【10-03】
* * *
「双子が戻ったって?」
襲撃から避難し、チトセから報告を聞いたソネザキは、思わず声を上げる。
生き残った四人は見晴らしの良い大通りで、とりあえずは一息ついて座り込んでいた。
全員に疲労の色が見えた。
特に体力の乏しいドルフィーナは、地面に転がってぐったりとしている。
どこまでも人間らしい性能に脱帽したくなる。
「はい。イスズさんの指示に従うのは嫌だと言って二人で」
「あの二人はイスズちゃんと仲良いもんね。放っておけなかったんだよ」
「その気持ちは解るけどさ」
「アオイさんとアカネさんなら、近接格闘に持ち込めばきっと倒せると思います。そうですよね、コトミさん」
「それは、ちょっと難しいと思う」
意外な一言に、チトセだけではなくソネザキも驚きを見せる。
二人と何度も手合わせしたコトミは、誰よりも彼女達の実力を知っているはずだ。
「確かに、アオイちゃんとアカネちゃんは強いよ。必勝のパターンも持ってるし」
「そのパターンに持ち込めないってこと?」
双子との戦闘が二桁に上った頃、必勝策を尋ねるソネザキに、コトミは二人のパターンに入らないという条件を挙げていた。
「あの相手に、二人のパターンは逆にダメなんだよ」
達人は一目で相手の実力を推し量れるという。
コトミもその域に達したのか。
「根拠はあるの?」
「ただの勘だよ。でもこういうのって良く当たるんだ。ほら、売店でさ、新発売のプリンが沢山並んでても、どれが美味しいか解るみたいなもんだよ」
もんだよとか言われても。
そんな特殊能力に恵まれないソネザキとチトセにはピンとこない。
「プリン、ですか?」
「そうだよ。でもプリンは解るんだけどさ、シュークリームは解らないんだよね」
「シュークリーム、ですか?」
「そうそう。でも個人的にはケーキが好きだよ。そう言えば、先週さ、ドーナツの新しいのが出たよね」
また微妙に話題がずれてきた。
「あの、私、食べました。緑のドーナツ」
「緑って、ゴーヤ風味ってやつだよね?」
思わずソネザキが食いついてしまう。
「あれってボクも興味あったんだ。ね、美味しかった?」
「えっと、あの、個性的な味で、その、好みがあると思います」
「そうなんだ。ソネザキ、今度ボクらも食べてみようよ」
「勘弁してよ。絶対美味しくないって」
「食べてみないと解らないよ」
「この前の納豆クレープで懲りたじゃん」
「えぇ! あれを食べたんですか?」
「四人でね。なんていうか勢いでさ」
「その、どんな味がしました?」
チトセの質問に、二人が首を捻ってボキャブラリーを探る。
数秒間の思考で、もっともしっくりくる答えに辿り着いた。
「納める豆かな」
「納める豆だね」
売店は生活用品や文具、嗜好品の類を取り扱っている。各自のポイントで購入するシステムだ。
スナック菓子やスイーツの類も置いているのだが、店長の創作お菓子を販売もする。
これが「非常に」を十回繰り返したくなるほど個性的な物ばかりなのだ。
「あの店長のセンスは図りかねますよね」
「美味しいんじゃないかって思って、つい買っちゃうんだけどさ」
「でも、ボクはちょっと前の山葵味のカップケーキは美味しかったと思うよ」
「アンズが一口食べて悶絶したやつだね」
「あわわ、あれも食べたんですね」
「下らない話で盛り上っているな。そんなことを問題にしている場合か?」
動く分の体力を回復したらしいドルフィーナが這い寄ってきた。
普通に立って歩いた方が楽だと思うが、そこは彼女のポリシーがある。
と信じたい。
「お前の回復を待ってたんだろ」
ソネザキが反論した。
つい余談で盛り上った事を誤魔化す為とは言え、少々無理がある理屈だ。
「今の問題は、売店に入荷されるポテチのバリエーションが極端に少ないということだ。コンソメと塩と青汁味しかないんだぞ」
「でも、ボクはあんまりポテチ食べないしさ」
「あの、私もやっぱりスナックは、太りますから」
「貴様ら! そんなことで立派な大人になれると思っているのか!」
ポテチを食べるだけで立派な大人に慣れたら楽なもんだ。
「はいはい。ポテチとお菓子の話は置いておいて」
ようやく立場を思い出したソネザキが、停滞していた話を先に進める。
「双子の連携は完璧だよ。それでも勝ち目はない?」
「完璧だからダメなんだよ。二人はね、互いが相手の死角から攻撃するんだ。死角からの攻撃をかわせる相手だったら、逆にパターン化して組みしやすいと思う」
「有り得ない条件だよ。死角からの攻撃をかわすなんてさ」
コトミの言葉に苦笑を浮かべたソネザキだが、ふと思いとどまって聞き直した。
「コトミなら死角からの攻撃に対処できる?」
「不意打ちなら無理だけど、注意してればなんとか対応できるよ」
「冗談でしょ?」
「みんな無理って思ってるからできないんだよ。注意してれば空気の動きが解るから」
にっと屈託のない笑顔で答える。
「コトミの理屈はともかく、どうするかだな。助けに戻るか?」
ドルフィーナの問いに、コトミとチトセがソネザキを見る。
二人の視線に気圧される事もなく、ソネザキは冷酷な判断を下した。
「いや、二人は見捨てる。戻ったところで間に合わないかも可能性があるし、情に流されてみんなの犠牲を無駄にしたくない」
「ふむ、我も賛成だ。また走るのは疲れる」
「お前ねぇ」
オートマトンの一言に溜息が大きくなる。
「二人が稼いでくれた時間を大切に使わせてもらおう。このまま旗の奪取に向うよ」
「あの、ちょっと待ってください。その、実は気になってることがあるんです」
「それは青汁味のポテチが、案外早く売り切れるということか?」
「え、あの、その、そうじゃなくって」
「変なタイミングで腰を折るな」
ソネザキがオートマトンの頭を平手ではたいた。
「気になることって?」
「敵は、私達の居場所をどうやって把握してるんでしょう」
その言葉にソネザキ達が顔を見合わせる。
一拍の間を置いて、同時に声を上げた。
「アンズちゃんの端末だよ!」
「解った。アンズの端末だ!」
「これはおそらく超能力だな!」
ドルフィーナに視線が集まる。
その期待に満ちた顔を見ていると、突っ込み待ちなのは明白。
つい、食いつこうとするコトミの口をソネザキが急いで塞いだ。
「もがが」
「確かにアンズの端末があれば、バッチで位置がわかるね」
強引にソネザキが会話を修正する。
「無視するな。冗談は人生の潤滑油だぞ」
「え、あの、私、どうしたら」
慌てるチトセの視線が、ソネザキとドルフィーナの間を往復する。
「で、何か考えがあるの? チトセ」
空気の読めないオートマトンは無視しろという念のこもった目が、気弱なチトセの思考を掴んで引き寄せた。
「あのあのあの、あります。アイデアがあります。その、ごめんなさい」
「あくまでも無視する気だな。それなら我にも考えがあるぞ。いいか! お前ら! この我が……おがっ!」
ソネザキの拳骨がオートマトンの無駄な口上を遮った。
「あいたたた」
「あいたたた」
「舌を噛んだではないか!」
「無駄口ばっかり叩いてると、舌を引っこ抜くよ!」
駄々っ子を叱るように一喝した。
ぶすっと頬を膨らませてドルフィーナが黙り込む。
「で、アイデアって?」
「敵がバッチでこちらを探しているのなら、それを逆手に取るんです」
チトセにしては珍しいコロンブスの卵的な意見だった。
* * *
切っ先を紙一重でかわしたランバージャックが、目標を失って体勢を崩したアオイの足を払う。
無様に転がるアオイをフォローすべく、アカネがナイフで切り付ける。
頭を低くして、それをやり過ごすと、一歩踏み込んで腹部に掌打を叩き込んだ。
くぐもった呻きと共に、アカネの身体が後ろに飛んだ。
そのまま背中から地面に叩きつけられる。
更に追い討ちをと、間合いを詰めようとしたところで足を止め、背後に蹴りを放った。
後ろからナイフを繰り出そうとしていたアオイの胸元にカウンターでヒット。
アオイはバランスを崩し再び倒れる羽目になった。
「ちくしょう!」
「くそったれ!」
苛立った声を双子が上げながら立ち上がる。
何度も倒れたせいか、二人の服は砂で汚れ、頬や額に擦り傷までできている。
大きく肩で息をしながら、ランバージャックを中心にゆっくりと円を描く。
後からアカネが、前からアオイがタイミングを合わせて襲い掛かる。
だが、数手の攻防で、またも地面に転がされた。
有利と思えたのは、最初の一分だけであった。
その後、確実に反撃を決めてくるランバージャックに、二人は完全に圧倒されていた。
「最近の若者は体力がありませんね。私は息一つ乱れていないというのに」
「調子に乗りやがって!」
「舐めんなよ! お前!」
見下した台詞に、激昂した二人が襲い掛かる。
しかし、結果は変わらず。
「なんでなんだよ」
「勝ちパターンのはずなのに」
流石に弱気な言葉がこぼれた。
「この程度で勝ちパターンなんて、自惚れも甚だしいですよ。まあ学生のお遊戯レベルなら、高得点は取れるかも知れませんがね。プロとは物が違います」
抑揚のない声が、容赦なく打ち付けてくる。
いつも強気な双子と言えど、ここまで実力の差を見せ付けられた状態では、言い返す言葉もない。
「とは言え、いつまでもダンスに付き合ってる暇はありませんからね」
スタンナイフを抜いて構えた。
双子の顔が強張った。無意識に足が一歩下がる。
「貴方達の根性に免じて、一つだけアドバイスをしておいてあげましょう。貴方達は攻撃に移る前、常にアイコンタクトで動きを確認していますね」
完全な連携。常に死角から攻撃を繰り返す悪夢のコンビネーション。
その根幹を支えている言わばトリックの部分を見抜かれている。
「それさえ解れば、労せずとも攻撃を予測できるのですよ。今後は敵と相棒の動きを読んで、行動するように心掛けなさい。そうすれば、もうワンランク上がれます」
「なにを偉そうに!」
「ウチらを甘くみんなよ!」
怒声を上げつつアイコンタクト。
アカネが右から、アオイが左から攻めると瞬時に決める。
「その前に、人の忠告に耳を貸せるようにならないといけませんね」
ランバージャックが大袈裟に溜息をついたのを見て、双子が動く。
最後の力を振り絞り精一杯の速度でナイフを振るう。
ランバージャックが小さくに身体を捻った。
アオイのナイフを紙一重で避けると、手にしたナイフでアカネの攻撃を弾く。
そのまま反動で体勢の崩れたアカネの懐に滑り込んだ。
ランバージャックのスタンナイフがアカネの首に当たる。
バチンと音が響き、アカネの身体が崩れ落ちた。
その僅かな間に、アオイが次の攻撃を繰り出す。
完全に捉えたはずの一撃が、虚しく空を切る。
しまったと思った時には、眼前にナイフが迫っていた。
冷たい金属の感触が頬に触れる。瞬間、視界が黒に閉ざされた。
「さて、残るは四人ですね」
アンズの端末を取り出して確認した。
一塊になった四人が島の西側にゆっくりと移動している。
「なるほど、色々と工夫をしていますね。では、彼女達の頑張りをもう少し見せてもらいましょうか」
端末を懐に戻すと、静かに駆け出した。
身体を低くした奇妙なフォームだが速い。あっという間にビルの間を駆け抜けていった。
* * *
ふと、チトセが足を止めた。
彼女がいるのは島の西側に差し掛かりつつある地点。
倒壊したビルの並ぶこの辺りは大通りではないが、それなりに見晴らしが良い。
奇襲に備えての事だった。
腰のホルスターから拳銃を抜いて、周囲に視線を走らせる。
さっきから誰かに見られている気がするのだ。
その度に足を止めて、辺りを警戒しているのだが。
「気のせい、ですよね」
ふうっと息をついた。神経が昂ぶっているのだろう。
そもそもランバージャックがいた地点から随分と離れている。
襲撃から、まだ二十分くらいしか経っていない。
いくら特殊部隊の精鋭だろうと、追いつくのは不可能だ。
銃をホルスターに戻したところで、
「ダメですね。安全確認が不十分ですよ」
抑揚のない声が届いた。
小さく悲鳴を漏らしながら、慌てて銃を抜く。
「どどどどどこどこどこどこどこ」
まるでコミックソングの一節みたいに声が震えた。
「ここですよ」
数メートル左にあるビルの陰に黒いボディアーマーに身を包んだ女性が立っていた。
慌てて拳銃を向け、トリガーを。
「あれあれあれ?」
引けなかった。
いくら力を入れても引き金が動かないのだ。
「セイフティロックが外れていませんよ」
ランバージャックの言葉に急いでロックを外そうとするが、震える指では上手くいかない。
十秒近く掛かってようやく、ロックを解除し銃を向ける。
「まだです。初弾が装填されていません」
慌ててチェンバーに弾丸を装填すると、三度銃を向けた。
「やれやれ困ったものですね」
ランバージャックの腕が動く。
と、一瞬後には銃声が響き、チトセの銃が転がった。
抜き撃ちでチトセの手から落としたのだ。
「あわわわ」
慌てて拾い上げようとするが、手が触れる寸前に次の弾丸が銃を遠くへ弾く。
続く連弾がチトセの足元で跳ねた。
「やめて!」
耐え切れなくなり、悲鳴を上げて蹲った。
両手で頭を隠して丸くなる。
ぶるぶると震える様を見ていると、なんとも情けない姿だ。
「やれやれ困った物ですね。恐怖から逃げて目を瞑っているだけでは、いつか死ぬことになりますよ」
ランバージャックが静かに距離を詰める。
数十センチの距離に近づいても、チトセは丸くなったまま動こうとしない。
「ほら、顔を上げなさい。臆病なのは欠点ではありません。臆病な人間は常に周囲を警戒し、慎重に行動することができるのですから」
丸くなっていた姿勢を解いて、チトセが上体をランバージャックの方に向ける。
「大切なのは自分に負けないこと。強い意志で恐怖を超えるのです。ここ一番で、自分の弱さに負けないように」
「そんなの無理です。私はそんなに強い人間じゃないんです」
「貴方は十分に強い人間ですよ。他の三人を助ける為に囮に志願したのでしょう」
チトセが胸元に視線を落とす。
自分のバッチ、ミツユビナマケモノだけではなく、カピバラを模った三つのバッチが付いていた。
チトセの震えが止まった。
「あの、あの、私」
「ほら、お喋りはここまでです」
小さく頷いてチトセが立ち上がった。
大きく深呼吸すると、腰に下げていたスタンナイフを抜いて構える。
「悪くない姿勢ですね。真面目に基本を習得したのが解ります」
ランバージャックが拳銃をホルスターに戻した。
「さあ、来なさい。貴方の技量なら、素手で十分です」
「あの、貴方が素手でも私より遥かに強いのは解ります。でも、私も簡単には負けられません。出来るだけ時間を稼ぎます!」
精一杯の声でそう言い放つと、半歩踏み込んでナイフを突き出した。
渾身の一撃を、ランバージャックは後ろに下がりギリギリで避ける。
やはり力量の差は大きかった。
しかし、チトセに怯えや迷いは見えない。
「ふふ、良い顔ですね。でも手加減はしませんよ」




