【11-01】
●一六時〇七分●
エリア最北端ビル。
この演習のターゲットである旗が置かれているビルである。
濃淡二色のちょっと洒落た外壁で、高さは十階。
ビルの右側には非常階段が見えているが、六階付近で崩れているのが解る。
足を負傷したソネザキを抱えて、ここを上るのは難しい。
ビル内部の通用階段を使う事に決めたが、そう簡単にはいかなかった。
入り口のドアに電子ロックが掛かっていたのだ。
強化防弾ガラスのドアは小銃で殴りつけたくらいではビクともせず、端末を使って電子ロックの開錠を試みるしかなかった。
細かな作業が苦手なコトミと、人の役に立つ作業全般を苦手とするドルフィーナでは埒が明かず、ソネザキの出番となったのだが。
「ようやく開いたよ」
端末を弄っていたソネザキが、大きく息を吐きながらそう告げた。
「まずいな。十六時を回った。ここに来て、随分なロスタイムだったよ」
何でもそつなくこなすソネザキだが、開錠に十五分以上掛かってしまった。
「フユツキがいてくれれば、楽勝だったのに。みんなが作ってくれた時間をこんなに浪費するなんて」
「自分を責める必要もあるまい」
「そうだよ。ボクとドルフィーナだったら、一時間掛けても開けられないもん」
えへへと笑う。
情けない話だが、コトミの愛らしい笑顔を見てると許される気になるのが不思議だ。
「それにしても、チトセちゃん大丈夫かな」
「コトミ、今は人の心配よりも自分のすべきことをする時だよ」
ソネザキの返答はそっけない。
いや、確固たる意思で作戦遂行していると言うべきだろう。
「ごめん。そうだったよね」
「でも、人を気遣う優しさは、なくさないでよ。そういうコトミが、みんな大好きなんだからさ」
「アンズの前で、そんなことを口にするなよ。奴の逆鱗に触れるぞ」
「解ってるよ。さて、いこっか」
端末を懐に戻して、ドアを開けた。
コトミの肩を借りて中に入る。
中はガランとしたロビーで左にエレベータが二基、突き当たりに金属製でガッチリと閉ざされた両手開きの扉がある。
さも当然と左に向かおうとするドルフィーナの襟首をソネザキが掴む。
「こら、どこに行くんだよ」
「エレベータに決まっておろう」
「破損エリアでエレベータが使えるわけないだろ」
「念のために確認したくなるのが人情であろ」
「あはは。気持ちは解るけどね」
「オートマトンが情けない人情を語るなよ。まったく」
呆れつつも突き当たりの扉まで移動、開けようとするが。
「やっぱりロックが掛かってる」
「ふん、この程度で我を阻めるわけがなかろう!」
ドルフィーナが言い放つ。
「我が三つのシモベの力見せてやるわ! さあ、ソネザキ! 開錠するのだ!」
ソネザキがごいんと容赦のない拳で応える。
「あいたたた」
「あいたたた」
「お前、何をするのだ! ここは、はいでガンス、であろ!」
「誰がお前のシモベだよ! っていうか、なんだよその変な口調!」
「三つのシモベと言えば、ザマス、ガンス、ふんがーというのが基本なのだ」
「何の基本だよ!」
「まったく趣を解しないやつだな。コトミなんとか言ってやれ」
「ふんがー」
「まったく、緊張感がなくて参るよ」
「これも教官のせいだな」
「緊張感でお腹は膨れないからね。適当でいいんだよ、うん」
「やれやれ、とりあえず開錠にかかるよ」
「はいでガンス、であろ」
「わかったよ。はいでガンス、はいでガンス」
「開錠はこいつに任せるとして、コトミには外で見張りを頼みたいところだな」
「ふんがー」
「二人で外に出てていいよ。開いたら呼ぶからさ」
「いや、我はここにいよう」
「どうして?」
「お前を後ろからじっとりと見つめておいてやる。この視線のプレッシャーに耐え切れるかな」
「まったく相手にしてらんないね」
「じゃあ、ボクは外に行っとくね。ふんがー。そのまま見張りに残っておくから、ソネザキ達は上に向ってよ。ふんがー」
いきなりの申し出にソネザキが動揺を見せる。
しかし、屈託のない笑顔を見ると何も言えなかった。
「解った。頼むよ、コトミ」
「うん、任せてよ」
ブイサインを作って答える。
「じゃあ、さっさと開けて上に向おう」
「階段は嬉しくないが、仕方ないか。しかし、プランは順調に進んでいるな。後はアンズにザマスさえ強要できれば、我が生涯の野望も見事成就するというものだ」
くくくと悪党笑いをするドルフィーナを他所に、ソネザキはドアのロックに、コトミは外での見張りに向かった。
* * *
外に出たコトミが大きく深呼吸。
続いて両の頬を平手で叩き、気合を入れる。
「よし」
と小さく呟くと、右手にある倒壊したビルに視線を向けた。
「ボクの方は準備おっけだよ」
「私の気配に気付いていたとは、これは驚きました」
じわりと空間から滲み出るように、密着タイプの黒いボディアーマーが現れた。
「なんとか迷彩ってやつだね。おかしいと思ったんだよ。いきなり現れるなんて有り得ないもん」
「ふふ、神出鬼没のトリックがバレてしまいましたか。なんとか迷彩ではなく、光学迷彩ですよ。プロトタイプなので信頼性は低いですが、見てのとおり背景に溶け込むくらいはできます」
「ね、質問があるんだけど」
「なんでしょう?」
「ソネザキがロックを開けてる間に来てたよね。不意打ちできたはずだなのに。どうして、待ってたの?」
「頑張って作業している最中にゲームオーバーになったら、がっかりしちゃうでしょう?」
「あはは。そうだね。でも、逆に言えば、後から仕留められる自信があるってことだよね」
「もちろん、子供に遅れを取る私ではありませんから。では、私からも質問させてください。私は気配を断っていたつもりですが、どうして気付いたのです?」
「なんとなくかな。視線みたいなのを感じてたんだ」
「良い勘です。優れた兵士になるには必要なことですよ」
「えへへ、ありがと。じゃあ、お喋りはこれくらいにしとくね。ボクはホンキでいくから」
「悔いのないように全力できなさい。プロの力を見せてあげましょう」
「じゃあ、いくよ」
コトミが駆け足で一気に間合いを詰める。
リーチに勝るランバージャックは、コトミが射程に入ったと同時に拳を繰り出した。
ノーモーションのストレート。
体重を綺麗に乗せた打ち方だった。
その一撃をコトミは軽くヘッドスリップでかわす。
首から上だけの移動で、重心の崩れることがない理想的な動きだ。
ランバージャックが拳を引き戻す前にコトミが懐に滑り込む。
迎撃せんとランバージャックが膝蹴りを放った。
だが、その一撃よりコトミの手が速い。ランバージャックの胸倉をぐっと掴む。
「せいやっ!」
コトミの身体がくるりと回転。全身のバネを使って投げようとする。
もちろんランバージャックは、抗しようと力を入れた。
次の瞬間奇妙な事が起きた。
ランバージャックの身体が大きく後方に弾き飛ばされたのだ。
「む!」
ランバージャックの口から思わず声が漏れた。
あまりに予想外の事態だった。
コトミは堪えようとしたランバージャックの力を利用し、逆方向に吹っ飛ばしたのだ。
神業とも言えるコトミの妙技。
しかし、すぐにランバージャックは直ぐに状況を把握。
空中でバランスを整えると、足から静かに着地する。
と、そこでランバージャックが目を見開いた。
無表情だった瞳に浮かぶのは明らかな驚愕。
すぐ近くにコトミがいた。
ランバージャックの落下地点に走り込んできていたのだ。
ランバージャックが体勢を立て直す前に、喉元に向けて必殺の抜き手を打ち込む。
指先が届く寸前。
べちっと肉を打ち付ける音が響いた。
ランバージャックの左フックがコトミの顔を捉えていた。
完璧なカウンターに、コトミの膝から力が抜ける。が、足が一歩前に出た。
なんとか崩れ落ちるのを堪え、後ろに跳んで間合いを取る。
「あいたた。今のは効いたよ」
コトミが首を小さく振りながら、殴られた頬を撫でる。
「驚きましたよ。つい本気になってしまいました」
打ち込んだ拳を見つめながら、独り言に近い呟きを漏らした。
「一発で終わるところだった。やっぱり強いね」
コトミの直線的な抜き手に対し、ランバージャックのフックは孤を描く攻撃。
距離では前者が有利なはず。
だが、結果的にランバージャックの拳だけが命中した。つまり、圧倒的に速かったのだ。
しかも不十分な体勢での攻撃にも拘わらず、この威力。
カウンターというトリックを最大限に利用したと言えるだろう。
「コトミさんもお強いですよ。他の学区を合わせても、間違いなく五指に入るでしょう」
「ありがと。そう言ってもらえるのは嬉しいな。でも勝負はこれからだよ」
重心を後ろに置いてコトミが構えた。
「今度は一転して待ちですか」
「うん。打撃戦じゃ、差がありすぎるもん。迂闊に手は出せないよ」
「ふふ、なるほど。双子さんが頑張っても勝てない理由が解りますね。さて、どうしましょうか。待っている相手に攻めるのは、賢い選択とは言えませんね。ここは貴方の弱点を衝かせてもらうとしましょう」
そう言うと、コトミに向けて両手を広げて突き出した。
「十、九、八、七……」
ゆっくりしたカウントダウンと共に指を順に折っていく。
「……三、二、一、ゼロ」
警戒するコトミの背後から爆音が届いた。
反射的に振り返るコトミの目に飛び込んできたのは、ビルの中ほどから立ち上る黒い煙だった。
「少し火薬の量が多すぎたみたいですね。ソネザキさんとドルフィーナさんが怪我をしていなければいいのですけど」
ランバージャックの声にコトミが顔を戻す。
いつも健康的な頬から、血の気が失せていた。
「演習、だよね」
「演習でも事故は起こります。演習はレクリエーションではありませんよ。実戦に限りなく近い訓練なのです」
「でも!」
「のんきにお喋りしてる余裕はありませんよ。ほら」
爆音が立て続けに三度。
外壁の一部や残っていた窓が吹き飛び、どす黒い空気の渦が巻き上がる。
「爆発を止めるには、これが必要です」
掌サイズで中央にストップの文字が書かれた、どう見ても胡散臭いリモコンを取り出した。
「こんなのずるいよ」
「ふふ、これも戦略というものです」
「ボクは怒ったからね!」
コトミが踏み込む。先ほどよりも圧倒的に速い。
身構えるランバージャックの顔面に向かって、拳を打ち出した。
が、ランバージャックは数センチ下がってギリギリでかわす。
「ほらほら頑張らないと。怪我では済まなくなっちゃうかも」
その台詞に応えるように爆発音が。
コトミの攻撃が速度を増した。
だが、矢継ぎ早に繰り出される攻撃を、ランバージャックは紙一重で避けていく。
当たりそうで当たらない。苛立ちがコトミの攻撃から精度を奪っていく。
振り出した拳が空を切ると、大きくバランスを崩した。
焦りと疲労でコトミの息は完全に上がっていた。
「さあさあ、友人が心配なら急ぐしかありませんよ」
更なる挑発にコトミがローキックで応える。
地面すれすれの攻撃に、ランバージャックの反応が遅れた。
左足にヒット。
「くっ!」
呻きと共に、身体が左に傾いた。
コトミがこの隙を見逃すはずがない。
全身全霊を込めた右拳を、その顔に打ち込まんとする。
罠だった。
挑発し、怒らせ、焦らせ、そして最後にほんの少し希望を見せる。
そうすれば大振りになった一撃が来るのは間違いない。
その合間を縫うように、必殺のカウンターで仕留める。
ランバージャックの手が動く。鋭く研ぎ澄まされた一撃を、無防備なコトミの顎に向けて放った。




