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番外編1

【一〇月一八日】

 

 夢を見た。昔の夢だ。


 寝汗で額に張り付いた髪を乱暴に掻きあげると、アンズは大きく息を吐いた。

 

 忘れたいと思う程に強く思い出される過去。

 コトミが微笑んでくれる度に胸が締め付けられる。

 

 コトミは気にしていないだろう。

 あの時の事を話せば、「ああ、そんなこともあったよね」と彼女らしい天真爛漫な表情を見せるだろう。

 

 だからと言って、アンズが忘れるわけにはいかない。

 気にしないわけにはいかない。

 

 コトミと楽しい時間を過ごすたびに、戒めのように夢にうなされる。

 あの時、自分が犯した過ちを決して忘れさせないように。

 

 

                       * * *

 

 

 コトミとアンズの出会いは学区の入学前、幼年部の頃になる。

 

 その頃のアンズは、完全無欠のお嬢様だった。

 富豪の末娘として必要以上に甘やかされた結果、彼女はなんでも自分の思い通りにならないと気が済まない人間になっていた。

 

 当時のアンズが特に好んだ遊びが、人の大事にしている物を壊す事であった。

 彼女の家の財力に媚びるクラスメイトの一団を引き連れて、目に付いた相手の物を取り上げ破壊する。

 

 幼少期特有の残酷さもあり、彼女は正に動く災厄と表現できるほどだった。

 

 だが、狡猾なアンズは大人の前では良家の娘を見事に演じ、常に穏やかな面しか見せない。

 それ故、彼女の暴虐ぶりが露呈する事はなかった。

 

 そんな時に転入生として現れたのがコトミだった。

 

 どこにでもいる貧乏人の子供と気にかけないアンズだったが、コトミの方は違った。

 

 コトミは子供の頃から天真爛漫で、曲がったことが嫌い。

 そんなコトミがアンズの暴虐を放置しておく訳はなかった。

 止めるように注意したのだ。

 

 それに対し、アンズは烈火の如き勢いで怒った。

 取り巻き連中をけし掛け、力による排除を目論んだ。

 

 結果、取り巻き十数人は全員叩き伏せられ、アンズも拳骨で頭を五回ほど殴られた。

 コトミ相手には財力も権力も効果がなかったのだ。

 

 アンズは泣きながら、これ以上暴虐をしないと約束した。

 この事件を機にアンズの暴走は止まる。

 全てが丸く収まったかに見えた。

 

 しかし、やられっぱなしで終わるほど当時のアンズは穏やかな人間ではなかった。

 コトミに復讐すべくチャンスを狙っていたのだ。

 

 周囲の大人に泣きつくという手もあったが、それでは自身のプライドが許さない。

 取り巻き連中はコトミにすっかり恐れをなしてしまっている。

 数がダメなら武器で。

 それが幼いアンズの行き着いた結論だった。

 

 親や世話係の目を盗んで小型の護身拳銃を持ち出したアンズは、コトミを手紙で呼び出した。

 

 場所はコトミの系列会社が使っている空き倉庫。

 理由は仲直りして友達になりたいという事にした。

 

 全く警戒せずに一人で現れたコトミに、いきなり銃を突きつけた。

 アンズも実際にコトミを撃つつもりはなかった。

 コトミも子供、拳銃を見れば泣いて謝ると思った。

 それでおあいこ、安っぽいプライドは守られる。

 

 事態が理解できず唖然とするコトミ。

 その様に得意となったアンズは呼び出した本当の理由を説明した。

 

 それを聞いたコトミは。

 

 キレた。

 

 騙された事にではなく、その歪みきったアンズの心根にである。

 

「しこたま殴られて、しこたま蹴られましたわ。どんなに謝っても聞いてくれませんの。殺されるかと思いました」

 

 その時の事を語るアンズの言は、決して大袈裟な物ではないだろう。

 

 翌日、アンズは自室のベッドで目が覚めた。

 身体のあちこちに湿布と絆創膏が貼られ、包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 幸いにも大怪我と呼べるほどの傷はなく、腫れあがった顔も一週間ほどで戻った。

 

 その後、両親にしこたま怒られた。

 銃を持ち出した事から、普段の暴虐に至るまで、全て両親の知るところとなっていたのだ。

 

 普段優しい親からの叱責は、流石に応えたらしく、アンズは更に数日間学校を休んだ。

 

 十日後、ようやく登校したアンズだが、コトミの姿がないのに驚いた。

 聞けば怪我をして休んでいるとの事。

 

 迷いはあったが、放課後にアンズはコトミを見舞いに向かった。

 

 アンズもバカではない。

 途中で気を失った自分を家まで運んだのが、他ならぬコトミであるのは解っていた。

 その際、普段の他愛ない悪戯、程度にアンズは思っている、を親に話したのもコトミだろうと予測はついている。

 

 とりあえず運んでくれたことには礼を言わねばならないだろうし、親への密告には嫌味の一つでも言ってやらないと気が済まなかった。

 

 コトミの家はやや傾いたかなり居住ドームの端っこにある古い家だった。

 しかも小さい。アンズの自室よりも狭いくらい。

 

 アンズを迎えたのは、コトミと瓜二つの女の子、双子の妹コノハだった。

 

 無愛想というより、敵意のこもった目を向けられながら奥に通された。

 

 古びたタンスと机が一つだけの部屋、居間であり寝室であり応接スペースである唯一の空間。

 

 その隅っこ。

 薄っぺらい布団に包まっていたコトミは、顔の右側を汚れた包帯覆っていた。

 

 アンズを目にしたコトミは一瞬驚いたが、直ぐに人懐っこい笑みを浮かべて出迎える。

 

「お見舞いに来てくれたんだよね。ありがと。実はちょっとやり過ぎたかなって思ってさ。どうやって仲直りしようかって悩んでたんだ」

 

 その言葉と陰のない表情に、すっかり毒気を抜かれてしまったアンズは、家まで運んでくれた礼を述べるだけに留まった。

 

「じゃあ、これで仲直りだね。でも、アンズちゃんって、案外重いんだよね。びっくりしたよ」

「アンズちゃん?」

 

 初めての呼称に面食らう。

 

 肉親を除いて、「お嬢様」や「姫様」と呼ばれるのが、普通だった。

 

「ちょっと馴れ馴れしくありません? わたくしの家は人類文化圏でも五十指に入る財閥ですの。それも最も伝統と格式ある……」

「でも、アンズちゃんはアンズちゃんなんでしょ」

 

 その一言にアンズは黙り込んだ。

 

 今まで考えた事もなかった。

 自分は財閥の末娘であり、それ以外ではない。

 他ならぬ自身が、己を一個の人間として見た事はなかった。

 

「わたくしは、わたくし」

「当たり前だよ。そんなの」

「今まで、そんなこと考えもしませんでしたわ」

「ひょっして、アンズちゃんって頭緩いの」

「し、失礼な!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るアンズに、コトミがにへへと笑みを見せた。

 

 二人の間にあった見えない何かが消えた瞬間だった。

 

 それから年相応の他愛ない会話に花を咲かせた。

 

 日が沈む頃、アンズはコトミの家を出た。

 対等に話ができる同年代の存在ができた事に、自然と心が軽くなる。

 

 携帯端末で迎えの手配を終えた時、後ろに立つ気配に気付いた。

 コノハだった。

 

 振り返ったアンズの動きが止まる。

 コノハは護身用の小型拳銃を手にしていた。

 コトミを脅す為に、アンズが持ち出した物だ。

 

 アンズが反応するよりも早くコノハがトリガーを引いた。

 咄嗟にに目を閉じるアンズの耳に届いたのは、火薬音ではなく金属のぶつかる甲高い音。

 

「大丈夫よ。弾は入ってないから」

 

 冷たい一言。

 アンズは安堵すると同時に怒りが沸いてきた。

 

「何をするのです! 人に銃を向けるなんて!」

「アンタはお姉ちゃんに銃を向けた」

「そ、それは」

「なんで弾が入ってないか解る?」

「そんなの解るわけ……」

「誰かが撃ったからだよ」

 

 アンズの中で、ある可能性が頭をもたげてきた。

 

「まさか。そんな……でも、わたくしは……」

 

 コノハの憎しみに満ちた目が、アンズを黙らせる。

 

「お姉ちゃんは何も言わなかったと思うけど。私はアンタを許さない。絶対に永久に」

 

 握っていた銃をアンズの足元に放り投げると、コノハは踵を返して家の中に戻っていった。

 

 すぐさまアンズは医療機関に連絡。

 唖然とするコトミを病院に無理やり放り込んだ。

 

 だが、全て手遅れ。コトミは右の視力を失った。

 

 原因は瞳の至近距離を掠めた銃弾と、その後の処置。

 適切な手当てができていれば、最悪の事態は回避されたはずだった。

 

 己の安っぽいプライドを守る為の行動が、取り返しの付かない結果を招いた。

 生まれて初めて感じる罪の意識に押し潰され、薄暗い自室にこもって塞ぎこんでしまった。

 

 そんなアンズに、退院したコトミが押しかけてきた。

 

「ボクもやり過ぎたんだし、お相子お相子。それよりアンズちゃんと友達になれたんだから、結果的には良かったと思うよ」

 

 その裏表のない笑顔にアンズは誓った。

 犯した罪は消せない、できるのは償う事だけだ。ならば、自分はコトミの為だけに生きよう。

 この純粋な微笑みを消して曇らせはしない。

 何があっても傍で護り続けようと。

 

 あれから気の遠くなるほどの時間が過ぎた。

 

 コトミの為に。ただそれだけを考えて行動してきた。

 友人を想うよりも硬く。

 恋人を想うよりも深く。

 肉親を想うよりも強く。

 

 人からは屈折した愛情に見えるかもしれない。倒錯した愛情にしか思えないかもしれない。

 

 しかし、他人がどう見ようが、どう思おうが、そんな物はゴミほどの価値すらない。

 

 

                       * * *

  

 

 ふうっと大きく息をついた。

 

 先週のゴキブリ騒ぎ以来、あの頃の夢ばかり。

 どうにも疲れが取れない。

 

 大きく伸びをして、ベッドから降りた。

 

 時間は五時前、今から寝直しても身体がだるくなるだけだろう。

 それならシャワーで汗を洗い流す方が魅力的なプランだ。

 

 タオルと下着を準備して部屋を出る。

 

 と、誰も居ないはずのリビングをふらふらと歩く影があった。

 

「コトミさん?」

 

 アンズが思わず声を出した。

 

「んあ?」

 

 その声にコトミが振り向く。大きな瞳は蕩けたような状態だった。

 

「猫がね。ボクのカボチャを咥えて逃げたんだよ。あのカボチャがないと爆弾が解除できなくなるの」

 

 相変わらず支離滅裂な夢を見ていたようだ。

 

 ふふっとアンズが口元を緩める。

 

「解りました。猫はわたくしが探しておきます。コトミさんは部屋に戻ってお休みください」

「でも……」

「ささ、早く早く」

「ん……じゃあ、お願いするね」

「はい。お任せください」

 

 覚束ない足取りで部屋に向かうコトミの背中を見送る。

 

 不意にコトミが足を止め、ゆっくりと振り向く。

 

「どうなされました?」

「アンズちゃん、いつもありがと。これからもずっと一緒だよ」

 

 コトミの表情は、まだ半分以上眠りの世界を漂っている状態。

 逆に言えば、明確な意識のない分、心の底からこぼれた言葉だったのだろう。

 

 アンズが小さく息を飲んだ。

 シンプルな一言に溢れそうになる涙をぐっと堪える。

 今、コトミが求める答えは、感情に流された物ではないのだから。

 

「もちろんですわ。わたくしとコトミさんは、これからもずっと一緒。わたくしにとって、コトミさんは宇宙で一人だけの親友なのですから」

 

  


                                  <Fin>



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