【12-03】
「はいはい、暴れないで下さい。痛い目にあうだけですよ。よいっしょっと」
「いだだ! 解った解った! もうしないから!」
「まったく往生際が悪いんですから」
「しょうがないだろ。手を伸ばさないと届かないんだから」
「やれやれですね。で、届きましたか?」
ランバージャックの問いにソネザキが黙り込む。
「まあ、最後まで希望を捨てないというのは、評価すべきところではありますけどね」
「ところでさ、あの旗が立ってる台なんだけど、中が空洞って知ってた?」
「もちろんですよ」
「材質は強化プラスチック」
「そうですよ。重りとして底部分だけが金属になっています。それがどうかしましたか?」
「いや、別に。やっぱり細々と不注意だなって思ってさ」
「なるほど、良く解らない問答で時間を稼ぐ腹づもりですね。残念ながら、その手には乗りません」
ソネザキの腕を右手で捕らえたまま、左手でスタンナイフを抜く。
「そうだ。最後にさっきの質問に答えておくよ」
「質問?」
「手が届いたかって聞いただろ」
左手をぐっと握り、
「ギリギリだけど、なんとか届いたんだよ!」
横に大きく払う。
その拳の近くで、きらりと何かが夕日を反射した。
次の瞬間、旗の台が小さな音を立てた。
反射的にランバージャックが視線を向ける。その目が大きく見開かれた。
生気のない無表情な顔の中で、その瞳だけが驚愕の色を見せる。
台の一面、ソネザキとランバージャックの方に向いている部分の板が外れていた。
空洞であるはずの台の中に、十五センチくらいの筒が二本並んでいる。
滑らないように表面に凸凹をつけて握りやすくなっているそれは、投擲用のグレネードに他ならない。
ランバージャックの目が、台の横に並んで落ちているグレネードのピンを捉えた。
キラキラと夕日を反射するトラップ用のワイヤーでまとめられているのが解る。
そして、そのワイヤーが続いているのはソネザキの左手。
ピンを抜いてから、起爆には数秒の間がある。
捕縛した腕を解き、距離を取ろうとするランバージャックの足にソネザキがすがり付く。
「まったく、この子は」
ランバージャックはソネザキの襟首を掴むと、昇降口に向かって強引に投げ捨てようとする。
「うわわわ」
凄まじい力に抗する事ができなかった。
無様な声を上げながら、ドアに背中からぶつかる。
その刹那。グレネードが爆ぜる。
大量のペイント液が派手に散った。
ソネザキが背中の痛みを堪えながら、旗の方に顔を向ける。その眼前に足が置かれた。自然と視線が上がる。
やはり。
無表情な顔のままで見下ろしているランバージャックと目があった。
あれほどの爆発。
あれほどのペイント液が飛び散ったというのに。飛沫すら付いていない。
「そんな……」
無念の言葉がこぼれる。
「非常階段を使ったのですね。先回りして台にグレネードを仕掛け、また非常階段から戻った。それから電子ロックをわざわざ開けて、屋上に入ってきた。まるで足を引きずって、どうにか階段を上がってきたように」
ソネザキが首肯する。
「すっかり騙されましたよ。足のペイントがフェイクだったという時点で、考慮すべきところではありました。注意深く見ていれば、ワイヤーに気付いたはずなのに」
「だから言ったろ。細々と不注意だって」
「ふふ、見事でした。本当に見事でしたよ」
「はは、でも、負けたら一緒だよ」
「そうですね。残念ながら」
ランバージャックが手にした物を、ソネザキの眼前に出した。
拳銃かスタンナイフを予想していたソネザキは、意味が解らず動きを止めてしまう。
旗だった。
このミッションのターゲットであり、数秒前まで台の上でたなびいていた旗。
「爆発で転がってしまったから、回収しておきましたよ。探しているとタイムオーバーになってしまいますからね」
片目を瞑ってウインクしてみせた。
目の付近だけが動いたようで、どことなくぎこちない表情だ。
「でも、なんで?」
「残念ながら、私の負けです」
盛大に疑問符を浮かべるソネザキに、そう告げる。
「負けって?」
「ほら、ここです」
左足を少し上げた。
良く見るとふくらはぎに、小指の先ほどの赤い点がついていた。
ペイント液だ。
「私は身体がデリケートなのです。こんなに沢山ついてしまうと、立っているだけでも辛いんです。これ以上はとても戦うなんてとても無理です。だから、貴方の勝ちなんです」
「オマケってこと?」
「違います。ペイント液だから、この程度で済んだのです。実弾なら少しくらい身をかわしても、破片や爆風で無事ではなかったでしょう」
「なるほど、物は言いようってことか」
「プライドが邪魔をしますか。それなら……」
「いや待って! 貰う、貰うから。プライドを持てるほど生活に余裕がないんだよ」
慌てて旗を受け取った。
「ソネザキさん、一つだけ解らないことがあるんです。非常階段を使って屋上に出た時に、どうして旗を取らなかったのです? それで終わりだったのに」
その問いにソネザキは少し思考を巡らせてから答える。
「私は大きなミスをしたんだ。任務を果たすには最短距離を探せってアドバイスを貰ったのにね。すっごい遠回りをしちゃったんだ」
「と言うと?」
「あの時、モガミ先輩が私に言いたかったのは、アンズを無視して旗を取りに向かえってことなんだよ。それなら兵力を十分に持ったまま、ここに来れる」
「確かに十人以上の戦力が一気に迫ったら、私でも抑え切れなかったでしょうね」
「あの状況ならアンズが生き残っている可能性はない。それが解ってるのに、救出に向かい……」
「結果、戦力を分断されて被害を大きくした。確かに指揮官としては大きな減点です」
「あれだけミスをして、自分が旗を取って終わりじゃダメかなってさ。絶対にアンタを倒して、皆に胸を張って報告してやるんだって。なんか変に燃えちゃってね」
「貴方にしては非論理的ですね」
「前の学区なら、こんな馬鹿げた選択はしなかったと思うよ。でも、ここはそんな気分になるんだ」
「それは周囲の環境が変わったのではなく、貴方が変わったからですよ」
「まさか」
「本当です。前の学区で、貴方は周りを見る余裕がありましたか?」
ソネザキは黙り込んでしまう。
前の学区では空虚な関係しかなかった。
それなりに仲の良い友人もいたが、蹴落とすべきライバルという認識の方が強かったように思える。
「ここに来て貴方は良い方向に変わったんですよ」
「そうかな。そうかもしれない、か」
自分自身に確かめるように呟いた。
「きっと良い担当教官に巡り会えたからですね」
「それはないよ」
即答。
「いえ、素敵な担当教官に巡り会えたからですよね」
「それはないってば」
更に即答。
「絶対にそうです。素晴らしい教官の指導があってこそです」
「だから、それは絶対にないって」
重ね重ね即答。
「見目麗しく! 知的で優しく! お茶目で可愛い! どこを取っても非の打ち所がない最高の教官じゃないですか! 何の不満があると言うんですか!」
床を踏しめ声を荒げるランバージャックに、ソネザキは引いてしまう。
「あ、私としたことが、つい熱くなってしまいました」
ソネザキの顔色に気付いて、コホンと小さく咳を一つ。
平坦な声に戻して告げる。
「丁度時間ですね」
その言葉にソネザキが時間を確認する。
時計の針は後数秒で十七時になるところだった。
顔を上げると、ランバージャックの姿はなくなっていた。
刹那の間に動く気配すら感じさせず消える。神出鬼没とは、まさにこの事だろう。
「化け物だね、ホントに」
無意識に驚嘆の声が漏れた。
これほどの力を持つ相手が本気で勝負を挑んできたら、学生の自分達には万に一つの勝ち目もなかっただろう。
この演習をお遊戯と表現していたのは、的を射た言葉に思える。
「でも、結果的には勝ったんだからいっか」
深く考えず前向きに、手にした旗を見つめながら、自身に言い聞かせるように呟く。
直後、各所に備え付けられたスピーカーから、演習の終了を告げるブザーが鳴り響いた。




