第1話:受付嬢、無言でギルドを救う
「――おはようございます、リリアさん!」
元気な声と共にギルドの扉が開いた。
朝一番に訪れたのは、新米冒険者の少年・カイルくん。彼はいつも笑顔で挨拶してくれる、数少ないリリアの“話しかけに来てくれる”存在だ。
でも、彼女は――
「……っ」
顔を上げられない。
声も出せない。
喉が詰まっているわけではない。単純に、極度の人見知りなのだ。
何かを言おうとして唇が動いたが、結局は小さく会釈を返すので精一杯だった。
「……あ、うん! そ、それだけで十分です!」
そう言って、彼は照れくさそうに笑いながら依頼掲示板に向かった。
リリアはその背中を見ながら、内心で深いため息をつく。
(また……ちゃんと返事、できなかった……)
リリア・エルミナ。年齢は外見上18歳。
だがその実態は――前世、日本で働いていた元OLのゲーム廃人。
ある日、深夜のコンビニ帰りに車に轢かれ、気づけば乙女ゲーム『聖華のキスと異世界の涙』の世界に転生していた。
ただし、攻略対象でもヒロインでもない、ただのモブ令嬢ポジションで。
そのうえ、ゲーム知識を活かして取ったスキル《魔眼:識別・消去》が、なぜかバグって《視認対象完全排除》とかいうバグチートスキルになっていた。
(関わったら、物理的に人を消すかもしれないって……怖すぎるでしょ!?)
だからこそ、リリアは冒険なんて絶対に関わらない、誰とも親しくならない、波風立てない、目立たない。
そんな人生を目指して――
彼女は「冒険者ギルドの受付嬢」という地味職に就いたのだ。
が。
「大変ですッ! ギルドに、Sランク級のモンスターが……!」
突然、ドアが乱暴に開かれ、血相を変えたベテラン冒険者が飛び込んできた。
その背後から、バギバギと地響きのような咆哮が響いてくる。
(うわぁぁ……来ちゃった……なんで、今……!?)
冒険者たちは武器を構えて出撃準備に入っている。
しかし、戦える人員は少ない。人手不足のこのギルドでは、対応できるメンバーが限られていた。
「おい誰か!魔法使いは!?」「Sランク相手に太刀打ちできる奴がいねぇ!」
騒然とするギルド。
受付カウンターの内側、リリアはガタガタ震えていた。
(やばい……でも私、動けない……声も出せない……!)
そして次の瞬間、ギルドの外壁を突き破って、巨大な黒い影が顔を覗かせた。
「グオオォォォォ……ッ!!」
鋭い牙、蛇のようにうねる尻尾、禍々しい魔力。
【深淵の獣リグゼール】――通常、国単位で討伐隊が編成されるような災厄級魔獣である。
周囲が絶望に染まったその刹那。
リリアと魔獣の目が、かすかに合った。
(……やだ)
その一言とともに――
リリアのチートスキルが、発動した。
バシュンッ!!
眩い光と爆音が一瞬鳴り響き、ギルドの外壁が一部消し飛ぶ。
そして、魔獣の巨体は一切の肉片も残さず、無音で消滅していた。
静寂。
風が、吹き抜けた。
誰も言葉を発せないまま、リリアだけが震えながら、ただ立っていた。
(……また、やっちゃった……)
彼女の内心とは裏腹に――
「すげぇ……今、あの魔獣が、一瞬で……」
「沈黙の受付嬢が、……ついに本気を出したのか……!」
「拝まなきゃ……!」
「伝説の受付嬢、最高ォォォォォ!!!」
ギルド内は歓喜と混乱と崇拝で埋め尽くされた。
受付嬢でいたいだけの、目立ちたくないリリア。
だがその日から、彼女は【沈黙の守護者】と呼ばれ、
ギルドと街を救った“英雄”として――伝説の始まりを告げたのだった。