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6.黒い茨 55階


 エレベーターの扉が開いた瞬間、私は腰を抜かした。


 「っぃひぃぃ。ぃや、やだやだやだ!」

 「え、大丈夫?」

 「由亞ちゃん?」

 

 蓮と恵は扉を背にしているから私だけが扉の向こうにいる「やつら」を見てしまったのだ。

 2人は困惑していたが、振り返り扉の向こうにある光景を見て納得したように頷いた。


 「ご、ごめん。無理、私、エエエエレベーターで待ってるっ」


 そこには大量の虫がいた。

 床にも壁にも天井にもびっしりと、硬い甲羅や鱗粉まみれの羽、うねうねと弾力のありそうな体が、とにかくたくさんいるのだ。しかも大きい。だから羽音も大きくて、もうとにかく気持ち悪い。


 どれだけ階層が上がってもこの塔の内部はホテルと同じだ。フロアボスはいつも、部屋が並ぶ廊下の一番奥の突き当たりにいた。

 それは今回もおそらく同じで。フロアボスを倒すためには、この虫まみれの廊下を歩く必要があった。…自分がそこを歩く想像をしてぞぞぞっと全身に鳥肌が立つ。


 「ひぃいいい、嫌ぁ! 絶対に無理! ここにいさせて!」


 どういう原理か知らないが、魔物はこのエレベーターの中には入ってこない。

 お願いしますと蓮と恵を見るが、2人とも首を横に振った。絶望に目の前が暗くなる。


 「ど、どうして!?」

 「うーん、まぁ由亞が昔から虫が苦手なのは知ってるけどさぁ」

 「ごめん。エレベーターに一人で待たせるの、不安」

 「う、うぅぅうう」


 常ならいざ知らず、今は異世界に召喚された非常事態だ。死ぬ可能性もある。

 特に私は弱いから、2人の帰りを待っている間にエレベーターが暴走して魔物だらけの階層に投げ出されでもしたらすぐに死ぬだろう。2人の意見はもっともだ。


 「だ、だけどっ。無理なの!」

 

 嫌すぎて、嫌すぎて、目の前がぼやけて、鼻の奥がつんと痛くなる。

 こんなことで2人を困らせたくはないが、本当に無理なのだ。


 「じゃあ俺が抱っこして運んであげようか?」


 蓮がにこにこ笑顔で提案してきた。

 子供の頃は抱っこもおんぶもお互いにした中だが、今は高校生だ。普通に断る。


 「………お願い、してもいい?」


 だがそれは、普段であればの話だ。

 蓮の提案はまさに天から差し伸べられた蜘蛛の糸。


 「いいよぉ。だってかわいそうだからさぁ。虫嫌いの由亞が、虫を踏み潰し…」

 「無理無理無理無理! それ以上、言わないで!」

 「…帰りは僕が背負う」

 「ありがとうっ」


 こうして私は蓮に抱き抱えられる形で移動し始めた。

 蓮の両手はそれぞれ私のお尻と背中を支えている。私は蓮の首にしがみつき、足を彼の胴体に巻き付けていた。恥ずかしくてたまらない。だけどそれ以上に…


 ジジジジジッ


 「ひぃいいい」


 虫の羽音にぞぞぞと鳥肌がたつ。目は閉じているが、抱きついている以上耳は塞げない。

 条件反射で抱きつく力を強めれば、蓮は楽しそうに笑った。


 「あはは。由亞、苦しいよ~…いだっ。恵、蹴るなよ」

 「チッ」

 「虫の死骸でぐ…「いやー!」ちゃぐちゃの靴で蹴…「無理無理!」るから、俺の制服が汚れ…」

 「いやぁあああ! それ以上、言わないで!」


 不幸中の幸いはこの虫の魔物が襲ってこないことだが、それでもやっぱり耐えられない。虫の蠢く音もそうだけど、蓮の嫌がらせとしか思えない実況が一番嫌だ。


 「れ、れれれ蓮、お願いだから、黙っ…」

 「えい」

 「ひぃぃいいい!」


 たぶん、おそらく、蓮が指で首を突いた。

 だけど目を閉じているから、確証はない。も、もし虫だとしたら…そう考えるだけで、体がガタガタと尋常じゃないほどに震えてくる。


 「お前、いい加減にしろ」

 「いい加減にしろー!!」


 恵のドスのきいた声に便乗すれば、蓮の体が軽く上下に揺れる。やれやれと肩を下げたのだろう。腹立つ。


 「仕方が無いなぁ。恵に殺されたら困るし、もう揶揄うのはやめるよ~」

 「最初からやめてよ!」

 「え~。あはは」

 「笑って誤魔化すな!」

 

 蓮の黒髪を軽く引っ張れば、ぱっと手を離された。全力でしがみつく。


 「やぁあああ! 髪引っ張ってごめんなさいぃ! だ、だから、許して! 離さないで!」

 「わ! 熱烈~!」

 「いやぁあ! 蓮!!」

 「おい、蓮! 由亞ちゃん、大丈夫だから」


 えぐえぐ泣いているのに、蓮は楽しそうに笑うだけで私を抱き抱えてくれない。

 いやだ、いやだとパニックになる私の肩を、誰かが労るように触れる。恵以外ありえない。


 「ここにはもう虫がいないから、由亞ちゃんも歩ける」

 「ふぇ…本当に?」

 「フロアボスが近いからだろうな~。よかったねぇ、由亞」


 恐る恐る目を開ければ、ほんとうに虫はいなかった。…遠くに蠢くなにかは見えたが、急いで目をそらした。

 床にも虫がいないことを確認して、慎重に蓮から降りる。


 「そんなびくびくしなくても、もう大丈夫だよ」


 蓮はにこにこと笑いかけるが、誰のせいでこんなに怯えていると思ってる。

 ふざけるな! と怒りたいが、ここまで運んで貰った手前、我慢する。


 「よ、よかった。もう、安全だ…」


 硬いフローリングの床に両足をついて、ようやく肩の力が抜けた。


 「恵、ありがとう」

 「…ん」


 心配そうにこちらを見る恵にお礼を言えば、彼はほんのりと頬を桃色に染めてはにかんだ。昔の恵と同じ照れ方だ。


 「えー! ここまで抱っこしたのは俺なのにー。俺にはお礼なし~?」


 かわいい恵の隣でしょんぼりした子犬の目で騒いでいるのは蓮だ。

 

 「…蓮も、ありがとうね」

 「どういたしまして~。じゃあ手を繋いで歩こっか」

 「え、どうして?」

 「だって~落とし穴があるかもしれないだろ? ここまで虫だらけだったから、落とし穴の中も虫でいっぱい…」

 「いやああああ!」

 「チッ。蓮!」


 やはり蓮には感謝しない。

 腹を抱えて笑う蓮を睨みながら思った。

 ここにいたら私は蓮にいじめられ続ける。早くフロアボスを倒して上階に進もう。


 「ふ、2人とも、行くよ!」


 私はしっかりと2人の手を握りしめて、床が硬いことを確認しながら、廊下の突き当たりを目指して歩いた。



 「い、いいいいやーッ!」


 2人を引っ張るようにして先頭を歩いていた自分を今日ほど恨んだことはない。

 フロアボスを見て発狂する私と、同じくフロアボスを見て同情の眼差しを私に向ける蓮と恵。


 ニャジジジジッ


 フロアボスは体が猫で、頭と背中の羽がハエの合成獣だった。

 ど、どうして可愛いと気持ち悪いを合体させたの…。


 「由亞ちゃん、下がってて」

 「でも目は閉じないでね~。なにが起るかわからないから」

 「う、うぅ。ごめ、お、おおおお願いします」


 私を守るように蓮と恵が猫ハエの前に立ち塞がる。本当に申し訳ないけれど私は五歩ほどさがって戦闘を見守る。念のため結界を張れるように体勢は整えておくが…今回に限っては魔法を発動できないかもしれない。そんな自分を責める余裕すら、ない。


 「恵、任せたよー」

 「あぁ」


 ニャジジジジッ!


 こうして私が震えているうちに戦闘は始まった。

 蓮が猫ハエに向かって駆け出しながら水の槍を投げる。が、猫ハエは羽ばたき俊敏な動きで槍を躱した。…気持ち悪い。

 そんな猫ハエに四方向から蔓と蔦が襲いかかる。が、これも猫のような反射神経でぴょんぴょんと遊ぶように躱す。…気持ち悪い。


 ニャジジジジッ


 猫ハエは私達を馬鹿にするように高らかに鳴いた。…ほんとうに、気持ち悪い。


 「…うざ」

 「飛んだり、跳ねたり。せめてどっちかがいいよね~」


 目を細めた蓮が、ぱんっと手を叩いた。

 瞬間、猫ハエは大量の水を頭から浴びていた。


 ニャジジジジッ!


 滝行を受けるように猫ハエは蓮の攻撃を浴び続ける。だがそれだけでは倒せないようで、猫ハエは這いつくばりながら水の檻から脱出した。

 だけどその羽はボロボロで、もう飛ぶことはできないだろう。


 「あとは、俊敏性の方だけど…っ!」

 「チッ」


 猫ハエはフラフラと辛そうに揺れていた。しかし次の瞬間には、猫の尻尾をぼっと膨らませて、蓮と恵に突進した。

 2人も立ち向かうように体勢を整えるが、猫ハエの速度に対応できる自信がないのか、わずかに焦りが見られた。


 …私が2人を、守らなくちゃ。


 鳥肌が立つ腕に爪を立てて2人に手を伸ばす。

 猫ハエは本当に気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて視界にすら入れたくない。でもそんなことよりも2人が傷つく方がずっと嫌だった。


 シャボン玉の膜(結界)を一枚一枚ちぎり絵のように蓮と恵に張る。猫ハエの攻撃を受ける前に少しでもたくさん重ね合わせて頑丈にする。もちろんすぐに壊れることには変わりないけれど、一瞬なら時間を稼いでくれるはずだ。


 私は必死だった。

 必死だったから、…気づかなかった。


 ニャジジジジッ!


 背後から聞こえるはずのない音がした。

 蓮と恵に突進する猫ハエは確かにいる。


 「…っぅぐ」


 まさかと思い振り返ったときにはもう、視界が反転していた。

 蹴り飛ばされた。鳩尾が、息ができないくらい、痛い。


 「っ由亞!」

 「うっ」


 どんっと重たい音と共に、背中と腕に人の熱を感じる。


 「由亞、しっかり! 俺のこと、わかるね」

 「…ぅ」


 私を抱き留めていたのは蓮だった。

 珍しく真剣な顔をして頬を軽く叩いてくる。

 大丈夫だと答えたい。だけど痛すぎて、声が出ない。


 「ごめん、見るよ」


 蓮は断りを入れると私のスカートからシャツを取り出した。

 そのままシャツをめくりあげ、腹を触診する。


 「…かわいそうに、痣になってる。でも骨も、内臓も問題なさそう。結界張ったの? えらいね、頑張ったね」

 「うっ…」


 労るように頭を撫でられて涙が出そうになる。

 だけど歯を食いしばって堪えた。まだ戦いは終わっていない。私の勘違いでなければフロアボスは2体いた。


 「て、き……」

 

 だから蓮の胸を叩いて、戦闘に戻っていいよと促す。

 だけど蓮はきょとんと瞬いたあとで、目を細めて首を横に振った。


 「あ~、それなら大丈夫だよ。ほら」


 蓮の指さす方向に顔を向けて、言葉を失った。

 

 「……。」


 ニャジジジジッ!

 ニャジジジジッ!


 黒い茨が二体の猫ハエの四肢に巻き付いていた。

 猫ハエは床に仰向けになる形で拘束されており、そんな彼らを恵が冷たい瞳で見下ろしている。


 胸がざわついた。嫌な予感がして、恵に声をかけようと口を開いた…が、言葉は出なかった。


 ぶちっぶちっと、猫ハエの四肢がちぎれた。

 黒い茨が引き裂くように、拘束していた手足を引っ張ったからだ。びちゃっと赤黒い血が床に広がる。


 猫ハエは、もう動かない。

 それなのに、残った胴体を、恵は、無言で踏み潰す。ぐちゃぐちゃと粘着質な音を立てながら、冷たい目で踏み続ける。


 あれは、誰?

 ほんとうに恵?

 怖い。どうして?

 あんな恵を、私は知…


 「っめ、恵!」


 体は勝手に動いていた。

 体当たりをするように恵の体に抱きつく。ズキズキとお腹が痛むけど無視した。

 今はとにかく、恵を止めないと。


 「も、もう、いいよ。恵、もう私は大丈夫だから!」

 「……由亞ちゃん?」


 恵の動きが止まった。

 

 「っ!」


 恵は自分の足下の惨状を見て青ざめた。

 じっと目をそらすことなく、猫ハエだったものを見続け、ガタガタと震え始める。


 「ゆ、由亞ちゃん、僕…」

 

 涙に揺れる瞳が私を見下ろす。

 縋るように私のシャツを掴む。


 「大丈夫、大丈夫だよ」

 

 ひんやりと冷たい…少し汗ばんでいる恵の手を、私はぎゅっと握りしめた。




 「由亞ちゃん、ごめん。魔法、怖かった?」

 「え?」


 エレベーターまでの帰り道。私を背負いながら恵が恐る恐るといった様子で聞いてきた。行きと同様に目を閉じているから彼の表情はわからないけれど、不安そうに眉を下げているに違いない。


 「……ごめん。僕、うまく魔法が…制御できなくて」


 猫ハエが光の粒となって消滅したことで、ようやく恵の震えは収まった。

 だけどまた、体が震え始めている。

 だから私は昔のように、彼の体を優しく抱きしめる。


 「…そっか。私も魔法うまくないから、お揃いだね」

 「……うん」


 恵の声色がほっと安堵したものになる。

 これでいい。これが恵だ。私が彼に抱いた恐怖は、魔法に対してだ。彼自身にでは、ない。

 自分に言い聞かせるようにぎゅっと目を閉じる。


 だから私は瞼の向こう側で、いつものように蓮が笑っていることに気づかなかった。

 


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