第十二話 再臨の"ご都合主義"
★★★
「────…………ぅ、くっ、ぐっ……ふぅっ……!」
カチリッと音を立て、震えていたマウスカーソルがようやくその命令を実行する。
ただ送信ボタンを押すだけのことが、これほど恐ろしく感じたのは初めてだ。
彼らのコラボ打診に対して、私が返した『魔法少女シラハエル様 コンジキ様』から始まるメッセージ。
やりたい放題なメスガキ、というキャラクターを一貫している私が、素の姿がこうであることを彼らに教えることになる送信は、とてつもなく神経を使うものだった。
送信した今になっても、本当にこれで良かったのか、と後悔にも似た感覚が尽きない。
シラハエルさんの配信はもちろん見たが、私が配信で演技をしているように、彼が見せたそれが演技でない保証なんてどこにもないからだ。
少なくとも、髪色も空を飛ぶという能力も被っている、商売敵となりうる先輩の弱みなんて握ったなら。
"今の私"が、それを利用しようなんて考えない自信は……正直、無い。
仮に彼らにその気がなくとも、うっかり漏らされたりするリスクは確実にある。
それ以外にも、こちらが気づかない無礼を働いていたり、やっぱり配信スタイルが受け入れられないからNGが出たりと、いくらでも止まる要素はある。
私を魔法少女として強くした『考える』という癖が、今ばかりは気分を悪くさせる素養にしかなっていなかった。
「ああ、もう……! 返すなら早く返してよ────あっ」
送信して5分も経たずに耐えきれなくってこぼした愚痴。
それに応えるかのようなタイミングで、返信を知らせる通知メッセージが私の下へ飛び込んでくる。
「え……は、早っ……大人の男の人ってこんな早いの……?」
もしかしてお断りします、って一言だけ返ってきたんじゃ……
そんな嫌な想像に肝を冷やしながら、私は恐る恐るメッセージを開いた。
『魔法少女フローヴェール様 アントン様
この度はお忙しい中、早速のご返信をいただきまして誠にありがとうございます。
魔法少女シラハエルでございます。
コラボレーション内容に関しまして、承知いたしました。
ご希望いただきました通り、虚獣の撃退を進めさせていただきたく存じます。
なお、日程に関しまして────』
「かっっったい……! …………けど」
返ってきたのは、これまで見てきた文と比べても固く、だけど簡潔に要点が入ったビジネスメッセージ。
それに、固い中でも読みづらい漢字は避けて書かれていたりと、読む私に対する気遣いが随所に見られるものだった。
「……は、ふぅぅ~~~……良かったぁ~……」
心底胸をなでおろしながら、私は息をつく。
それと同時、自分でも驚くぐらいに心に詰まっていたものが取れ、心が軽くなった気がした。
もしかしたら、思っていた以上に余裕が無かったのかもしれない。
「……いやいや、まだよ。実際にコラボやって成功するまで、喜ぶのは早いでしょ、ころも……」
そう、浮かれかけた心になんとか待ったをかけ、沈める。
まだ何が解決したわけでもないのに、やった気になるのは早いぞ、と。
……ただ。
「そういえば、男の人からのちゃんとしたメッセージって……はじめて、よね。
………………ふーん……」
それでも、やっぱり。
少しだけ救われた気分のまま、私はメッセージを何度も何度も読み返すと。
「重要マークつけとこ」
この先も読み返すだろうそれを厳重に保護してPCを閉じ、床につくのだった。
なんだか、今日はよく眠れそうだ。
------------
「────このあたりかな」
その翌日、魔法少女シラハエルとのコラボを"明日"に迎え、雑談配信を終えた今、このタイミングで。
私はとある街の一角を訪れていた。
「それにしても……こんなに早くコラボしてもらえるなんて。
多分、私の事情に合わせてくれたのよね」
普通のコラボレーションだと、それぞれの規模にもよるが事前に入念に打ち合わせをして。
何日か何週間か……場合によっては月単位で時間をかけて実現する、というのが普通のやり方のはず。
可能な限り早くルナシルヴァを元気にして……そして自分も安心したい、という私の都合。
それに文句の一つも言わず合わせてくれ、最速と言っていいスケジュールを組んでくれたシラハエルさんたちに改めて感謝をする。
そして、この外出はその現れの一つでもある。
今、配信を終えた私が来ているのは、コラボレーションの場所になるであろう、ルナシルヴァを破った虚獣が確認された区域だ。
と、いってもさすがに中にまで入ったりするわけではなく、ぼんやりと外から地形を眺めて、当日に困ることがないように、というちょっとした下見。
大体が好き勝手にやってる魔法少女で、こんなことまでやってる子はいないと思うが。
今回は特に成功させたい理由もあるし、都合を合わせてくれた相手にも迷惑はかけられない、という思いから私は少し疲れた身体を押してここまで来たのだ。
「────と、ここまでか。うーん大体わかった、けど……」
そうこうしているうちに、黄色いテープで塞がれた区画にたどり着いた私は、少し力を抜く。
とりあえずの下見、という目的は果たすことが出来たからだ。
念には念を入れるなら、フローヴェールに変身し、固有能力である飛行で上からも見ていってもいいと思うけど……
「……どうしよう。……ま、いいかな」
魔法少女として目覚めた直後は最高の能力だと思っていた飛行能力も、今は気が引けた。
考えること、背負うものが増えたのに合わせて、身体が重くなっている感覚はまだ続いているからだ。
まあそれは、悩みが解決したら日課の散歩も含めておいおい、と。
私は帰宅のために踵を返そうとする。
「あ……ころもちゃんだ……こんばんわ。こんなところで、どうしたの……?」
「へ…………?」
そんな私に対し、突如かけられた声に振り向くと。
そこにあったのは、家でのんびりするよう伝えたはずのクラスメイト、霧島瑠奈の姿だった。
「ちょ……あ、あんたこそなんでっこんなとこに、あ、危ないじゃない」
「ん~? そういえばそうだね、なんで来たんだろ……なんとなく?」
魔法少女として不安定となっている彼女に、うかつに外を……ましてや虚獣が出た場所の近くをうろつかせるわけにもいかない。
ぽやぽやと要領を得ない回答に焦りが募った私は当然、彼女に言い含めようとした。
「なんとなくって……それならなおさらよ。私ももう帰るから、あんたも今すぐ────」
と、その時だ。
「おっ、おじょうちゃんたち、こんなところで危ないよ、危ないよ」
「っ、あ、すみません、すぐ帰────」
私たちの後ろからさらに、別の知らないしわがれた声がかけられる。
確かにこんな夜に、女の子が二人でうろついているのは心配をかけるか、と。
私は思わず、素の口調で答えながら振り返って……ゾワッと震えが走った。
「あ、あぶない、よ。あぶないよあぶないよあぶないよ、し、しぬ、しぬよ、しんじゃうよしぬよ、い、いいいましぬよ」
「なっ……!」
私の目に飛び込んできたのはパッと見……本当にパッと見だけは、男性の老人。
だけど、二足歩行なだけのロボットに無理やり人間の皮を被せたような、生理的な嫌悪感を催す異物感は、一瞬で私の警戒心を跳ね上げる。
そのままその生物は、壊れた人形、あるいは虫を思わせる気味の悪い動きで、覚えたてのような言葉を繰り返すと。
「こ、こここ、こんにち、わわわああぁッ!」
突如、奇声とともに振り上げられた両手がぐばっと別れ、禍々しい紫の魔力光が二方向から私に襲いかかってきた。
ほとんど溜めもなく放たれた高速の殺意は、私に何の遠慮も容赦もなく振るわれる。
「────変身」
それを見て、ぼそっと呟いた私は即座に魔法少女に変身。
手に持った魔法少女としての武器、一本のレイピアに魔力を込めた私は、迫りくる二本の魔力光が交差する瞬間に絡め取り。
「ふっ……らぁあッ!!」
「ッッッ!?」
その流れに逆らわずぐるりと一回転。
敵の魔力光をもレイピアに乗せた、渾身のカウンター突きを老人……いや、下手くそな擬態をしていた虚獣に叩き込んだ。
実体の無い魔力での奇襲を流し、痛打で返されるなど予想していなかっただろう虚獣は、息を呑むような声を発しながら吹き飛ばされる。
「私に攻撃するなんて、天に向かってつばを吐くのと同じこと。
────雑魚が、舐めないでくれる? 私は……いや、私様は、フローヴェールよ」
これが、私が魔法少女として戦う武器、天の返礼。
ヒュンヒュンッ、と自慢のレイピアを振りながら私は、自分と背中の瑠奈を鼓舞するため、あえて配信上で見せるようなセリフを吐く。
その一方で私は、今受けたのが新人や心構えができていない並の魔法少女なら、間違いなく致命傷となっていただろう、と内心で戦慄した。
ひと目見て分かるような雑なものとはいえ、人の姿を模倣する虚獣なんて見たことが無かった。
こんな危険な相手、そこらの魔法少女に務まるとは思えない。
(……多分、こいつだ。瑠奈が……ルナシルヴァがやられたのは……なら)
本音を言えばこの場で配信を始めて倒して、瑠奈を戻してあげたい。
ただ、この場には不安定な状態の瑠奈がいるし、無理に戦う必要もない。
一度撤退し、シラハエルさんと合流して戦える明日、確実に討伐するのが"最高の結果"となるはずだ。
そう判断した私は、建物に吹き飛ばされ、攻撃を受けた箇所からカラフルな霧のようなものを漏らす虚獣から目を離さないまま。
背中の瑠奈に、声をかける。
「よし、瑠奈っ! 巻き込まれてないわよね!
一旦戻るから掴ま────が、ぁぁッ!?」
突如、背中に強烈な衝撃が与えられ。
驚愕と苦悶の声をあげさせられたのは、それと同時のことだった。
「なっなに、をっ……!?」
もんどりうって倒れそうになるところを必死に耐え、足に力を入れて振り向いた私は。
すでに魔法少女に変身し、武器である杖を私の背中に叩きつけたままの姿で佇む、ルナシルヴァに困惑の声をあげる。
「…………ぁっ、フローヴェールちゃん、攻撃受けたの、大丈夫……!? えっと、敵、なんかしてきた……!?」
「あ、あなた……!」
そんな彼女が返したのは、本当に、心の底から私を心配するような、いつもの態度。
今、自分が私に対して攻撃したことにも全く気づいていない。
彼女が見せたその不自然な意識の飛びっぷりに、私は見覚えがあった。
(あいつの、せいかっ……!)
私がぎっ、と目を向けた瓦礫の中から、ほとんどダメージも無い様子で現れたのは、本性を表した虚獣だ。
歩みを進めるのは、ところどころいびつに歪んだ筋肉質な人型の身体。
そしてその上に乗せられた頭は、充血した巨大な一つの目玉が張り付き、ギョロギョロと視線を私たちに這わせていた。
……なんとなく、あの目を真っ直ぐ見てはいけない気がする。
そう感じた私は、出来るだけ目でなく胴体に視線を向けようと意識し。
「フローヴェールっ!」
「────ッッ!!」
直後かけられた、マスコットアントンの声に反応した私が、咄嗟に身をかがめると同時、ルナシルヴァが振るった杖が空を切った。
即座に距離を取り、また意識が飛んだルナシルヴァと目玉虚獣の両方を視界に収めながら、歯噛みする。
「あいつの仕業かは分からないけど、ルナシルヴァのマスコットとの連絡も取れないぶー! フローヴェール、ここは……」
「……わかってる、けどっ……!」
キャラ付けの一環として、戦闘中は極力口出しをせず、私に任せるようお願いしていたアントンからの火急の助言。
未知の力を持つ虚獣だけでなく、無意識に躊躇なく攻撃する魔法少女という脅威に、私の想定は崩され続けていた。
そして、この場で私が抱える問題は、それだけではない。
アントンが言いたいことは、わかっている。
『今すぐ全力で逃げるか、もしくは配信を始めて全力で倒し切るか決めるべき』ということだ。
だが、この戦力を前に逃げ切れるかはわからないし、逃げられたとしてこの場にルナシルヴァを放置するなんて、出来るはずがない。
だから配信をつけて、リスナーの魔力も借りてなんとか倒そうと、私は配信設定をONにしかけて……すぐに気付いた。
(配信……だめ、だめだっ……!
今つけたら『ルナシルヴァが私に襲いかかるところ』がみんなに見られる……!)
1対2の戦いとなる以上、配信をつけたとしても私の苦戦はまぬがれない。
ただでさえ視聴者のフラストレーションが溜まる展開になるところに、私を背後から攻撃するルナシルヴァの姿が彼らの目に止まったとき。
一体どんな反応が起こってしまうのか……恐ろしすぎて、想像もしたくない。
(炎上……炎上しちゃう……!!
たとえ勝てても、瑠奈が魔法少女として終わっちゃうっ……!)
ある意味魔法少女が最も恐れる致命傷……それは、誰からも応援されなくなる、灰も残らないほどの炎上だ。
少なくともルナシルヴァが、そんな状況に耐えられるとはとても思えない。
なら配信をつけて経緯を説明する?
その間相手二人は待ってくれる?
戦いながらうまく説明出来る?
そもそも傍若無人なキャラで通した私が、配信開始からいきなり釈明し始めてリスナーはどう反応する?
じゃあこのまま配信無しで戦う?
それとも全部見捨てて逃げる?
ルナシルヴァを説得する?
どうやって?
「ぅ……ぐ、くぅっ……!」
…………わからない、わからない、わからない。
自分を今まで支えてきた、思考を深めれば深めるほど頭が真っ白になっていく。
知恵熱に際限がなかったら、もう脳みそなんてとっくに蒸発してるかもしれない。
それぐらいに私は、答えのない迷路で頭が一杯になり。
「ッ、フローヴェール、前ッッ!!」
「ぁ…………」
いつの間にか目の前にいた目玉虚獣が、変形して広げた手で、私の頭に掴みかかろうとしていることに気づく。
いつもなら即弾き、返すことが出来るだろうその攻撃も、今はなんだか、反応しようってならなくて。
これを受けたら、もう何も考えなくて済むんじゃないか、なんてことまで頭をよぎって、私は────
「────────"青天の霹靂"」
瞬間、もやがかかった頭も、暗雲も。
全てを拭き飛ばすような雷鳴がなりひびき、私は飛び跳ねたように顔を起こした。
「────ッッッ!!?」
「……あ……っ!」
呆けた私の前に飛び込んできたのは、両腕を広げ、片足立ちで着地した金髪の天使と、宙を舞う無数の羽。
そして、上空から雷の勢いで打ち込まれた片足の下敷きとなり、地面にめり込んだ虚獣の、声にもならない苦悶の音だった。
「……タフだな」
ボソリ、と天使は呟くと、そのまま下の虚獣を強烈な勢いで蹴り上げ、吹き飛ばす。
可憐としか言いようのない姿のイメージと全然違う、荒っぽいその挙動は、不思議なほど私に安心を与えてくれるものだった。
……私はこの光景に、舞い降りた天使の姿に、見覚えがある。
少し前に話題になった、魔法少女ミリアモールの救済の物語。
それを再現するような現実に、それでも私はなぜ、そんなはずがない、と疑問を口にする。
「し……シラハエル、さん……? な、なんで……コラボは、明日で……そ、それに、まだ」
この状況に陥った私はまだ、シラハエルさんに救援を頼ろうなんて、選択肢にも入ってこなかった。
だってあのミリアモールの配信でも、チャット欄に現れたシラハエルさんが駆けつけるには、3分強ほどの時間がかかっていた。
だが、今はまだ戦い始めてからまだ1分経ったかどうか、というぐらいの時間で、そもそも配信すらつけていないのだ。
だから、この場にシラハエルさんが駆けつけるなんて"都合の良すぎる"こと、起きるはずがないと、そう思っていた。
「それは……驚くことはありません、あなたと同じです、フローヴェールさん」
「同じ……私と……?」
そんな私を真っ直ぐ見つめるとシラハエルさんは、当たり前のこと、とばかりにこう返す。
「自分も明日のコラボに備え、現地の下見に参っていたのです。
だから、近場で魔力反応を感じた瞬間、ここに駆けつけることが出来ただけです。……さて」
私に伝えられたのは、私と同じかそれ以上にコラボに向き合う、"考える大人"の姿。
これまで体験したことがない、だけどなんだか自分と近い共感にも似た、暖かな感覚。
その未知の感情を受け止めきれない私と、吹き飛んだ虚獣、虚ろな表情で武器を構えるルナシルヴァを順に見渡すと。
彼は自分の額に指を当てながら、続けた。
「お陰で、状況は概ね理解できました。お待たせし、申し訳ございません。
────予定が繰り上がりましたが今、この場で。
全ての問題に決着をつけてしまいましょう」
★★★