第二十五話 そして虚念は現れた
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「うちの悩みを無くすための……話やって?」
いつの間にか隣に座っていた男は少女を害すでもなく、ただ頷く。
恰幅の良い様相がたたえるのは、清潔感のある柔和な微笑み。
それを前にしては子どもはもちろん、大人ですら信じたいと思わせられる……そんな"つくり"をしていた。
……とはいえ。
「そんで『どしたん話聞こか』ってか?
悪いけど間に合っとるわおっちゃん、他当たり」
基本的に放任主義な家とはいえ、当然エターナルシーズも人並みかそれ以上には“こういう”手合いへの対処は学んでいる。
なんぼ弱ってたからってこんなんに縋ってられるか、と内心で毒づきその場をあとにしようとした。
「────違うねぇ。本当の本当にちゃんと対処するなら、一切言葉を交わさないか、刺激しないように合わせてさりげなく離れるべきだ」
「……っ」
が、そんな少女の態度にも動じず、まるで引っ張り込むかのように男は続ける。
「そうさせなかったのは、君のプライド。
普段なら平気で抑え込めただろう自我を覗かせたのは……
魔法少女シラハエルと、望む未来を掴めなかった傷心が関係してるのかな?」
「…………あんた、何を」
(やめとけめぐる。こいつはなんか……変だ)
(んなもん言われんでもわかるわ……けど)
「座りなよ。君が立ったままだと、変に注目されちゃうよ?」
「────ふんっ」
彼の口から、シラハエルという単語が出たこと。
この舐められたような状況で引き下がるのが、魔法少女エターナルシーズ的に許しがたかったこと。
不審な相手とはいえ、魔法少女という自衛手段を備えているということ。
そして何より、少ないながらも周りに人の気配がある状況を思うと……何故かこの男を放置しようとすることに、ざわつく感覚があったこと。
その全てを鑑みた上で鼻を鳴らし、腕を組みながらどかっと座った少女に「賢い子だね」と笑うと。
男は、そのまま切り出した。
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「あまり長々と話したいって感じじゃ無さそうだから、手短にいこうか。
────君は、自分のことを特別な存在だと思ってる?」
「……占いのキャッチみたいなこと言いよるな。
なんやっけ、ヤーナム効果やっけ、誰にでも当てはまること言うやつやろ?」
「なんか違う気がするけど詳しいね。
ただ、君の場合は“そうじゃない”って自分でもわかってるんだろう?」
「…………」
男の指摘に、少女は口をつぐむ。
自分と肩を並べられる、同じ目線で生きられる相手を探し求めていた彼女が、自分は“浮”いた存在ではない、などどうして言えようか。
「……それで、特別浮いてたらどうやっていうんや。
おっちゃんも魔法少女にでもなって一緒に戦ってくれるんか?」
「ふ……っはははは! ぼくが魔法少女か、それは面白いなっ!」
何がそんなに面白かったのか少女には分からなかったが、男はこれまで保っていた平静を崩す。
そしてひとしきり笑うと残念、と首を横に振った。
「変わるのはぼくじゃなくて君さ。
どうして君は、魔法少女として他人のために戦わないといけないんだい?」
「あ……? なんでって、そりゃ」
「せっかく特別な力を持ったのに、特別縛られた……
他人を守るためって生き方を迫られるなんて“不公平”じゃないか。
現に君は、他の大多数の魔法少女に対していい感情は持っていない。
君にとって大事なのは戦いで鬱憤を晴らすことと……あとはこのファンミーティングの主役、魔法少女シラハエルへの執着なんじゃない?」
「……なんで、そう思うねん」
不快だ、とエターナルシーズは感じた。
魔法少女シラハエルにコラボの打診を持ちかけたのも、ファンミーティングに参加するということも特に配信などで話したわけではない。
先ほど提案して実施した女子会も、その場に居たのはシラハエルとエターナルシーズと、近くをうろついていた数人のスタッフらしき人物ぐらいだ。
当然、少女はこんな中年男性を見た記憶もなかった。
なのに、色々とお見通しとばかりに男は声をかける。
「わかるさ。特に君たちが持つネガティブな感情にはなかなか敏感でね」
(心を読んでる……わけやないはず。
それ出来るならもっと安心させたり、好きなように操ったり出来てもおかしくないもん)
その上で、少女が他の魔法少女に持つ複雑な……悪感情に近いものは、強い口調で断定した。
その歪さに内心緊張を滲ませながら、少女は強気を崩さず返す。
「はっ、人の悪意を感じて寄ってきたってか? こわい能力持っとるやん、まるで────」
────まるで、創作のラスボスかなんかみたいや。
「っ………………」
(…………めぐる?)
そんなセリフを続けようとして、息をつまらせたように言葉を切る。
ぞわっ、と背筋を何かが撫でるおぞましい感覚を覚え、流れた一筋の汗があごを伝い落ちた。
…………ありえない、そんなはずはない。
そう思いながらも、これまでの経験で培った直感は、けたたましい警鐘を鳴らし続ける。
「そんなわけで、君は魔法少女に不満を覚え……そして、今の自分の立ち位置に不満を持った。
うんうんわかるよ。しがらみに利権、人間は面倒なことばかりに縛られる。
なら、これまでの道行きで一度は思ったことがあるはずだよね」
男が隣に座ってからも、警戒からずっと外さなかった視線が、動揺のために一瞬外れる。
そしてすぐさま気を持ち直し、再び顔を向けた視線の先にあったのは。
「────────虚獣のほうがマシだってさ」
片手の甲を頬に押し当て、こちらを向き。
まるで張り付けたような笑顔で佇む、色素の薄いショートヘアの少年だった。
「虚…………ッッ!?」
「ん、だとぉッ……!?」
エターナルシーズと、セキオウの二人は今度こそ目を見開いて息を呑む。
ほんの瞬きほど目を離した隙に、中年の男が少年の姿に変わっていたためだ。
それはメイクだとかそんなものでは断じてない、骨格ごとの変貌。
当然、この一瞬でベンチの後ろなり下なりにいた人物と入れ替わった、ということも考えられない。
つまりどう考えても人間に出来る業ではなく、それが出来るということは、隣にいるこの存在は、すなわち────
「おぉっと、ぼくはいいんだけど、君はあんまり騒がないほうがいいんじゃないかな?
騒ぐと人が集まってくるし、それで大事にでもなったら、困るのはこの会場でイベント中の……君がご執心のシラハエルさんだ」
彼女たちがそれに気づくと同時、少年は即座に声のトーンを落とし牽制する。
……曲がりなりにも同じ魔法少女として。
シラハエルの初イベントであるこのファンミーティングがどれだけ重要なものか、少女が理解できていると知っているから。
「非常事態だッ! 気にするこたあねぇ、戦うぞめぐるッッ!
敵が虚獣だって知れば、シラハエルたちだってわかってくれる!」
(────やべえ、やべえやべえ……ッ!!)
緊迫した声をあげながらもセキオウの内心は、雪崩のように押し寄せる危機感に支配されていた。
エターナルシーズがどこまでこの脅威に気づいているかはわからないが、今目の前にいるソレは……
“世界をひっくり返しかねない相手”だ、ということを悟っていたからだ。
(……これまで、人間の擬態のような行動を取った虚獣は居なかったわけじゃねえっ!
ただ、それにしたってシラハエルとフローヴェールのコラボ配信で出たような、相当強力な虚獣に稀に見られる特性ってぐらいで……
その精度も、でかい昆虫に無理やり人間の皮を貼り付けたような、見たり話したりすれば一発で分かる程度のものだった!!)
だからこそ、ただ単純に力で上回り、倒せばいいというシンプルな図式が出来。
リスナーたちもその安心感ありきで応援することが出来ていた。
……だが。
「ここで戦う、それは名案だ。
ん~……じゃあ、ここで騒ぎを起こしてみようか。
で、シラハエルたちが駆けつけたら、ぼくはただの無害な子どもになりきって助けを求めてみよう」
「なっ……!?」
「コラボレーションの打診が上手くいかず荒れた魔法少女が、罪のない一般人とトラブって大事なイベントを台無しにした……そんな風にもし見られたら大変だね。
ちゃんと話せばそのあと誤解はとけるかも? でも、一度そういう目で見てきたオトナと、見られた君。
その過程があった君たちがこの先、望むぐらいの仲良しさんになることって出来るのかな?」
「ぐ……くっ…………!」
(その虚獣がここに来て、会話して違和感が無いどころか、舌戦でやり込めるぐらい人の感情を理解する存在として現れて?
おまけに姿形を自在に変えられて、実際の戦闘力も未知数っ……!?
ふざけんな、進化するにしたって何段飛ばししてきてやがんだよこいつはァ……!!)
考えれば考えるほど、全てがひっくり返りかねない異常事態。
万が一こんな生き物が野に放たれて潜伏して……ましてや一般人がその存在を知ってしまったら。
どんなパニックが起こるのか、想像もつかない。
もしこの相手が、他の虚獣のように暴にあかせて腕を振るったり、話しても理解の及ばない“怪物”であってくれたなら、どれほど楽だったことだろう。
『ただそこにある人、としての考えを持ち合わせながら虚獣である』という歪みきった事実が、セキオウの心身を急速にすり減らしていた。
(…………ダメだ、こいつは、この存在だけはここで何があっても消さなきゃならねェ……ッッ!!
こいつは……こいつって存在は本当に……本当に、やばすぎる……ッ!!)
「………………あんたらは……一体、なんなんや……」
そんな、セキオウの内心に呼応したようにポツリ、と漏らしたエターナルシーズの疑問。
それを受けてぱんっと両手を合わせた少年は、笑顔で答える。
「『あんたら』……いい質問だね。
そういえばぼくの考えばかり押し付けてたけど、君たちはぼくらのことをよく知らないんだったね」
悪い悪い、とばかりに頭をかくようなポーズをすると、少し息をつき。
よりトーンダウンした落ち着いた様子で、少年は続けた。
「ざっくりとした結論から言うと、虚獣は“君たちの裏側”だよ。
応援、期待、信頼、愛情……君たち魔法少女が正の感情の受け皿として戦うように、負の感情にも受け皿が必要で。
それがカタチになったのが虚獣なのさ」
「…………っ」
「そして、そんな中でも特に強く、カタチも明確な感情が生まれ……ぼくらは自らを定義することにした。
……君は、有名な悪感情って聞いたら何を思い浮かべる?」
突如振られた質問に一瞬どう対応すべきか、となったものの。
変にひねった回答で刺激するべきでないと思い直し、少女は回答する。
「…………傲慢とか強欲とかやないの、それは」
「そう、七つの大罪。
傲慢、強欲、嫉妬に憤怒、色欲、暴食ときて、あと怠惰か。
漫画とかでもよく使われるらしいから、案外子どもも知ってたりするんだね……ただ」
ただ、と続けた少年はそのまま自分の胸に手を当て、口を開く。
「七つの大罪が生まれた当時と違う、SNSって伝達手段が進化しきったこの現代で。
新たに生まれた強い感情をぼくらは“虚念”と呼んだ。
そして、その上で────」
「────五つの虚念。
クィンク・ネブラと名付け、定義することにしたんだ」
「五つの虚念だと……? 五つってことは、まさか」
信じたくないという思いとともに聞き返したセキオウに対し、彼はそう、と頷くと。
災厄を、口にし続けた。
「空虚な皮で塗り固められた『虚飾』。
誰に聞かせるでもなく発露する『偏愛』。
認知した全てに不平を叫ぶ『羨望』。
自壊の渦に沈みながら手招く『自罰』。
あと一つは…………なんだったっけ、まあいいや。
とにかく、この五つの虚念が虚獣の……次の段階と考えて間違いないね」
「…………なんて、こった……っ」
「……そんで、あんたもなんか」
次々と投げつけられた、これまでの前提がひっくり返る情報の波にセキオウは天を仰ぎ。
エターナルシーズは確信を持った疑問をぶつける。
それを受けて少年はにこり、と頷き両手を広げた。
「改めて、はじめまして。
ぼくは虚飾のカタチ『ヴァニタス』だよ、よろしくね。
…………ところで、今までぼくが言ったセリフってどこまで本当なのかな?」
「ふざけやがって……!」
自らを虚飾と明かした上で、とぼけたセリフを発するヴァニタスに、セキオウは歯を軋らせる。
「さて、だいぶ逸れちゃったから話を戻して……と言いたいけど。
これ以上の込み入った話は場所を変えたほうが良さそうだね。
君もそのほうがいいだろう、エターナルシーズ。
魔法少女同士……じゃないけどはぐれもの同士、“デート”しましょ?」
「……聞くな、めぐる! こいつはお前とシラハエルを合流させたくないだけだッ!」
あくまでここが、シラハエルのファンミーティング会場であることを盾に誘う虚獣……ヴァニタス。
当然、セキオウは全てを承知の上で戦うべきだ、とエターナルシーズに声を掛ける。
この虚獣の悪辣さを考えて、すでにファンミーティングがどうと言ってられる状況ではない。
どころか、民間の犠牲者が複数人出る事態になってでも、こいつだけはこの場で倒さないとダメだ、と。
彼は強い確信に押されていた。
エターナルシーズなら、口車に乗って一対一で戦ってもそう簡単に負けはしない、とセキオウは“知っている”。
ただ、未知数のこの相手を倒しきれる保証も無い以上、シラハエルとの協力は必須と言えた。
「君だって、このまま一人きりで虚獣と戦うのは辛いんだろう?
ぼくらの仲間になったっていいし……そうでなくたって、“シラハエルと全力で戦うライバル”って唯一無二の立ち位置になれれば。
面倒な事情ぜーんぶ無くして、この先お互いの命がある限り、ずっと同じ目線の高さで絡むことが出来るんだよ?」
「…………っ」
口を歪め、目尻を歪め。
虚飾を名乗った眼の前のカタチは、虚無の共感で誘い続ける。
「むき出しの虚念であるぼくだからこそ、君の苦しさがよく分かるよ。
一番強いのに、才能あるのに、頑張ってるのに。
他の魔法少女の輪に入れないなんてずるいよね、許せないよね。
ならいっそ、輪なんてぼくらと一緒に壊してから考えてみようよ、ねえ?」
「てんめぇ…………ッ!!」
正体を現したこの期に及んで、少女に道を踏み外すことを迫る虚念に、セキオウは憤怒の声を上げ。
「………………うちはっ……」
少女はわずか声を震わせながら、彼に向かって口を開こうとし────
「────────そこまでです。ゆっくりとエターナルシーズさんから離れてください」
凛、とした“大人の少女の声”が、そのスペースに……舞い降りてきた。
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「…………」
「な……っ、え……?」
その声の主……魔法少女シラハエルと、避難誘導を始めた複数人のスタッフを見て。
ヴァニタスは彼女たちの前に現れてから初めて冷めた表情を見せ、残る少女たちは唖然となった。
なぜここに、イベントはどうしたんだ、どこまで知っているんだ……敵味方含めた全員に共通する思考に答えるように、シラハエルは口を開いた。
「握手会で出会った、不思議な雰囲気をする少年。
会場各地に居るスタッフに対し、余裕があれば遠巻きにでも少々注意するようお願いしました。
……そのうちの一人から、瞬きの間に見ていた少年が中年男性の姿に変化し、魔法少女に話しかけ。
ましてや虚獣といった単語まで出た、と連絡がありました」
「………………へぇ」
「即座に自分はイベントの中止を決定し、静かに、確実に来場者の避難を進めました。
会場内で放送などと言った手段を取らなかったのは、当然自分が駆けつける前にあなたを刺激しないためです」
「…………うそっ…………」
さらっと示したシラハエルの決断……覚悟に、エターナルシーズは小さく声を漏らした。
信じられないという少女の困惑を引き継いだように、隣のモノは少年の姿のままくつくつと笑い、返す。
「いやいや、せっかくの記念すべき第一回イベントを中止だなんて本気かい?
スタッフの見間違いかもしれないし、今ここにいるぼくだってどう見ても普通の人間だろ?
そんな不確定な情報で、こんな大事にしちゃうなんて、正気とは思えないけど」
そう、だからこそエターナルシーズはこの場で騒動を起こすことに、迷いに迷っていたのだ。
……が。
「────魔法少女が困っていて、ましてや虚獣が絡む話かもしれない。それ以上の大事がありますか?」
「────────っっ」
何の問題もない、とばかりに迷いなく断言した大人の姿に、ヴァニタスは二の句が継げなくなり。
同時に、抱えきれないほど覚えた感情を余さず呑み込むかのように、少女は口に手を当てた。
当然、そんな後ろの様子を知らず、ヴァニタスはシラハエルに向けて鋭い視線を送り、直後すぅっと顔を伏せた。
「さあ、虚獣だと言うのなら正体を現してください。
そして、そうでない愉快犯としても当然、大人しく捕まっていただきます」
そうシラハエルに声をかけられても構わずに、少年はそのまま肩を少し震わせる、と。
「ふ、ふふ、ふふふふふふっ……! 面白────」
面白い、と続けようとしたその声は、その身体は。
直後、きりもみ状に回転して壁へ叩き込まれたことで、止められることとなった。
「えっ……」
ドガァァッ、と派手な音を立てて崩れた壁、叩き込まれた少年、そしてそれを成したもの。
その順番で、今度はシラハエルとスタッフたちが大口を開けて目を向ける。
先にあったのは、正拳突きを叩き込んだ拳から煙を出している……すでに変身した、魔法少女エターナルシーズの姿だった。
「うちの前で、“殴ってもええ相手”が何を笑っとんねん」
戦うにあたり、何のしがらみもなくなった最強格の魔法少女の一撃。
瓦礫に埋もれた敵を相手に、エターナルシーズは低く重々しい声を被せる。
この虚獣と出会って……いや、この会場に来てからというもの、彼女が周りに見せていたのは。
孤独を恐れ、悩み、居場所を失うことに怯える一人の少女の姿。
だが、ここからは違う。
泣き出したくなるほどの感動も、溢れ出そうなシラハエルへの感謝も、今だけは全部置いて。
少女は構えたまま、指を動かし……宣言した。
「はよ立てぇ。…………エターナルシーズを見せたるわ」
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