7.知ってしまった事実 75階(1)
その階層は、いつもと少し様子が違った。
エレベーターを降りてからしばらく歩いているのに、魔物が一体も現われない。
それなのに血の匂いと腐臭は常にしていて足下はひんやりと冷たかった。
魔力補充もかねて繋いでいる手に自然と力が入る。
「あはは。なんだか肝試ししてるみたいだなぁ」
「笑えないよ。本当に出てきそうだからやめて」
「あれ? 由亞ってぇおばけも苦手だっけ?」
わざとらしい「も」に例のモノを思い出してしまう。
ゾッと身震いすれば、蓮がうなじを突いてきた。
「えい」
「ひぃっ。れ、蓮!」
「あははっ」
笑い事じゃない。
全身に鳥肌が立って、連鎖的に鳩尾がシクシク痛みはじめる。
恨めしい気持ちで蓮を睨めば援護するように恵が舌打ちした。
「蓮、いいか…げ、ん……っ!」
苛立ちを隠さないドスのきいた声。
なぜかそれは次第に小さくなり、最後は息を呑む音で終わる。
恵と繋いでいる右手が尋常じゃないほど震えていた。
嫌な予感に慌てて前を向き、言葉を失う。
『イタ、イ』
『ナンデ…』
『フザケルナ』
私達は廊下の突き当たりに到着していた。
そこにはあやとりで遊ぶ白い陶器のマネキンと、2-Bの…死んだはずの私達の同級生と山本先生がいた。
どっと汗が噴き出す。
「嘘…」
「へ~。これは驚いたなぁ」
「……っ」
もちろん生前と同じ姿ではない。
肌は黒く変色し、体はつぎはぎだらけ、瞳は虚ろで、喋る言葉はカタコトだ。
きっとそこに彼らの魂は、ない。…あってほしくない。
「あのマネキンがフロアボスだよね~。じゃ、行ってくるよ」
「待っ…!」
ぱっと蓮が手を離し、マネキンに向かって駆け出した。
それを待っていたかのようにマネキンが蓮を指さす。
『ユル、サナイ』
『イタイ、イタイ』
『ナンデ』
口々に言いながら2-Bのみんなが蓮に襲いかかった。
慌てて蓮の周りに結界を張る。
だけど私の結界は一秒も保たずに壊され、一瞬のうちに蓮の体はみんなの中に埋もれてしまった。
「い、いやぁあ! 蓮!!」
「えー? そんな叫ばなくても大丈夫だよ?」
スパンッと水平に舞う水の鞭が見えた。
その瞬間、ボトボトと蓮を囲んでいたみんなの上半身が床に落ちる。赤黒い血が床に広がる。
ギィヤァァァァアアア
化け物のような悲鳴が響き渡った。
みんなの声だ。
「っうぅ」
なんで、こんなことに。
返り血にまみれた蓮はいつものように笑顔で手を振ってくる。
どうして笑っていられるの?
「あはっ」
私の反応に満足したのか、蓮は目を細めるとマネキンに向かって駆け出した。
マネキンは少し慌てた様子で腕を振る。すると蓮が切断したみんなの胴体が浮かび上がり下半身に接合した。
みんなはまた、蓮に襲いかかる。が、蓮もまた、みんなを水の鞭で切断する。
救いを求めるような絶叫が、怨念のこもった咆哮が、イタイと叫ぶ声が、止むことなく響き続ける。じわじわと心を蝕む。
きっと痛みなんて感じてない。私達を追い詰めるためにマネキンが操っているだけだ。そうでなければ、耐えられない。
どうして蓮は、平気な顔で、なんのためらいもなく、みんなを傷つけることが出来るの?
笑顔でみんなを切り刻む彼を見ながら心の中で問いかける。
私も恵も、ずっと震えている。
見知った人を、同じ教室で過ごしてきた人たちを、友達を…この手で壊すことが怖いからだ。そんなことしたくない。できない。
もちろん動かなければ自分たちが殺されることはわかる。
仕方がないことなのだと、わかっている。
だけど感情が、記憶が、理性が、拒絶するのだ。こんなの嫌だと。
だから蓮が怖い。理解できない。どうして!?と揺さぶって問い質したい。
……そうやって私は、傷つかない安全な場所で彼を非難するのだ。
蓮は、私と恵を守る為に、戦ってくれているのに。
「っほんとに…私、最低」
「由亞ちゃん!?」
バッドを掴んで駆け出す。狙うのはマネキンだ。
マネキンは蓮だけを見ていた。クラスメイトも全員、蓮に襲いかかっている。やるなら、今しかない。
結局私はみんなを傷つける道を選べなかった。
汚れ役を蓮に押しつけ、だけどただ黙っていることも苦しくて。その全てが解決する、フロアボスを倒すという道を選んだ。
卑怯者。偽善者。だからお前は「特別」になれない。
たくさん自分を罵るけど、それらを全て受け止めて、私はマネキンにバッドを振り下ろす。
「みんなの死体を、弄んでっ。許さない!」
バッドが頭部に当たる。
その直前で、マネキンの頭がぐるんと回転した。
「…え」
蓮を見ていたマネキンは、のっぺらぼうなのに、今確かに私のことを見ていた。
ぴょんっと見た目を裏切る軽やかな動きでそれは私の攻撃を躱した。バッドは勢いをそのままに空振りし、失敗したと気づいたときにはもう目の前に床が迫っていた。
「っ痛ぁ」
「由亞!」
打ち所が悪かったのか、肘と膝がびりびりと痺れてすぐに動けない。
だけど蓮の焦った声が聞こえたからなんとか顔を上げ、固まった。
『ドウシ、テ』
『ユルサナイ』
『ナンデ、オマエ、ガ』
「っひ…」
虚ろな瞳が私を囲んで見下ろしていた。
腐臭と血の臭いがする。結界を張らないと。そう思うのにうまくいかない、できない。怖い。
あちこちから伸びてくる手が、髪や腕を引っ張る。そのうちの誰かが私の足を引っ張って逆にその人の腕が千切れた。それはまるで近い未来の私の姿だと言われているようで、ゾッとした。とにかく怖くて死にたくなくてがむしゃらに手足を動かす…けど、すでに死んでしまったみんなを傷つけることはひどいことのように思えて、私は……
『ズル、イ』
「ぃっ」
栗原さんのネイルが私の腕を引っ掻いたのは、そんなときだった。
痛みにうめけば、腕にはべっとりと大量の血が付着していた。
私の血だと、思った。だけどよく見るとその血は赤黒くて…まさかと思い顔を上げると、
目の前が赤に染まった。
直前に聞こえたべちゃっという音と、鼻を貫く強烈な鉄と腐敗の香り。
震える手で目元を拭う。晴れた視界に映った自分の手は、…赤黒く濡れていた。
「ひぃっ…」
赤い雨が降っていた。
絶えることなくそれは降りそそぎ、服が濡れ、ぐっしょりと体が重くなる。気持ち悪い。
だけど、それ以上に…
ズシャッ
グアァアア
ギャアアア
私は、怯えていた。
どこからともなく現われた大木が、みんなの体を貫いていた。
逃げ惑うみんなの足下から鋭い木が突き出て、一人一人、串刺しにしていく。いくつもの木が肉を突き破り、みんなの体を破壊し続ける。
手足がちぎれてどこかへ飛んだり、首が転がったり、臓物が飛び散ったり…いつかの光景が頭をかすめて、体の震えが止まらない。
「大丈夫?」
「…れ、ん」
「フロアボスはもう倒されたみたいだよ」
私の腕を掴み立ち上がらせたのは蓮だった。
彼も私と同様に全身血まみれだ。
目を細めて蓮がある一点を指さす。
見たくない。そう願う意思に反し体は勝手に動き…とうとうその光景を見てしまう。
恵が冷たい目で、マネキンを踏みつけていた。
陶器の体はもう粉々なのに、原型すらないのに、ひたすらに足を振り下ろし続ける。
大木はずっと成長を止めない。だから血の雨は止まらない。視界の端で何かが飛び散り続ける。
怖い。恵が怖い。
「め、恵っ」
だけど…幼い頃の使命感が、私を突き動かす。
恵を守るのは、私。
震える手を伸ばし、彼の右腕を引っ張る。
大した力は入れてないけれど、恵の体は簡単に私の方へと傾いた。
「……由亞ちゃん」
冷たい瞳に光が戻り、恵が私を見る。
「…っ!」
そして足下にある白い陶器の残骸を、みんなの体を引き裂いて成長し続ける大木を、じっと見て、青ざめる。体がカタカタと震え始める。
恵は、震える声で言った。
「…由亞ちゃん、僕がみんなを殺した」
「っ!」
ぽろぽろと恵の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「学校で、みんな殺した。僕が…犯人」
「ど、うして、か…聞いて、いい?」
この光景を見て、そうかもしれないとは思った。覚悟は出来ていたつもりだった。
だけどいざ、本人の口から罪を告白されると、頭が真っ白になる。
恵の腕を掴む手が、さらに震える。そんな私に縋るように、恵が私の手を自分の腕ごと握りしめた。恵の手は、私以上に震えていた。
「…休憩で、由亞ちゃんが寝ているとき。女子が僕のところに来た。自分たちの誰かとパートナーになれって。僕は、断った。そしたら由亞ちゃんはやめたほうがいいって、誰かが言って。男に色目を使ってるとか、なにを考えてるかわからないとか、ありもしないことをベラベラと…。周りのやつらもそれを聞いて楽しそうに笑って。僕は無視したけど、そしたら誰かが魔法で由亞ちゃんに火をつけようとしてっ。僕は、やめろって怒って、全員死ねって思った……そしたら、みんな死んじゃった」
一気に吐き出すように言い切ると、恵は堪えきれなくなったのか、しゃくりをあげて泣き出した。
その姿に、幼い頃の恵が重なる。胸が締め付けられる。
「っごめんなさい、ごめんなさい。僕がみんなを殺した。みんな、ごめんなさい…」
…恵がみんなを殺してしまったのは、事故だ。
人の命を奪った以上、仕方が無いとは言えない。
だけど魔法が暴走しなければ、恵はみんなを殺さなかった。
その魔法は、今日突然、与えられたものだ。制御できなくて、当然じゃないか。
それに感情で魔法が暴走するなんて、ワニは教えてくれなかった。
そしてその感情は…怒りは、私を想ってのことだ。
「恵のせいじゃないよ」
涙で顔をぬらす恵の手を取って必死に訴える。
「恵は私のために怒ってくれた。守ろうとしてくれたんだよね。だからこれは、私のせいだよ」
私の目からも涙がこぼれる。
嫌だ、泣きたくないのに。だって本当に泣くべきなのは、恵と死んでしまったみんなだ。
そもそも私がペア決めの時に出しゃばらなければ、今回の悲劇は起きなかった。私が選択を間違えた。私のせいだ。
「ごめん、恵。ごめんなさい、みんな」
謝る私に恵が青ざめ、首を振る。
「由亞ちゃんは悪くない。僕だけが悪い。どうして…こんなことしちゃったんだろう」
恵はぽろぽろと涙を流し、自分を責める。
私も恵も一緒だ。自分が悪くて、それが正しくて、それ以外を受け入れることが出来ない。
…だから私は、恵の頭を撫でる。
「恵が私の為を想ってくれて、起きてしまったことなら、私にも責任がある。……恵、私と一緒に罪を背負ってくれる?」
一人じゃない。私がいる。奪ってしまった命を背負って生きて、2人で一生苦しもう。
下がる口角を無理矢理あげて笑いかければ、恵も弱々しく笑った。
「うん…」
「もう、あんなことが起らないように、一緒に気をつけよう」
「うん。ごめん、由亞ちゃん。ありがとう」
私と恵はみんなのお墓をつくった。
ここにはみんなの体を埋める場所がないから、恵の魔法で作り出した花でみんなの体を覆い隠す。
花が降り積もる中、ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で謝り続けた。私と恵は罪を背負い、生きている限り苦しみ続けます。だからどうか、みんなは成仏してください。
そうしてみんなの姿が一欠片も見えなくなって、私と恵はもう一度「ごめんなさい」と謝った。許されないことはわかるけれど、私達は永遠に謝り続ける。
そんな私達を蓮は最初から最後まで、にこにこと笑顔で見守っていた。
「死体に謝っても、無意味だと思うけどね~」
そんな声が聞こえた気がしたけれど、それは本当に小さな音だった。だから私は気のせいだと思うことにした。