【08-01】
●一四時一七分●
何が起こったのか。誰も把握できなかった。
ソネザキも、コトミも、ドルフィーナも、集まりつつあったクラスメイト達も。
ハルナや、その後ろに控えていたユキナクラスの生存者も同様だった。
モガミですら事態に認識が追いつかず、目を大きく見開くだけ。
永遠とも思える薄気味悪い沈黙が流れる。
「なに?」
ピンボケした声を出したのはハルナだった。
ずきずきと鈍い痛みを訴える後頭部に触れる。
べったりと赤い液体が手に付いた。
「なにが、どうなって……」
がくんと膝から力が抜け、崩れ落ちた。
意識が途切れたのだ。
再びの火薬音。
ハルナの右後ろにいた少女が、短い呻きを上げて倒れた。
「なにが、どうなってるんだ?」
ハルナが言いきれなかった台詞を、ソネザキが呟いた。
直後、三度目の音が響く。
唯一残っていた青いスカーフの少女が、小さな悲鳴と共に地に伏した。
「バカ! 狙撃されてるのよ! みんな隠れて!」
最初に我に返ったのはモガミだった。
近くにいたコトミとドルフィーナを突き飛ばし、まだ呆けているソネザキを押し倒す。
その瞬間、ソネザキの頬を掠めて弾丸が駆け抜けていった。
まさに危機一髪。
「ぐずぐずするな! バカ! 無能! クズ!」
容赦ない罵倒が呆気にとられていたミユクラスのメンバーを現実に引き戻した。
慌てて近くの壁や残骸の陰に身を隠す。
「くそったれ!」
方向的には北。先ほどのビルからだ。
煙幕が晴れた今なら、広場の南になるこの付近も射程内ではある。
しかし距離は三百メートル近い。そうそう狙えないはずだ。
モガミの傍でペイント液が飛び散った。
「手当たり次第ってわけ! ふざけやがって!」
細い眉を吊り上げて、怒りを露に吠える。
「でも、誰が」
「貴方のクラスの狙撃兵でしょ!」
「まさか、アンズが」
「早く確認しなさいよ!」
そんな事すら思い至らなくなっていた。
不意を衝かれたとしても、あまりに間抜けだ。
「アンズ! 聞こえる! アンズ!」
インカムに叫ぶ。
もしアンズのロングランスが何者かに使われているとなると、彼女の身が心配だ。
「ソネザキ、大丈夫?」
コトミが隣に駆け込んできた。その左手には大きな盾が握られている。
断続的に放たれる弾丸をすり抜けて、盾を持って戻ってきたのだ。
「なんで盾なんてあるのよ?」
「近くに置いてたんだよ。格闘戦には邪魔になるから」
盾を地面に置いて、小さな壁を作る。
「そうじゃなくて、今日の演習は強襲任務でしょ。どうして、盾と狙撃銃なの」
「ソネザキの指示なんだよ」
インカムに叫び続けているソネザキを、モガミがまじまじと見つめる。
「貴方、ひょっとして、本当のバカ? カタカナじゃなくて漢字で書くような」
表記の問題がどれほどの意味を持つのか、ソネザキには解らない。
それでもモガミの言いたい点については理解できた。
「念の為ですよ。全員が突撃兵装だと対処できない局面もあると思いましたし、それに今回の演習は意地の悪い展開になりそうだなと」
「なるほどね」
妙に納得した風に頷く。
「貴方は随分と屈折してるのね。かわいそうに」
その発言には、嫌味な色は含まれていない。本気の同情を感じる。
きっとモガミ自身は自分が素直な性格のつもりなんだろう。
確かにある意味非常にまっすぐではあるが。
「なんですの。そんなに怒鳴らなくても聞こえてますわ」
何度目かの呼びかけに、ようやく答えが返ってきた。
「無事なのかよ。びっくりさせるなよ」
「まったく、らしくないですわね。そんなに慌てて、どうかしたのです?」
「ははは」
アンズらしいあまりにマイペースな返事に、力が抜けそうになる。
「狙撃が止んだわ」
モガミがソネザキだけに届くような小声で告げる。
確かに射撃は止まっていた。
「アンズ、そっちも音は聞こえたでしょ。付近に狙撃兵が」
「先ほどの狙撃はわたくしですわ」
意外な発言にソネザキが言葉を失くす。
「あんなに近くにいて気付きませんでしたの。らしくありませんわね」
大袈裟に溜息をつくのが聞こえる。
「あれこれ説明するより、ハルナさんを見れば解りますわ。彼女の身体を確認してみてくださいな」
ソネザキがちらりとモガミに視線を移す。
モガミが怪訝な表情で左右に首を振る。
まったく話が見えないという意思表示。
「解った。確認してみるよ」
盾の陰から出ようとしたところで、コトミが腕を掴んで引き止めた。
「ん? なに?」
顔を向けたソネザキが息を飲んだ。
天真爛漫。
いつもご機嫌百二十パーセントのコトミから笑みが消えていた。
「君、誰なの」
コトミがインカムで尋ねた。
意外な一言に、ソネザキが目を見開いた。
「なにをおっしゃっておられるのです? わたくしですわ」
「だから、誰かって聞いてるの」
「コトミさん、わたくしの声が解らないのです? それとも何かの冗談ですの?」
「似せてるつもりなのかも知れないけど、アンズちゃんと全然違うよ」
しばしの間を置いて、向こうでふうっと息を漏らすのが聞こえた。
「親友の耳は誤魔化せないようですわね」
「君、誰なの」
「うふふ、誰だか解りませんかぁ?」
急に声が変わった。
鼻にかかった甘ったるい声に、少し舌足らずな喋り方。
「ミユ先生?」
「はぁい。正解ですよぉ」
「なんでミユ先生が? 確か早退したんじゃ」
「ふふ、まあ色々と事情があってだな。演習に参加することになったのだ」
また変わった。
澄んだ響きを持つ声。語尾を強めるきつい話し方は。
「ユキナ先生?」
「ふふ、先生ではない。教官と呼称するように!」
「あ、はい。でもでも」
「まあ、混乱するのも無理はない。我に言わせれば、人間の認識ほど曖昧な物はないからな」
聞き慣れたオートマトンの声になった。
「そんなバカな」
モガミに突き飛ばされたドルフィーナは、無様に転がって数メートル離れた位置で伏せている。
もちろん、インカムで話している様子はない。
混乱するソネザキ達をからかうかのように、声はドルフィーナからキリシマに、キリシマからチトセに、と変わっていく。
「ボイスチェンジャー」
呟くソネザキに
「それはないよ。機械じゃここまでできないって」
ソネザキ自身の声が答える。
「相手の声を真似るのは、私の特技の一つなんですよ」
やや掠れた物になった。
「これが本来の声。と、でもしておきましょうか」
抑揚が薄く感情の見えない喋り方からは、ひんやりとした不気味な印象を受ける。
「私が最後のゲストです。名前は、そうですね。ランバージャック(木こり)とでも呼んで頂きましょうか」




