第三十五話 おとなのみるゆめ
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「…………ふぅ、はぁ……! ぎ、ぐ、ぅっ……!」
夏の終わりを思わせる熱気が、静かな公園を包んでいる。
公園の片隅、まだ大抵の人間が素手で触れるにはためらわれる程に熱された鉄棒は今、一人の少年が規則正しく発する苦悶を聞き続けていた。
大きく開いた両腕を支えに、背筋を広く使って体を持ち上げる……いわゆる懸垂を繰り返していた少年。
短めの黒髪が額に貼り付き、支える腕はぶるぶると限界を訴えてもあと一回、あともう一回だけと健気に限界を超え続けていた身体は────
「────は、ぁっ!」
吐き出された息とともに、ついに地べたに大の字に倒れ込むことを選ぶ。
通常なら、苦しみから開放された安心感で息をつくか、やり遂げたという達成感に包まれるだろうこのタイミング。
それでも、少年の口から出た言葉は、焦燥感すら感じさせる独り言だった。
「……はぁ、くそっ、はぁ、はぁ……前回から、ほとんど数が増えて、ないっ……!」
体力を振り絞った彼は、それでも自分が納得する成果でなかったのだろう、ガリガリと苛立たしげに頭をかくと、そのまま自責の言葉を続けようとし────
「こんなんじゃダメだ、俺は、もっと……っ!」
「『もっと、頑張らないと』ですか?」
「────っ!?」
まるで、天から囁かれるような優しく落ち着いた声色。
その声にはっ、と顔を上げた少年は、眼の前に映った少女に仏頂面で返す。
「……なんだ、あんたか。暑い日に外に出るなって言っただろう、また体調崩しても知らないぞ」
「ふふ、少しぐらいなら大丈夫ですよ。今はどちらかというと、頑張りすぎているあなたのほうが心配です。
見ていましたが、前回よりたくさん出来たのでしょう? まずは一歩進めたことを喜んで、自分を褒めてあげてもいいのでは?」
「…………ふん」
声をかけた、“清楚な服装と白い肌、白い髪に帽子で影を落とした“少女。
彼女は涼し気な目元を柔らかく下げ、クスクスと笑いながら少年に続ける。
「ふふ、それにまた自分のことを『俺』って呼んじゃってましたよ。道場内でそう言うと怒られるからって、普段から『自分』呼びに矯正する……でしたよね?」
「うるさいな。なんだってそんなにすぐ改善出来たら苦労はないんだ」
少しだけからかうように痛いところをつく少女に、少年はますます口を尖らせた。
とはいえ、荒い口調とは裏腹に返す言葉に刺々しさはない。
以前偶然出会った、身体があまり強く無い少女が沈むことなく、機嫌よく話す姿は少年からしても不快なものでは断じてなかったからだ。
「ふふ、ごめんなさい……ただ、強くなることはともかく、口調の方は早めになんとかしたほうが良いかもしれませんね」
「あ……?」
が、少女が続けた言葉に少年は違和感を覚え、訝しげに返す。
よぎった違和感は、その会話の内容というよりは……そもそも、ここでこう会話が続くことへの収まりの悪さというべきか。
そんな感覚を覚えたあたりで、ふわふわと地面が曖昧に揺れているような、自分がどこに座っていてどうしているのかわからない奇妙な居心地の悪さを感じだし。
それに困惑していると、少女から言葉を投げかけられて────
「だって白羽はもう、男じゃないんですから。これからは可愛い女の子の自覚を持って、生きていかないといけませんよね」
◆◆◆
「────ふぁっ!? 千景っ!?」
「うおうわぁっ!?」
がばっ、と飛び起きた自分の耳にまず飛び込んだのは、悲鳴じみた叫び声。
その声にも驚いて見渡すと、見慣れた部屋とどこか時代を感じさせるポーズで空中で固まるマスコットが目に映る。
……どうやら、自宅でうとうとしていたところを、夢に叩き起こされてしまったようだ。
「び、びっくりしたぁ……ぬしがソファーでうたた寝とは珍しいの」
「…………驚かせてしまい失礼しました、少し気を抜いていたようです」
「よいよい。ここしばらくは……いや、この先も大変な時期が続くことになるじゃろうからの」
軽く頭を下げた自分に気づかいの言葉をかけると、コンジキ様はそのまま続ける。
「先日のファンミーティング初開催という一大イベントに始まり、現れた虚獣、五つの虚念との戦い。
そのうち二体は倒したが、残りもいつ現れるか分かったものではないのじゃから……ああ、そうじゃ」
そうコンジキ様は思い出したように一度切ると、念の為、と注意喚起を伝えてきた。
「一応耳に入れておくぞ。虚獣と言えばここ数日、どうもみょーな虚獣の目撃情報が出ておるようなのじゃ」
「妙な虚獣、ですか?」
「うむ、正確にはまだ虚獣じゃ、と確定した訳では無いが……何やら黒いモヤのような泥のような塊が現れておる、と。
虚獣と似たような魔力を感じさせている以上、少なくともおもちゃや動物などでは無さそう、とも報告を受けておる」
黒い泥……と聞いてまず連想するのは、先日戦った五つの虚念のうち、羨望のインヴィディアを名乗る虚獣。
アレも飛び出してきた本体は、黒い泥のような印象を受けた。
いきなり同一のものだとするのは早計かもしれないが、それでも関連性の想像はどうしてもしてしまい、少し心配になりながら問いかける。
「それで、その泥は魔法少女に襲いかかったり……その、被害などは?」
「それが全く。うろついている泥に近づこうとしてもすぐにどこかに逃げるようで、敵なのかそうでないのかすらの情報も現状無くてのう……すまぬな、もっと断定出来ればよかったのじゃが」
「いえ……しかしそれは、確かに妙な話ですね」
とはいえ、妙ではあるがすぐに逃げて情報が無い、ということだとここでこれ以上考えることもない。
念の為、そういった気配が現れたら注意する程度に心においておくこととし、コンジキ様は次の議題に移った。
「さて、虚獣は一旦いいとして……直近の大きな目標といえばやはりあれ、ぬしの願いであるアカデミー制度となるじゃろう。
…………白羽殿、今一度の確認となり申し訳ないが、アカデミーというものについて、ぬしの考えは……」
と、やたらとトーンダウンさせながら恐る恐るといった具合に伺うコンジキ様。
アカデミーの構想を口に出した頃から時折、何かを憂うような仕草を見せていた相方だが、自分の考えは特に変わっていない。
「ええ、予定通り、アカデミーとはいっても実際に学校を作って運営だとかそういう大掛かりなものではなく。
特に最初は色々手探りなこともあり一人……いや二人程度の魔法少女を生徒として、コラボ配信を通じ戦闘のコーチング、といった小規模なものから進めていく予定です。
そうして、自分や協力してくれる魔法少女たちもノウハウを身につけながら、徐々に規模を広げていくのが無難かと」
「う、うむ……ぬしらしい、地に足ついた選択じゃと思うぞ。それがいい、そうしよう、絶対そうすべきじゃ」
そう、アイデアの基となったような趣味のスポーツやゲームのコーチングならともかく、魔法少女の戦いはまだまだ未開拓で手探りなもの。
今まで関わった少女たちは幸い上手い形に持っていけたが、この先出会う魔法少女たちも同じようにいくとは限らない。
ここで一度気を引き締め直して、いきなり手を広げすぎずやるべきだという自分の考えに、コンジキ様は大げさなほどの賛同を見せた。
きっとコンジキ様もいきなり大掛かりなものはハードルが高い、という考えなのだろう。
「なにせアカデミー……学校……つまり、学園編……
学園編といえば新キャラを出す理由こそいくらでもつけられイベントも起こしやすい反面、これまでより閉じた世界観になってしまいがちな両刃の剣……
相当上手くやれねば、尺を取れば取るほど『元々の目的どこいった?』『キャラ増えすぎてわけわからん』『てゆか引き伸ばしエグくね』などと恐怖の宣告に怯える日々が……」
「魔法少女の話をしているんですよね?」
またどこかからおかしな電波でも受信したのか、両耳を抑えガタガタと震えては丸くなるキツネのマスコット。
緊急性は絶無と一旦置いた自分は、アカデミーを進めるにあたって最も重要な話題で空気を変える。
「ところで、実際に教えることになる生徒……つまり、コラボ相手の魔法少女についてですが」
「お、おお……それなんじゃがな、ちと見てくれ」
話題を出されたことで気を取り直したコンジキ様は、自分に神妙な顔を向け一枚の資料を手渡す。
今度は真面目な雰囲気を感じ取りながら、自分は目を通した。
「これは……自身を売り込むコーチングコラボの希望ですか? いや、しかしこちらはまだ……」
「そう、初めは小規模ということもあり、公募で探すのではなくまずは他マスコットたちを当たって候補を絞る予定じゃった。
じゃがこの売り込んできておる魔法少女は、当たる予定だったマスコットいずれとも関係ない少女じゃ。
さらにいうとアカデミー制度の話を通している子たちにも、情勢を考えて民が不安に思わない程度に対策の匂わせはしていいと伝えたが、具体的な企画内容などは誰も漏らしておるまい……つまり」
「……つまり、我々の企画とは全く無関係に飛び込んできた……イレギュラーな少女、ということになりますね」
言葉を引き継いだ自分にうむ、とコンジキ様は頷く。
「無論、これから裏取りなどはワシの方で行うが、白羽殿はどう見る……?
プロフィールは見ての通りで、ワシも軽く配信に目を通したが少々……いや、“相当に難しい”相手とワシは見ておる。
ここはやはり、当初の予定通りの選定が無難じゃと思うが」
「……いえ、だからこそアカデミーに意味が出せるのかもしれません。……自分は、前向きに考え────」
自分がそう返そうとすると、ピクンッと両耳を跳ねさせたコンジキ様が、目を見開きながらこちらに向き直った。
この反応はこれまでも何度もあったもので、自分も心構えをしながら言葉を待つ。
「────話の途中じゃが父さん妖気です……虚獣の気配じゃ。かなり近い……今回はコラボの暇は無さそうじゃな」
「業務、承知いたしました。出撃しましょう」
そうとなったら、迷う必要はない。
話はあとにしよう、と即座に変身をした自分は、どことなく久々な気もする普通の魔法少女の本分を果たしに行ったのだった。
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「────ふぅ……ひとまずここは片付きましたか」
眼の前にいた最後の虚獣に放った掌底。
胸部に刺さった一撃で虚ろな身体が粒子化したのを確認すると、自分は白い息をつきながら手袋の位置を直す。
魔力による耐寒機能もあるとはいえ、冬の夜の突き刺さるようなこの空気。
魔法少女体で行うこの運動は、自分にちょうどいい熱を与えてくれた。
とはいえ、自分がまだその感覚に気を抜くことはない。
<一旦おつかれさまです>
<いやあ、虚獣は強敵でしたね>
<手袋洗濯しておくのであとでください>
「おつかれさま、じゃシラハエル殿。ただ先ほども伝えた通り、まだ近くにも気配がある。
息を整えたら、すまぬがもうひと頑張り頼むぞ」
「ええ、もちろんです。問題ありません」
そう、今討伐を終えた虚獣はいうなれば第一波。
小規模ながら複数に分散していた虚獣をあともう一度同じように叩けば、ひとまず脅威は晴らしてしまえる。
……だが、軽く滲んだ汗を拭った自分は、少し憂うような気持ちに頭を支配されていた。
<なんかやっぱ虚獣つよない?>
<大した規模じゃないのにシラハエルでもまあまあちゃんと戦う必要あんのな>
…………一部コメントも懸念を見せている通り、規模感からは予想もつかない程度には、虚獣の勢いが強い。
今回がたまたま、であれば問題ないが、自分が魔法少女となってからも徐々に、だが確実に強くなり続けている虚獣を考えると楽観視はするべきでないだろう。
この現実を直視したとき、ここ最近の自分が行き当たるのはやはりアカデミーのことだ。
おそらく、コンジキ様やこれまで出会った魔法少女の協力もあれば、アカデミーはこのままある程度の成功は収められる確率は高い。
それにより相互互助の流れが生まれ、これまで以上に魔法少女が助かる場面は多くなるはずだ。
……だが、その成功がささやかなものでしか無かったとすると、これまでの地道なコラボ活動とそこまで変わらないのではないか、という懸念は常にある。
(……出来ればもう一手……何か、大きな起爆剤がほしい)
テコ入れ、と言ってもいい何か。
今の予定通り規模を広げすぎない上で、魔法少女界隈の外にも話題が届くような企画に出来れば……
加速していく虚獣の脅威にも対抗できるようなものとして、知らしめることが出来るのではないか。
「────っ」
(……夢を見すぎるな高司白羽。まずは現実的に、やれることをやっていくんだ)
とは言っても、具体的な方策も無いままいつまでも戦場で考えることではない。
ブンッと頭を振って切り替えた自分は、念の為再度、虚獣の気配を追ってみる。
と、その時だ。
<……がい…よね>
<虚獣……一人………っぱ…>
<ところ……そろそ……獣……尻……>
────ザザ、ザザ、ザザザッと。
これまで常に脳裏に流れていたコメントが途切れ途切れな、ノイズまみれとなって届く。
が、まるで自分が初めて変身したときのような不確かな事象に眉根を寄せたのは一瞬。
次の瞬間には何事も無かったかのように正常に戻っていた。
「…………?」
「む…………?」
疲れで魔力の供給でも一瞬抜けたか、と原因を考えると同時、自分とコンジキ様は何かの気配に気づく。
揃って目を向けたそこにあったのは、見慣れない魔力の塊……夜の闇にまぎれてゆらゆらと頼りなく動く、黒い泥のようなものだ。
全長にして一メートルと少しの、楕円のようなシルエットは瞬きする間も維持しきれないのか、曖昧に揺れ続ける。
「これが……例のっ……」
先ほどコンジキ様から聞いたばかりの特徴と一致するそれに、警戒を強めながらも慎重に、少しずつ歩を進める。
報告通りの挙動をするなら、魔法少女が近づくとすぐ逃げてしまう、とのことだが速度にはそれなりに自信のある自分なら捕らえられるかもしれない。
まだ被害が出ているわけでない以上退治するかどうかはともかく、不気味な存在に魔法少女や一般人が不安を覚える前に、生態の把握はしておきたいところだ。
「…………っ?」
……が、どう逃げても反応が出来るよう備えた自分の予想を裏切り、泥は自らこちらに近づくことを選んだ。
それも真っ直ぐではなく何かしらに迷いながらのおっかなびっくり、といった様子で、少なくとも明確に害を成そうなどと意志があるようには思えない。
どう対処すべきか、とこちらもわずかな迷いが生じた辺りで、ゆっくりとシルエットから、手のようなものが伸びてくる。
不思議とその挙動に攻撃、というよりはまるで迷子の子が助けを求めて手を伸ばしたかのような雰囲気を感じた自分は。
念の為魔力で作った、いつでも切り離せる手袋越しにその手に触れ────
────────みツけた。
「────っ!」
脳裏に言葉が流れた瞬間、ぱぁっと泥が光を放ち出したことで、思わずのけぞらされることとなった。
────────あレ、“ふたり”いる……? …………じゃあ、こっチ。
続けて流れた言葉の意味を測りかねている間も、泥はみるみる形を変える。
ぐずぐずと不安定だった輪郭は整えられ、立ち上がるように細く、長く変わっていく。
着せるのではなく、直接模した形となって服、肌と形作られたそれは、いつしか色までつけられていた。
「な……っ、……!?」
そうして完成したのは、一人の少女。
それも“清楚な服装と白い肌、白い髪に帽子で影を落とした”……かつての記憶の中に色濃く残るそれに瓜二つの姿。
彼女? は涼し気な目元を柔らかく下げながらぺたん、と音を立てて一歩近づく。
裸足のままの少女は無邪気に、だけどどこか歪さを感じさせる微笑みとともに、ただ絶句する自分に向けて口を開いた。
「ああ、やっトみつケタ……このすがた、あっテる……? ええと、おほン、こう、かな……?
あーあー……わたしは…………ええと……そう、きょねん。
くぃんくねぶら? の、偏愛のカタチ、だよ。なかよくして、ね、シラハっ!」




