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第九戦線観測録  作者: セルヴォア
第一章「灰白河の敗残兵」

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第十六話「露出石材」

勝った場所というものは、もっと素直な顔をしているはずだった。


死体を片づけ、壕をつなぎ、壊れた壁を崩してしまえば、そこは次の陣地か、せいぜい泥まみれの休憩地になる。

兵隊にとって勝利とは、そういうものだ。

昨日まで撃ってきた相手がいなくなり、今日からは自分たちの飯盒と靴底がそこを踏む。それだけで十分なはずだった。


だが廃駅の南側だけは、いつまで経っても勝った場所の顔にならなかった。


朝からトーマスは、駅舎外れの破壊地帯で瓦礫の撤去に回されていた。

煉瓦、梁、曲がった鉄骨、砕けた信号柱。崩れたものをどかして道を作り、弾薬箱と担架が通れる幅を確保する。地味で、終わりの見えない仕事だった。

昨日まで銃を撃っていた手で、今日は石を運ぶ。

戦争はそういうふうに、急にみみっちくなる。


「気をつけろよ、下が空いてる」


前で声を張った兵が、足元の瓦礫を靴で探った。

崩れた床板の下に空洞があるらしく、踏むたびに音が鈍い。トーマスは土嚢から滑り落ちた小石を払い、汗で額に張りついた髪を手首で押し上げた。


駅舎の南側は砲撃をまともに食っていた。

壁は開き、床は抜け、信号所へ続く通路も半分が土に埋もれている。なのに、埋まり方がどこか変だった。煉瓦の下から出てくる土の色が途中で変わる。黒く湿った戦場の土の下に、乾いた灰色の層がある。

その灰色のところだけ、妙に固かった。


つるはしを入れていた兵が、短く舌打ちした。


「まただ」


「何がだ」


「煉瓦じゃねえ。刃が滑る」


トーマスが寄ると、崩れた基礎の下から白灰色の石が覗いていた。

ただの石なら珍しくもない。だがそれは、川原石のように丸くもなく、駅の基礎に使う切石のように角が欠けてもいなかった。表面が妙に均一で、煤で汚れているはずなのに、撫でたところだけ冷たい色を残している。


兵がもう一度つるはしを当てた。

金属の嫌な高い音がした。煉瓦や花崗岩に当たる音ではない。薄く、硬く、奥へ逃げるような響きだった。


「旧式の排水路か」

「いや、火薬庫じゃねえか。だから敵がしつこかったんだろ」

「火薬庫ならとっくに吹いてる」


誰かが笑おうとして、笑い切れなかった。


石は一枚ではなかった。

土と瓦礫を払うと、横にもう一枚、その先にももう一枚ある。どれも同じ幅で、同じように継ぎ目が細い。駅の基礎が崩れて下の古い石垣が出た、という話では説明のつかない揃い方だった。

しかも表面には、細い刻み目が走っていた。装飾というほど大仰ではない。だが偶然についた傷でもない。浅い溝が規則的に並び、ところどころで途切れては、また同じ角度で始まっている。


年嵩の兵が膝をつき、汚れた手袋の指先でその溝をなぞった。


「見たことがある」


その声で、周りの手が止まった。


「どこでだ」


「見たことがあるってだけだ。東の前線だ。二年前、丘の下の壕を広げた時にも、こんなのが出た。あんときも上から、埋め戻せとしか来なかった」


「同じもんか」


「似てる。いや、たぶん同じだ」


誰もすぐには口を開かなかった。

トーマスは喉の奥が少し乾くのを感じた。石が怖い、というより、その言い方が嫌だった。

似ている、ではなく、同じ。

まるで戦場のあちこちに、こういうものが最初から埋まっているみたいに聞こえたからだ。


別の兵が銃剣の先で溝をつついた。

刃先が引っかからず、つるりと滑った。


「変な石だな。冷てえし」

「朝だからだろ」

「いや、そういう冷たさじゃねえ」


トーマスもしゃがみ込み、そっと触れた。

土の下から出たばかりの石は、普通なら少しは湿っている。だがそれは乾いていた。乾いているくせに、手の熱だけ吸っていくような感じがある。掌を離しても、触れた感触が皮膚に残った。


その時、後ろから怒鳴り声が飛んだ。


「触るな!」


全員が振り向いた。

工兵中隊の将校が、瓦礫を跨いでこちらへ来るところだった。若い少尉で、泥にまみれた長靴と、ほとんど眠っていない顔をしている。顔は知っていた。橋材と爆薬の配分で、この数日ずっと駅の周りを走り回っていた男だ。


「そこから下がれ。つるはしも置け。銃剣も使うな」


「少尉、地下室か何かですか」


誰かが聞いた。

工兵少尉は答えなかった。石ではなく、兵の手を見ていた。誰がどこを触ったかを確かめるような目だった。


「聞こえなかったのか。下がれ」


さっきまで半分笑っていた連中が、素直に二歩、三歩と退いた。

トーマスも立ち上がったが、足が石から離れる瞬間、少し惜しいような気がした。何なのか知りたいと思っていた。知ったところで何も変わらないはずなのに、そこに何か意味があると身体が勝手に感じていた。


工兵少尉は膝をつき、石の継ぎ目を目で追った。

それから、瓦礫の山の向こうへ視線を飛ばした。誰かを探しているのだと分かった。


ほどなくして、ユリウスが来た。


歩き方で分かる。

急いでいるが、走ってはいない。見るべき順番が頭の中で決まっている人間の歩き方だ。

泥と煤で軍服は汚れていたが、表情はいつも通り薄かった。石を見て、工兵少尉を見て、それから兵たちを見た。視線が一周するまで、誰も口を開かなかった。


「誰が最初に出した」


「こちらの班です」


「崩したのは」


「上の瓦礫だけです。石そのものには二度、工具が当たりました」


ユリウスは石の縁にしゃがんだ。

手では触れず、目だけで刻み目の角度を拾っていく。長くは見なかった。だが短いその沈黙のあいだに、彼だけはすでに何かを数えているように見えた。


「この地点は封鎖する」


低い声でそう言った。


兵たちの間に小さなざわめきが走った。

封鎖、という言葉は前線で軽くは使われない。不発弾でも、腐った死体でも、普通は立入禁止とか埋め戻しとか、もっと雑な言い方になる。

封鎖というのは、そこに入る資格の話だ。


ユリウスは振り返った。


「この場所を見た者は班ごとに分けろ。名前を取る。位置を覚えている者は後でエリナ准尉に申告しろ。余計な推測はいらない」


「少尉殿、これ、何なんです」


若い兵が、怯えと苛立ちを半分ずつ混ぜた声で言った。

問いそのものより、その場にいる全員が同じことを聞きたがっているのが分かった。


ユリウスは少しだけ間を置いた。


「今分かるのは、駅の基礎じゃないということだけだ」


「敵の隠し火薬庫ですか」

「違う」

「じゃあ何で――」


「だから、今は分からない」


声は強くなかった。

だがそれ以上は誰も言い返せなかった。


工兵少尉に対して、ユリウスは短く指示を出した。

布をかけろ。杭を打て。周囲の瓦礫はそのまま残せ。上から見て不自然でない程度にだけ隠せ。見張りを二名。交代は短く。

どれも現場の言葉だった。兵には分かる。だから余計に不気味だった。得体の知れないものに対しても、この人はいつも通りの手順で囲いを作れてしまう。


そのあとで、もっと嫌な連中が来た。


後方勤務の参謀でも、普通の工兵でもない。

泥の浅い長靴を履いた将校と、腕章のない兵が二人。軍服の色は同じなのに、前線にいる人間の汚れ方をしていない。彼らは到着するとまず石を見た。死体も、壊れた駅舎も、抜けた屋根も見ない。石だけを見た。

その視線で、トーマスはようやく確信した。

これは拾ってしまった戦利品ではない。向こうもこっちも、最初から気にしていた何かだ。


腕章のない兵の一人が、周囲に聞こえない声で工兵少尉と話した。

工兵少尉の顔が、さっきよりさらに固くなる。

しばらくして、その男は今度は兵たちの方へ向き直った。


「本地点に関する会話は禁ずる。壕でも天幕でも同じだ。違反は処分する」


言い方が雑だった。

だからこそ、かえって本気だと分かった。


「ただの石だろ」

「ただの石なら黙らせる必要はない」


誰かが小声でそう返したが、もう前のような笑いはなかった。

兵たちは荷を担ぎ直し、命じられた別の撤去地点へ散っていった。仕事は続く。戦場では、得体の知れないものの横でも、飯と弾と担架の通り道を作らなければならない。


だがその日、皆の動きは少しだけ鈍かった。

視線が何度も後ろへ戻る。

布を掛けられ、杭で囲われたその一角だけが、壊れた駅舎の中で妙に静かだった。砲撃跡の沈黙ではない。人の手が勝手に近づかないように、静けさまで命令されているみたいな場所だった。


夕方、乾いた黒パンを齧りながら、トーマスは手のひらを見た。

石に触れたところに傷はない。熱もない。なのに、まだ感触だけが残っている。

まるで冷たさではなく、位置を覚えさせられたような感触だった。


向かいに座った兵が、声を潜める。


「敵の捕虜、あそこを駅って言わなかったらしいな」


トーマスは顔を上げた。

その話はもう、兵の間を回っていた。敵はあの場所を別の名で呼んでいた。境だの守る地だの、そんな曖昧な言い方だったと。


「だったら何だってんだ」


「知らねえよ。ただ――」


兵はそこで言葉を切り、焚き火の向こうを見た。

見た先には廃駅の黒い骨組みがあり、その下に布のかかった一角がある。距離があるせいで、布は石ではなく、伏せられた何かの口のように見えた。


「ただ、あそこだけは、最初から戦場じゃなかったみたいだ」


トーマスは返事をしなかった。


夜になると、遠くでまた砲声が鳴った。

戦線のどこかでは、いつも通り誰かが撃ち、誰かが伏せ、誰かが泥の中で死んでいる。そのはずだった。

なのに廃駅の南側だけは、昼のまま時間が止まっているような気がした。


眠る前、トーマスはふと考えた。

敵が守っていたのは駅ではなく、あの石の周りだったのではないか。

自分たちは廃駅を奪ったつもりで、もっと別のものの蓋を剥いだだけではないか。


そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。


勝った場所は、もっと単純であってほしい。

敵が逃げ、旗が変わり、飯が届く。ただそれだけで終わってほしい。

だが灰白河では、勝ったあとに残るもののほうが、戦っている最中よりよほど口が重かった。


そして口の重いものほど、上の連中は早く黙らせたがる。


寝床にもぐり込んだ後も、トーマスの掌にはまだ、白灰色の冷たさが残っていた。

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