番外編9-2
コトミが戸惑う隙に、双子が攻撃を繰り出す。
アオイはローキック。アカネはコンパクトなリードブロー。
「おっととと」
コトミが少し身体を引いて、ふたりの攻撃をかわす。
「いける!」
当然、双子は距離を詰めてくる。
「今回の戦い方は、ソネザキさんのアイデアですね」
少し離れた位置で戦いを眺めていたソネザキの傍に、いつの間にかミユが寄ってきていた。
「いつもと違うパターン。これはコトミさんも驚いたようですね」
「はい。裏をかくのが戦いの常套ですから」
双子の攻撃は、どんどん速度を増していく。
コトミは防戦一方だ。
「今のところは優勢ですね」
「このまま押し込めば勝てます。二対一のハンデは大きいですよ」
「そう、上手く運ぶと思いますか?」
「二人は特訓で基礎体力も向上しています。体力切れの心配もありません」
「ん、そうではありませんよ」
ミユが拳を作って、ソネザキの頭を叩いた。
撫でるほどの優しい感触だった。
いきなりの行動に、ソネザキは思わず面食らう。
「今のは注意です。プランを立てる時には、彼我の戦力差をしっかり把握しないとダメですよ。今、押しているように見えるのは、コトミさんが驚いているからです。落ち着きが戻れば……」
「あ」
ミユの言葉が終わるより早く、短い声がソネザキから漏れる。
がっくりとアカネが膝をついたからだ。
「え? なにが?」
「カウンターです。大振りになったところで、顎の下を打ち抜かれました」
展開が追いきれなかったソネザキに、ミユが説明する。
ほんの僅かな攻防だった。
アオイの攻撃を避けたコトミが、アカネの距離に入った。
このチャンスを逃さんと、渾身の右ストレートを繰り出したのだ。
勢いに乗って、つい大振りになった。
その隙にコトミのコンパクトな掌打が、アカネの顎を突上げた。
一瞬にして、アカネの意識は飛んだ。
「くそ!」
アカネをフォローすべく、アオイが前蹴りで距離を作ろうとする。
しかし、コトミ相手に直線的な攻撃はあまりに迂闊と言えた。
コトミの手がアオイの足首に触れる。
「うわっ! わわわ!」
直後、アオイの身体はマットに倒れ込んでいた。
状況を理解する抵抗する前に、コトミに足首を極められる。
「ぐぅ!」
激痛が走り、全身に嫌な汗が浮かんだ。
「はいはぁい。勝負アリですよ」
「まだだ! まだウチらは!」
青ざめた顔で続行を主張するアオイの頭をミユがポコンと叩いた。
さっきソネザキにやったようなソフトタッチである。
「このままコトミさんが締め上げたら、靭帯を損傷してしまいます。痛いんですよ。もうね、すっごく痛いんです」
「でも」
「でもじゃありません。大切な生徒さんに、無駄な怪我をさせるわけにはいきません。これ以上続けるなら、評価を減点します。もう、放課後に立ち会うのも禁止しちゃいますからね」
普段にない厳しい口調で諌められ、アオイが力なく頭を垂れた。
「コホン。では改めて、ウィナーイズ! ミス、コトミィ!」
何故か英語で高らかに宣言した。
「やった! 勝ったよ! 勝ちました!」
小さくジャンプしながら、ソネザキにブイサイン。
「やれやれ、コトミらしいな」
ソネザキが敵側という認識はないようだ。
コトミが跳ね回っている間に、アオイがゆっくりと身体を起こした。
まだ倒れているアカネを揺さぶる。
「ん? アオイ? そうだ! 勝負は?」
首を振るアオイに全てを悟り俯く。
そんな相方の肩を軽く叩くと、アオイはコトミに向き直った。
「やっぱ、コトミは強いな。今回は勝てると思ったのに」
「あはは。今日のはちょっとびっくりだったよ。面白い勝負だったね」
「はは、面白いか。コトミには敵わないや。じゃあ、負け犬は消えるするわ。アカネ、負ぶってやるよ」
脳震盪の残るアカネを背負うと、ソネザキに軽く頭を下げた。
「すまん。負けちまった」
「いや、こっちも力になれなくてごめん」
「相変わらず真面目だな。お前が責任感じることなんて、なんもねえっての。じゃあ、またな」
そう残して、体育館を後にした。
「さて、後片付けは私とソネザキさんでやっておきますので、コトミさんは帰ってくださって結構ですよ」
「片付けならボクも手伝うよ」
「いいえ。いけません。勝者が片づけするなんて、宇宙的なルール違反です」
いつ出来たか解らないルールで断じる。
「いいよ、コトミ。ちゃんと片付けておくから」
「でも」
「それより、今日の食事当番はコトミだよ」
「う、そうだった。じゃあ、お願いしていいかな?」
「うん。任せてよ」
「あの、それとミユ先生」
「はい。なんでしょう?」
「朝から気になってたんだけど、そのスカート、パンツが見えてます」
「それは違いますよ。コトミさん」
人差し指を立てて、ちっちっちと振りながら。
「これは見せているんです」
言い切った。
「そうなんだ。じゃあ、安心だね」
色々と不安しかない話だが、コトミ的には納得できたらしい。
改めて礼を言うと、足取り軽く走り去っていく。
「では、ソネザキさん。悪いですが片付けのお手伝いをお願いしますね」
「はい。状況を開始します」
敬礼を合図に作業を開始。
テキパキとマットを仕舞い、ラスト一枚となった時。
ミユがちょこんと、その上に座った。
「ソネザキさん、少しお話しましょうか」
「はい? 話ですか?」
「今日の反省会です」
首を傾げながらも、ソネザキがミユの横に腰を下ろす。
「おふたりとコトミさんには、大きな差がありますよね。ふたりが正面切って戦っても、勝ち目はない。それが解っていて、今日の作戦を採用したのですか?」
「いつものパターンでは勝てないと判断しました。だから、ここは奇襲を打ってみようと」
「試してみた、ということですね?」
ソネザキがこくりと首肯する。
「いいですか、ソネザキさん」
ミユが真面目な顔を作った。
「実戦で『試してみた』は絶対にしてはいけません。思いつきで何人、何十人の部下を殺す事になります」
「そんな、大袈裟な。だって今日のは……」
「今日のは遊びです。でも、遊びだから適当でいいやと考える人が、実戦でミスをしないとは考えられません」
正論にソネザキが口をつぐむ。
「アオイさんとアカネさんの気持ちは考えましたか? 負けてもいいや、遊びだから。という風に思えましたか?」
「そ、それは……」
視線が床に落ちる。
「ふたりにとって、今日の戦いは……」
言葉を止めた。
ふうっと息をついて、ソネザキの頭をよしよしと撫でる。
「以後は気をつけてくださいね。常に実戦を考えて行動する。そんな心構えが軍人には必要ですよ」
「はい。ご指導ありがとうございます」
子供っぽく頼りない教官。
いつものイメージから大きくかけ離れたミユの言動に、ついソネザキは尋ねてしまう。
「あの、ミユ教官。双子じゃコトミには勝てませんか?」
「はい。勝てません」
意外なほどあっさりと断じた。
そのひと言に、ソネザキは大きな失望を浮かべる。
「やっぱり凡人が努力しても、才能のある人間には勝てないんですね」
「ふふ」
ミユが小さく笑みをこぼした。
と、いきなりソネザキに手を伸ばし、引き寄せる。
「ソネザキさんも思春期なんですね」
ぎゅっと抱きしめた。
「あの、ミユ教官?」
バニラのような甘い香りと、柔らかい感触。
ソネザキの鼓動がつい跳ねる。
「ソネザキさんは才能を、とても大きな物と思っているようですね。でも、残念ながら違いますよ。才能というのは、神様がくれた、ホンのささやかなアドヴァンテージなんです」
「アドヴァンテージ、ですか?」
「はい。大袈裟な物じゃないんですよ。そうですね、例えば」
口元にほっそりとした指を当てて考える。
「数値で表してみましょうか。目標となるハードルを百とします。いいですか?」
ソネザキが頷いて続きを待つ。
「普通の人は一からスタートして、百の努力を重ねる必要があります。でも才能のある人は、ちょっぴり得があるんです。最初に二十くらいから、始められる。つまり」
「八十の努力で百まで進めると」
「はい。これはとても有利な事です。ですが、全てではありません。八十の努力で満足した天才は、百十の努力をした凡人には勝てません」
「じゃあ、努力は無駄じゃないんですね」
「むしろ、才能より努力が大切です。ほら、ミユも努力を沢山したから、こんな立派な大人になれたんですよ」
どうだとばかりに、大きく膨らんだ胸を反らした。
「はあ、そうですか」
ミユの「立派な大人」の定義は不明だが、ソネザキにはどうしても疑問が残る。
「はい。これで悩みは解決しましたか?」
そう言って、身体を離した。
体温が遠のき、ソネザキは少し寂しさを感じてしまう。
それにしても、とソネザキは思う。
普段、珍妙な格好でエキセントリックに振る舞い、他の教官に怒られてはベソをかく。
愛すべき担任が、実はしっかりした大人であった。




