番外編5-3
「はいはぁい、うらめしやぁ」
その恐ろしい形相から掛け離れた薄っぺらい声で告げた。
「うお!」
「ひっ!」
「わぁ!」
ドルフィーナ、アンズ、コトミが同時に三者三様の声を上げた。
それから一拍遅れて
「ぎぃやぁぁぁ!」
火が点いたようなソネザキの悲鳴。
「うわぁぁぁぁ!」
喚きながら、ソネザキがクッションを手に飛び掛かった。
「はわわっ、ちょっとソネザキさん。落ちついてくだ、うぐぅうぐぅ」
ぼふぼふとクッションを顔面に叩きつける。
恐怖から出た過剰な防衛反応だった。
* * *
「怪談会ですか?」
「はい、私のチームもですが、ソネザキさんとイスズさんのチームでもやるそうです」
チトセはモールからの帰り、偶然会ったミユにそう告げた。
「今日は寮全体で空調が不調ですからね。それにしても風流で素敵じゃないですか」
「でも、私、そういうのが苦手で」
「あらら、幽霊なんて存在しないんですよ。昔から言うでしょう、オバケは気からと」
「はぁ」
自身満々で意味不明なことわざを口走るミユに、正直チトセは困ってしまう。
「ふふ、でも良いことを聞きました。私も支度しておかないといけませんね」
「支度ってなんのですか?」
「うふふ、それは……な・い・しょ……です」
ミユがウィンクを添えて答える。
「では、これで。あ、そうだ。チトセさん、月曜日にプリントの整理を手伝ってくださいね」
ミユらしい一言を最後に、とてとてと小走りで去っていく。
その後ろ姿にチトセは嫌な予感しかしなかった。
* * *
「うわぁぁぁぁ! こいつめぇ! こいつめぇぇ!」
馬乗りになって、ぼふぼふと一心不乱にクッションを叩きつける。
「ぶほぉっ、止めてくだ、はぶぅ、もおぁ」
オバケの方は懸命に何かを訴えようとしているが、クッションの攻撃密度が高すぎてどうにもならない。
「その声、ひょっとしてミユ先生?」
コトミが声を上げる。
「だ、誰か、もふっ、ソネザキ、あふっ、さんを、んばぁ」
「こいつめぇ! こいつめぇぇ! 退治してやる!」
何かのスイッチが入ってしまったソネザキは聞く耳を持たない。
「やれやれ、仕方ないな。ソネザキ、とりあえずストップだ」
背後から無造作に肩を掴んだドルフィーナだったが、振り返ったソネザキの鬼のような形相に手を離した。
と、その刹那。
「こいつもかぁ!」
怒声と共にソネザキが飛び掛ってきた。
そのまま一気に押し倒し、クッションをドルフィーナに叩きつける。
「ソネザキさん、落ち着いて!」
慌てて駆け寄るアンズに気付いて、ソネザキがクッションを投げつける。
見事なコントロールで顔に命中。
視界を奪われたアンズはバランスを失い、テーブルを巻き込むように転倒した。
「ソネザキ、止めてよ!」
コトミが悲鳴に近い声を上げる。
しかし完全な恐慌状態に陥ってるソネザキに届くはずがない。
近くにあったクッションを掴むと、渾身の力でコトミに投げつける。
「うわっと」
軽く頭を下げて避けると、一気に間合いを詰める。
「来るなぁ!」
ソネザキが接近させまいと腕を振り回した。
しかし、そんな闇雲な攻撃がコトミに当たるはずがない。
コトミは易々と掻い潜り身体を密着させる。
咄嗟の反応でソネザキが身を引いた。
その僅かな隙にコトミが足を払う。
バランス感覚が悪くないソネザキに、いとも簡単に膝をつかせる。
そのままソネザキが体勢を立て直すよりも早く背後に回りこむと、腕を首に絡めた。
「はぐぅっ」
短い呼気を残して、ソネザキから力が抜ける。
「ごめんね、ソネザキ」
ぐったりとしたソネザキの身体を丁寧に床に下ろした。
「やれやれ酷い目に遭った。まだクラクラするぞ」
頭を押えながら、ドルフィーナが身体を起こす。
鼻と頬が赤くなっていた。
クッションで軽減されてはいるが、かなりの力でしこたま殴られたのが解る。
「あいたた。酷い目に遭いましたわ」
アンズが腰を押えてふらふらと近寄ってきた。
声に張りがないところみると、かなり痛みがあるようだ。
「大丈夫? 二人とも?」
表情を曇らせるコトミに、どうにか二人は笑顔を作った。
「我は完全防弾だからな。このくらいの攻撃くらいどうということはない」
「わたくしも、コトミさんに心配を掛けるほどのことではありませんわ」
「それにしても、びっくりしたね」
「まったくだ。ソネザキがキレると洒落にならんな」
「ホントですわ。やっぱり普段からのストレスが溜まっておられるのかもしれませんね」
「ワガママな子供が一緒ではストレスも溜まるか」
ドルフィーナの言葉に、アンズのコメカミが小さく痙攣した。
「無能な機械人形と一緒ではストレスも溜まりますわ」
アンズの反撃にドルフィーナの頬が引きつった。
「まったく子供は己の非を認めないだけ質が悪い」
「壊れかけの人工知能に状況を理解させるのは難しいですわね」
ぐぐっと我慢していた二人だったが、ついに耐え切れず声を荒げる。
「人が黙っていたら、いい気になりおって!」
「わたくしが大人しいのをいいことに、調子に乗って!」
「あはは。二人がいつも仲良しさんだよね」
「誤解もいいところだ!」
「誤解もいいところですわ!」
「まあ、それよりもソネザキをベッドに運んであげようよ。このままゆっくり休ませてあげる方がいいと思うし」
ぷいっと顔を背ける二人を嬉しそうに見ながら提案する。
「そうですわね。ところで……」
同意しつつアンズが周囲を見回す。
「乱入者の姿がありませんわ」
「む、いつの間に」
「ミユ先生なら、ボクがソネザキを締め落としたくらいで部屋から出て行ったよ」
「あの化け物は、やはりミユちゃんだったか」
「まったくロクなことをしない教官ですわね」
「ミユ先生としてはボクらを楽しませようと考えてくれたと思うんだけどね」
どこまでも好意的な意見を述べるコトミだった。
* * *
「はぁはぁ……。酷い目に遭いました」
廊下の隅に蹲って息を整えている化け物が一匹。
正確には特殊メイクで化け物になっているミユだ。
「うぅ、折角の可愛い顔が台無しになったら」
ぶつぶつと愚痴りながら、愛用のハンドミラーを覗き込む。
「ひぃっ!」
そこに現れた血まみれの顔に悲鳴を漏らした。
「あぁ、びっくりした。メイクしていたのを忘れてました。三時間掛けただけあって見事なもんですよね。うふふ」
チトセチーム、イスズチームと二部屋に乱入し、合計八人の少女を恐怖に陥れた。
四人を泣かせ、二人を思考停止に追い込み、チトセとイスズに至っては気絶までさせた。
なかなか見事な戦果だったが、ソネザキの部屋であれほどの反撃を受けるとは計算外。
「教官に手を上げるなんて、ソネザキさんは優等生だと思っていたのに。今後はもっと厳しく愛情を込めて指導しないと」
良く解らない決意をしつつ、少し崩れたメイクを修正。
納得できる形になると立ち上がった。
「さって、残りの部屋にも押し入って、びっくりさせちゃいましょう。愛らしい教官からの納涼プレゼント。皆さん、喜んでくれるでしょう」
「おい、ミユ」
声と同時に頭を背後から鷲掴みされた。
「ひぃぃぃっ!」
瞬時に相手を悟る。
ミユの敬愛すべき先輩、ユキナだ。
「お前、ここで何をしてる?」
「いだだだだ。いや、あの、違うんです。違うんですよぉ」
ぎりぎりと指を食い込む指に、泣そうになりながら己の無実を訴える。
「何が違うんだ? えぇ?」
「いだい! ちょっと待ってください!」
「寮の中を不審者が徘徊しているという報告があってな」
「ふ、不審者? そんなの誤解ですよぉ」
「その格好は誰がどう見ても不審者だろうが。覚悟はできているんだろうな、ミユ」
ミユにはっと天啓が閃いた。
このメイクなら誤魔化せるかもしれない。
「わ、私はミユなんかじゃありませんよぉだぁ」
「ほう」
呆れの混ざった声が漏れる。
「えっと、そう! 私こそが有名な! さ迷えるオランダ人なんです!」
「さ迷えるオランダ人ねぇ」
「そうです! この帽子オランダ! ドイツ! って感じなんです!」
「つまり不審者ではなく、侵入者ってわけだな」
「はい!」
と答えてから、違和感に気付いた。
どうにも悪い方向に転がった気がするのだ。何故なら……。
「あの、握力があがってきているんですけど? その、かなり痛いかなって。できれば、少し力を抜いて欲しいかなって」
「残念だけどな。侵入者にかける情けはないね」
冷たい一言を投げると、ミユの頭を掴んだまま持ち上げる。
桁違いの腕力だ。
「ここここれは違うんです! あの、ただ、その、生徒の皆さんが怪談大会をするというから、教官としてですね」
「ウチには、さ迷えるオランダ人なんて教官はいないんだ」
「だから、これは、ひぃぃぃぃ!」
これから朝までミユは身の凍るほどの思いをする事になる。
<Fin>




