【02-01】
●午前〇八時二八分●
人類の起源は第一太陽系、通称『ソル太陽系』の第三惑星『テラ』だとされている。
母星の環境悪化の為、新天地を宇宙に求めて飛び出したのは一万年以上前。
永遠に広がる宇宙を旅する、その半ば妄想的な行動を可能にしたのが、時間跳躍航法だ。
時間跳躍航法の考え方は至ってシンプル、『目的地までの移動時間を無かった事にする』である。
理屈だけを言葉にすると、なんとまあ実に貧乏臭い。
カッコ良い表現をするなら、時間軸を利用して未来に存在するはずの事象を強引に現時間に移動させる。
宗教的な言い方をするなら、神様の目を盗んで、こそこそ時間を節約する。
となるが、大抵の人は半ば自嘲気味に後者の言い回しを好む。
跳躍には莫大なエネルギーが掛かる上に、短縮できるのは最大で一分。
それ以上は不確定な未来となるのか、どうにも上手くいかない。
それでも亜光速移動との併用で人類は宇宙に広がった。
現在、人類の文化圏は七つの太陽系、九つの星に広がっている。
ソネザキ達が棲むのは、第六太陽系『ラー太陽系』の第四惑星『ハトホル』。
豊かな水に満たされた惑星。
大気は温暖で過ごしやすいが、陸地面積が一割未満しかない。
その為、人々はドーム状の人工島を広大な海に浮かべ生活している。
産業、レジャー、居住。目的に応じて、ドームの大きさはまちまち。
半径数キロの小型の物から、百キロを超える巨大な物もある。
海上という自由な空間で効率良く世界を構築していると言えるだろう。
この惑星の文化で最も変わった点は教育だ。
中等部以上の学生は、学習施設の整ったドームで共同生活を送る事になる。
例外を認めない全学生全寮制だ。
早くから社会生活を送る事で、精神的な自立を促し、優秀な人材を育成する。
そんなキャッチフレーズは、いささか大袈裟な気もするが、それなりに効果を上げているのは事実だろう。
学習ドームは特別に『学区』という単位で呼ばれている。
ソネザキ達の第十三学区は未来の女性兵士を育成する、軍学部エリアである。
* * *
限定的とは言え、時間を操れるようになった人類。
しかし、その技術は極めて特殊で、惑星的規模の移民時のみに限定されている。
もちろん倫理的な側面もあるが、そのエネルギー対価が膨大過ぎるからというのが現実だ。
従って、時間に追われたら、己の足を懸命に動かして逃げるしかない。
つまり、遅刻しそうなら全力で走れ、なのだ。
ドアが開くと同時に四人は、教室に滑り込んだ。ギリギリセーフ。三十五分の始業には、まだ数分あった。
始業前の慌しさにほっとする。
「まったく、朝からこんな運動をさせられるとは。人間は、どうして余裕を持って行動できないのだ」
「余裕があったはずなのに、どこぞのオートマトンがそれを食いつぶしたからだよ」
「でも、走るのも楽しいよね」
「わたくしとしては、ブレックファーストを摂れなかったのが辛いですわ」
息は完全に乱れているが、それでも無駄口を叩ける。
普段の厳しい訓練の賜物だ。
寮から学校までは、広く造られた登下校専用の舗装道路を使う。徒歩で十分ちょい。駆け抜けて四分。
途中、ドルフィーナが二回転んで、結局六分掛かった。
呼吸を整えながら、窓際の後ろ側。自分達の席に荷物を置いた。
デスクは二人掛け、最後列がドルフィーナとソネザキ、その前がコトミとアンズである。
ハトホルで学生として過ごす期間は初等部四年、中等部四年、高等部四年の計十二年。
年齢にして十一から二十二歳。
第十三学区では、初等部三年から四人一組のチームでの行動が基準になる。
毎年春に編成期間が設けられており、生徒達が自由にチームを編成する。
その後一年間はチーム単位で管理される。寮の部屋からクラスの座席、成績まで全てだ。
ソネザキ、アンズ、コトミ、ドルフィーナは春の再編成でできたチーム。
最初はアンバランスな部分もあったが、最近はようやく板についてきた。
これもコトミという天真爛漫な人間のお陰だ、とソネザキは思う。
出来の悪いオートマトンに、短気でワガママなお嬢様、転校生である自分。
どう考えても、奇妙な取り合わせだ。
荷物を置くと、コトミとアンズは他のクラスメイトの談笑に混じっていく。
話題は昨日のテレビ番組。
「交友関係に関して言えば、あの二人は特別だ」
ドルフィーナの言葉にソネザキは頷いた。
成績を競うライバル同士の側面が強いせいか、チーム間の仲はそれほど良くない。
そんな環境にあって、誰からも好かれるコトミは珍しいタイプと言える。
一方のアンズは人類文化圏で五十位に入る超富豪のお嬢様、打算的な関係を望むクラスメイトは多い。
「友情とはワインのような物。丁寧に吟味して作り、時間を掛けて熟成されるのだ」
「カッコ良い言葉じゃない。誰の言葉?」
「昨夜読んだ漫画に書いてあった」
底の浅い出典に苦笑しつつも、視線を隣に移動させた。
オートマトンは椅子に腰を置いて、右足を立膝という姿勢だった。
スカートをたくし上げ、転んだ時に出来た膝の擦り傷をチェックしている。
些細な怪我ですら、人間と変わらずに表現できるのは、本当に無駄な機能だ。
それにしても、品のない格好に呆れる。
「あんまりこういう事を言いたくはないんだけどさ」
「ん? なんだ?」
「その姿勢だとさ、おパンツが見えてるよ」
瞬時に頬を赤く染めて、普段から想像できない機敏な動きで足を下ろす。
スカートを伸ばし、防御を完璧に整えてから。
「そういう事は早く言え!」
「嘘だけど」
隣に座っているソネザキから見えるはずがない。
「おのれ、我を謀るとは」
「っていうかさ、見られて恥ずかしい?」
女子のみのクラス、訓練時の着替えも一緒なはず。
風紀が乱れる程の格好は有り得ないにしろ、下着が見える程度を気にする生徒は少ない。
しかもドルフィーナはオートマトン、機械仕掛けの人形なのだ。
「くくく、これだから人間は」
と意味深な含み笑いに、ソネザキが眉を潜める。
「スカートを履いている時の下着には価値があるのだ」
「はい?」
「店で売られている下着を原石とするなら、スカートからちらりと見える下着は、磨き上げられたダイヤモンドと同等の価値がある」
話題が逸れつつも饒舌になっているのは、照れ隠しなのが解る。
しかし、下手な話題を振ったもんだとソネザキは軽く後悔した。
「その貴重な物をおいそれと見せるわけにはいかないからな。しかも我は外見だけなら、かなりの美少女なのだ」
「まあ外見だけは、ね。それは私も大いに賛成するよ」
「そこを強調するな。失礼であろ」
いつもの不満を聞き流しながら、コトミ達に目を戻す。
視線を多くの友人に囲まれて笑顔を見せている。
相変わらず、べったりと抱きついているアンズも、幸せそうだ。
「初等部からの親友か」
「正確には幼年部から、外からの付き合いらしい。あの二人は」
「あ、そうなんだ」
自分には、そんな深く長い友人は居ない。
十年後の自分には、そんな大切な存在が出来ているだろうか。
コトミやアンズ、ドルフィーナが、まだ近くに居てくれるだろうか。
「十年後には、ソネザキもあそこに居るだろうな」
見透かされたような一言に、言葉を飲み込んだ。
「縁とはそういう物だ」
「じゃ、アンタもだね。やれやれ、出来の悪いオートマトンとの腐れ縁は……」
「残念だが、それはない」
ソネザキの軽口を遮って、静かに首を振る。
普段の気楽なオートマトンにしては珍しい、憂いだ表情。
「我は試作オートマトン。稼動年数は短い。皆が学区を卒業するタイミングに合わせて破棄される」