【13-01】
●十八時一五分●
「ユキナ教官に敬礼!」
ハルナの号令に従い、ユキナ、ミユ、カナエの各クラス計百二十名全員が一斉に額に手を当てた。
一糸乱れぬ動き、とまではいかないが、ほぼ統一された動作は彼女達の練度の高さを示している。
ユキナはゆっくりと全員を見渡す。
彼女の前に、生徒達は十名ずつ十二列に並んでいた。
簡易シャワーで軽く汚れとペイント液を洗い流した後の彼女達は、疲労が残りつつも晴れやかな顔だ。
「よし、休め」
十分に時間を置いてから、ユキナがそう告げた。
「本日の演習で、見事ミッションをクリアしたチームを発表する。赤のカピ……」
言葉を詰まらせた。
鬼教官と呼ばれるユキナにしては珍しく微かに頬に朱を浮かべながら、咳払いを一つ。
「赤のカピバラさんチームだ。メンバーは前に出ろ!」
ソネザキ達四人が列から横に一歩移動、そのまま駆け足でユキナの近くまで進む。
リーダーのソネザキを前に、三人が後ろに並び敬礼。
「まったくお前らのクラスのチーム名はなんなんだ。軍候補生としての自覚が欠如しているとしか思えん」
ユキナの口から「カピバラさん」などという愛らしい単語が出る事は、庭先に天然記念物が飛び込んでくるくらいの珍事だ。
「他のチームは生存者なし。見事な成果だ。無様以外の何物でもない」
痛烈な、しかも的を射た評価だ。
「今回の演習で、貴様らが弛んでいるのが良く解った。明日からの訓練はより厳しい物にする。覚悟しておくように」
その一言に生徒達から不満のこもった溜息が漏れる。
ユキナの訓練は生徒達の覚悟の遥か上をいくのが通例だからだ。
「全ては貴様らを思ってのことだ。感謝すべきことだと理解しているな?」
「はい! ありがとうございます! 教官!」
全員が声を揃えて応える。
学区において教官の命令は絶対なのだ。
「さて、か、カピバラさんチームには、ミッションクリアの五千ポイントと生存者一名分の二千ポイント。更に第一種支給品チケット一枚が贈られる」
小さなどよめきが起こった。
解っていたとは言え、思わず声が漏れるほどの破格の報酬だ。
「第一種支給品チケットの交換期間は来月末までだ。チームで相談し最良と思う物を選択せよ」
「はい。ありがとうございます、教官」
ソネザキが代表して礼を述べる。
「では、今日の……」
「あの、ユキナ教官」
終了を告げようとしたところで、ソネザキが割り込んだ。
ユキナが鋭い目を向ける。
教官の言葉を途中で遮った事に対する叱責を予想し、ソネザキの顔が強張った。
「なんだ?」
意外にも一喝はなかった。
素っ気無いが、続きを促す言葉だった。
「第一種支給品チケットの交換ですが、先ほど相談して決めておきました」
「早いな。だが決断は迅速に越したことはない。言ってみろ」
「はい。私達が欲しい物は……」
* * *
時間を少し遡る。
演習が終了を告げて直ぐに、教官と上級生達からなる演習支援スタッフが、輸送車を繰り出し生徒達の回収に向かった。
ペイント液の中和剤を使い倒れた生徒を次々と起こしていく。
その後、動ける者は自力で、足元の覚束ない者は車で、輸送船に向かう。
ユキナの指揮は素晴らしく、三十分後には全ての生徒が輸送船に戻っていた。
しかし、生徒達に時間はない。
十八時十五分からの終礼までに、待機室脇の簡易シャワーでペイント液を落とさねばならないからだ。
「まったく酷い目に遭いましたわ」
シャワールームから出たアンズが口を尖らせる。
顔に付着したペイント液は落ちたが、服にはべったりと付着したままだ。
着替えがない状況。
いくら身体を洗っても、すっきりするとは言い難い。
「それにしても、この臭い。不快極まりないですわ」
「敗北感を存分に味わえるように、嫌な臭いが付けられているって噂もあるけどね」
続いてソネザキがシャワー室を出てきた。
「有りそうな話ですわ。まったく趣味が悪過ぎるのも、ここまで来ると呆れてしまいます」
「でも嫌な臭いだから、次はペイント液を受けないように頑張ろうって思えるよね」
次に姿を見せたコトミは、相変わらず笑顔でご機嫌だ。
「その通りですわ。わたくしも丁度同じことを言おうとしたのです」
アンズがさらりと主張を翻す。
「ボクはあちこち撃たれちゃったからね。早く部屋に戻って、ゆっくりお風呂に入りたいよ」
「わわわわわたくしもお手伝いします。背中を流して差し上げます。それはもう丁寧に。舐めるように。いえ、むしろ舐めます」
「解ったから、ちょっと落ち着け」
鼻息を粗くして詰め寄るアンズを、ソネザキが嗜める。
「ソネザキさん、邪魔しないで下さい。コトミさんとの入浴ですのよ。もう、想像するだけで、脳みそが溶けてしまいますわ」
「どんな蝋細工だよ」
「あはは、じゃあ今日は皆では入ろっか」
「そうしましょう! 大賛成です!」
「あの小さい浴槽だよ。二人だって無理無理」
「そっか。狭いもんね。やっぱり一人で入るしかないよね」
結論に行き着いたコトミが、小さく溜息をこぼす。
「どどどどどういうことですの?」
「皆でお風呂は、いつか広いお風呂に入る時にしようね」
「そんな……」
天国から地獄に真っ逆さま。
凄まじい妄想を浮かべていたアンズには幽体離脱しそうなくらいショックだった。
「うぅ……こんなことって……」
行き場のない矛先を何処に向ければいいのか。
もう行き先は一つしかない。
「ちょっとソネザキさん」
アンズがソネザキの襟を掴んで引き寄せた。
「どういうおつもりですの?」
怨恨で般若のようになった顔をぐぐっと近づける。
「いや、ただ事実を伝えただけなんだけど」
「わたくしに恨みがあるんですの? 恨みがあるんですね。恨みがあると仰いなさい!」
「人の話を聞けってば」
「それでこんな仕打ちをなさるんですのね。貴方のお気持ちはよおく解りました。わたくしも容赦はしません。泣いても謝っても、絶対に許しませんわ」
ちろちろと暗いオーラを立ち昇らせながら、
「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ・デ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」
を、ぼそぼそ繰り返す。
「解ったよ。なんとかするからさ」
「なんとかって、なんですの? もっと端的に具体的に芸術的に言いなさい! 一分以内に!」
ソネザキとしては色々と突っ込みたいところではあるが、とりあえず横に置いておく。
「コトミ、アンズがさ、狭くてもいいから今晩一緒にお風呂に入りたいってさ」
「ちょちょちょちょっとソネザキさん! そんな申し出をコトミさんが了解してくれるはずが……」
「うん、いいよ」
実にあっさり頷く。
「ほら、なんとかしたろう?」
「ソネザキさん」
アンズが潤んだ目で見つめる。
きっと彼女の目には、ソネザキが七色の後光を派手に撒き散らしながら佇んでいるように映っているだろう。
「わたくし、誤解していました。ソネザキさんが、これほどまでに友人想いの方だったなんて。これからもわたくしの友人、いえ、親友として傍にいてくださいね」
「解った解った」
「じゃあ、ソネザキは明日一緒にお風呂しよっか」
「それは構わない……」
ヒップホルスターのハンドガンに伸びるアンズの手を視界の端で捉えて、
「いや、遠慮しとくよ。一人でゆったりが好きだから」
慌てて言葉を置き換えた。
「そっか、残念だね」
がっくりとした表情を見せるコトミに笑顔を残して、すっとアンズに口を寄せる。
「お前さ、親友にも銃を向けるのか?」
「親しき仲にも礼儀ありですわ。それに軍人たるもの、銃を手にしたら私情を挟むわけにはいかないのです」
「私情から銃を手にしようとしたくせに」
「あら、どこかに証拠がありまして?」
「やれやれだね、まったく」
うふふと笑うアンズの頭をくしゃくしゃと撫でて、この問答を終わりにする。
「お前ら随分と楽しそうではないか」
暗い声と共に最後の現れたのは、もちろんドルフィーナだ。
「ったく、遅いよ。いつまで……」
「まったくですわ。低スペックの機械人形は……」
振り返ったソネザキとアンズが言葉を失った。




