【09-03】
正面は行き止まり、左右に二つずつの道があった。
撒かれた。
どこを曲がったのか解らない。
右手を小さく挙げて、止まれの指示を出した。
それを見たマヤが足を止め、更に後ろにいるはずのキヌガサに合図を送る。
闇雲に進むのは危険。
罠を警戒しながらも、アブクマは細い路地にゆっくりと歩を進める。
アブクマの様子に状況を把握したマヤは、小さく息をついた。
隠密行動はかなりの緊張感が伴う。僅かな隙を見つけた時には、やや弛緩するのも仕方ない。
後方にいるであろうキヌガサにも現状を伝えてやろうと振り向いた。
おや、と首を傾げる。キヌガサの姿がない。
移動中は一々背後を確認しない。どこかではぐれたかもと思いつつ、一つ前の曲がり角に戻った。
「キヌガサ、いる?」
小声で尋ねたが、返事はない。
「いないの?」
やや声を強くしてみるが、やはり反応はない。
仕方なく、もう一つ前の角に戻ってみるべきかと思案し始めた瞬間。
いきなり背後から口を押さえられた。
反応するよりも早く、首元に金属の冷たい感触が押し付けられる。スタンナイフだ。
「ダメですね。簡単に持ち場を離れては」
やや掠れた声が耳元で告げる。
「この場合はアブクマさんを呼び戻すのが正解です。致命的なミス、減点対象ですよ。解りましたか?」
反射的に小さく頷く。
「素直で良いですね。でも、貴方はゲームオーバーです」
バチンと衝撃。
マヤの意識が一瞬にしてブラックアウトした。
「あと一人ですね」
表情のない顔で呟くと、移動を始めた。
足音の欠片すらこぼさず、そっとアブクマに忍び寄る。
* * *
「全員止まって」
ソネザキが指示を出す。
ソネザキを含め残った七名は、トリオ・ザ・ジミーの後を追って進んでいた。
「どうした?」
ドルフィーナの問いに、ソネザキは険しい顔を見せる。
「ここからは路地だよ。奇襲を掛けられやすくなる。慎重に進んだ方がいい。チトセ、アブクマ達の位置を確認して」
「了解です」
チトセが携帯端末を操作する間、残りのメンバーは周囲の警戒を始める。
指示がなくとも自分のすべき事をする。
自発的な連携が構築されつつあった。
「ありがちな展開だと、ここでアブクマ達が全滅しているのだがな」
「縁起でもないこと言うんじゃない」
相変わらずマイペースなオートマトンの言動に、ソネザキは軽い頭痛を覚える。
「確かにさ。普段なら面白いって笑えるんだけどね」
「この状況では、洒落になんないけどさ」
「双子にしては随分と殊勝だねぇ。何か拾って食べたのかなぁ」
「厚化粧してないから、空気が読めるんだよ」
「肌呼吸ってやつでさ」
「その言い方、なんかぁ、ムカつくんだけどぉ」
こっちも相変わらずだ。
ただイスズの声に普段ほどの勢いがない。フユツキがいない寂しさなのだろう。
「コトミ、何か気になることでもある?」
路地を見つめながら、眉間に皺を寄せているコトミにソネザキが声を掛けた。
「なんか嫌な予感がするんだよね。ここから先に進みたくないんだよ」
「直感ってやつだな。我のような高性能オートマトンには解らない感覚だ」
「筆記テストにいつも直感で挑んでる奴が言う台詞かよ」
「そ、それは違うぞ。出題者の傾向を分析して、答えを推測しているのだ」
「訳の解らない推測するよりさ。ちゃんと暗記しておこうとか思わない?」
「教科書なんか覚えても社会に出たら役に立たないんだぞ」
「どんな理屈だよ、それ」
ソネザキの突っ込みに、コトミが笑い声を上げる。
「チトセ、位置確認できた?」
端末を凝視していたチトセが首を振った。
目には溢れそうなくらい涙が溜まっている。
「ダメです。もう、三人共……」
その報告に誰もが口をつぐんだ。居心地の悪い沈黙が流れる。
「しかし、あれだな」
耐え切れず、ドルフィーナが口を開く。
「悪い方悪い方に事態が転がっていくな。これは普段の行いが悪いからに違いない。担当教官の」
その発言に、全員が口元を緩めた。
「まあ、確かにミユちゃんだからね」
毎日珍妙な出で立ちで廊下をスキップするミユを思い浮かべながら、ソネザキが口にした。
「ウチらより好き放題やってるもんな」
教官室で漫画を読みながらチョコレートを食べているミユを思い出して、アオイとアカネが頷く。
「っていうかぁ、私達よりガキっぽいしねぇ」
ユキナに怒られしゃがみ込んで泣いているミユがイスズの脳裏に浮かぶ。
「かなり無責任ですし」
お願いを繰り返すミユに書類の束を押し付けられるのは、チトセにとっては珍しくない事だ。
「でも、いい先生だよね。ボクは大好きだよ」
感激屋で不器用で怠け者。
それでも愛すべき担当教官なのだ。
「ミユ先生なら、暗い顔してないで笑顔で頑張ろうって言ってくれるよ」
「何をどう頑張るかとか、具体的な指示はないだろうけど」
「そもそも、あの教官にそれを期待するのが間違いなのだ」
ドルフィーナの一言に全員が同意を表した。
「ね、ソネザキ」
コトミが尋ねる。
「あのランバージャックって人、ソネザキなら自分のことを知ってるって言ってたよね」
その問いにソネザキはしばし考える。
答えるべきか、迷いがあった。
「ここまできたら話すべきだな。作戦を立てるにしろ、より多くの情報があるに越した事はない」
「そっか。そうだね」
小さく溜息をついて、「別に隠そうとしてたわけじゃないんだけどさ」と前置きする。
「相手の発言に確証が持てなかったし、ハッタリかもと思ってたんだ」
言葉を少し切った。
誰も口を挟もうとしないのを確認し続ける。
「オズの魔法使いって知ってる?」
「遥か昔の寓話だな」
「あ、私、ライブラリで読んだことがあります」
チトセが遠慮がちに手をあげた。
「それって、どんな話?」
「まだテラ星系文化圏だけだった時代の物語で……」
好奇心に目を輝かせるコトミに、チトセはあらすじを簡単に説明する。
「面白そうな話だね。ボクも今度読んでみよるよ。でも、その話がランバージャックって人と関係あるのかな?」
「話自体は関係ないよ。オズの魔法使いというのは、軍の特殊工作チームの名前なんだ。もっともチーム自体は数年前に解散したんだけど」
「そんな部隊は聞いたことないんだけどぉ」
「かなり特別なチームなんで一般には知られていないんだ」
「ふうん、なんか大人の世界なんだねぇ」
「まあね。で、そのチームのメンバーは、オズの魔法使いからコードネームを取ってたんだ。ドロシー、ランバージャック、ライオン、スケアクロウの四名構成」
「四名とは少ないな」
少数精鋭のチームというのは聞くが、それでも少なすぎる数。
「でも、このチームは不可能と思えるミッションをいくつもクリアしてきた」
「スーパーヒーローチームとかそんなノリ?」
「あんまリアリティを感じない話だよな」
双子の意見はもっともだ。
「八年前のヤマト事件って覚えてる?」
ソネザキの問いに全員の表情が強張った。
ヤマト事件。
ハトホル史上、最悪の軍事クーデター。
首謀者はヤマトという上級将校。
彼は八年前、二二二一〇年の十二月十二日に、約百名の部下と共に率い兵を挙げた。
同調者の数が多かった事、平和に慣れすぎていた軍が迅速に行動出来なかった事、ヤマトの準備が用意周到だった事。
全てが功を奏し、瞬く間に軍中央施設の一部を占拠。篭城戦を展開した。
堅固な中央施設と言っても、立てこもっているのは百名ほど。包囲し時間を掛ければ、制圧は難しくない。
軍部はそう高を括っていた。
だが篭城作戦はただの陽動に過ぎなかった。
ヤマトの狙いは、もっと狡猾でもっと恐ろしい物だった。
突如、軍のオートマトン達が暴走、動く物に対し無差別な攻撃を行い始めた。
その原因が特殊なコンピュータウィルスによる物だと判明した時には、暴走は市街地のオートマトンにまで広がっていた。
そこでヤマトは宣言した。
ウイルスは自分達の手による物である事。
これを使い全てのオートマトンを暴走化できる事。
更に、同様のウイルスを二十種類以上保持している事。
オートマトンは一般家庭から特殊な現場、例えば原子力発電所の中枢部まで、ありとあらゆる場所で動いている。
彼らを任意に暴走させられるのであれば、ハトホル全土の生命線を握ったに等しい。
「そんなことニュースでは言ってませんでしたよ。それ以降に開示された資料にだって、そんなことは一言も書いてませんでした」
チトセが声を上げた。
「上層部が隠蔽したんだよ」
ソネザキの言葉に、誰もが衝撃を受ける。
「オートマトンの暴走が人為的、しかもクーデター犯の仕業だと解ったら、どれほどの混乱が起こるか予想はできる。全てを明らかにするのが、正義でもあるまい」
「ドルフィーナの言う通り、上層部はそう判断したんだ。そして、ヤマト達は上層部がそう動くことを予測していた」
そこで彼らは要求を出した。
それは黒い噂の絶えなかった政治家や官僚達の身柄の引渡しだった。
正義の名の下に彼らを粛清する。
ヤマト達の目的はそれだった。
「八年前と言えば、大掛かりな汚職事件が多かった年だ」
「しかも、その殆どがうやむやで終わったんだよな」
「そう考えるとぉ、ヤマト達の行動は正義の味方っぽいよねぇ」
双子とイスズ、珍しく意見の方向が同じだった。
「力による一方的な制裁は正義ではありません」
反論を唱えたのは、チトセである。
「じゃあ、悪い奴が良い目を見るのがいいのかよ」
「あ、そういう訳じゃなくて」
「どういう訳なんだよ。納得できるように説明してみなよ」
「だから、その、あの、正義は法の下にあってこそ正義で」
「そんな優等生的な意見じゃなくてぇ、自分の言葉で言ってみなさいよぉ」
「だから、その、あの」
「はい、ストップ。チトセを苛めてやるなよ」
「何が正義かの問題は難しいのだ。悪者を片っ端から処断していくのは危険な思考だ。いずれは自分達に敵対する者全てを悪と断じ、独裁的な行動をとることになる」
「ドルフィーナの意見が正しいよ。っていうか、アンタにしては随分と難しいことを言うじゃない」
「先日観たアニメ映画でそう言っていた」
「あっそ」
オートマトンの知識の出所は、いつもサブカルチャー。
「もちろん、政府としてもそんな要求を呑めるはずがない。だからヤマト達は脅しを掛けた」
「脅しって?」
コトミの疑問に、ソネザキは鎮痛な顔で答える。
「政府要人の子息が通う学区のオートマトンを暴走させたんだ」
暴走したオートマトンは、人間では遥かに及ばない破壊をもたらした。
標的となった者だけではなく、巻き込まれた者も多かった。
死者の数は三桁にまで上り、重軽傷者を合わせると五千を超える被害が出た。
「正義を標榜する者は、最も残酷な破壊者になりうる。恐ろしい話だな」
ドルフィーナの感想は、全員が思い浮かべた事である。
「しかし、ヤマト事件は急転直下の展開を見せる。これはみんな知ってるよね」
ソネザキがぐるりと見回す。
それぞれの顔を見て、説明不要だと判断した。
事件はまさに急転直下。
結論だけを言うと、中央施設を占拠していたクーデター部隊は翌日に投降した。
今後の方針を巡っての対立から内部分裂が起こり、凄惨な事態に発展したらしい。
生存者は負傷者を含めて十六名。首謀者ヤマトを含め、側近達は全員死亡した。
「仲間割れで八割を超える人間が死んだ。現実に有り得ると思う?」
ソネザキの問いは、このヤマト事件について回る最大の謎だった。
社会的にタブーとなっている話題でもあり、誰もが釈然としないまま言及を避けている。
「まさか、オズの魔法使いがやったっていうのかよ」
「荒唐無稽な話だね。そっちの方こそ有り得ないな」
「私もそう思います。仲間割れではなく、他の理由があったと考えるのが自然です」
「っていうかさぁ、理想に燃える連中ってぇ、最期は華々しく散りたがるじゃんさぁ。偏った美意識に基づいてぇ、自決的なぁ」
双子とチトセ、イスズがそれぞれの意見を出す。
「ドルフィーナはどう思う?」
ソネザキの問いに、オートマトンは大袈裟に肩をすくめた。
「ニュースソースが不明な限り、何が真実かは判断できんであろ。真実は一つしかないが、嘘は無限にあるのだからな」
「なんだそれ?」
「先日見たアニメの探偵が言っていた言葉だ」
「たまにはアニメとお菓子から離れなよ」
「まあ、我に言わせれば過去の事象なんて、一々気にするでもないということだ。コトミはどうだ?」
「え、ボク? えへへ、難しいことは良く解んないや」
コトミらしい返事に、重苦しかった空気が少し軽くなる。
「でもね、一つだけ解ったことがあるんだよ」
「なに、聞かせてよ」
いつもと変わらない表情のコトミに、ソネザキが続きを促した。
「すっごく手強い敵だってこと。相手にとって不足なしだね」
大きな瞳を輝かせてそう告げた。
悲壮感の欠片も感じさせない。
「なんかコトミを見てると、うじうじ考えてるのがバカバカしくなってくるよ」
ソネザキの口元がほころぶ。
オズの魔法使いが参加されたという任務については、まだ多くの情報があった。
テロリストによる集団拉致事件。
武装カルト教団による人質立てこもり事件。などなど。
通常では早期解決が困難な物を、僅かな期間で解決する。だが、その一方で被害も大きい。
被害を完全に無視し、ただ犯人達を排除するという徹底したスタンスだ。
公にできないのは、そう言った点もあるのだろう。
「でもさ、こんな話をどこで聞いたの?」
「それは企業秘密。バレたら怒られちゃうからさ」
曽祖父が将校を務め、また親戚に多くの軍人がいるソネザキは、そういう噂を耳にする機会に恵まれていた。
他にも好奇心から極秘情報を盗み見する生徒もいるだろう。
広場での反応を考えると、モガミもオズの魔法使いについて、いくらか情報を持っていたようだった。
「よし、じゃあ作戦を立てようか。たかが演習だけど、やっぱり勝ちたいからね」
ソネザキは殊更気軽に宣言する。
コトミの作った空気が、勝利を招いてくれそうだったからだ。




