第四十七話 彼らはおとなになりました
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(────っ、素人の私でもわかる……強い相手、ですね……)
少女、千景が応援に駆けつけたとある空手の大会にて。
応援対象である少年、白羽の試合が始まって十秒ほどで、すでに千景は冷たい緊張に汗を滲ませていた。
先手必勝と、開始直後から被弾覚悟で激しく攻め立てる白羽。
後に動画を見たエターナルシーズが『烈火のよう』と評した攻撃を、対戦相手は受け、捌き、時に反撃まで叩き込む。
彼が見せたその動きは、一回戦最終試合ということで先に見ることになった、いくつかの試合と比較しても明らかに一段抜けたものに見えて。
試合を見守る周りの緊張感ある視線を考えても、これが事実上の決勝戦だったりするのかも……なんて、少女はうっすらと考えていた。
────かなり強い相手で……勝つの、大変かもしれない。
感情と情動のままな真っ直ぐな物言いを好みながらも、自身の強さを疑っていなかった白羽がもらした弱音。
もしかしたら、自分が知らないだけで対戦相手と何かしらの因縁などもあるのかもしれない、と彼女は改めて少年がこの試合に懸けていた想いを認識する。
……その後も続いた試合は、一見は白羽が押し込んでいるか、そうでなくとも互角程度だと、観戦する多くのものがそう見ている。
が、これまで白羽を近くで見てきた千景は、攻めきれなく、かつ的確な反撃を幾度も受けている彼が今とても苦しんでいることが伝わり、胸がぎゅぅっと締め付けられるように痛んだ。
「千景……その、大丈夫なのか?」
そんな少女の表情に、遅れて彼女の父親も心配そうな声を掛ける。
それは苦戦している応援相手のことでもあり……何より、その様に緊張し体調に悪影響が出るのではないか、という愛娘の体調を慮ってのものだった。
「……っ、大丈夫、ですっ!」
愛する父の言葉に、普段と違う反発のような色を滲ませて返した千景はああ、まただ、と思う。
白羽のことを知る千景は彼が今、普段以上に入れ込んで戦っている理由が……きっと、自分にもあるのだろうと分かっていた。
実際に口には出さずとも素直で分かりやすくて……何より根っこで優しい、そんな彼だから。
自分を元気づけるために強くあろうとして……今、何が何でも勝ちたいって必死に世界に向けて挑戦していることが伝わっていた。
(なのに、私は……っ!)
一方自分は、何も出来ずただ見ているだけ……いや、見ていることにすら周りに心配をかけて、気を遣わせている。
何者でもない自分のために頑張ってくれている人に対し、最後かも知れない機会でも自分は何も出来ないまま、その時間を終えようとしている。
(いやだ、いやだ……! 待って……! 私だって、あなたのために……っ!!)
白羽と出会う前に覚えていた『世界から置いていかれている』感覚が、今。
それよりもずっと強く熱く苦しい、『白羽に置いていかれる』という焦燥になったその瞬間。
こらえきれずに、彼女は世界に向けて……吠えた。
「────白羽ッ! 負けないでッ!! 勝って……勝てぇッッ!!!」
情動と感情の生き物となった彼女の、必死な叫び。
周りがぎょっとなって振り向くほどの声量で放たれたそれは、当然白羽の耳に入り────
「────はぁぁぁぁぁっ…………!」
次の瞬間、彼はこれまでの苛烈ながらかろうじて空手の体裁を保っていた構えすら解いた、獣のような姿勢で前を見据える。
その様は、今届けられた情動をそのまま乗せたかのよう。
むき出しの闘争本能と勝利への執念でギラついた……獣が今、そこにいた。
「…………っ!?」
異様極まるその姿に、審判が構えの崩れを注意するべきかと迷い、対戦相手もまた一瞬困惑したその瞬間。
思考の間隙を、獣は見逃さなかった。
「っ、……い、一本っ!」
「…………っ!」
猛然と襲いかかり乱打を浴びせる中、身体を殆ど寝かせながら放った上段回し蹴り。
常識外れな角度から振り下ろされるように打たれたそれは、対戦相手の顔面を捉え。
(あ……あ……っ!)
一本勝ち……彼は、高司白羽は見事な逆転勝利を手にすることが出来たのだった。
「────────っ!!」
この瞬間、千景の心に到来したものは、病気になって無力感ばかり覚えるようになってから……いや、今までの人生で一番と言っていいぐらいの。
もしかしたら、勝者本人である白羽以上と言っていいほどの達成感と高揚感だった。
勝ってほしいと、強く願って声に出して応援した人が、勝ってくれた……応援が力になれた。
病気になってからの彼女をずっと苛んで来た無力感、『こんな自分なんて』という諦観を、自分の意志でひっくり返すことが出来た喜び。
それは彼女の父親はもちろん、彼女自身でも全く予想だにしていなかったほどの、極度の喜びを彼女に与え────
「────っ、っ……!!」
「千景っ!? 千景っ……!!」
焦燥、叫び、そして歓喜。
立て続けにかかった負荷に、事前予測を大きく越えて症状が一気に進行したことで、胸を抑えながら崩れ落ちた千景が試合場で最後に目にしたものは。
「あ…………ぇ……っ?」
まさに、天国から地獄。
試合場での挨拶を終えた直後、同じく喜びを爆発させながら千景に勝利の報告をしようと駆け寄ってきた、純粋な少年白羽の。
あまりにも痛々しい、混乱と絶望の表情だった。
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自分が、こんなに考え無しな生き物だったなんて知らなかった。
彼女が生存への喜びもかき消すほどの自己嫌悪に、いっそ笑いすら込み上げてきたのは、あれよあれよという間に予定を繰り上げて転院し、手術が無事終わったあと。
別れの挨拶も出来なかった彼、白羽の最後の伝言を聞かされたタイミングでのことだった。
伝えられたのは、絞り出したかのようなたった一つの言葉。
────ごめんなさい、と。
その言葉に少女は、自分がしてしまったことへの実感が追いついてしまったのだ。
(なんで、あなたが、謝るんですかっ…………!)
気を失う直前に見た、白羽の泣きそうな顔が忘れられない。
あの試合のあと……二回戦で、白羽は負けた。
直前に見た試合を考えたら、普段の彼ならきっと勝てるだろう相手だった。
ならば彼の心を乱し、負けさせたものが何であったのかなど、考えるまでもない。
自分が最後、止められるまでもなく理性で分かっていた、やってはいけない行動を感情のままに行った結果。
家族に、そして白羽に最後までとんでもない迷惑をかけてしまった。
自分の身体のことをわきまえた応援をしていれば……応援したあと、浮かれて感情を昂らさなければ……いや、それよりもっと前。
勇気を出して先に病状のことを話していれば、彼があんなに心乱されることは無かっただろうし、自分が試合場に行かなくても応援の想いを託す、という形に出来たかも知れない。
あとから考えれば考えるほど、出来たことはあったという後悔が無限に湧いてきて、術後のものとは全く違う痛みに心臓がキリキリと締め付けられるのを感じた。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……!」
手術が成功した今、家族から彼と会わないよう言われたりなどはしていない……どころか落ち込んだ彼女に対し、また会って話してみたらどうだ、とすら言ってくれている。
だが、彼女はベッドに突っ伏したまま顔を横に振り、その勧めを固辞することしか出来ない。
────会わせる顔がありません、ごめんなさい。
結局、少女の方もまた、彼にそのたった一つの伝言を向けることだけを選び。
少女はこの出来事で一つの考えを学び、実践することにしたのだった。
人には……出来ることと出来ないこと、やるべきこととやるべきではないことがあって。
無理にその領分を侵したことをしても、それはきっと良い結果にはならないということ。
ならば自分はただ、それぞれのあるがままの姿を愛し、身近なものを愛し。
出来ることをして、地に足つけて生きていく。
(ごめんなさい……ありがとう、白羽……夢みたいに、たのしかった)
その道こそが、彼と出会えた自分があの出来事で選ぶべき生き方であり。
大人になるということなのだろう、と。
彼女は、そう思った。
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自分が、こんなにも何も見れていない生き物だったなんて知らなかった。
少女千景が、脳が灼き切れそうなほどの後悔に身悶えしている時と同じくして。
少年白羽もまた、自分の未熟さ加減を痛感し、深い悔悟に頭を抱えていた。
「俺は…………千景の、何を見ていたんだ……?」
自分が強く在れれば、全部上手く行くと思っていた。
守りたいと思った人を守れて、悩んでいることを打ち明ける勇気も与えられて、悩みの解決だってしていける。
そう信じて、自分の意志で誘った試合場で……千景は、胸を抑えこみながら倒れた。
その様に、彼は信じられないという混乱でいっぱいになるとともに……頭の中で、別の言葉も響いていた。
────本当に、気付けなかったのか? と。
具体的な病状は隠そうとしていた少女だが、激しい運動などを避けていたり、あまり感情を強く出そうとしてなかったり、時に咳き込んだり……
試合会場で直で応援させる、ひいては興奮させるというリスクに、目を向けられる兆候はいくらでもあったのではないか?
『こんな自分なんて』という言葉を吐く少女を、元気づけられる方法は本当にこれしかなかったのか?
(…………しかもっ……ぐっ……!)
倒れる直前にこちらを見たときの、千景の心底辛そうな自責の表情が忘れられない。
彼にとっても最悪だったのは、『その上で次の試合に勝てなかった』という事実だ。
千景が倒れたことに衝撃を受け、これまで信じてきたものが足元から崩れ落ちるような感覚に陥った彼は……次の試合でまるで集中出来ずに、負けた。
何も気づけず、勝てば解決するとただ強さだけを追い求めて来たのなら、いっそそれを貫き通せれば良かったのに。
そうすれば、全部終わったあとに胸を張って報告することだって出来た。
「あんたが心配することなんて何も無い、千景の応援のおかげで勝てたんだ、ありがとう」……その言葉が言えれば、どれだけ救われただろう。
心を乱されて負けたことを知った千景が、どれだけ自分を責めることになるかなんて分かっているのに、全く力になれなかった。
────会わせる、顔がない。
守りたいと思った子に、何も出来ずに自分が信じたいものだけを見ていた、と彼は自分を愚鈍と断じ、恥じた。
仮に会いたいなんて自分が言っても、彼女にあんな無茶をさせた男と会わせようなんて、彼女の家族も許さないだろう。
そうして、彼は考える。
彼女との話はもう終わり。
これからは過去のことだと忘れて、それぞれの道を生きていくのがお互いにとって楽な道なのだろう、と。
(…………いや、だ……忘れない、忘れるものかっ……!!)
が、その発想に思い至った瞬間、彼は逆に握りつぶすように胸を強く抑え、この悔悟を心臓に刻みつけることを選んだ。
この苦しさを、忘れない。
この後悔を、過去のものにしない。
千景との時間を……無かったことにはしない。
「人を……ちゃんと見て、生きるんだ……自分はもう、見逃さない……!」
守るべきと思った誰かのサインを見逃さず。
自分に取れる手段があるのなら、強さでもなんでも使って、今度こそ解決に向かい続ける。
その誰かが『こんな自分なんて』と言うなら……今度こそちゃんとそれを否定出来る自分である、と。
その道こそが、少女と出会えた自分があの出来事で選ぶべき生き方であり。
大人になるということなのだろう、と。
彼は、そう思った。
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時は流れ、それぞれがそれぞれの道を生き。
少年は大人になり……そして、魔法少女となった。
虚獣という理不尽に、鬱屈とした無力感を抱えていた彼が、守るべき魔法少女と同じ目線に立てることが分かったとき。
彼が選んだおとなのつとめは、男性である自分が魔法少女になるという戸惑い、葛藤……それら全てに優先された。
そして、配信者としても知名度が昇りに昇った彼のとある配信の様子が、一人の少女の目に入る。
「あ……この魔法少女の方って確か、以前お母様がおっしゃった昔の────えっでも、このお姿はっ……!?」
かつて聞かされた……まるで神話の物語か何かのように無邪気に恋い焦がれたものの、大人となり落ち着いた理知的な魔法少女となったことで、尊敬するに留めていた存在。
だがその日少女が見たのは、ひたすら真っ直ぐと、ただなりふり構わず勝利だけを求める獣の動き。
憧れが、遠い過去ではなくて今、現実となって彼女のもとに舞い降りた。
一人の大人として活動していながら、強敵との戦いでかつての姿を取り戻した魔法少女シラハエル。
その様に、シラハエルとして以上に高司白羽という存在に“灼かれていた”一人の少女が、理想と並び立てる夢を追い求め。
「っ、お母様ッ! お母様ッ! 聞いて下さい、わたくし────!!」
なりたい自分になるための、門戸を叩く……そんな今に、繋がっていくのだった。
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【お知らせ】
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次回は8/1金曜投稿を予定しています




