第四十六話 夢想と情動の魔法少女 高司 白羽(たかつか しらは)の場合
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「なあ、あんた……つまんないのか?」
その日、車椅子に乗る黒髪の少年が、病院の中庭で手に取った本を“眺めていた”白髮の少女に声をかけたきっかけ。
それは、ただの反発心染みた気まぐれだった。
「────こんにちは。つまらない、と言いますと?」
「……そりゃあ……ええ、と、だな……」
話しかけておいて、聞き返された言葉に詰まる少年を、少女は不思議そうな顔で見る。
なぜ詰まるのかというと、彼もちゃんと整理した上で話しかけたわけではなかったからだ。
身体のどこが悪いのかはわからないが、時たまリハビリ室で殆ど表情を変えず涼しげに……もっと言うと、無感情といった具合に淡々とルーチンをこなす姿を見せていた少女。
少年はそんな彼女に見惚れたわけでも、強い興味を惹かれたわけでもない。
ただ、習っていた空手でヘマをやって、脚の骨をヤった自分はまだリハビリする段階にもいけないのに。
同い年ぐらいの少女がまるで先を越してるかのように、大変らしいリハビリをこなしていて、なのに嬉しそうにしていない。
それが『なんかわからんけど気に入らない』という、およそ論理的な思考とはかけ離れた感情から、なんとなく声をかけた、ただそれだけのこと。
そんな後から付いてきたような思考を拙く不器用に、だけど律儀に話す少年の苦戦する姿。
それがなんだかおかしくて、子どもの頃から何事も器用にこなしていた少女はふふっ、と目を細めて笑った。
「……なんだ、普通に笑うのかよ……ならいいけど」
「ならいいんですね……ふふっ、本当は心配してくださってたんじゃないですか?」
からかうような少女の返しにも、照れるでも否定するでもなく。
ただ「わからん」と素直に返す少年がまたおかしくて、その少女、新雪千景はもっと楽しそうに笑う。
何がそんなに面白いんだ? と首を傾げる少年、高司白羽は。
少なくともその時、情動と感情の生き物だった。
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「私は……たくさんの人に迷惑をかけてしまっています」
それからしばらく、お互いの自己紹介といった流れを経て。
結局どうしてつまらなそうな顔をしていたのか、という白羽の疑問に答える形で、千景は自身の身の上を語った。
クラスメイトの勉強を手伝ったり、家族に料理を作ったり……誰かに何かをしたり、喜んでもらえる時間が一番好きだったこと。
それが、難しい病気にかかって休んだり入院したりを繰り返しているうちに、自分が周りの脚だけを引っ張っているような……まるで世界から置いていかれているかのような感覚になったこと。
その感情のまま過ごしているうち、自分が喜んだり笑ったりすることにも、迷惑をかけている周りが気になって罪悪感を覚え始めたこと。
「お金、時間、精神、体力……私の今は周りのみんなが支払った、たくさんの何かでかろうじて成り立っています。
だからせめて、思うのです……自分が迷惑なものであることを自覚して、大人しく……ただ出来ることをする、それだけが、ダメな私に許されたことなのだと」
「……………………う~~~んっ…………?」
が、同学年の子と比べてもあまりにも大人びた、そして自罰的なその考えは、当時の白羽が理解するにはあまりにも遠い世界のもの。
たしなめるでも慰めるでも無くただ首をひねる少年に、いきなり長々と嫌な話をして混乱させてしまった、と彼女はすぐに頭を下げようとする。
「まあ……なんかよく分からないけど、新雪が今楽しいこと出来ないっていうなら、別の新しいことを楽しんだらいいんじゃないのか?
俺怪我治ったらすぐ空手の試合出るから、暇ならその応援でもしたらいいよ」
「っ、それは……いいのでしょうか高司さん、まだ会ったばかりの私なんかがそんなこと」
が、その前に差し込まれた彼のあっけらかんとした回答に、意表を突かれながらも彼女は自身の胸に手をあてた。
いきなりこんな自分が、会ったばかりの人にそんなことをしてもいいのか、自分の感情を満たすための代替手段として消費してしまう行為なんじゃないか。
そんな、ネガティブに陥っていた彼女の思考を全く知らず、彼は何言ってんだこいつとばかりに不思議そうな表情で返す。
「そりゃいいだろ。俺あんたに迷惑一回もかけられてないぞ」
「────────っ!! …………ええ、そうですね……ああ……そういえばそうです……当たり前ですね……ふふっ」
「……??」
その時起こったのは、彼女の問題や罪悪感といったものが解決したなんてわけではなく……ちょっとした提案で新しい風が吹いただけ。
彼からしても特別心のこもった説得でなければ、劇的なやり取りでもなんでもない、無知とある種の無関心さから出た些細な提案。
だがその時の彼女にとって、『誰かに何かを無条件で与えていい』という赦しが、どれだけ嬉しいものだったのか。
彼の理解が及ぶことは、当然無かった。
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「────出会った頃はこんな話もしましたよねえ…………そういえば、怪我が治ってから少し経つようですが、試合はいつ頃の予定なんですか?」
「ぐっ……! 『まだ早い、ブランクある中で無理に勝とうとバカやらかすに決まってる』って先生に止められたんだよ……っああもう、出たら勝てるってのに……!
応援しろっていったのにウダウダあんたの時間使わせてるのも腹立つしっ……! そんなわけだから悪いけど試合はまだ結構先────なんだよ、なんであんた嬉しそうなんだ」
「さあ、なんででしょうね。私にも『わからん』、です」
「────また自分のことを『俺』って呼んじゃってましたよ。道場内でそう言うと怒られるからって、普段から『自分』呼びに矯正する……でしたよね?」
「うるさいな。なんだってそんなにすぐ改善出来たら苦労はないんだ」
「それは……そうですね。たしかに、人の成長は長い目で見るものです。見守っていますよ、白羽」
「保護者か。千景もまだ子どもだろ」
「……じゃあ、子ども同士見守りあいましょうか。……うん、これなら迷惑じゃなくて対等……よしっ見守られる私も、早く良くならないと、ですね」
「???」
「────おい、千景っ! よく考えたけどあんたが前言ってたアレ!
『病気で迷惑かけてるから笑っちゃダメ』とかいうの、やっぱおかしいぞ! あんた別に悪いことしてねえじゃんっっ!!」
「今さらっ!? ……って、最初に出会った時の私なんかの言葉、まだ気にしてくれていたんですか……っ?」
「なんだよ悪いかよ、いつの話だろうがなんだろうが、おかしいものはおかしいだろ。
千景が間違ってたって自分で言ってるわけでもないんだから、俺が言ってやらないとな! ちょ、なんで泣きそうなんだ……え、何、いやだったのか……?」
そうして、白羽が退院となったあとも時たま会う機会が……概ね彼が自主稽古を行うもとに少女がやってくる、という形で作られ続けた。
これまで自分が強くなることばかりを真っ直ぐ見ていた彼にとっても不思議なことに、その会話は全く不快とも不要とも思えない時間ではあったが……
その中で彼女が時折口にする『自分なんか』という言葉に、妙にムズムズした引っ掛かりを覚えた彼は、自然と思う。
────自信が無いならしょうがない、自分がもっと強くなって守ってやればいい、と。
なんとなくそれを言葉にしようとすると、信じられないような気恥ずかしさで焼けそうになってしまい、結局口にすることこそ無かったが。
ともかくその時の彼は、そうすれば彼女も勇気が出せて身体も良くなって万事解決する、と。
そう信じていた。
「────ぅ、げほっけほっ……!」
「千景……? おい、大丈夫か?」
「だ、だいじょ、けほっ、むせただけ、ですっ」
────千景の容態が、悪化した。
とある心疾患を抱えていた少女は、機能低下を防ぐ程度の軽い運動や外出こそ許されていたが、成長に伴い心臓への負荷が増してしまい。
以前よりも息切れなどの症状が表に出やすくなった少女は、より大きな病院へ転院し、手術をする必要性が出てきた。
まだぎりぎり外出も可能である程度には急を要する事態でないにせよ、この先を考えると……引っ越しの必要があるだろう、という家族の結論も千景へと伝えられる。
当然、家族がしたその決定に対し、彼女が異を唱えるなんてことは一切無い。
誰が見ても納得できることだし、手術で完治が出来るなら自分も周りも万々歳だ。
同年代と比べ大人びた考えを持つ彼女はなおさら、その決定を喜ぶべきものだとして前向きに、これまで仲良くしてくれていた友、白羽に一番に伝えようとした。
「────…………っ」
「千景……?」
だが、これまで何でも器用にこなせていた彼女は、そのたった一言を伝える声が、出せなかった。
そもそも白羽は、千景の病が心疾患であることは当然、重さや症例といった一切を千景から聞かされていない。
これまで何度か、心配から白羽が問いかけた質問は『周りと同じような目で見てほしくない』という、少女の強く切実な願いによって遮断されてきたからだ。
そんな彼に、自分の症例を……いや症例を出さずとも手術が必要だと話して、離れる宣言をするということ。
それは彼女がこれまで直面し、器用に乗り越えてきたどんな事柄とも別種の勇気を必要とする……新雪千景にとっての恐るべき難題であった。
「ん~~…………よしっ。……なあ千景、俺の話、するけどいいか?」
「え……? あ、はい、もちろんです、なんですか?」
なんとなくだけど、また何か思い悩んでいる。
これまで少女を見てきた経験と勘により、そのことだけは察知した少年白羽は、彼の方も口にするか少し迷っていたあることを伝える決心をする。
「実は……大会の日が決まった。……最初の相手、かなり強いやつで……もしかしたら勝つの、ちょっと大変かもしれない。
応援、来てくれないか? ……………………来たら、勝てる、かも」
「…………っ!」
おずおず、と時間をかけて絞り出すように口にしたその言葉。
彼からすれば自分の都合もあるが何より、自分が強く在って勝つところを見せることで千景の悩み事も吹き飛ばそう、という考えからの提案だが。
千景が思わず息を呑んだことで生まれた沈黙に気まずさを感じたのか、彼は普段の直情的かつ臆しない態度からかけ離れた物言いで、ぶつぶつと続ける。
「い、いや、まあ……体調とか色々、大丈夫なら、だけど……別に無理してまでとかは────」
「行きたいっ違う、行きますっ絶対っ! 勝つところ、楽しみにしてますね、白羽っ!!」
「お、おう……?」
そして、そんな“らしからぬ”彼以上に。
手術のための転院、引っ越し、病気の説明、家族との相談、興奮することによる心臓への負担、リスク……普段なら当たり前のように思考出来たそれら全てをすっ飛ばして。
少女自身も口に出してから驚いたほどに、普段からは考えられない感情と情動のままの返答を、千景はしたのだった。
「……ところで、千景がさっき言いたそうにしてたことってなんだったんだ?」
「それは……試合のあとにでもお話ししますから、気にしないで。
……ふふっそれより、私が来たら勝てるかも、だなんて。私、まるで魔法使いか何かみたいですね」
「……………………ふん。魔法なんて使えるなら、さっさと体調も良くしたらいいんだ」
最後に返された照れ隠しにもう一度少女は笑うと、その場をあとにする。
その後、帰った千景は半ば事後承諾を突きつけるような形で家族と激論を繰り広げ、条件つきとはいえ応援の権利を勝ち取った。
自分たち家族もその試合場に同伴すること、途中で少しでも体調に異変が出たらすぐに病院に戻ること……そして、勝っても負けても一試合だけであること。
彼ら家族からしても、曇っていた千景が元気になった理由である男の子の晴れ舞台、ということ。
何より初めてと言っていいぐらいに珍しい、千景の強い意志を感じさせるわがままということもあり、この落とし所をもって受け入れることを決めたのだった。
そして、迎えた試合当日。
これまで避けてきた人混みに少し緊張を覚えながらも、応援に駆けつけた千景は、向かい合う一組の少年たちを見る。
抑えきれないとばかりに前のめりな姿勢を取る少年白羽と、試合にともないメガネを外した……ぴしっとした固い姿勢から真面目そうな雰囲気が伝わる相手の少年の戦い。
後に、魔法少女エターナルシーズが生まれる転機ともなった、一つの試合が始まった。
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