番外編9-1
【一一月〇一日】
渾身の右フックが空を切った。
マズイと思うより早く、アオイの身体は空中に弾き飛ばされる。
「うわっ! わわわ!」
無様な声を上げながら背中から落下。
マットが敷かれていなければ、体育館の硬い床だったなら怪我は避けられなかっただろう。
「うわっ! わわわ!」
直後、同じく情けない叫びと共にアカネが転がった。
「はい。そこまでですよぉ」
舌足らずの甘ったるいミユの声が、終了を告げた。
「ウィナーイズ! ミス、コトミィ!」
何故か英語で宣言する。
「やった! ボクの勝ちだね!」
小さく跳ねながら全力で喜びを表すコトミを、双子は這いつくばったまま、惨めに見上げるしかなかった。
* * *
「なんかさ、どんどん差が開いてる気がしね?」
「そうだよね。あの演習から、一層強くなった気がするよ」
放課後。
誰もいなくなった教室で帰り支度をしながら、双子は弱々しい溜息を交わした。
格闘戦において完璧なコンビネーションを発揮する悪夢の双子。
アオイとアカネである。
「ウチらじゃ勝てないのかな」
「アカネ、情けないこと言うんじゃないよ。ウチらは無敵の双子だろ」
「クラスメイトに手も足も出ないんだよ。無敵なんて……」
「プランだよ。ちゃんとプランを立てて戦えば、次は絶対に、絶対に絶対に絶対に勝てる」
早口に言い切るアオイ。
だが、その言葉に根拠のないのは自覚していた。
「なあ、アオイ。誰かにアドバイスを求めてみるってのはどうだろ?」
「うぅん。こんな面倒ごとに絡んでくれるお人好しが、ウチらのクラスにいるかな?」
* * *
「はぁ、それでお引き受けになったんですの?」
「相変わらず悪い意味で面倒見のいい奴だな」
ソネザキから顛末を聞いたアンズとドルフィーナが、心底呆れた声を出す。
四人はリビング兼ダイニングで夕食後のお茶を楽しんでいた。
「しょうがないだろ。なんか思い詰めてた感じだったし」
ハッキリ言われると面白くない。
ちょっと不貞腐れた顔で、紅茶をひと口含む。
いきなりやってきた双子に、特訓メニューを考えてくれるよう頼まれたのだ。
「ソネザキは優しいね。ボク、そういうところが大好きだよ」
コトミが、にへへと笑う。
「そ、そんな大袈裟な話じゃないよ」
ストレートな感情表現に、つい照れ臭くなって顔を逸らした。
「ちょっと、ソネザキさん」
当然の如く、アンズが苛立ちの含んだ声を漏らす。
「まさか、コトミさんの気を惹くために仕組んだ。なんてことはありませんわよね?」
「ないない」
「どうにも信用ならないですわ」
素っ気無い返事に不満を滲ませつつも、とりあえずは矛を収めた。
「しかし、あの双子が他人に助力を求めるとはな」
「どうしてもコトミに勝ちたいんだって」
何気なく答えたソネザキ。
しかし、そのひと言に当然食いつく少女がいる。
「ソネザキさん! どういうつもりですの! コトミさんを裏切って、あの品のない双子に助太刀なさるなんて!」
「助太刀っていつの言葉だよ」
「わたくしは絶対に許しませんわ。ありとあらゆる拷問を用いて、生まれてきたことすら後悔させて差し上げます」
「さらっと恐ろしいことを言うなよ」
「でも、アオイちゃんとアカネちゃんが、そんなに熱くなっていたなんて」
コトミがぐっと拳を握った。
「よし、ボクも負けられないよ。ソネザキ、ふたりをよろしく頼むね」
そう言って、天真爛漫な笑みを作った。
* * *
「考えてみたんだけど。ふたりの戦い方に問題があるんだよ」
翌日、放課後のグラウンド。
基礎トレーニングを終えたところで、ソネザキが切り出した。
「なんだよ。ウチらのコンビネーションにケチつけんのかよ」
「悪夢の双子って言われる無敵の連携なんだぞ」
「で、その無敵で悪夢な双子さんが、負け続けているんだろ」
ふたりの反論を無慈悲に斬り捨てる。
現状を考えると的を射ている。
双子も苦々しげに、口をつぐんだ。
「別にさ、お前らの戦い方を否定する気はないよ。パターンに持ち込もうって意地になって、攻め手が単調になっているんじゃないかって」
「そりゃ、そうかもだけど」
双子の声が揃う。
「いいか。戦いは相手の裏をかくのが基本だよ。コトミはお前らの必勝パターンを知ってる。だから、それを逆手にとって、あえて連携を破って戦ってみるんだ」
「理屈は解るけど」
「ウチらピンだとコトミの足元にも及ばないって。せいぜい、お前といい勝負くらいだよ」
失礼な言い分だが、ソネザキの格闘戦の技量は学年では真ん中ちょい上くらい。
トップクラスのコトミとは違い過ぎる。
「今のままではね。だから私のプランは個々の戦闘能力向上に重点を置いてるんだ」
要点をかいつまんで説明。
「とりあえず従ってみるか」
「このままじゃ手詰まりだしな」
「じゃあ、ふたりで組み手からだよ。実戦形式の方が効果的だからね」
きちんと防具を付けてから、双子が組み手を始める。
負けず嫌いのふたりだけあって、その応酬はかなり激しい。
「おぉ、やってるじゃんさぁ」
妙に間延びした脱力感満載の話し方。
クラスの塗り壁ことイスズが、好奇心に瞳を光らせながらやってきた。
「やあ、イスズ」
「双子なんかのコーチ引き受けるなんてさぁ、へへへ。ホントに悪い意味でさぁ、面倒見が良くね?」
「昨日さ、ドルフィーナにも同じことを言われたよ」
「えぇ、マジでぇ。あのポンコツと被るなんてぇ。もう、ダメダメじゃんさぁ」
「ポンコツは酷いだろ。低スペックだよ、低スペック」
「あはは。なんのかんのってさぁ、仲いいんだからさぁ」
「そんなんじゃないよ。一応、チームメイトだし」
「ムキなんないでよぉ。今度からちゃんと低スペックって言うからぁ。心を込めてねぇ」
そう言って、カラカラと笑った。
「で、双子はどうなのさぁ」
殴り合っているアオイとアカネをちらりと一瞥。
軽く肩を竦めた。
「熱くなってるねぇ。どうせ勝てないのにぃ。時間の無駄とか思わないのかねぇ」
「イスズ、そんな言い方ないだろ」
「あ、ごめぇん。ちょっと酷かったよねぇ」
ソネザキの声に含まれた怒気を察したのか、口先だけの謝罪をする。
「でもね、ソネザキ」
口調から気だるさが消えた。
少しだけ真面目な顔になって続ける。
「無駄に努力させるってさ。残酷だと思わない?」
「無駄じゃないよ。努力を重ねていれば、いつか目標に届くんだから」
「ソネザキってさ、ロマンチストだね。アタシはリアリストなわけでさ。人間って差があんだよね。努力とか運とかじゃ、埋まらない。絶対的な差ってのがね」
イスズの言は真実だろう。だが、それを認めなくないというのも人情だ。
「そんなの努力しない人間の言い訳だよ」
杓子定規な反論。
それでも ソネザキは言わずにいられなかった。
それを聞いたイスズは、特盛り睫の瞳をぱちくりさせた。
「でも、ま、いいや。ぶっちゃけさぁ、アタシにはぁ。どうでもいいわけだしぃ」
話を終わらせると、踵を返した。
「じゃあ、頑張ってねぇ」
パタパタと手を振りながら、気だるそうな足取りで帰っていく。
残されたソネザキは首を傾げる。
「イスズって変に冷めたとこがあるんだよな」
近寄り難い外見とは裏腹に、誰にでも愛想が良く親しみやすいイスズ。
そんな彼女が稀に見せる部分が、どうにも理解できない。
「いいや。今はこっちだし」
強引に意識を切り替えると、次の訓練メニューを指示する。
* * *
厳しい特訓を重ねる事一週間。アオイとアカネはコトミに挑戦状を送った。
コトミはふたつ返事で了承し、放課後の体育館で勝負が決まった。
「はいはぁい。ルールはいつも通りですよ。勝負アリと見なした時点で終わりですからね」
ミユがばちこんとウインクを添える。
安全性を考えて敷いた分厚いマットの上で立つには、非常にアンバランスなチアガールスタイルである。
いかがわしさすら感じるピチピチのティシャツ。
きわどい丈のスカートからチラチラ覗く下着は、淡いピンクのフリル付き。
両手にはお手製のポンポンまで装備している。
こんな格好で一日の授業を終えたのは、ある意味賞賛されるべきではある。
「じゃあ、初めて下さいね」
開始の合図と共に踏み込もうとしたコトミが、足を止めた。
いつもならアオイとアカネ、どちらかが前に出ると同時に、もう片方が背後に回りこもうとする。
細かな工夫はあれど、常に挟撃を狙うのが双子だ。
しかし、今回は違った。




