【エピローグ】
【二二二一八年 一〇月一一日】
●午前〇〇時二一分●
「ソネザキ! ソネザキ!」
乱暴にドアを叩く音と、自分を呼ぶドルフィーナの声にソネザキは眠りの世界から引き戻された。
ぼんやりする頭で時計を見る。
時間は日付が変わって直ぐくらいだ。
「なんだよ。こんな時間に」
目を擦りながら呟く。
「ソネザキ! 開けてくれ!」
ドアを叩く音が一層強くなる。
不穏な空気を感じ取ったソネザキが、枕元の一六式自動拳銃を手にしてドアまで駆け寄る。
「どうした?」
尋ねつつ弾丸を装填する。
「大変なのだ! 早く開けてくれ!」
「ちょっと待って。ちゃんと状況を……」
甲高い悲鳴が遮った。アンズの物だ。
「今、開けるから」
「待て! 開けるな!」
正反対の言葉に、ドアのロックを外そうとしていたソネザキの手が止まる。
「ひぃぃぃ! ソネザキさん! 早くドアを開けてくださいぃぃぃ!」
泣き喚くようなアンズの叫び。
「解った、今」
「あひぃぃ! 開けないでぇぇ!」
「ちょっと、状況を」
「うわわ! そっちだ!」
「ひぃぃ! そこにも!」
「今だ! ソネザキ! 早く開けろ!」
「ダメですわ! 開けてはいけません!」
パニックに陥っているらしい二人の反応は全く要領を得ない。
「どっちなんだよ!」
ソネザキも流石に苛立つ。
「開けるな!」
「開けてください!」
ソネザキは思わず頭を抱えてしまう。
とりあえず、何か切迫しているのは理解できた。で、あれば室内で隠れているよりも、状況を把握して指示を出すべきだろう。
チームのリーダーは自分なのだ。
「よし」
そう決めると開錠ボタンを押した。
圧縮空気の漏れる音に続き、ドアが開く。
ドアにしがみ付いていたのだろう。
ドルフィーナとアンズの二人が、支えを失って中に倒れこんできた。
二人とも瞳一杯に涙を溜め、血の気を失った顔をしている。
「どうしたんだよ。こんな時間に」
「バカ! 早くドアを!」
「閉めなさい! バカ!」
ドルフィーナとアンズが息ぴったりに言い放つ。
「お前ら、バカバカってねぇ」
呆れつつも反論しかけたソネザキの顔に向かって、黒い何かが飛んできた。
ぶぞぞぞぞぞと嫌に力強い羽音を立てる、体長五センチ程の昆虫。
妙に光る身体が特徴的な奴だ。
一部の人間には畏怖の念を込めて黒いアレだのと呼ばれている。
「きゃっ!」
咄嗟に可愛い悲鳴を漏らして身体を沈めた。
普通の人間なら恐怖で動けなくところだが、軍人としての訓練が生かされていると言えるだろう。
「ご! ごき!」
恐慌に陥り掛けたソネザキの頭上を、続いて三匹が飛び抜けていく。
「だから、早く閉めろと行ったであろ!」
「ひぃぃ。この部屋に最低でも四匹入りましたわ」
「四匹も」
ソネザキは気が遠くなりそうだ。
「わたくしの部屋なんて、十匹以上も入り込んだのですわよ!」
涙をこぼしながらアンズが訴える。
「リビングはもっと酷い有様です。もう、あちこちに黒いアレがぁぁ」
「なんでそんなことに?」
「その機械人形のせいです!」
「嫌な言い方をするな! 我も立派な被害者だ!」
「まさか」
「我の部屋で、黒いアレが大量発生したのだ!」
「貴方がお菓子の屑を床に撒き散らしているからでしょう!」
顔をつき合わせて怒鳴りあう二人から、リビングの方に目を向ける。
夜間用の薄暗いルームランプの中で、壁や床をアレがちょろちょろと這い回っている。
「貴方のせいですのよ! ちゃんと責任を持って駆除なさい!」
「無茶を言うな! 十匹や二十匹ではないのだぞ!」
「そんなに多いのかよ。まったく冗談じゃないよ」
ソネザキも泣きそうだ。
「っていうか、私の部屋にも入っただろ! なんとかしろよ!」
「だから開けるなと言ったではないか! 忠告に従わないお前が悪いのだ!」
「喚かないで下さい! 私の部屋はもっと絶望的な状況ですのよ!」
怒りをぶつけ合っていた三人だが、ふうっと息を吐いた。
「止めた。口汚く喚いてても解決しないよ」
「そうですわね。まずこの状況をなんとかしないと」
「知恵と力を貸してくれ」
「まず状況を把握だよ。敵の戦力はどのくらい」
「そうですわね。わたくしの見立てでは、リビングに三十。わたくしの部屋に十。ソネザキさんの部屋に五」
「我の部屋にも二十は残っている」
「単純に合計しても六十以上か。こっちの武装は?」
「殺虫剤が二本あるはずだ。我の部屋とリビングに」
「室内を一掃できるタイプのやつはないんですの?」
「ないよ。配給品は夏の終わりに使った」
「殺虫剤を確保して各個撃破しかないのか」
「まずはリビングから一本取ってこよう。問題は誰が行くかだけど」
顔を見合わせた。
誰もが貴方にお任せしますと言いたげだ。
不意に「こ」と書かれたドアが開いた。
「なに? みんな? どうしたの?」
大きな瞳を七割くらい目蓋で覆ったコトミが姿を見せる。
手には愛用の抱き枕。スリッパは左足だけと、いかにも寝ぼけている感が満載だ。
「コトミ! 部屋に戻って!」
ソネザキが咄嗟に叫んだ。
しかし、その声を追い抜くいて、ぶぞぞぞぞぞと羽音が飛ぶ。
「コトミさん!」
「んあ?」
凄まじい速度で迫ってくる黒いアレに、まだ半分以上は眠りの世界にいるはずのコトミが反応した。
右足を軸に身体を回転。
スリッパの裏で黒いアレを叩き落とす。と、間髪入れずに踏み付けた。
みちょっと嫌な音が鳴る。
「ひぃぃ!」
もうアンズは気絶寸前だ。
「あれれぇ? まだいるよぉ?」
目を擦りながら、履いていたスリッパを手に持つと床を這っていた一匹を叩き潰す。
「うわぁぁ」
もうドルフィーナも気絶寸前だ。
「あれれぇ? こっちにもだよぉ」
続いて壁にへばり付いていたのを、やはりスリッパで一撃。
「あわわ」
もうソネザキだって気絶寸前だ。
「ん、まだ一杯いるね。まあいいや、寝よ」
踵を返して部屋に戻ろうとする。
「とりあえずコトミの部屋に退避するよ!」
ソネザキの指示でコトミを追って部屋に駆け込んだ。
壁紙もクッションも全てパステル調の女の子らしい色合い。
ちなみにほとんどの物がアンズとお揃いである。
「あれ? みんなどうしたの? パーティ? じゃあ、ボクはカレーとハンバーグ。夏ミカンは良く焼いてください。ソースはガーリックシロップで」
ふらふらと頭を揺らしながら、意味不明の単語を並べる。
「こいつはどんな夢をみてるんだ?」
ドルフィーナが溜息を溢した。
「夢ってのはそんなもんだよ。コトミ起きて」
ソネザキがコトミの頬をぺちぺちと叩く。
「んあ? ソネザキ? 一緒に寝る?」
「ちょっと、コトミ」
急に抱きつかれて、ソネザキが頬を赤らめる。
「ソネザキさん、どさくさに紛れて何をしておられるのです?」
アンズが負のオーラを漂わせながら尋ねる。
「ひょっとしてこのゴキブリ騒ぎは、貴方が企んだんじゃありません? わたくしからコトミさんを奪う為だけに」
「そんなわけないだろ」
「犯人はいつもそう言うんです」
「なんの犯人だよ。コトミ、ちょっと離してってば」
「むにゃむにゃ、愛してるよぉ」
「やはり! そうだったのですね! この卑怯者!」
「いや、違うから!」
「お前ら痴話喧嘩で盛り上ってる場合じゃないであろ」
「そ、そうだよ。コトミ、大変なんだ。黒いアレが大量発生してさ」
「ん、黒いあれ?」
コトミが手を緩める。
ようやく覚醒し始めたのか、瞳が半分くらいは開いていた。
「コトミさん、大変ですの。黒いアレが大量発生したんですの」
「む、大量発生?」
ぐにゅぐにゅと目を擦りながら、大きく伸びをした。
「あ、それは大変だ。駆除しないとね。ボクも手伝うよ」
別段切迫した様子は見えない。
いつものコトミだ。
「凄い数なんです。十匹や二十匹ではないんです」
「ん? でもゴキブリでしょ。片っ端から叩き潰していけばいいよね」
心強い発言に、ドルフィーナとアンズの顔に希望が浮かぶ。
だが、ソネザキは楽観的な考えにはならない。
「ダメ。部屋中が潰れたアレで一杯になるんだよ。それを雑巾やらで拭き取るのを想像してごらんよ」
「じょ、冗談ではありませんわ」
「じょ、冗談ではないぞ」
「そもそも、今回の責任はドルフィーナさんにあるんです。貴方が掃除すればいいでしょう。舐めるように丁寧に。というかむしろ舐めなさい」
「その発言、人間性を疑われるぞ」
「はいはい。二人とも、じゃれ合うのはそれくらいにしておこうよ」
パンパンと手を叩いて、ソネザキが雑談を遮る。
「まずはリビングの殺虫剤の確保、これはコトミに頼むよ。そこからドルフィーナの部屋を制圧しよう。で、アンズと私の部屋の順で。いいね?」
ソネザキのプランに三人が頷く。
「殺虫剤は私とアンズで使う」
「解りました。妥当な判断だと思います」
「駆除したアレの死体はコトミが捨てていって」
「おっけい。任せてよ」
「ナビはドルフィーナに。お前の目ならアレの動きを追えるだろ」
「あまり見たくないのだが、仕方ないな」
「よし、じゃあ」
ソネザキが踵を揃えた。それを見て、三人も姿勢を正す。
「状況開始」
「了解しました。状況を開始します!」
敬礼。
第十三学区中等部普通課二回生、ソネザキ達四人の十月十一日はこうして始まった。
<Fin>
※紅子より
本編はこれで終了となります
今後は番外編としてショートショートを更新していきます
更新頻度は不定期になりますが、今後もライフワークとして書き続けたい作品なのでよろしくお願いします




