第五十六話 ようこそ、ハロウズアカデミーへ 後編
◆◆◆
<うおおおおわああああああ>
<な、なんだぁっっっ>
<いやいやいやいやいやいやwwww>
<この現代で幼女へのお尻ペンペン配信を!!!!???>
<これ尻叩きの音じゃねえ 爆発音だろ>
<カッチャマ……>
<配信つけてて大丈夫なやつ?>
<昔の女の顔した虚念に公開尻叩きプレイまじか 未来にイキスギだろ>
<これを待ってた シラハエルはこうじゃなくちゃ>
<音やばすぎてこっちの尻まで痛くなってきた>
<いやいやなにをやってんだ 虚念倒すんじゃないんか>
<すまん、尻どうなってるかだけ見せてくれこっちから見えん>
魔法少女シラハエルがルクスリアへの覚悟の尻叩きを始めると同時。
彼の予測通り、セレスティフローラの脳内は驚愕と困惑のコメントで溢れかえった。
少女の頭の中は一度口に出した通り、戦闘中以上の盛り上がりにぐわんぐわんとかき回される。
もちろん混乱をきたしたのは、この場に居る魔法少女たちも同じだ。
コンジキから説明を受けた少女たちは、未知なる興味だったり混乱だったりどろりとした羨望だったりと、三者三様に混沌とした反応を見せる……が。
「……………………」
「…………セレス?」
そんな中、ブラウネからすれば一番騒ぎ立てたりショックを受けたりしてもおかしくないと思っていた少女、セレスティフローラ。
魔法少女シラハエル以上に、男性高司白羽としての強い想いがあったはずの彼女は、一度頭痛を訴えたあとはただ、頭をゆらゆらふらふらと揺らし無言を貫いていることに気づく。
そんな危うさのある挙動をブラウネは、まるで初めての夜ふかしを試みた子どものようだ、と感じた。
(……いや、そうか。身に余る魔力を供給されたままの激戦を終えて、流石にスイッチが切れてしまったんだね……本当ならすぐにでも配信を切って休ませてあげたいけど)
コンジキの話通り、感情の供給でルクスリアを助ける狙いがあるのなら、配信を止めるわけにもいかない。
今は少しでも負担を避けるため、念話などもせずただ様子を見守ることを選んだ。
────そして、そんなブラウネの至極常識的な見立ては、大体半分だけあたっていた。
(…………おじ、さま……おじさまは、すごい……こんな方法でルクスリア様をたすけるなんて…………なの、に……)
ブラウネが感じた通り、確かに彼女は今、激戦による疲れの影響を多分に受けている。
だが本当の意味でその脳を占めていたのは、この場で少女だけが正確に感じられる、この救済劇の別側面。
…………すなわち。
<??? 虚念引き入れてまんまと暴れさせて、生徒に後始末させたあげく倒さないの???>
<これセレスティフローラがたまたま勝ったから良かったけどそうでなかったら戦犯すぎん>
<なんでお尻ペンペンに配信があんだよ コンプラはどうなってんだコンプラは>
<なんだかなあ やっぱアカデミーなんて余計なことやらずに普通に魔法少女やってた方がよかったんじゃない?>
シラハエルが覚悟していた通りの、この結末────中にはアカデミーそのものに対して突きつけられるものも混じる、そんな“否”の発露であった。
……実際のところ、既存リスナーの多くはこれまでの信頼もあり、驚き半分喜び半分といった様子でスペクタクルを愉しんでおり。
彼が危惧したような物申しは、どちらかというと他界隈からこのアカデミー配信を見始めた、いわゆる新規勢のものが多い。
その意見も、ルクスリアがアカデミーに入った経緯や、倒すに至れない事情などを知らない者からすれば出ても仕方がないと、普段なら納得出来る程度のものであった。
しかし、9の賛同の中に1の否定でもあると、どうしてもそこに目が行ってしまうのは人間の本能によるものであり。
ましてや疲労で朦朧としていた今の少女は、より無防備に悪意を受け取らざるをえない。
(なんか……なんかわからないけど……すっごい…………いやっ……だって、おじさまは……!)
もはや、脳裏に流れるコメントの具体的内容すらも把握出来ていない状態にありながら。
この場で唯一、コメントというフィルターを通してシラハエルを見た少女は。
「────っっ」
必死にルクスリアを救おうと腕を振るうその小さな身体が、華奢で儚い……今にも壊れてしまいそうなものに見えてしまい、ごく自然にこう思った。
ああ────わたくしが守らなきゃ、と。
「…………ぐすっ、ぐずっ……っ、…………ぇ……? ぁ……あっ……!」
そんな想いに少女が頭を揺らされている間も、続行され続けた覚悟の尻叩き。
ようやくそれを終えたシラハエルに解放されたのは、ルクスリアだ。
最後にはギャン泣きさせられていた虚念の少女も、落ち着いたことで自身の劇的な変化に気づけたのだろう。
信じられないと身体をペタペタ触ると、シラハエルの行動が全て自分のためにあったことを遅れて悟り、おずおずと口を開いた。
「……ぁ、あの……シラハ……その……あり、がと……わたし……」
「……! ルクスリアさん…………」
返すシラハエルも多少憔悴に近い雰囲気こそあるが、口調は先程までが嘘のように柔らかいもの。
まだまだルクスリアの問題が解決しきったわけでもないし、これまで以上に自分に意識が向いてしまう可能性は危惧すべきだが、ひとまずこの場は一段落────
そう思った彼は、しとやかな空気のまま締めに入ることを選ぶ。
────もう一人の生徒が一足先に認知していた痛みに、この先直面することを内心で覚悟しながら。
「はい、どういたしまして。今回のことで分かったかと思いますが、あなたの周りに居るのは自分だけでなく、彼女たち魔法少女や、マスコッ────」
……そんなセリフの途中。
シラハエルは、音もなくもう一人の生徒たる少女、すなわちセレスティフローラが自身のすぐ傍に這い寄っていたことに気づく。
顔を向けた先にあった少女が、ふらふらと頼りなく頭を揺らしながらも、顔は熱っぽく紅潮し。
その上でやけに据わった目で、こちらを一心に見つめていることに彼は困惑を浮かべた。
「あ、あの……? セレスティフローラさん、どうかされましたか……?」
消滅の危機にあったルクスリアを助けることを優先するあまり、彼女を労うのが遅くなってしまったか、と。
彼が原因を探っている最中も、セレスティフローラはぶつぶつと何事かを呟いた。
「『おじさまの、想定すら超えられる自分』……に、わたくしは……」
「…………?」
少女は言葉とともに一瞬ちらり、と以前自身に発破をかけたミリアモールへ目を向ける。
そうして再び彼へと向き直ると、ぼんやりとした頭で思った。
────いつからだろう。
初めはただ、憧れだけだった。
何でも出来る母親みたいには成れなくて、代わりに母の話にあった男性像……白羽を理想のものとして追いかけて。
その後は、白羽に並び立てる自分に成るため魔法少女を選び、コンプレックスを抱えながらも歩き始めた。
しかし、アカデミーで様々な魔法少女に触れて、自分がしたいこと、出来ていたことと何度も何度も向き合って。
必死に眼の前のことに取り組んでいくうちに、気づけば魔法少女そのものに対してもただの手段以上の執着を覚えるようになって。
いつからか、少女がシラハエルに抱いていた無邪気な憧れもまた……少し、形を変えていた。
(おじさま……おじさまはいつも……誰かのことをみつづけて、がんばってる……)
誰よりも情が深く、その情のために頭を回して働き続けて。
それでもどうしようもない事態と見るや率先して傷を負う……少女から見た、そんな男性。
母の思い出を聞いた当時から、無意識化で彼に感じていた想いの名は────
(……なら、そんなおじさまのことは……誰がみてあげられるの…………?)
"もっと、もっと報われてほしい”という、そんな庇護欲だった。
もちろん、普段のセレスティフローラならこの感情を自覚したとしても、さすがにまだ分不相応、おこがましい話だと大人しく心に秘めただろう。
だが今、少女は人生における初と言っていい明確な勝利……
それも、誰もが手を出せなかった五つの虚念の偏愛相手の大金星という、紛れもない奇跡を掴んでしまった。
その圧倒的万能感に加え、浴びせ続けられた視聴者の魔力、大事な庇護対象へぶつけられた悪意……すべてが合わさった少女に、もはやまともな自制心など残っているはずもない。
────つまり、先ほどブラウネが感じた『夜ふかしをしている子ども』という見立ては正確ではなく。
(わたくしが守らなきゃっ……理不尽からも、皆さまからの悪意にも……お母様でもほかの誰でもない、わたくしだけがっ……)
セレスティフローラは今、場の流れと自分に酔った……完全な泥酔状態となっていたのだ。
「……おほん、そうですね。セレスティフローラさん」
当然、そんな内心など知るよしも無いシラハエルは、先ほどの考えをそのままに伝えようとした。
「もはや口にするまでも無いことですが、今日見せてくれたあなたの頑張りは────っ??」
が、まるで先程のルクスリアへの対応が、自分に返ってきたかのように。
自身の身体がくるりと抱えられながら90度回転させられたことを知る。
そのまま彼はセレスティフローラに膝枕させられる形で、仰向けの姿勢に変えられ────
「…………?? あの、セレスティフローラさん、どうかされ────ふむぐっ!?」
次の瞬間には、シラハエルより二回りほど控えめな魔法少女の胸部に顔を押し付けられていた。
優しく包み込まれる、というよりは勢い任せに色気無く抑え付けられながらも、花を感じさせるふわりとした香りが彼に伝えられる。
「ちょ、はっ…………!?」
「────いいっ。……もう、いいのです、おじさまっ。……これまでのがんばりはたくさん伝わっていますっ……
戦いはもう終わり……わたくしの前では弱音を吐かれても構いませんので、どうか甘えてください……っ!」
「ぶはっ!」
そうしてルクスリアの驚愕と、吹き出したコンジキをおいて、ぽんっぽんっなでなでっさすさす、と。
セレスティフローラは、まるで赤子をあやすようにシラハエルを揺らしながら頭を優しくさすり始めた。
「よーしよしよし、よーしよし……おじさまはいつもがんばってて本当に良い子ですわね……
でも、がんばってるところばかり見せて誤解されてしまうのはめっ、ですわっ……おじさまにだって、弱いところはあるのですから……
……あ~やっゔぇ、めっちゃきもちいい……なんですのこの、マシュマロを抱いて寝てるようなくせになるかんじ……いっそ直接……」
「むぐぅ、ぷはっ! いや、セレスティフローラさんっ! その、大丈夫です、お気持ちだけでっ! 配信、配信ついてますからっ!!」
<うおおおおわああああああああ>
<マジでなにやってる????????>
<お"っやっゔぇっ♡ 配信人生おわるナリっっ♡♡>
<セレスティフローラちゃん!!???>
<ママを甘やかすグランドマザー!!!?>
<後輩!なにしてんすかやめてくださいよ本当に!!>
当然、大人であるシラハエルは全力で引き剥がそうする。
この場で唯一配信してあるセレスティフローラのこの行動で、少女まで炎上してしまいかねないという心配から止めに入らざるを得ない。
そしてそれ以上に、たまったものではないと噛みついたのはルクスリアだ。
「そ、そうだよっ……! せっかくわたしとシラハ、いい感じに終わりそうだったのにこんなのっ……! ふざけないでっ、はーなーれーてーっっ!!」
「た、たしかに……これはさすがに止めるべきか……?」
犯した過ちを罰せられるところを配信で見せたことで、シラハエル越しの虚念を得て。
ようやくシラハエルに頭が上がらない元敵の少女、という立ち位置が出来たところに割って入られた彼女の心境は、語るまでもないだろう。
事実、フローヴェール授乳事件といい、多少のやらかしはむしろエンタメとして愉しむスタンスのコンジキですら。
唐突すぎる珍事に、シラハエルの策がすべて崩れる可能性を一瞬危うんだ。
「ええい、ルクスリア様も同罪ですわ。そもそもわたくし、怒ってもいますの……!」
「ちょ、なにっ……むぐぐっ……!」
が、無敵スター状態と化した庇護欲モンスターの少女は、引き剥がそうとした虚念すらも手に取って抱きかかえると、続ける。
「人のこと散々弱いだのないがしろにして、大切な悩みも教えてくれない……そのくせ変に気を遣って抱え込んで爆発して……!
本当はいい子なのに、そのせいでみなさまに誤解されたままだなんて許せませんわ……!
『配信がついている?』 みんなに見せつけてやればいいのです……お二人のがんばりと我慢のおかげで、アカデミーが成功したということを────そして」
そして、と一度切った少女は熱に浮かされた表情のまま、周りに喧伝するように言い放った。
「そして、アカデミーのおかげでダメダメだったわたくしが……あの五つの虚念のルクスリア様より強くなれた、という事実をっ!」
「強っ……!? は、はぁあああっ!!?」
「────っ!」
「いや、これは……そうか……!」
勢い任せに発露させた、セレスティフローラのむき出しの言葉。
それに、先ほどまでのしおらしさを忘れるほどの強い反発をルクスリアが見せると同時、シラハエルとコンジキがハッと息を呑み込んだ。
そして暴走少女がルクスリアに注意を向けている間が好機、となんとか抜け出たシラハエルは、コンジキのもとに避難すると荒げた息をつく。
「はぁ、はぁ……ひどい目にあった……セレスティフローラさん、なんてことするんだっ……」
「お、お疲れじゃ……さすがにアレは読めなんだわ……ルクスリアを理解らせて、わずかしこりを残しつつも無事終わるものかと……」
戦慄を隠せないコンジキにシラハエルもええ、と同意すると、そのまま少女たちを見ながら今起こっていることを口に出した。
「……しかしコンジキ様、彼女の行動でおそらく今、コメントは……」
「うむ……配信が見れない以上正確なところはわからないがおそらく……いや、間違いなく風向きは変わった。
応援している視聴者の中には確かにあったじゃろう『口にし辛いが擁護したい』という想いを、他ならぬ最大の被害者が代弁しきったのじゃからな。
当然、今の彼女にそんな計算などあるはずもない。情任せのデタラメな想いをほぼ無意識にぶつけているだけにすぎん、が……」
「“だからこそ伝わる”、ですね……自分のやり方も大概力技でしたがこれは……すごいな、自分には出来ない方法だ……」
<シラハエルと関わったら頭おかしくなるノルマでもあるんか?>
<成人男性が過去の女の娘に公開バブみプレイさせられた気持ちはどうだ? 感想を述べよ>
<そうはならんやろ>
<セレスティフローラ……お前も““““成””””ったか>
<もう逃げたけど息荒げたシラハエルの表情江戸すぎた 今日もこれでいいや>
<間に挟まりてぇ^~>
彼らの言葉通り、甘やかす少女の配信で流れたコメントは、すでに眼の前の異常事態に釘付けとなったものだった。
炎上────正確にはそれに繋がる火種だったが、ともかくそれを鎮火させる方法として、別の話題で塗りつぶすというものは確かにある……が。
まさかこんなに早く、こんな方法で実践されることになるとは、と彼らも驚きを隠せない。
「それにこの流れ……もしかしたら、じゃが。彼女の無意識が守るのはぬしだけではなく……」
そう言葉を切ったコンジキは、相方とともに改めて少女たち……つまり、絶賛陶酔中のセレスティフローラとそれに食って掛かるルクスリアを見る。
「わたしより強っ、ふっふざ、ふざけっ、ありえない……! あ、あぁあなたが勝ったのなんて、わたしの結界でバカみたいに魔力集まって、バカみたいに上振れたたまたまじゃないっ!
結界で魔力使った分だってあるしっ、そうじゃなかったら100回やって100回わたしが勝つでしょ、絶対ッ!!」
「はぁ~~? そんなことして~なんてわたくし頼んでませんわ~~! 限られたルールの中で勝利条件を満たしただけですわ~~!!」
<草>
<お、第二ラウンドか?>
<一瞬の油断が命取りだったか>
<ん~……今のはわたくしが強すぎた!w←やめてね>
<意外に虚念側のプライド高くてちょっとおもろい 人間の念から出たならそうもなるか>
<そういえばこういうぶつかり合い今まで全然無かったなぁ>
<愛嬌振りまくだけより泣いたりキレたり、こっちのがいいじゃんルクスリア>
<8割自爆みたいな一回で格付けされたら俺でもムカつくww>
<セレスクソ調子乗ってて草 すまんルクスリア応援するわ>
やり取りの間にも、ルクスリアの身体に変化が起き続けていることに、コンジキは自身の予感の正しさを悟る。
少女の存在感が、お尻ペンペンを終えた直後よりもさらに増し始めたのだ。
「やはり……! 死ぬほど調子に乗った少女によって、ルクスリアに新たな定義が生まれている……!
これまではただ、シラハエル殿に理解らされた元敵、という形で生存出来れば御の字じゃった。
じゃが今は、新たに『セレスティフローラと煽り合えるライバル』という見方が生まれたことで、存在が補強されたのじゃ……!」
「偶然……ですよね……?」
「さすがに偶然……じゃろうが、まさか無意識で全方位収められる最善手を選び取った……? やばい、全然わからん。ぬしも言ったが人を育てるとは、こうも予測不能なものなのか……」
コンジキのセリフに頷くと、少女たちを改めて見ながらシラハエルは口にする。
「…………全くです。彼女に限らず、魔法少女たちはいつも自分に何かを教えてくれる。……弱音を吐け、か……そうだな……」
「む……それは、先ほどのセレスティフローラ殿の言葉か、シラハエル殿? 彼女の本音の一つとは言え、いきなりすべて真に受ける必要までは無いとは思うが────」
ぽつり、と感慨深げに呟いた言葉に、コンジキは少しナーバスになっていないかと心配の声をかけた。
が、当の相方はむしろ晴れ晴れとした表情でそのまま続ける。
「いえ、せっかくのお気持ちです……配信には乗せられませんし、彼女たちにもまだ伝えられることではないですが……
……そうですね。自分は正直なところ、アカデミーを作った後も迷い……いや、もしかしたら後悔にすら近い感情を抱えていた気がします」
「後悔、じゃと? ぬしがか? ……いや、そうじゃな。わかるかもしれん」
彼のらしからぬ言葉に、コンジキはドキリと心臓を鳴らしながらもある種の納得を見せた。
ルクスリアを入学させることを始め慎重に悩んでいた彼は、もしアカデミーが上手く行かなければ……という葛藤と常に戦い続けていただろう、と分かるから。
「ええ。いくら態度や愛嬌が良くても、底の本音をなかなか引き出せない虚念の少女への焦り。
コーチングコラボとして自分を選んでくれたセレスティフローラさんに、他コーチに任せるばかりで自分で直接見てあげられないもどかしさ。
そして、これまでのような活動を期待してくれているリスナー方への申し訳無さ……本当にこの試みが正しかったのか、と自問せずに眠らない夜はありませんでした。
……仕事でもそうですが、新しい試みというのは、本当に難しい」
「そう…………じゃな」
コンジキもまた、シラハエルからの運営上の相談や日々の折衝に忙殺されていた時間を振り返りながら口にする。
少し重い空気になりかけたのを感じたのか、少し自嘲気味に笑いながら言葉を投げた。
「確かに大変じゃったし、そもそも今も大変じゃからな……
今そこで轟沈しておるコーチ二名と、必死に介抱してくれておるミリアモール殿へのフォローも要るし」
ははは、とシラハエルも乾いた笑いをコンジキに返す。
そんな彼に対し、じゃが、とコンジキはあえて下から窺うように。
魔法少女シラハエルへの、ここまでの総決算を問いかけた。
「────じゃが、今はどうじゃシラハエル殿? ……アカデミーは、ぬしの想いは……間違っていたか? それとも、実を結んだと思うか?」
「…………それは……アカデミーが本当の部分で意義を成していくのはまだまだこれから、ですが……そう、ですね。現状がどうか、というだけの話をするとしたならば────」
彼はそう一旦切ると、彼らの想いも知らずに口喧嘩を続けていた生徒二人に向き直って。
「…………“嫌い”っ!! おまえは敵だっ、絶対負けないしシラハだって渡さないからっ……セレスティフローラ!!」
「ほ~ん? 器が広がったわたくしはおじさまも、あなたのこともだぁい好きですけど~~?? もうこの時点で勝負ついてますが、悔しかったらまたかかってきなさいな、ですわ~~!!!」
陽光照らす春空を仰ぎながら、薄い微笑みとともにその感想を返したのだった。
「────あの未来を見て、わざわざ口にする必要性は感じませんね」
------------
…………それは今より少し先の、一つの確かな可能性。
いつか、きっと、の未来の話。
ドキドキ、ドキドキ、ドキドキと。
その日、大人しい印象をしたとある一人の魔法少女は、口からまろび出そうなほどに跳ね回る心臓を必死に押さえつけていた。
なぜなら今日という日この場所で、本人からすれば奇跡的に採用されたコーチング企画……ハロウズアカデミーにて。
当のコーチと、初めて対面する運びとなっていたからだ。
「…………ふぅぅぅ~~……!」
ただ、少女が深く吐いた息に混じるのは、何も緊張ばかりというわけではなく。
どちらかというとこの先やっていけるのか、という悲観が多く込められたものだった。
…………なにしろ。
「あぁん、ッッせぇなあ……同じスタートって聞いたからどんなやつかと思ったらパンピーすぎだろ」
「ぅぐっ……」
(ひぃん、なんで同期がこんなガラ悪そうな子なの……! ちゃんと審査したの……? してたら自分なんて受かってないかあははは……あぁぁ~~……!)
隣に立つのは見るからに強気な顔立ちで、少々パンクな魔法少女衣装の同期。
自分とは明らかに住む世界が違うだろうという存在に、あっという間に気圧されて。
暗くなった先行きにぐねぐね悶える大人しい少女に、パンク少女はつまらなそうにため息をつく。
「はん……まあ、いいか。思ってた通り、最近の魔法少女ってやつはどいつもこいつもコンプラだのなんだの、つまんねえやつばっかり。
シラハエルパイセンみたいな『ガンギマリのイカれ』ならともかく、そうでない型にはまったいい子ちゃんなんざ、あたしが全員喰ってやるさ。
……それこそ、今日来るっていうコーチだって生半可なやつじゃあなあッ?」
「……そ、そんなこと……は、ハロウズアカデミーに関わる人はみんな、すごい方たちですし……!」
「へぇ? ビビってる割に言うじゃん、んなら────あんッ?」
怖がりながらも、憧れからか意外な反骨心を覗かせた少女。
その様にパンク少女はわずか興味を見せ食ってかかろうとすると、ふと視界の端に何かを見つける。
「────でしょっ、だから────、最初こそちゃんと────ッ!」
「いえ、それは────っ、そもそも────っ、まずは楽し────!」
それが何か、と近づきながら注視して見ると、どうも二人の少女が顔を突き合わせて……何か言い合いをしている光景であることに気づいた。
ここがコーチングの予定地だということを考えると、おそらくコーチとなる二人だろう。
そう悟ったパンク少女は、やれやれと大げさに顔を振りながらその二人のもとへと歩いていく。
「はッ、おいおい早速教育論で揉めてるのか? 大丈夫かよ。なあおい、こりゃ思ったより簡単にあたしの時代ってやつ……が…………ぇ……?」
「ぁ……!」
が、近づくにつれその二人組のコーチが何者であるかを悟ると、それまであらわにしていた気勢が、まるで穴の空いた風船のように急速にしぼんでいき。
もう一人の少女もまさか、という表情で口を抑える。
そうしている間も、口論中の少女のうち一人が、頭を抱えながらに嘆いた。
「あぁ、もう全然まとまらない……! 今日これから生徒の方々もいらっしゃる予定だと言うのに……! 『人に教えるのが一番勉強になる』っておじさまの言う事はわかりますが……! やっぱりわたくしたちには早かったんじゃありませんの……!?」
そんな、お嬢様口調で話すグレイヘアーの少女を、もう一人の白髪の少女は鼻で笑いながら返す。
「あはは、自信無いなら今からでもやめていいよ。わたしが二人分やったげるから。あなたがまた公開土下座配信して『出来ませんでしたわ~』って泣きつくところ、見ててあげるね」
「土下座配信のことはやめろっ……やめてくださいまし……! あぁ、もうなんであの日のわたくしはあんな調子乗りを……! 華々しい勝利が完全にデジタルタトゥーとして上書きされてしまいましたわぁ……!!」
「ウケるね。……感謝は、してるけど…………ごほん、ところで『生徒の方々』もうそこに来てるけど気づいてる?」
「やっゔぇ……!」
小声で何事か呟いたあと、気を取り直した白髮の少女の言葉に、お嬢様口調の少女は弾かれたように生徒二人に身体を向ける。
一瞬気まずそうな表情になると、すぐに取り繕って少女二人に声をかけた。
「お、おほん……失礼いたしました。お二人ともよく来てくださいました。今回のコーチング企画のコーチ役を担当いたします、セレスティフローラと」
「ルクスリアでーす。よろしくね」
「ぁ、は、はい……よろしくお願いします!」
「ぁ……ぃ……ぅ……!」
かけられた自己紹介に、一人はキラキラとした表情で返すもののもう一人は泡を食ったようなかすれ声しか出せない。
そのパンク少女曰く『イカれたガンギマリ魔法少女シラハエル』の所業の筆頭が、五つの虚念の偏愛の引き込みであり。
今、当の虚念たる少女のニコニコとした視線が、主に自分に向けられていることに気づいたからだ。
「ぁ、ぁの……コーチがあんたって……そ、その、マジッすか……だって────ひゅいんッ!?」
おずおずと話しかけようとし、次の瞬間には後ろに回った虚念に肩を組まれ、パンク少女は飛び上がる。
「マジだよー。さっき良いこと言ってたね、『良い子ちゃんばっかでつまらないからあたしが喰ってやる』……だっけ。
うんうん、やる気のある子はいいね。そういう子相手ならわたしももっとみんなに見てもらえるし。というわけでわたしの担当あなたにするから。後でお名前、ちゃんと聞かせてね」
「────は、は、ハイィィッッ!!」
ポンッと軽く肩を組まれた感触だけでわかる、圧倒的な存在の密度、生物としての格。
ほんの一瞬で上下関係を刻み込まれたパンク少女は、直立不動で返事をした。
「もう、勝手に決めて……まあ、相性良さそうですしダメそうならまた考えたらいいですわね……というわけで、わたくしはあなた担当ですわ。
まだまだわたくしも分からないことばかりですが、一緒に学び合っていきましょう、ですわ~~!!」
「あ……は、はい、こちらこそ────」
「あはは、さすがにいきなりは緊張するのも────て、あっ……! やっゔぇしまった! そうですわっ!!」
「ふぇ……?」
パンク少女に比べれば落ち着いているが、それでも緊張は隠せない生徒を見たセレスティフローラが、突如大きな声をあげてルクスリアに振り向く。
「完ッ全に忘れてましたっ、脅かしてる場合じゃありませんルクスリア様っ、まだアレやってませんですわ、アレを!!」
「脅かしたりしてないって、お名前聞くのは大事だから聞いてるだけ。……え、ていうか本当にアレやるの……?」
そう、忙しないコーチの様子にルクスリアは呆れたように返すと、セレスティフローラはふんすと気勢を上げた。
「やるに決まってます、せっかく安心させるためにって練習しまくったんだからっ! ほらっこっちきて! いいですわね、せーのでいきますわよっ! せーのでっ!」
「うっさいなあセレスは。わかってるから練習しまくったなんて言わないでよはずかしい。……はい、せーの」
そうして、不安そうな生徒二人の前に横並びとなり、すぅっと息を吸ったコーチの少女二人は。
方や緊張を覆い隠すように、ほんの少しの固さが混ざった笑顔で。
方や隠そうともしない仏頂面を一度見せながらも、次の瞬間には自然な柔らかい表情となって。
新たな門出に向け、同時に手を差し出しながら……一つの祝福を送るのだった。
「ようこそ、ハロウズアカデミーヘ。あなたは、どんな自分に成りたい、ですか?」
◆◆◆




