【07-03】
* * *
呆けていた。
モガミが小さく舌打ちする。
ナチが小銃で殴りかかるのを確認して、射線が通るように左に移動した。
ナチの攻撃が外れれば、拳銃で片を付けられる。
そう考えての行動だった。
ナチの一撃は当たった。当たったはずだ。
銃尻が肩に触れる寸前、少女の右手がそれを払うように動いた。
それと同時に彼女の身体が微かに沈んだ。
モガミが視認できたのは、そこまでだった。
次の瞬間、ナチの身体は宙を舞っていた。
咄嗟に手をついて地面との激突を防いだ点については、評価すべきだろう。
並みの人間だったら、受身も取れず顔から真っ逆さまだ。
そして、ナチが体勢を立て直す前に少女がスタンナイフを首に押し付けた。
その間を与えてしまった責任は自分にある。
何が起こったか解らず、ぼんやりと相手の動きを追うだけになってしまった。
少女に声を掛けられて、ようやく我に返ったのだ。
「貴方、名前は? ミユクラスの生徒なの?」
「うん。ミユ先生のクラス。名前はコトミだよ」
「年長者には敬語を使うべきじゃない? そう習わなかった?」
「え、でも敵だし」
場違いな指摘にコトミが面食らう。
その刹那の隙をモガミは見逃さない。
手にしていた拳銃をいきなり発砲する。三発。
「あわわ!」
コトミがさっと身体を沈めて、それを避けた。
かわしたのではない。
いかにコトミとでも、飛来する銃弾を避けられる訳がない。
モガミの動作を見て咄嗟に反応したのだ。
予想を遥かに超えた動きに驚愕しつつも、モガミは一歩踏み込んだ。
体勢が低くなったその顔面にめがけてキックを繰り出す。
捉えた。
そう思った瞬間、モガミの身体がふわりと浮いた。
足首を掴まれているのに気付く。
投げられた。
見上げる。空ではなく地面が頭上にあった。
左手を付いてごろりと転がると、すぐさま立ち上がる。
「強いね。決まったと思ったのに」
やや離れた位置で、目を丸くして感嘆の声を上げるコトミ。
「強いですね、でしょ。まったく敬語も使えないガキが!」
銃を撃つ。
今度は二発、足元を狙った。
コトミが左にステップしてよける。
一六式自動拳銃の装弾数は八。
一発だけ残した銃をホルスターに戻すと、モガミは一息に間合いを詰めた。
牽制の左ジャブから渾身の右ストレートを打ち込む。
スピードもタイミングも完璧だと思った打撃。
しかしコトミの顔面に触れる寸前に止まった。
手首を取られていた。
振りほどくよりも早く、コトミの身体が反転。背負いの要領で投げられる。
が、ここまでは計算通り。空中で身体を捻り、足から着地した。
超至近距離。
モガミの鋭い膝蹴りが、コトミの脇腹にめり込む。
「かはっ」
コトミの口から小さく呼気が漏れた。
離れようとするコトミの袖口を掴み、強引に引き寄せもう一発。
コトミは蹴られた腹を庇いつつも、距離を取ろうとする。
ふっとモガミが掴んでいた手を離す。
振り解こうと力を入れていたコトミが僅かにバランスを崩した。
そこを狙って、今度は側頭部に左のハイキック。
コトミは身体を小さくして、それをかい潜る。
頭上を掠めて、己の足が過ぎていくのを確認したモガミの軸足が地を蹴った。
支えを失った身体が地面に落ちていく。
倒れる寸前に両手をついた、それを支点に地面すれすれの軌道で足払い。
両足を払われ、コトミの身体が宙を舞う。
背中から落下。どうにか受身をとってダメージを最小限に抑える。
即座に起き上がったモガミは、立ち上がろうとするコトミの肩口を踏みつけ、腰のホルスターから銃を。
ミスだった。
ちらりとホルスターに視線が移る、おそらくは一秒にも満たない隙。
その刹那にコトミは、モガミの足首を素早く掴み、巻き込むように身体を回転させた。
いきなり足を取られて、モガミが前につんのめる。
不十分な体勢ながらもトリガーを引いた。
パンと乾いた火薬の音。
ペイント弾の毒々しい赤が、コトミの頬を染める。
が、コトミの動きは止まらない。
弾丸は外れたのだ。顔を掠めただけ。床に散った飛沫が僅かに付いたに過ぎない。
「くそっ!」
モガミとしては足を引き抜きたいところだが、逆にもう一方の足も掬われてしまった。
どうにか手をついて、無様な転倒はだけは避ける。
コトミが掴んでいた足を離した。
素早くモガミの背中に回ると、背後からの右腕を取り捻り上げる。
「痛たたた」
モガミが情けない声を上げた。
「これで勝負ありだね」
「参ったから! 早く離しなさいよ! 痛いでしょ!」
コトミが力を緩めると、二の腕を押えたまま身体を離した。
「まったく、先輩になんてことするのよ。このバカ」
「あ、ごめん」
「信じられないわ。演習くらいでムキになってさ、バカじゃないの」
「でも、真剣勝負だったし」
「真剣? 冗談止めてよ。後輩相手に本気になるはずないでしょ、バカ」
どう考えても負け惜しみの発言だが、それを素直に受け止めるのがコトミである。
「そうなんだ。ボクは精一杯だったのに」
感嘆した声を上げると、尊敬のこもった視線で見つめてくる。
「当たり前でしょ。後輩に怪我でもさせたら大変だしね。まあ五割くらいの力よ」
「凄いよ。流石、先輩だね」
「ま、まあでも、アンタもやる方だったんじゃない。私には遠く及ばないにしてもね」
あくまで素直なコトミにばつが悪くなったのか、早口でそう告げた。
モガミが他人に対し好意的な評価をする。
高等部の生徒がそれを目にすれば、間違いなく驚愕しただろう。
「うん。ありがと」
「はい。ありがとうございます。でしょ。敬語も使えないなんて、どんな教育を受けてるのよ」
「あはは。そういうのは苦手で」
「まったく」
ぷいっと顔を逸らした。
そうこうしている間に、煙が緩やかに晴れてきた。
肩口に赤いスカーフを巻いた生徒が、ビルの陰から現れ遠巻きに包囲する。
「コトミ、お疲れ様」
「ありがと。作戦通りだったね」
笑顔で労うソネザキに、ピースサインで答えるコトミ。
「ふん。奇襲とロングレンジからの攻撃で混乱させ、煙幕を張りつつ退避を始めたら、格闘戦に持ち込む。安っぽいプランね」
悪態をつきつつ、地面に倒れている高等部の生徒達、自分の部下達を数える。
残念ながら、全滅のようだ。
「でも、最良の結果に繋がりました」
「ふん、貴方がキリシマね?」
恨みと怒りの混じった目で、モガミが睨みつけた。
「あ、いえ、私は普通科、ミユクラスのソネザキです」
「ソネザキ?」
「キリシマは早々にリタイアしてしまったので、自分が代理で指揮を執りました」
「あぁ、思い出した。貴方は確か転校生ね。どこぞの学区から逃げてきた根性なし」
残酷な言葉にコトミが反論しようとするが、それより早くソネザキが声を出して笑った。
「先輩の仰るとおり、別の学区から逃げてきた臆病者です。でも、お陰で大切な物を得ることができました」
クラスメイトをぐるりと見回した。
その視線の意味を理解したモガミの口元に、嘲りを含んだ笑みが浮かぶ。
「貴方、メルヘンチックなのね。羨ましくなるわ。友情だと信頼だの、そんな物が戦場で役に立つと思ってるの?」
「少なくとも、そんな物のお陰で、自分の方が勝者になりました」
「装備の差よ。スナイパーライフルと、どうせ集音機も準備してたんでしょ。それだけの差」
ぼそぼそとそう言うと、黙り込んでしまう。
「君がソネザキだな。今回は助けられた。礼を言わせてくれ」
青いスカーフの三人組が近づいてきた。
前に一人、半歩遅れて二人。
「私がハルナだ」
先頭の少女が名乗った。
細面の整った顔は泥と煤に汚れ、かなり疲れてはいる。が、それでも凛とした雰囲気があった。
「ミユクラス、隊長代理のソネザキです」
「君は真面目だな。堅苦しいのは止めてくれないか」
敬礼するソネザキに、右手を差し出した。




