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3.異世界転移と血まみれの教室(2)

残酷描写ありです。


 唐突に出現したワニに教室内は一気に悲鳴に包まれる。

 未知の生き物から少しでも距離を取ろうと、多くの生徒が教室の後ろに向かって駆け出す。私は元々後方にいたので移動することはなかった…というのは建前で、恐怖に体が動かなかっただけだ。

 壁に背中を貼り付ける生徒達を見て、ワニはパチパチと拍手をする。


 『そうそう、やっぱりこういう反応の方がうれしいですねぇ』

 「き、君はいったい何者だ!?」

 『およ?』


 山本先生が私たち生徒を守るように手を広げていた。

 

 「こ、ここはどこだ! 私たちになにをした!」


 声は裏返り、汗で髪は濡れ、シャツの色は変わっている。

 それでも山本先生は毅然とした態度を崩さない。

 心強い大人の存在に強張っていた体がほんの少しだけ緩んだ。


 『むぅ。ダイナミックかつエキセントリックに発表しようと思ってたのに。ま、予定通りに進まないのは世の常ですから、仕方がありませんね』


 ワニはしらけた顔をしていたが、気持ちを切り替えたのか、次の瞬間には笑顔で両手を広げていた。


 『臨機応変に対応しましょう! なぜならワニは、天才科学者が生み出した魔法と科学が融合したスーパーAIですから!』


 ワーニワニワニと高らかに笑うワニの両手からは光の粒が溢れ出し、それは天井近くで1枚の地図になる。

 描かれているのは六角形の陸地が一つと海、そしてそこに点在する7つの赤い点のみ。


 「ホ、ホログラム映像か?」

 『魔法ですよ、魔法~☆ 大人はロマンがありませんねぇ』


 教室内が一気にざわついた。

 魔法だなんてあり得ない。こんなのなにかのドッキリに決まってる。

 そう思うのに体が震えるのは、本当はわかっていたからだ――私たちは非現実的な何かに巻き込まれたのだと。


 「……。」

 「由亞、大丈夫だよ」


 頭と背中に体温を感じた。

 しなやかで美しい手が労るように頭を撫でて、大きくてゴツゴツした手が安心させるように背中をさする。恵と蓮だ。


 1人じゃないと言われている気がして、胸の奥に熱いものが広がる。うれしくて心強い。

 それなのに…こんなときでも人を気遣う余裕があるなんて、やっぱり2人は「特別」だと。寂しい気持ちになって手を振り払いたい衝動に駆られる。そんな自分が大嫌い。


 『あーミスりました。これだから子供は嫌いなんですよ。魔法については後で説明するので、今はこの地図に注目ぅ!』

 

 そうだった、今は自己嫌悪している場合じゃない。少しほっとして顔を上げれば、ワニが煩わしそうに地図の一箇所を叩いていた。

 それは六角形の陸地の一番下の角に記された赤い点。


 『はい、拡大拡大~』


 ワニの声に合わせて地図は徐々に鮮明になり、最終的にそこに映し出されたのは、砂漠と空を突き破るようにそびえ立つ黄土色の塔。

 今私たちの教室の窓から見える景色と同じだ。


 『てなわけで、もうお気づきかと思いますがぁ、君たちは今、異世界にいま~す』


 言葉を失う私たちを愉快そうに見下ろしながら、ワニはどこからともなく取り出したパフパフラッパを鳴らす。

 パフパフ。

 

 『元の世界に帰りたいですか? 帰りたいですよね~。言われなくてもわかってますって。でもこちらもタダで帰すわけにはいかないんですぅ』


 ワニの持っていたラッパが爆発すると、どういう原理か地図の周りには新たに六つの映像が表示されていた。

 色や周辺環境は異なるが6つ全て塔の映像だ。黄土色の塔を含めて、7つの塔が映し出されている。


 『これらの塔は、突如、我ら魔法世界に現われた未知のダンジョン!』


 魔法世界という言葉に意識を持って行かれそうになるが、それを許さないとばかりにワニは言葉を続ける。


 『皆様にはこちらのダンジョンを攻略していただきます。7つ全てを攻略した暁には、ワニが責任を持って皆様を元の世界にお帰ししましょう』

 「はい! 質問でーす!」


 それまで黙っていた蓮がわくわくと顔を輝かせながら挙手した。


 『礼儀正しい子は好きですよ。どうぞ』

 「ありがとうございます! ワニさんの言葉を要約してみたんですけど…ダンジョンを攻略しなければ元の世界に帰さない。ようするに俺たちは脅されてるってことで合ってますか?」


 表情と質問内容が一致していない。

 思っていてもあえて口には出さない、出したくない。現実を見たくない。そんな恐怖をものともせずに行動できる、蓮は昔からこういうところがある。


 『理解が早いですね、その通りです』


 ワニは満足そうに頷いた。

 蓮は褒められてうれしそうだが、この状況で喜べるのは彼だけだ。

 教室内は一気に悲鳴と絶望に包まれる。


 「ふ、ふざけるな! 家に帰せ!」

 「お前がダンジョンを攻略すれば良いだろ!」

 「おれたちを巻き込むな!」


 山本先生の声を皮切りにみんながワニに不満をぶつける。

 ワニはうんざりした顔をしつつも慣れた様子でその声に耳を傾けていた。それは声が途切れるまで続き、ようやく静かになったところでワニはやれやれとため息をつく。


 『毎度のことながら、この騒音には神経を削られます』

 「毎度だと…?」

 『異世界人をこの魔法世界に召喚したのは初めてじゃないんでねぇ。ところで…』


 ワニの丸い瞳が私に向けられる。


 『そこのお三方は、ワニに不満とかないんですか? こんな機会滅多にないですよ、ぶっちゃけなくっていいんですか~?』


 嫌な汗が頬を伝う。

 みんながワニに思い思いの言葉をぶつける中、私はなにも言わなかった。

 文句を言って逆上されるのを恐れた気持ちもある。だけどそれ以上に私は…この異世界であれば、私が欲しかった「特別」を得られるのではないかと期待していた。

 

 だけどこんなこと言えるわけがない。

 みんなが怯えているのに一人だけわくわくしているなんて異物だ。白い目で見られるに決まってる。


 「うーん。俺は、楽しそう! って思っちゃったからなぁ。あはは!」


 そんな中でも蓮は物怖じせずに自分の意見を言える。


 「いや、お前…楽しそうってさぁ」

 「どんだけ前向きなんだよ~」

 「はぁ。怯える私達がおかしいみたいじゃない」


 そしてそんな蓮に呆れつつもみんな彼を受け入れるのだから、ほんとうにすごい。受け入れてもらえる蓮がすごい。

 だけど蓮の一番すごいところは、そこじゃない。

 いつもと変わらない蓮を見て、異世界に召喚された理不尽に恐怖し憤慨していたみんなは、少しずつ落ち着きを取り戻していた。みんなはきっとこのことに気づいていない。

 

 …やっぱり蓮は「特別」だ。

 眩しすぎて目に痛くて、顔を逸らしてしまう私の隣で恵がため息をつく。


 「…不満がなくて、お前に不都合ある?」

 

 彼の視線の先にいるのはつまらなそうな顔をするワニだ。

 物怖じすることなく堂々と自分の意見を言える恵もまた「特別」だ。文句を言いながら怯えていたクラスメイト達や、なにも言えない私とは大違い。


 『いえ、別にぃ。そちらのお嬢さんも同じ感じですかね?』

 「は、はい。同じ…です」


 自分の意見を言わずに済むならそれに越したことはない。愛想笑いを浮かべて頷く。

 本当にずるい女。内心で自嘲する…けど、


 「ワニさん、質問していいですか! 俺たち丸腰でダンジョン攻略するんですか! ダンジョンには敵がいるんですか! あの塔って何階まであるんですか! そもそも攻略って…」

 

 それよりも今は矢継ぎ早に質問する蓮を止めなければ。

 緑色だったワニの顔がみるみると赤に染まっていくのだ。これは絶対に危険だ。みんなは面白がって蓮を止めないから、私がやるしかない。


 「れ、蓮。ちょっと静かに…」

 『えぇい、質問は許可しますが、いっぺんに言うのは禁止です! 調子にのってます!?』

 「のってません! ごめんなさい!」

 『ならいいですけどぉ』


 止める前にワニがキレてしまったが、蓮の申し訳なさそうな子犬の瞳は異種族にも通用するようで大事には至らなかった。やはり蓮は「特別」だ。

 

 『で? 丸腰でダンジョン攻略するのか…でしたっけ? するわけないでしょう。ダンジョンなめないでください。君たちは今、魔法を使えます』


 魔法という甘美な言葉にみんながわっと盛り上がる。先程まで怯えていたのに、現金な話だ。…まあ私も人のことは言えないけど。

 そんな光景もやはり何度も見たことがあるのか、ワニは呆れ顔で解説を続ける。


 『君たちの世界がどうだか知りませんけど、この世界の魔法は一人につき一属性しか扱えません』

 「え! じゃあ俺は空を飛べないんですか!?」


 蓮の悲痛そうな声に、教室がどっと笑いで包まれる。


 『知りませんよ。君が風属性の魔法を使えるなら空を飛べるでしょうけど、それ以外ならまあ無理でしょうね』

 「そんなぁ~。俺の属性ってなんですか!? ワニさん教えてくださ~い!」

 『ワニにはわかりませんよ! ったく、なんでも知ってると思わないでください。…ダンジョンの入り口に六角形の石碑があります。それに触れれば自分がどんな魔法を使えるのかなんとなくわかるので、気軽に確かめてください…あ』

 

 呑気に解説していたワニが思い出したように真剣な顔をする。

 大きな口に手を当てて、ひそひそ話をするように口をすぼめる。


 『一つ忠告しますね。今の皆さんは自分の魔法属性を知りませんが、すでに魔法は付与されています。つまり魔法を使えるんです。はい、そこの黒髪わんこ! 手をわきわきしない。魔法を使おうとしない!』


 「黒髪わんこって俺のこと!?」くぅんと蓮が子犬のような顔でワニを見るが、ワニも私たちも無視する。今はワニの話を聞きたいから。


 『魔法はイメージです。魔力量が多くても少なくても、イメージが鮮明であれば魔法は発動します。軽はずみな想像は控えることですね、大惨事が起りますよ。特に今のような自分の属性もわかっていない状況で魔法が発動してしまえば、魔法は暴走し、術者本人であってもそれを止めることは至難の業。だって自分の魔法について理解できてませんから、すぐに扱える方がおかしいですよ。なぁのぉで、くれっぐれも、お気をつけください』


 ワニは念を押すように私たち一人一人の顔を見た。

 少し違うかもしれないけど、私は初めて包丁を扱ったときのことを思い出していた。

 「由亞、猫の手だよ。包丁は私たちを助けてくれるけど、痛いこともできちゃうからね。焦らないで、気をつけて使うんだよ」

 母さんは私に言い聞かせるように何度も言った。きっと魔法も同じだ。気を引き締めて使おう。


 『ああそれとこれも伝えなきゃですね。魔法を使うには魔力が必要です。君たちの体内にはすでに魔力が存在していますが、この魔力は有限です。個人が所有する魔力量は人によって異なりますが、魔力補充もなしにダンジョンを攻略することは、まずできないでしょう』


 そこで! と、ワニが小さな手で器用にハートマークをつくる。

 なんだか嫌な予感がする。


 『我々魔法世界の住人は、男女でペアを組んでおります』

 「なんでですかー!」

 『魔力を補充するためですよ! 話の流れからわかるでしょう!』


 教室内が一気にそわそわと落ち着かない雰囲気に包まれる。

 ちらちらと感じる視線が痛い。

 もちろん見られているのは私ではなく、隣にいる蓮と恵なのだが、居心地が悪い。

 そんな私に気づいたのか、さりげなく蓮と恵が一歩前に出た。大きな2つの背中のおかげでほとんどの視線は阻まれる。助かった。


 「…男女ペアと言ったが、同性同士ではだめなのか?」


 男女の組み合わせにすると同性で組むより嫌な思いをする人が多い。それは男も女も関係ない。

 だから山本先生は悩ましそうに聞いたのだが、ワニはお手上げですというジェスチャーと共に首を横に振る。


 『どういう原理だか知りませんけど異性同士でなければ効果がないんですよ~。あ、安心してください。体が触れあってさえいれば魔力は補充できるので、手を繋ぐだけで十分ですよ。アブノーマルな方は女が男を踏みつける形で補充したりもしてます』


 男女ペアから逃れる方法はないのだと知り落胆するが、魔力の補充方法がまともだったので少し安堵した。


 『男女ペアが決まったら握手をしてくださいね~。双方が同意していれば、あなた方の手首に契約印が現われます。魔力補充は同じ契約印を持つ方でのみ有効となりますのでお気をつけください』

 「はーい! 質問です。ペアの相手が死んだら、自分はもう一生魔力補充できないってことですか~?」


 軽い口調で質問する内容ではないが、それが蓮なのだ。仕方がない。

 稀に蓮がデリカシーのない質問や提案をすることを思い出したのか、みんなも騒いだりしなかった。


 『いえ、ペアが消滅した場合は契約印も消滅するので、他の方とペアを組むことが可能となります。…この世界にはペア保険なるものがあるのですが、保険金狙いのペア殺害事件は割とありまして、えぇ。君たち、ちゃんと相手を見極めてペアを組むのですよ』

 

 ワニは本日2度目の真剣な表情で私たちに言い聞かせた。

 どこの世界でもあるものなのかと、こんな異常な時なのに悲しい気持ちになった。


 『では次の質問に移りましょうか? なにが知りたいですか』

 「ダンジョンを攻略するって言ってましたが、なにをもって攻略完了になるんですか!」

 『とりあえず最上階にいけば良いんじゃないんですかね? そこでラスボスとか? 倒せば良いんじゃないですか?』


 毎度同じく元気に質問した蓮に対する回答は、些か投げやりだった。

 今までが詳細に解説していただけに違和感を覚える。


 「ダンジョンは何階まであるんですか!」

 『塔が空を突き抜けてるので、100階くらいはありそうですよね~』

 「ダンジョンには怪物や魔物は出ますか!」

 『ダンジョンによって出たり、出なかったり? ってワニは聞きましたけど』


 ぼんやりとした回答が続くが、それでも蓮の質問は尽きることがない。


 「ワニさんはダンジョン攻略に同行してくれるんですか~?」

 『無理ですね。ワニを含むこの世界の住人は塔の中には入れないので…やべ』


 この回答が決定打となった。

 むしろこの回答こそが、今までのワニの曖昧な回答の答えだった。

 つまり自分(ワニ)たちの世界の問題を押しつけるために、私達は異世界に召喚されたのだ。

 教室内は一気に怒りに包まれる。


 『ちょ、ちょっと君たち顔が怖いですよ。ワニたちだって自分たちの力で解決できるなら、異世界人を召喚したりしませんからね。結構コストかかるんですよ、これ!』

 「お前達の事情など知ったことか! そんな身勝手な理由で私達は召喚されたのか!」

 『だ、だって仕方が無いでしょう! ワニたちだって申し訳ないと思ってるんです! だからこうやってわざわざ解説してるんですよ?』

 「それが当たり前だ!」

 『うぅ~。こんなはずじゃなかったのに。計算式を間違えたのでしょうか。…それとも、こうなるように誘導された? いやいや、まさか』

 「なにをごちゃごちゃ言っている!」

 『そ、それでは君たち、ごきげんよう。ワニに話せることはもうなにもありません。さようなら!』


 そうしてワニは逃げるように教室から出て行った。

 廊下を覗けば、二足歩行でとてとて走る緑色の背中が見えた。

 自分をAIと名乗っていたからワニもホログラムなのかと思っていたが、きちんと実体があったようだ。しかも走るときは四足ではなく、二足。どういう生き物なのだろう。


 首をかしげながら教室に戻れば、そこにはワニ――異世界人への怒りと今後に対する不安が充満していた。…その感情に共感する気持ちはある。

 彼らの都合で私達は異世界に連れてこられた。しかも大した説明もないままダンジョン攻略に挑まなければならない。

 私はこの世界であれば、欲しいものが「特別」が手に入るかもしれないから、この状況に前向きだけど、それがなければ今頃みんなと同じように怒りと絶望と不安に苦しめられていただろう。

 こういうとき、どうすればいいのかわからない。


 「みんな気分転換に楽しいことしよう!」


 だからみんなを元気づけるように明るく笑える蓮はやっぱり「特別」なんだと実感する。

 蓮には目には見えない引力がある。元気はないけれど、それでもみんな顔を上げて彼を見る。


 「てなわけで、男女ペアを決めよ~! 席替えみたいで楽しいよね! この人とペアになりたい~とかある?」

 「……。」


 前言撤回。頭が痛い。

 蓮はほんとうに、昔から、こういうところがあるから、はぁ。


 こんなの公衆の面前で告白しろと言っているようなものだ。みんなに自分がペアになりたい人を知られる恥ずかしさもあるし、相手に断られる恐怖もある。

 ……だけど結局のところ、こういうのは先手必勝が物を言うのだ。黙っていれば自分がペアになりたい相手を奪われる。


 「わ、私。ペアになりたい人がいる」


 意を決して挙手すれば意外だと言わんばかりの目に四方八方から貫かれる。今すぐこの場を去りたい衝動にかられるが、逃げるわけにはいかない。


 私がペアになりたいのは蓮か恵だ。

 ダンジョンではなにが起るかわからない。絶体絶命な状況に陥ることはあるだろうし、そのとき魔力が足りなくて死ぬ可能性は十分に有り得ると思う。

 だから魔力を補充する相手は命を預けられる相手がいい。

 他の男子が嫌なわけではないけど、私は小さい頃からずっと一緒のこの2人がいい。そしてどちらか片方を選ぶとすれば……


 「恵、私とペアになってくれる?」

 「あぁ」


 断られるかもしれない不安で胃が痛かったが、意外にもあっさりと了承された。

 さも当然のような顔で頷かれるから私の方が戸惑ってしまう。

 そんな戸惑いを悪い意味で打ち消したのは蓮の絶叫だ。


 「えぇー! そんなぁ。俺も由亞とペアがいいのにー!」

 「…え」


 正直驚いた。蓮にペアになりたいと乞われて嫌がる女子はここにいない。つまり彼は好きな相手を選べるのだ。クラスのマドンナの栗原さんや、運動神経抜群の三島さんを選ぶと思っていた。

 一方の恵は同じく引く手数多だろうけれど、私以外の人とペアを組んでうまくいく未来が見えなかった。だから恵をペアに選んだのだが、こうも蓮に悲しまれると罪悪感を抱く。

 未知の世界で命を預けるのだ。蓮だってペアは幼なじみがよかったのだろう。


 「どうしよう…」

 「どうしよう? 諦めるしかないだろ」

 「え、恵、他の人とペア組んでくれるの?」

 「違う。諦めるのは、この馬鹿」

 「え! 馬鹿って俺のこと!?」


 話していればグサグサと刺さる視線に気づく。

 女子達が冷ややかな目で私を見ていた。


 サァーと血の気が引いた。

 いや、だけど、これは仕方がない。理由が幼なじみだからとはいえ、私は今クラスの人気者たちからペアになって欲しいと迫られているのだ。そんなのおもしろくないに決まっている。

 

 …こういう特別はうれしくない。変な勘違いもしないし、優越感も感じない。いらない。キリキリと痛むお腹を押さえながら、どうやってこの場を乗り切ろうかと考える。


 「ていうかちょっと疲れたな! いったん休憩しよう!」


 たぶん私が困っているのに気づいたのだろう。

 蓮が気を利かせて休憩にしてくれた。ほんとうに彼はよく周りを見ている。

 向けられていた視線が散り、ほっと息をつく。心労がすごい。その場に座り込む。


 「…寝れば」


 恵が私の隣に座り、自分の肩を叩いていた。

 

 「寄りかかれってこと?」

 「あぁ」


 今日は驚きの連続だ。

 昨日まで私を無視してきた恵と目の前の彼は本当に同一人物なのか、不安になる。

 だけど不機嫌そうに眉を寄せる恵はいつも通りの彼だから、たぶん同一人物で間違いない。

 

 「じゃあ、お言葉に甘えて…」

 「ん」


 せっかくの厚意を無下にするもの申し訳なくて、起きたとき女子達の視線が痛いんだろうなと内心怯えながら恵の肩にこてんと頭をのせた。

 硬くて痛い。

 だけど、懐かしい香りに安堵してこんな体勢じゃ眠れないと思っていたのに、気づけば私は眠っていた。



 ヤメロ

 ズシャッ

 グアァアア

 ギャアアア

 


 意識が覚醒したのは、誰かの悲鳴が聞こえたような気がしたから。

 目を開けた瞬間飛び込んできたのは、


 赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤。


 そこには血だまりが広がっていた。


 「ぇ…」


 頭が働かない。

 床には大小様々なナニカが転がっている。人体模型だろうか。ここは理科室じゃないのに変なの。口角をあげてみるけど引き攣れてうまくいかない。

 机や椅子には生々しいなにかが付着していた。それらはスーパーの肉売り場で見かけるものと酷似していて…あぁ、これも人体模型の臓器かもしれない。

 目をそらせば床に転がる生首の虚ろな瞳と目が合う。…だけど友達と同じ顔をしたそれを人体模型だと思い込むことは、もう、できなかった。


 「ぃやぁ…」


 自覚した瞬間、むせかえるような鉄の臭いが鼻を突く。


 なぜ? どうして? 寝ている間になにが?

 今すぐこの場から逃げ出したいのに体が動かない。

 怖い。嫌だ。帰りたい。

 酸っぱい液体が腹からこみ上げて床に手をつく。

 気持ち悪い。まだあたたかい。やだ、やだやだやだ。母さん、助けて。


 真っ赤な血の中には恐怖に顔を歪める自分がいた。

 ――誰か、助けて。

 だけどそこに映っていたのは、私だけではなかった。


 「め、恵!?」

 

 慌てて顔を上げれば寝る前と同じ場所に恵がいた。真っ青な顔で目の前の惨状を見つめる恵が、いた。


 ……よかった。恵は生きている。

 そのことに涙が出そうなほど安堵する。

 1人じゃないとわかったからか少しだけ気持ちが落ち着いた。だから私は恵の体が僅かに震えていることに気がついた。


 「っだ、大丈夫だよ、恵。わ、わた私がいる、から…」


 全く大丈夫じゃない。

 恵よりも私の方が震えているし、言葉だって何回も噛んだ。

 だけど震える恵を見たら幼い頃の泣き虫だった彼を思い出して、私が守らなければいけないと思ったのだ。


 「だ、だいじょ、ぶ。大丈…夫」

 「…由亞ちゃん」


 震える手で恵の頭を撫でれば、今にも泣き出しそうな瞳に見つめられる。

 その顔が懐かしくて私も昔みたいに頑張って口角を上げて笑った。

 大丈夫、私が恵を守ってあげるから。だから泣かないで。


 「……ゆ」

 「2人とも! よかった、生きてる。みんな死んじゃってびっくりしたね!」

 「ぃっ…」


 なにかを言いかけた恵の言葉を遮るように現われたのは全身血まみれの男だった。

 喉から声にならない擦れた音が漏れる。怖くて体が動かない。恵が守るように私を抱きしめる。

 慌てたのは血まみれの男だ。


 「え、待って待って! 俺だよ、蓮だよっ!」

 「れ、蓮…?」

 

 声はたしかに蓮のものだ。

 恐る恐る血まみれのその顔を見れば、その人はしょんぼりと子犬のように眉を下げていた。間違いない、蓮だ。


 「よ、よか、た。蓮も、生きて、た」


 ほっとしたんだと思う。涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 それが嫌で目をこすれば、「ちょ、待て、待って! 目が傷つくから。ほら、これ」と蓮が何かを差し出す。

 十中八九ハンカチだ。彼は子供のころから気が利くから。

 受け取ろうと手を伸ばして、固まる。


 「…ん? あ、ハンカチも血まみれだった! やっぱこれなし!」


 超かっこ悪いと項垂れる蓮は、いつもの彼で、いつもだったらそんな彼を見て笑えるのだけれど…今は、笑えなかった。


 どうして蓮は、この状況で、いつも通りでいられるの?


 蓮が生きていたことに安堵する気持ちが強くて鈍感になっていたが、この教室は今、血と死体で溢れているのだ。それもおそらく、クラスメイトたちのもの、だ。

 血の気が引いていく。今も私を抱きしめている恵のシャツを、震える手で掴む。


 「そういえば2人とも教室から出た? 実は学校ごと召喚されてたんだよ。だけど異世界に飛ばされた人間は2-Bのやつらだけみたいでさぁ」


 蓮の顔を見ることができず俯く私を落ち込んでいると勘違いしたのか、蓮は元気づけるように明るく語り続ける。


 「廊下とかトイレにある死体、全部の顔を確認したけど、2-Bは俺たち3人以外全滅だったんだ! あはは、3人でダンジョン攻略できるかな?」

 「…うっ」


 蓮が死体の顔を確認する姿を想像してしまい、吐き気がこみ上げる。恵が背中をさすってくれた。その手も私ほどではないが、やはり震えていた。

 怯えているのは私一人じゃない。そのことに勇気づけられ、吐き気は治まる。けど…


 私は顔を上げて蓮を見た。


 「由亞、顔色悪いぞ。大丈夫か?」


 蓮はいつものように私を見下ろす。

 それが恐ろしい。


 どうして死体の顔を確認できるの?

 なぜ動揺していないの?

 そもそも、なぜ全身血まみれなの?

 もしかして…と最悪で最低な仮説を立ててしまって、体がさらに震える。

 そんなわけない。そもそも理由がない。絶対にあり得ない。


 「ね、ねぇ。どうして、蓮は血まみれなの?」

 「ん?」

 「れ、蓮が、み、みんなを、ここ、殺した、んじゃ、ないよね?」


 私を抱きしめる恵の体が強張るのがわかった。その体を力をこめて抱きしめ返す。


 絶対に違う。蓮はみんなを殺してない。

 そんなことする人じゃない。

 理由はないけど確信していたから、私は蓮に聞くことができた。


 「え、えー!? 当たり前じゃん! 殺してないよ!!」


 思った通り、蓮は瞳を潤ませて全力で否定した。


 「俺もなにが起ったかよくわからないんだけど、トイレで木村と話してたら突然目の前が真っ赤になって。あ、比喩じゃなくてリアルね。その真っ赤って、血のことなんだけど…」

 「わ、わかったから。もういい。う、う疑って、ほんっとうに、ごめん」

 「そんなっ!」


 今までの話だけでも十分恐ろしくてもう聞きたくないのに、蓮の「冤罪を晴らしたいから最後まで聞いて!」という涙ながらの訴えを拒否することはできず、

 結局私と恵は、死んだ木村君の返り血を浴びたところから生存者を探しつつ死体の顔を確認しこの教室にたどり着くまでの、本当に最初から最後までの話を蓮に聞かせられた。


 「…凶器も犯人も、見てないんだな」

 「見てない!」


 吐き気と戦う私の背中をさすりながら問いかける恵に、蓮は胸を張って答える。

 胸を張るような場面ではないと思うけど、それがいつも通りの蓮で、……笑えない。


 「ここ、離れた方がいい」

 「そうだね! 犯人が近くにるかもしれないし」

 「えっ」


 青ざめていたら話は思いもよらない方向に進んでいた。

 だが2人の言う通りだ。犯人の所在について、なぜ今まで不安に思わなかったのか。自分に驚く。


 「でも、どこに逃げるの?」

 「うーん、塔しかないんじゃない?」

 

 蓮の呑気な返答に体が固まる。

 塔…つまり、ダンジョン攻略だ。

 いつかはやらなければいけないと思っていたけど、いざそれを目の前にすると、心が不安に押しつぶされそうになる。


 「こんな急に挑戦することになるなんて…」

 「ダンジョンを攻略しないと、僕たちは元の世界に帰れない」

 「そーそー。嫌なことはさっさと終わらせよーぜってね!」


 恵が私の右手を、蓮が私の左手を引っ張る。

 そのとき、チリッと手首に焼けるような熱さが走った。


 「いっ…」

 「チッ」

 「おー、痛ぁ」


 恵と蓮も自分の手首を押さえていた。

 いったいなにが起ったのかと手首を見て唖然とする。


 「なにこれ、ツタ?」


 入れ墨のように右手には緑色のツタが、左手には青色のツタが、ぐるっと手首を一周するように肌に縫いついていた。


 「あ~、これがワニさんの言ってた男女ペアの契約印じゃない?」

 

 蓮はにこにこ笑顔で自身の右手首に縫いついた白色のツタを撫でる。


 「チッ」


 不機嫌そうに左手首を掴む恵の手の隙間からも、白色のツタが見えた。


 「男女ペアの契約も済んだし、これで安心してダンジョン攻略に挑めるね!」

 

 ご機嫌で蓮はスキップをする。

 そんな彼の足元では、同級生だった人たちの体がぐちゃぐちゃと潰れていく。


 「れ、蓮。やめて。みんな、かわいそうだよ」

 「みんな? あ、阪見さん、藤木、ごめんね」


 蓮はちょっと肩がぶつかったくらいの軽い調子で足下に謝罪する。

 この状態で誰か判別できるのか。つい蓮の足下を見そうになって、慌てて顔を上げる。

 私の脳内には今まで一緒に過ごしてきた阪見さんと藤木君の顔が浮かんでいた。その状態で彼女たちだったものを見てしまったら、きっと私は気が狂ってしまう。


 「ご、ごめんなさい」


 小さく謝罪をして、ダンジョンを攻略し終えたら必ずみんなを埋葬すると心に決める。だから今だけは、このままみんなを放置する私を許してください。

 胸の前で手を組んで目を閉じる。そんな私を不思議そうに蓮が見ていた。


 「由亞、なにか言った?」

 「…あ、えと。な、なんで私たち3人は無事だったのかなって言った」


 なぜか嘘をついていた。

 ハハ…と楽しくもないのに笑って、口の中は乾ききっているのに必死に唾液を飲み込もうとする。

 そんな私がおもしろかったのか、蓮が目を細める。


 「…本当に無事だったのかな? 殺すつもりだったけど、抵抗されて、殺し損ねただけかもよ」

 「え……」

 「ね~、恵」

 「僕に振るな」


 2人は言い合いながら私の腕を引き、教室を出る。

 蓮はやっぱり足下を気にせず、ぐちゃぐちゃと音をたてながら歩き、恵は足下を気遣い慎重に歩く。そんな2人に引きずられるように、私も足下に気をつけながら歩いた。


 ざらざらとした不安に心が悲鳴を上げていた。



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