番外編2
【一一月一〇日】
「なあ、ソネザキ」
ドルフィーナが口を開いた。
日曜日、昼食を済ませた後のリビングでの事である。
アンズとコトミは夕方までショッピング。
つまり寮の部屋には二人しかいない。
「ん、なに?」
読んでいた文庫本からソネザキが面倒そうに顔を上げる。
「たまには大掃除でもしないか?」
「は?」
ソネザキがポカンと口を開けた。
冷静沈着なリーダーである彼女にしては、実に珍しい表情だ。
「なんだ。その失礼な顔は?」
「あ、いや。お前が掃除って有り得ないと思ってさ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。自分の部屋を思い出してごらん」
「やれやれ、個人スペースと共有スペースを同様に考えるとは情けない」
溜息をつきながら、大袈裟に首を振った。
イラっとくるリアクションに、案の定ソネザキがムッとする。
「共有スペースは交代で掃除してるだろ」
「そうとは限らんぞ、サボっている奴が絶対にいる」
力強く断言するドルフィーナ。
その自信に溢れ過ぎた態度から、ソネザキはある仮定に行き着いた。
「お前、普段サボってるだろ」
「い、今はそんなことを問題にしている時ではない。宇宙平和のために何ができるかを考え……」
ごつんとソネザキの拳骨が遮った。
「あいたたた」
「あいたたた」
オートマトンは頭を押さえながら、人間は右手を押えながら、同じ言葉を口にした。
「これからはちゃんとルールを守るんだよ。みんなで決めたことなんだからさ」
「解った解った。できる限り前向きに善処する方向で検討するのもやぶさかではない」
「もう一発殴られたい?」
「冗談だ。まったくユーモアを解しない人間は、これだからな」
「ユーモアしか頭に詰まっていないオートマトンに付き合ってられないよ」
「お前にしろ、アンズにしろ、どうにも我に対する当りが強いな」
「強く当たられるようなことをするからだろ。で、大掃除するの?」
「もちろんだ。腕によりをかけてやってやろうと思ってな」
ふふんと偉そうな顔をするドルフィーナ。
「悪いことじゃないから賛成だけど。どうにもタイミングがね」
全員揃っている時の方が効率がいいはずだ。
「べ、別に他意があるわけじゃないんだからね」
頬を赤らめて、ぷいっとそっぽを向いたドルフィーナに、ソネザキが眉を潜める。
「なんだよ、それ。気持ち悪いな」
「ふふ、この前見たアニメで覚えたのだ。旧時代に流行ったツンデレという奴だ」
「またアニメかよ」
「都合の悪い時とかは、こういうリアクションで誤魔化せば問題ないのだ」
「都合が悪い時ね。やっぱ何かあるんだな」
はっとドルフィーナの動きが止まった。
「き、貴様、誘導尋問とは卑怯だぞ」
「もうさ、どこにも誘導してないんだけど」
ビジュアル的にイメージするなら、わざわざ自分で落とし穴を掘り、派手に飛び込んだようなものだ。
「だから人間は信用できんのだ」
「悪態ついて誤魔化せるなんて思ってないよな」
「無論だ。我も科学の粋を結集した最新型オートマトン。逃げも隠れもせん」
と言いつつ立ち上がった。
そのまま、ごく自然に自室へ向かおうとする。
が、それを見逃すほどソネザキは甘くない。
「どこに行く気だよ」
「いや、そろそろ血液交換の時間かなと」
「思いっきり逃げてるじゃん」
「違う、違うぞ。逃げているのではない。そう、これは転進なのだ」
本日ニ発目の拳骨が落ちた。
* * *
「うわ」
溜息の混じった短い声を出した後、ソネザキは黙り込んでしまった。
目の前、リビングのテーブルに置かれているのは、割れたティーカップである。
緩やかな光沢を見せる肌に優美な紋様が散りばめらられたそれは、かなり高価な品に見える。
「カップだけだと思うなよ。ティーポットも割ったのだ」
大きな亀裂が真ん中に走ったティーポットを机に置いた。
カップと同じ紋様が施されている。
「うわわ」
ソネザキは愕然とするしかない。
「なんで、こんなことに」
「先月、一人で留守番した時があったであろ」
「みんなで映画観に行った時ね。お前は通販で買ったソフトが届けられるからとかでパスしたんだっけ」
「ふむ、ネットで見つけた掘り出し物のアニメだ」
「まあ、それはなんでもいいんだけど」
自慢気なドルフィーナに先を促す。
「あの日、なんとなく紅茶が飲みたくなってな。これを引っ張り出したところ。落ちて割れてしまったのだ」
「落として割ってしまったの間違いだろ」
「重力の作用まで我が責任を持てるか。そんなのは万有引力とやらを発見した、コペルニクスに言ってくれ」
「ニュートンだよ。万有引力を発見したのはさ」
「に、似たようなものであろ」
「全然違うよ! っていうか、無駄話をしてる場合じゃないだろ」
「ふむ、そうだな。まずは我々の抱えている問題をなんとかせねば」
我々と一括りにされるのは腑に落ちないが、とりあえずそれについての指摘をソネザキは避けた。
後から鉄拳を前提に話を進めた方が効率的だからだ。
「そもそもさ、このティーセットって誰の?」
「アンズが身の回りの品として持ち込んだ物だ」
入寮や里帰りの際にいくらかの品を持ち込むのは許される。
普通は保存食や日用品といった生活役立ちアイテムを選択するものだが、ティーセットをチョイスする育ちに絶句する。
「待てよ。アンズの家の品ということは」
「かなり高価な一品なのだろう」
「なんでそんな物を割っちゃうんだよ!」
「重力の作用まで我が責任を持てるか! そんなのは万有引力とやらを発見した、ソクラテスに言え!」
「だから! 万有引力を発見したのはニュートンだって言ってるだろ!」
互いに怒鳴り合った後、大きく息を吐いた。
「止めよう。なんかバカバカしくなってきたから」
「奇遇だな。我もそう思ってきたところだ」
「割ってしまったのはしょうがないとして、どうして今まで黙っておいたんだよ。隠し通せるはずないのにさ」
「別に隠し通す気はなかったのだ。ただ先月はバタバタしていたであろ。演習もあったし、月末には筆記テストもあった」
「あぁ、お前の補習が決定したやつね」
「補習については、どうでもいいんだが」
「良くないよ。チームの合計点に響くんだから」
「まあ、そんなこんなで、言いそびれてしまったのだ」
「で、今日の掃除で割れたことにしようと思ったわけか」
「上手くいけば、ソネザキのせいにできるかもという高度な策略でもあったのだが」
「もう、人間としてあまりに下衆な発想でびっくりだよ」
「我は人間ではない。だからその言葉は蚊ほどにも感じんぞ」
「自慢できることかよ、まったく」
呆れつつもソネザキは結論に行き着いた。
というより、紆余曲折しても終点は決まっているのだ。
「とにかく、アンズが戻ってきたら、ちゃんと謝りなよ。それから弁償しないとダメだしさ」
「むう、妥当だが、それしかないのか」
「私も一緒に謝ってあげるからさ」
「悪いな。迷惑を掛ける」
珍しく殊勝な発言をするドルフィーナ。
「更に一歩進んで、お前が割ったことにしておいてくれるとなお助かるんだが」
「まったく、しょうがないな」
本日、三発目の拳骨でこの問答は決着となった。
* * *
「おかえり、アンズ。ちょっと私の部屋まで来てもらっていい?」
「はい?」
帰宅直後、居間に入るとすぐ声を掛けてきたソネザキにアンズが小首を傾げた。
「わたくし達が出掛けている間に何かあったのです?」
「まあ、あったと言えばあったような。なかったと言えばなかったような」
どうにも要領を得ない。
「よろしいですわ。荷物を片付けたら直ぐにお伺いします」
下げていた大きな紙袋を少し持ち上げて答えた。
「じゃあ、ボクがやっておいてあげるよ。普通に洗えばいいんだよね」
天真爛漫を絵に描いたような表情で、アンズの隣からコトミが申し出る。
「そんなコトミさんに雑用をさせるなんて」
「あはは。大袈裟だよ。簡単だし。あ、でも割らないように注意はするよ」
「では、申し訳ありませんがお願いします」
「おっけ。任せてよ」
「そうだ。後で疲れた腕をマッサージさせて頂きます。その、お風呂に入りながら、なんというか全裸で。も、もちろんこれは入浴中の方が血行が良くなるからという理由で、下心はまったく微塵も一切合財ありません」
鼻息を荒くしながら、どうみても下心満載の申し出をしてみる。
「そこまでさせるとアンズちゃんに悪いよ」
「え、いえ、そのわたくしは……」
「じゃあ、また後で」
「はうぅっ」
あっさり断られて、がっくりと肩を落とす。
いつもの会話についソネザキは苦笑を浮かべてしまう。
「じゃあ、とりあえず私の部屋に」
「まったく、折角コトミさんと入浴できるチャンスでしたのに。断られたのはソネザキさんのせいですからね」
理不尽極まりない主張をするアンズを部屋まで連れ込む。
と、灰色ベースの愛想の欠片もない部屋の床にドルフィーナが座り込んでいた。
「なんですの?」
普段とは違う神妙な様子のオートマトンに、アンズが警戒しつつ半歩下がる。
「ドルフィーナがアンズに、大事な話があるんだって。怒らずに聞いてやってくれないか」
「それは構いませんが……」
「じゃあ、ドルフィーナ」
「むう」
ドルフィーナが小さく呻いた。
それから意を決して、床に額を付ける。
いわゆる土下座。謝り方の中では最上級の物だ。
「な、なんですの? 一体?」
「済まん。アンズ、実はお前のティセットを割ってしまったのだ」
アンズが目を丸くした。
「あのさ、こいつも凄く反省してるし、許してやってくれないか。高い物だと思うけど、できるかぎり弁償するし」
ソネザキがフォローを継ぎ足す。
「やっぱりドルフィーナさんの仕業だったんですわね」
「知ってたのか?」
驚くソネザキにアンズが簡単に説明する。
「一昨日、紅茶を飲もうとした時に気が付きました。この出来損ないのオートマトンときたら、やることなすことロクでもないことばかり」
「そこまで言わなくてもいいじゃないか。ドルフィーナだって謝っているんだから」
「謝ったら壊れた物が元通りになるとでも……」
痛烈な言葉を途中で飲み込んだ。
「もういいですわ」
溜息混じりにそう言うと、頭を下げているドルフィーナの傍に腰を下ろす。
「いつまでそんな格好をしているのです。頭を上げてください」
軽く肩を叩かれて、ドルフィーナが顔を上げた。
「まったく、困った機械人形ですわね」
もう一度大きく息をつくと、ポケットからハンカチを差し出す。
「涙を拭いてくださいな。これじゃあ、わたくしが悪者みたいじゃありませんか」
「うう」
「あ、ちゃんと洗ってアイロンを掛けて返して下さいね」
「解っている」
「できれば熱湯消毒もしておいてください」
「我は雑菌か!」
あまりにバカバカしいやり取りにソネザキが耐え切れずに吹き出した。
「笑うな! 失礼であろ!」
「そうですわ! 真面目に話している時に笑うなんて!」
「こら! 真面目に雑菌扱いしていたのか!」
「止めてよ。お腹が痛くなるからさ」
ソネザキのギブアップに、双方がふんと顔を逸らして終了となった。
「あれこれ悩んで損をした気分だ」
「貴重な時間を無駄にしたのはお互い様です」
「とりあえず一件落着で良かっただろ。ちなみにドルフィーナ、今日の夕飯当番はお前だぞ」
「解った解った。ささっと作ってやる」
「品のない味付けにしないでくださいね」
「子供は乾パンでも齧ってればいいのだ。少しは背が伸びるぞ」
「き、機械人形の分際で生意気な!」
机の上にあった小型の目覚まし時計を取って、投げつけようとするアンズ。
「止めろよ。私の部屋の備品だぞ」
ソネザキがその手を掴んで止める。
と、その隙に部屋からさっさと退散するドルフィーナ。
「まったく」
呆れつつもアンズの手を放した。
「出来の悪い機械人形は困りますわね」
「ところでさ。弁償なんだけど」
「いりませんわ。今日、新しいティセットを買ってきましたもの」
目覚ましを元通りに置きつつ、素っ気なく答える。
「今日の買い物ってそれだったのか。でもさ、ケジメってのもあるし」
「形ある物はいずれ壊れます。それが早いか遅いかの違いだけですわ」
「だからって」
「ソネザキさん」
アンズが困った顔になった。
「友人同士で金銭が絡むのは、よくありませんわ。今までの関係が壊れてしまう可能性がありますもの。ソネザキさんやドルフィーナさんは、わたくしを財閥の娘ではなく、一個人として見て下さっているでしょう。わたくしは、この心地良い関係を維持したいのです」
一旦言葉を区切り、少し意地悪な表情に変えた。
「わたくしにとっては安物でも、普通の仕事をしていらっしゃる方には少々値の張る物ですわ。大体、給料の半年分くらい」
「嘘? そんなに高いの?」
「ふふ、もちろん嘘ですわ。あれは正真正銘の安物です。でも、わたくしとの距離を感じてしまったでしょう」
「正直、ちょっとね」
「ソネザキさんは、それでも今までの距離を保とうとしてくれるとは思いますが、ドルフィーナさんには難しいと思いますわ」
「そう、かもね」
「無神経に見えて、あれこれ思考してしまいますから、あのタイプのオートマトンは」
「じゃあ、この件は落着でいいのかな?」
「よろしいですわ。ドルフィーナさんも反省し、ティセットも新しい物を買いました。全て元通りですから」
「わかったよ。ありがとう」
「うふふ、どういたしまして」
「ところでさ、ティセット買うお小遣いが良く残ってたね。今月はあれこれ部屋の物を買ってると思ってたけど」
ぴくりとアンズの表情が強張る。
その反応にソネザキがピンときた。
「まさかと思うけど、チームのお金に手をつけてないよね?」
「ティセットは皆さんで使うものですし、その役割を考えれば導き出される結論は非常に限られて……」
「アンズ!」
数分後、アンズは皆の前で深く反省させられる羽目になった。
それから全員揃って新しいティセットでお茶を楽しんだ。
平穏な休日の一幕。
<Fin>




