。
「遅くなるからさぁ、先に帰っててって言ったのにぃ」
申し訳なさそうな顔になるイスズに、フユツキは軽く肩を竦めた。
「でもまぁ、アリガトねぇ。若い娘の一人歩きは危険だからねぇ。塗り壁でもさぁ」
冗談を添えてカラカラと笑った。
そんなイスズから、フユツキは校舎の方に視線を移した。
「あはは。お見通しなわけねぇ。双子にさぁ、ちょっと文句言ってきてやったんだぁ。この数日さぁ、変なこと考えてるっぽかったしぃ。っていうか、双子なんてどうでもいいんだけどねぇ。でもさぁ、あのまま居なくなるとぉ。ほらぁ、コトミとかソネザキがさぁ、責任感じるじゃん?」
いつも以上に多言になるイスズに、フユツキは頬を緩めた。
「なにさぁ、その顔。まあ、そりゃさぁ、双子もクラスメイトなわけだしぃ。一緒に卒業できればさぁって思うけどねぇ。っていうかさぁ、去年の冬みたいなのはねぇ、もうマジ勘弁なんだよぉ。ホントにさぁ、クラスメイトが消えちゃうとかさぁ」
フユツキが頷いて同意を示す。
「アタシはさぁ、努力ができない人間なんだけどぉ。それでもさぁ、頑張っている人間はいつか報われて欲しいって思うわけよぉ。あの双子もいつか、少しくらいねぇ」
言葉を止めて、校舎を仰ぐ。
「決めんのは、あのふたりだけどね。ま、アタシには関係ないよぉ」
イスズの頭を大きい手で撫でつつ、「心配ない」と口にする。
「さてぇ、さっさと帰ろうかぁ。なんかさぁ、アタシが食事当番だった気がするんだよねぇ。何作るかなぁ」
歩き出す。
いつも通りイスズは止め処なく喋りながら、フユツキは黙って聞きながら。
* * *
「コトミもやっぱ普通の人間なのな」
アカネがぼそりとこぼした。
イスズが去って数分が経過し、教室は姉妹だけの空間になっている。
「そうなんだな。意外っていうか、当然っていうかだけど。で、どうする?」
尋ねるアオイにアカネは、強気な表情を作る。
「ただの人間相手なら、いつか勝てるよな」
「当たり前だ。今までの敗因は努力不足だからな、ちゃんと鍛錬を積めば絶対に勝てる」
「勝てる相手から逃げるのは、なんか面白くないよな」
「あぁ、勝利ってのは貪欲に拾う」
「それがウチら」
ふたりの声が重なる。
「無敵の双子のモットーだからな」
いつもどおり瓜二つの顔で笑みを交わすと、持っていた封筒を破り捨てた。
<Fin>




