第二十話 おとなのかいごう
本日二話目です
────ぱち、と。
日の光も迎えきれていないこの時間、まだ薄暗い部屋で、いつも通りアラームが鳴る直前に目を覚ます。
いつまでも布団にくるまっていたいという、万人共通の本能に抗って身を起こした自分は、すぐそばにあった窓を開けた。
「…………っ」
ぶるっ、と。
一瞬だけ身が震えたのは、涼やかな、と言うにはそろそろ肌寒さも感じる夜明けの秋風のせいにして。
大きく一度深呼吸をし、自分の中の澱みのようなものもリセットされた気分のまま……呟いた。
「────よし、当日だ。"期待に応えよう"」
この時間からでも見上げた空から感じ取れる、絶好の快晴のもと迎えた、今日という一日は。
一人の男性高司 白羽としてはもちろん、魔法少女シラハエルとしても初となる……ファンミーティングの、本番の日だ。
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「あの、最後にっすぅ、ふ、お、応援してますっ! いつもありがとうございます、これからもがんばってくださいっ!」
「はい、こちらこそ、応援ありがとうございます。あなたのおかげで、いつも戦えています」
「は、はいぃ……!」
そして、数時間後。
無事会場入りを果たした自分は今、プログラムの一つである定番中の定番、握手会につとめていた。
当然、姿は魔法少女体であるシラハエルのものだ。
……参加者の何名かからは、元の姿の方でもしてほしい、という事前希望があったらしいが、ただの一般中年男性つかまえて、彼らは正気なのだろうか。
「……いける……っ! むしろ……っ!」じゃないと思いますコンジキ様、なんだむしろって。
妙なことを思い出してしまった間も、列は進む。
初回かつ個人開催ということで、自分の負担を鑑みて小さめの規模で設定したファンミーティング。
スペースもそう広くない分、押し寄せた人たちの熱気は想像以上だ。
冬も近いこの季節にうっすら汗まで滲ませながら対応を続けた。
「はじめまして、配信で戦ってるところ見て、ファンになりました!
すごくかっこよくて、あんなふうに戦えたらって……!」
「はい、ありがとうございます、おかげで頑張らせてもらってます。
《《お名前、書きますか》》?」
次の来場者である、大学生くらいだろうか。
黒い髪の男性が、キラキラという擬音をそのまま当てはめたような目で、自分に力強い声をかけてくれた。
そんな彼に、自分が質問を返すと、彼は嬉しそうに答える。
「はいっ! えっと、真って書いてまことって言います!」
「はい、『真さんへ』と……あとは……こんな感じで……うん、どうですか?」
そう言うと自分は、そばにあるインクにちょんちょん、と拳をつける。
拳についたそれが地面に垂れるよりも速く、色紙を壊さない力加減でぐぐーっと押し付け。
「わ……わ、ぁ……っ!」
『戦うところが好き』と言ってくれたファンに、アドリブで手形ならぬ拳形もつけた色紙を渡す。
ファンの希望や流れに応じて、こうしたサービスも自分の判断でつける許可をもらっているのだ。
その甲斐もあって期待どおりか、それ以上……
まるで、朝番組のキャラクターかのような情緒になった彼の姿に、満足しながら頷いた。
「────ふぅ、よし」
そしてインクがついた手は元々、魔法少女の魔力で作られた手袋に覆われている。
つまり、その部分だけ変身解除で消して、再度魔力でコーティングすれば、きれいな形で元通り。
もちろん直後の握手も、お互い汚さず行える。
そんな、魔法少女という特性を活かしたファンサービスを、自分は進めていた。
……初のファンミーティングの、これまたもちろん初となる握手会。
「それもただの握手会じゃねぇぞ、相手の名前を書き込んだサインも同時に渡す、ド級に尊い握手会じゃ」とは、妙にドスの利いたコンジキ様の言だったが。
幸いというべきか、とりあえず今のところ問題なくつとめられている。
ファンミーティングが決まってからというものの、「どんだけ確認するんじゃ」ってツッコミまで入ったほどに。
期待に応えるべきという使命感から、暇さえあれば進行の確認や先駆者の動きを見て勉強したのは、無駄ではない。
もちろん、サインの練習もバッチリだ。
魔法少女というスペックで動くこの指先と練習の成果を合わせれば、サインの完成まで一秒もかからない。
浮いた時間で、一人ひとりに定められた時間いっぱいまで話す余裕が出来ているのも、来てくれた人にいい材料と言えるだろう。
「よし……どうぞ!」
「は……はいっ!」
続けて来たのは、元の姿の自分と同じか、少し上ぐらいかもしれない大人の男性。
先ほどの大学生ぐらいの彼といい、自分の配信は他の魔法少女に比べて成人男性率が多いと聞いたが。
その傾向はファンミーティングでも現れているのかもしれない。
しかし、前に出た彼はこういう場には全く慣れていないのだろうか。
これまでのファン以上にいっぱいっぱいといった様子で、声を上げた。
「あ、あ、あのっすみません、名前、吾郎ですっ!
あ、じゃなくって、先、すみません、えっと、お、応援してます、いつも力もらってます!」
「はい、ありがとうございます。お名前もありがとうございます。
ではサインは…………」
こういう特別な場ということもあり、緊張からうわずった声になることも当然ある。
恐縮している様子の彼に、安心させるように笑いかけサインを書こうとすると、追加のリクエストをいただいた。
「あ、その、すみません、名前なんですがっ……ご、『吾郎くんへ』って書いてもらうこととか……
あ、や、すみません、こんなの気持ち悪いですよねっ……!」
「いいえ、とんでもないです。
何の問題もありません、それでは────」
眼の前の彼……反射のような『すみません』が、あまりにも口から自然と出る様子や顔つきから、自分にうっすら伝わったもの。
それは、きっと……なんというか、日々に少しくたびれている人なのかもしれない、という印象だ。
当然、同じ社会人である自分にも共感出来るものはある。
そんな、苦労人であろう彼が、こういう場に来て求めているもの、求めている言葉。
もし自分がこの人の立場ならどうだろうか。
いっぱいいっぱいになりながら、吾郎くんという希望を伝えた彼が自分だとしたら。
そのとき、望むものはなにか、どうすれば期待に応えられるか、を考え────
(……うん)
書き終えたサインを両手で静かに渡すと。
握手会ということでぎゅっと手を握りながら、出来るだけ包み込むように耳に入る声色で……伝えた。
「────はい、"吾郎くん"。お疲れ様です。いつも頑張ってくれて、ありがとうございます。
これからは自分からも、吾郎くんが頑張ってる姿を応援させてください」
「~~~~~~っっっ!!!」
最後は言葉にもなっていなかったが、少なくとも気分を害した様子は無い。
何かをこらえるようにぎゅっと目を瞑り、大事そうにサインを抱え去っていった彼の様子に手応えを感じ、こっそりとガッツポーズを取った。
「けいこくじゃろこんなん……」
それと同時、喧騒の中ボソリ、と隣のコンジキ様が頭を抱えながら呟いた声が耳に入る。
けいこく……なんだろう、渓谷……警告?
特に今のファンにまずいところなど無かったはずだが、何かを感じとったのだろうか。
とはいえ、本当に問題があるならちゃんと言うだろう。
そもそもこの喧騒を考えると聞き間違えただけの可能性もある。
そう気にしなくてもいいだろう、よし! ということにして続ける。
「────どうぞ!」
自分がかけた言葉で前に来た次のファンは、一人で来たらしい少女だ。
うっすらと微笑みながらも少し紅潮した顔色を見せる、黒い髪の少女は口を開く。
「シラハエルさん、配信見ました。
戦い方ええですよね、好きな感じです」
「はい、見てくださってありがとうございます、嬉しいです。
お名前、よろしければ書きますよ。ご希望はありますか?」
今日二人目となる、戦い方のファンだと言ってくれたこの少女に、定例の質問を投げると。
彼女もまた、喜びを表しながらに、返す。
「やた。ありがとぉございます。
ほなら名前はめぐるん……いや……うん、そうやな」
「『エターナルシーズへ』で。よろしくお願いします」
「────っ」
思わず息を呑んだ自分をまっすぐ、何の憂いもなく見つめながら。
彼女は、続けたのだった。
「メール、見てもらってても、もらってなくてもええです。
よかったら、なんですが、あとでお話しする時間とか取れたりしますか?
ファンミ終わるまで待てって言われたら、喜んで待ちますんで。
魔法少女同士、"女子会"しましょ?」




