【07-01】
●一三時二十三分●
市街地演習場ドーム破損エリア。
倒壊したビルや崩れた壁が並ぶ、文明の墓地を思わせる区域。
その中央からやや西にある小ぶりなビルの陰に、息を潜めるグループがあった。
全員が泥と埃に塗れ、年頃の少女らしい愛らしさが完全に消えている。
「生き残ったのは、これだけか」
ユキナクラスでクラス委員を務めるハルナが、憔悴した声で傍らのクラスメイトに訪ねる。
クールな印象を与える一重の目。細面の顔にマッチした小ぶりな鼻口。
彼女の持つ凛とした雰囲気は、激しい戦闘ですっかり色褪せてしまっていた。
目は充血し、唇からは色が抜けている。べったりと油が付いた頬も、緊張で土気色。
肩まで伸びた髪は、首の後ろで硬く結ばれていたが、そこにまでも泥が付着している。
「全員で六名です」
「ここまで一方的とは」
パラシュート部隊による奇襲は完全に成功した。
ハルナの指示により混乱は直ぐに収まったが、その間に五名が倒れた。降下部隊の射撃は驚異的な命中率だったのだ。
敵は精鋭、だが数は五名前後。数的には三倍の有利がある。
ハルナは混戦による被害の増加を避ける為、各個の反撃より部隊の立て直しを優先した。
東から来た敵に対し、半ば反射的に西へ退避命令を発したのだ。
その方向には身を隠すのに適したビルや壁がある。平地で戦うよりも分が良い。
体勢を立て直し、一気に包囲反撃する。必勝のプランだった。
各々が散発的に反撃しつつも西に向かった時、いきなり前方からの攻撃を受けた。
敵は部隊を分けていたのだ。
降下部隊を陽動として、地上から迂回させ西に兵を伏せる。
狡猾なやり方だった。
第二波の奇襲で部隊は混乱。反撃もままならず、まさに一方的に叩かれた。
なんとか逃げて、ビルの陰に辿り着けたのは僅か過ぎる数だった。
「遮蔽物の少ない広場に布陣したのがミスだったか」
今回の演習を易く見積もっていたのは事実だ。
「でもさ、視界の狭い場所だったらさ、もっと周到に奇襲されていたかもね」
一人から気楽な返事が返ってきた。
「そうか、そうだな」
ハルナの口元に小さな笑みが浮かぶ。
「しかし、ここに隠れていても、やられるのは時間の問題だな」
銃撃は既に止んでいた。
敵がどう動いているのか解らない。
すでにこの場所を特定し、包囲を始めている可能性だってある。
「通信は繋がらないか」
「依然としてジャミングされています」
「打つ手なし、か」
この状況を打破するには、援軍しかない。そうすれば逆に挟撃のチャンスが生まれる。
しかし、それは期待できないだろう。
壊滅が確定した友軍を助ける為に動く暇があるなら、迎撃の準備を整えるのがセオリーだ。
いや、そもそも別クラスはライバル関係。
友軍と呼べるほどの仲間意識はない。
「このまま追い詰められるよりは、打って出るべきか」
捨て鉢な意見がこぼれる。しかし、それに反対する者はいなかった。
* * *
広場中央。
先刻までハルナ達が布陣していた場所で、不機嫌な表情で携帯端末を弄っている少女がいた。
彼女の傍らには、がっちりとした身体つきの少女が立っている。
高等部選抜部隊の隊長モガミと、副隊長のナチである。
「もうつまんないわ。ジャミングでメールも打てないし。暇で死にそう。ナチ、何か面白い話でもしてよ」
「今は作戦行動中です。私語は慎むべきだと思います」
退屈を持て余すモガミに、ナチは額面どおりの返事をする。
「つまんないやつ。頭の中まで筋肉なのね。まあ元々小さな脳みそなんだから、あんまり変わらないかもしれないけど」
「作戦行動中です。私語は……」
「はいはい。解ってるわよ。まったく融通が利かないわね。そんなだから、男の子に振られるのよ」
思いもよらない一言に、微かにナチの表情が強張った。
「美術系学区の子だってね。去年の文化祭で知り合ったとか聞いたけど。夏休みの前、勇気を出して告白したのに、好きな人がいるからって断られたんだって?」
「どうして、それを」
「どうしてかな? どうしてだろ? 気になる? 気になるわよね?」
不機嫌さから一転。実に嬉しそうな顔になる。
「ね、その子の好きな人って誰だか知ってるの?」
ぐっと顔を近づけて、意地悪気に続ける。
「私は知ってるわよ。教えてあげよっか?」
半ば反射的に頷きそうになるのを、ナチはぐっと堪えた。
そんなことは第三者から聞くべきことではない。どうしても知りたければ相手に直接聞くべきなのだ。
「いえ、興味のない話です」
「痩せ我慢しちゃってさ。ホントに面白い子ね」
「隊長、作戦中の私語は減点対象になります。これ以上の」
「私よ」
その一言にナチの動きが止まった。
じっくりと直前の言葉を反芻する。
理解が追いつくまでの時間を待ってから、
「貴方の虚しい片想いのライバルは私なのよ」
残酷に告げた。
「もっとも、私の方から告白してあげたんだけどね。彼ったら舞い上がっちゃって。貴方にも見せてあげたかったわ」
血の気が失せていくナチを見ながら、冷たい笑みを浮かべる。
「貴方が告白するって聞いたからね。その前に告白してあげたの。まあ、夏休みに一回デートして別れちゃったけど」
「どうして」
「別れた理由? だって、別に好きでもなかったし」
「じゃあ、何故」
「ん、決まってるじゃない。貴方が振られたら面白いから。それだけよ」
思わず掴みかかりそうになる衝動を、ナチはぐっと抑えた。
作戦行動中に私事で上官に手を上げたりすれば、懲罰は免れない。
下手をすれば退学処分も有り得る。
「いいのよ。殴りたければ殴っても。まあ、貴方程度に格闘戦で負ける気は全然しないけど」
握り締められ小刻みに震えるナチの拳を見ながら、挑発めいた表情を作る。
「モガミ隊長。残存部隊の包囲、完了しました」
走ってきた隊員が告げた。
無線が使えない状況下、非効率でも伝令係を使うしかないのだ。
モガミとナチの間に漂う只ならぬ雰囲気に圧されつつも、報告を繰り返えす。
「隊長、包囲が……」
「聞こえてるわ」
モガミがふうっと息を吐いた。
「案外盛り上らなかったわね。つまんないの」
退屈な顔に戻り、軽く伸びをした。
いきなり態度を豹変させたモガミに、ナチは当惑するしかない。
「全部、嘘よ。ホンキにしちゃってさ、バカにもほどがあるわ」
「嘘、ですか?」
「いくら私でも、そこまでするわけないでしょ。もうちょっと楽しめると思ったんだけどな。まあ、暇潰し程度にはなったんだから満足しないとね」
あまりの悪趣味に、ナチは怒りを通り越して呆れてしまう。
「さて、包囲が終わったわけだけど、貴方ならどうする?」
「一気に制圧します」
「セオリー通りね。でも、ユーモアが足りないと思わない?」
「ユーモアですか?」
聞き返すナチに、モガミが口元を緩ませる。
普段の冷たい雰囲気からは想像すらできない愛らしい表情だった。
「この場合は包囲して待つが正解ね。相手が耐え切れずに出てきたところを、狙い撃ちしてあげるの」
彼女の意地の悪さは尊敬に値する。ナチは心底そう感じた。
「そんなわけで、包囲隊には待機するようにと伝えて」
「了解しました。待機するように伝えます」
さっと敬礼し踵を返そうとする伝令係の少女を、「ちょっと待って」と呼び止めた。
「今の敬礼は肘が下がりすぎていたわ。もう一回」
「もう一回ですか?」
「復唱しろって言った覚えはないんだけど?」
「失礼しました」
今度は丁寧に踵をそろえて、額に手を当てる。
「左手の指が伸びてなかったわ。はい、もう一回」
三度目の敬礼。
「つま先が開いてたわね。はい、もう一回」
何かと理由を付けては敬礼を繰り返させる。
モガミにとっては新しい暇潰しみたいな物だろう。
十回を超えた辺りで、伝令係の瞳が潤み始めた。
「隊長、それくらいで十分でしょう」
流石に見かねて、ナチが割って入る。
「あら、私は彼女の為に愛の鞭を振るってるのよ。苦しいのを堪えてね。それを意地悪してるみたいに言われるのは心外だわ」
「自分には隊長が楽しんでいるように見えましたが」
「それは貴方の目が腐っているからじゃない? うふふ、まあいいわ。今回は貴方の顔を立ててあげる。いいわよ、早く行きなさい」
「はい、失礼します」
ようやく開放された事に安堵しつつ、最後の敬礼を。
と、そこで乾いた火薬の音が響いた。
伝令係の少女が崩れ落ちる。
咄嗟に支えたナチの手に、濁った赤い液体がベットリとついた。
同じく赤く染まった少女の顔。
何が起こったのか、理解できなかった。
「ボケっとするな! バカ!」
モガミの叱責に、我に返り、慌てて身を伏せる。
刹那、顔の直ぐ傍を、ごうっと音が過ぎていった。
「早く!」
モガミは既に近くのビルに向かい駆け出していた。
ナチも急いで走る。
二人を追った弾丸が何度か掠めたが、幸運にも当たらずに瓦礫の陰に滑り込んだ。
「くそったれ!」
モガミが似つかわしくない言葉を吐き捨てた。




