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11.私が欲しかったのは、怖い「特別」じゃない


 恵の言ったとおり廊下の突き当たりには木製の扉があった。

 『ゴール』と書かれた表札の隣には鍵穴があり、そこに恵が鍵を差し込み回す。

 カタカタとカラクリ仕掛けのような音がして、

 それが止まると扉はひとりでに開いた。


 そこにあったのは中世ヨーロッパ風のダンスホールだった。


 「…すごい」


 普通は警戒する。今までずっとホテルの内装だったのに、なぜ突然?と。

 だけどそれを上回る以上に、目の前に広がる空間は美しかった。

 人は感動すると息をするのも忘れる。身をもってそれを知った。


 「じゃあ行こうか」

 「う、うん…」


 2人に手を引かれるままそこに足を踏み入れれば、床がきゅっと突っ張るような音を立てた。たったそれだけで胸が高鳴る。

 ミルクティー色の床はワックスをしたばかりなのかツヤツヤと輝いていて、よく見ると細やかな薔薇の模様が描かれていた。壁は真珠のように白く輝き、こちらにも薔薇が彫られている。

 おしゃれな窓は天井近くまである大きなもので、等間隔に並んでいた。

 外の景色はどうなっているんだろう。2人の手を離して窓に近づいてしまう。


 「わぁっ」


 ここは最上階だから飛行機から見える景色を想像していた。

 だけど違った。白い雲はそのままだけど、空の色がずっと濃かった。

 テレビで見た成層圏の映像が頭に浮かぶ。

 青の濃淡が美しい空は上に行くほど色が濃くなった。きっと宇宙に続いている。

 どきどきと胸が高鳴りその勢いのまま天井を見上げて、瞠目した。


 「な、なんで!? すごい!!」


 そこにはシャンデリアの代わりに宇宙が広がっていた。

 濃紺の世界に散りばめられた眩しい星と見たこともない惑星。手を伸ばせば届きそうなのに、届かない。壮大な光景に胸が締め付けられる。

 ちぐはぐなこの空間に、もちろん疑問はたくさんあって。天井が宇宙なら、なぜこの空間は明るいのかとか。このダンスホールは広すぎて構造的にあり得ないだとか。

 だけどそんなの些末事だ。


 私はひたすらにこの最上階に感動していた。

 幼い頃に憧れた、いつかは見たいと願っていた光景が、ぎゅっと凝縮されてここには存在していた。


 「あはは。由亞、楽しそうだね~」

 「かわいい」


 後方で聞こえた蓮と恵の声でようやく我に返る。

 穏やかな声と見守るような視線がくすぐったい。

 子供みたいにはしゃいで恥ずかしい。だけど本当に素敵な場所だから、胸を張って私はこの空間が好きだと言えるから、心からの笑顔で振り返ることができた。


 「えへへ、お待たせ。すごく素敵で、つい……なにそれ」


 蓮と恵の足下には、大人が2人くらい入れそうな大きな宝箱があった。

 

 「見つけたぁ」

 「カーテンの後ろ。隠されてた」


 蓮がにこにこ笑顔で、恵が褒めてほしいな…という瞳で私を見てくる。

 

 「す、すごいね…」


 とりあえず笑顔を貼り付けて2人を称賛するけど。いや、普通に怪しいから。


 それはこの空間には不釣り合いすぎた。

 今までの経験上、この空間で異物だと感じるものは全て敵だった。

 ホテルの内装に合わない魔物、魔獣、フロアボス。

 そう考えると宝箱は敵である可能性が高い。


 それに『ゴール』と記載された部屋にたどり着いたのに、今現在、私達の身には何も起きていなかった。ラスボスもいなければ、ダンジョン攻略が完了したとわかるようなナニカもない。


 怪しすぎる。


 私でも気づいたのだから蓮が気づかないはずがない。

 私の視線に気づいたのか蓮はチラリと私を見て、目を細めた。確実におもしろがっている!


 「じゃあ開けようか~」

 「ま、待って。心の準備が…」

 「パッカ~ン」


 間に合えと願いながら宝箱に向かって走る。が、2人との距離は思いのほか離れていた為、間に合うわけもなく。蓮は宝箱を開けてしまった。



 『ゴール! 第一ダンジョンの完全攻略、おめでとうございますワニ~!』



 宝箱の中から飛び出したのは、白いワニだった。


 「…え?」

 「は?」

 「お~」


 蓮はいつも通りの笑顔だが、私と恵は言葉を失う。


 「緑ワニさんとそっくりだなぁ。同一人物ですか?」

 『ちっがいますよ! ワニをあんな出来損ないと一緒にしないでください!』


 白ワニは心外だと頬を膨らませる。

 和むそのやり取りに、ラスボスではなかったことに、安堵はする。

 だけどそれ以上に、困惑していた。


 「…この世界の人は、ダンジョンには入れない。だから私達を召喚したんじゃないの?」


 緑ワニが口を滑らせたことだ。

 それなのに確実にこの世界の住人である白ワニは、ダンジョンの中にいた。


 「……入れるじゃない。私達がわざわざダンジョンを攻略する必要はなかったじゃない!」


 ふざけるなという怒りがフツフツと湧き上がり、体が震えはじめる。


 「チッ。全部裏で繋がってたってことか」


 恵も眉間に皺を寄せて白ワニを睨んだ。その手は僅かに震えている。

 異世界に召喚されなければ、クラスメイトたちは死ななかった。恵だって人を殺したりなんかしなかった。私達は、何度も死にそうな目に遭った。それなのに…

 

 「人の命をなんだと思ってるの!」

 「あ、よかった~。恵が今の言葉を言ったら、「それをお前が言うのか!」って俺ツッコんでた。あはは」

 「蓮、黙れ。死ね」


 蓮はともかく私と恵から睨まれて、白ワニは心底めんどくさそうにため息をつく。

 

 『勝手に自己完結しないでくれません? これだから異世界人は嫌いなんですよ』

 「だって、全部あなたたちの掌の上ってことでしょ!?」

 『どうでしょうかね~。ま、第二、第三のダンジョンをクリアしていけば、わかるんじゃないですか~?』


 緑ワニと同じ煮え切らない投げやりな言葉に苛立つ。意味がわからない。

 ……だけど、もしこの白ワニが私達と同じように、なにも知らないただの解説役なのだとすれば、今の私の態度は八つ当たりになる。クレーマーと同じだ。

 相手の事情も知らないのに強く当たるのは…間違っている。罪悪感が胸を襲った。

 

 「…ごめんなさい、強く当たりすぎました」

 『うわー。調子狂いますね~』

 

 頭を下げる私を見たからか白ワニの顔が引き攣っていた。

 恵がはにかみ、蓮は目を細める。

 

 「由亞ちゃん、好き」

 「そういうところがさぁ。…あ、白ワニさん、攻略完了のご褒美とかないんですか?」

 「ご褒美って…」

 『ありますよ?』


 ないと思ったらあった。

 蓮が飛び跳ねて喜び、私と恵は警戒の眼差しを白ワニに向ける。

 そんな一人にしか歓迎されていない中で、白ワニはどこからともなく取り出したパフパフラッパを鳴らした。


 『ご褒美はぁ~、ドゥルルルルル、ジャジャーン! なんと! ワニが1つだけ願い事を叶えて差し上げます!』

 「え?」


 期待していなかっただけに驚いた。

 

 『まあワニの力で実現可能なものに限りますけどねぇ。ま、大半の願いは叶えられると思いますよ。さすがに死者の蘇生は無理ですけど~。で、なにか欲しいものとか無いんですか~?』


 欲しいもの。

 その言葉に体が反応する。


 「特別」が欲しい。

 諦めかけていた願いが、頭の中をぐるぐると巡り始める。


 「ない。僕には由亞ちゃんがいるから」

 「うーん、俺は~…っとその前に、ねぇ由亞。欲しいものがあるんでしょう?」

 「っ!」


 蓮がにこにこと人懐こい笑みを浮かべて私を見ていた。


 「俺、由亞が欲しいものがなにか、知ってるよ」

 「は? なにそれ。僕知らない」

 

 じわじわと掌に汗がにじむ。

 まさか。蓮が知るはずない。そう思うのに、心のどこかで蓮なら気づいていてもおかしくないと思っている自分がいる。

 どんな反応をすればいいのか。どうすれば、この場を上手く乗り切れるか。

 ぐるぐると私は考えるけれど、

 

 「由亞は「特別」が欲しいんだよ」


 考えるだけ無駄だよ。そう言わんばかりに彼は目を細めて、事もなげに人の欲しいものを暴露した。

 恵は首をかしげ、答えを求めるように私を見る。

 嫌な汗が背中を伝う。


 「なんで知ってるの…」

 「俺、人のことよく見てるからさ。特に由亞のことは昔からずぅっと見てるから、わかっちゃうんだよなぁ。由亞自身が気づいていないようなことでもね」

 「私が、気づいていないこと?」

 「あはっ。知りたい?」


 人懐こい無邪気な笑みが向けられる。


 絶対に気づかないままでいた方がいい。

 私が今まで忘れていたり、目をそらしてきたことは、全て私の心の安寧を保つために必要なことだった。それを壊したのは、ほぼ蓮だ。


 「…教えて」


 だというのに私は言葉の続きを促してしまった。

 知りたいと、思ってしまったのだ。

 それはきっと私にとって都合が悪いことのはずなのに…。

 

 蓮が愉快そうに笑った。


 「由亞が特別を欲している理由は大きく分けて3つある。1つめは、俺と恵に憧れているから」

 「え。どうして? どこに?」

 「うっ」

 

 恵の不思議そうな説明を求める視線が痛い。

 自分で答えるのは恥ずかしくて助けを求めるように蓮を見れば、一つ貸しだよ?と彼の瞳が弧を描く。…貸し。やめておけばよかった。


 「由亞は俺たちのことを他の人とは違う「特別」な存在だと思ってるんだよ。不思議だよねぇ、俺たちなんてただの異常者なのに。見方によっては「特別」になれるんだから、うれしいねぇ」

 「は? 異常者はお前だけだろ」

 「っ!」


 その言葉に、つい身体が揺れてしまった。

 …薄々気づいてはいたが、やはり恵には自覚がなかった。

 だらだらと汗を流す私を見て蓮が目を細める。

 

 「…2つめの理由は、胸を張れる自分になりたかったから。中学に上がったばかりの頃、俺たちと幼なじみなんだって、由亞が西小出身の子たちに自慢してたの知ってるよ~」

 「え!?」

 「は? かわいい」


 話が変わって安堵したのもつかの間、私は絶望のどん底に突き落とされた。

 ど、どうして蓮がそのことを?

 蓮はにやにやと笑って、恵は頬を桃色に染めてじっと私を見る。

 恥ずかしくて、顔がどんどんと熱くなる。2人の視線から逃れたくて俯く。


 「でもそれが面白くないって思う子もいて、由亞は言われちゃったんだよね~。「今は遊んでないんでしょ?」って」

 「は?」

 「な、なんでそんなことまで知ってるの!?」

 「由亞はショックを受けちゃったんだよね~。自分はなんの価値もない、普通の女の子だって思っちゃったのかな? ずっと「特別」な俺たちのそばにいて、自分も特別だと思っていたから、それが耐えられなかったんだろうね。だから自分だけの「特別」が欲しくなったんだ~」

 「あ。う、うぅ~っ」

 

 私の顔はもう真っ赤だ。

 黒歴史を大きな声で音読された。こんなのってない。

 勘違いしていた恥ずかしい自分を蓮に知られていたし、バラされた。恵にまで知られた。

 蓮の洞察力はとても高くて、全部真実だからこそ否定できなくて辛い。


 「…蓮、元の世界に帰ったら由亞ちゃんを傷つけた女の名前教えろ」

 「えー、教えてもいいけど、なにするつもり~?」

 「反省してもらうだけ」

 「へー、まあどうでもいいや。ほぉら、由亞。いいかげん顔をあげて。ここまでは由亞も自覚してるだろうから、おまちかねの3つめを言うよ……あー、だけどその前に」

 

 大きな手が私の頬を包んだ、と思った瞬間、勢いよく持ち上げられた。

 首がグキと嫌な音を立てる。

 私は目の前に現われた人懐こい笑顔を睨んだ。


 「…痛いよ」

 「ねぇ、由亞。もし特別を得られたら、お前はなにがしたい?」

 「え?」


 無視されたし、謝罪の言葉一つもなくて、わりと腹が立つ。

 だけどそれよりも、うまく想像できない質問に困惑してしまう。


 「うーん難しいか。じゃあこう考えて。由亞は料理の才能が開花するんだ。高校生料理長☆とかになっちゃって、全ての料理大会で優勝し、その名を世界に轟かせる! 運営する料理店は開店前から長蛇の列。貯金額は10兆! あはは。これは盛りすぎかなぁ?」

 「結局なにが言いたい」


 恵に呆れた眼差しを向けられながら、蓮はまっすぐに私を見る。


 「そんな「特別」な由亞は、なにがしたい?」

 

 どっと心臓が脈打つ。

 特別な由亞。その言葉に胸が高鳴る。顔が紅潮する。


 私は料理の才能に目覚めて。

 みんなが私を「特別」だと認めている。

 そんな「特別」な私は……なにがしたいのだろう。


 なぜか思いつかなくて、胸がざわざわと揺れる。指先が冷たくなってくる。


 でも私は特別が欲しかった。そこにはちゃんと理由がある。

 きっかけは、蓮と恵だ。2人は「特別」で、私は違った。

 2人の幼なじみであることは、「特別」でもなんでもなくて。

 だから私は、自分だけの「特別」が欲しかった。

 だって……


 「っ!」


 そこで、なんとなく答えがわかってしまった。

 わかってしまったから、慌てて目を背けた。

 サァーと血の気が引く。


 こんなこと認めたくない。

 だって認めたらなにが起きてしまうのか、全く想像がつかない。

 それが怖くて唇を噛む。

 そんな私を洞察力に優れた蓮が見逃すわけないのに。


 「あはっ。わからないのかな? じゃあ俺が教えてあげるよ」

 「え、待っ…」

 「由亞はぁ、俺と恵の隣に立ちたいんだよ。堂々と胸を張って、特別な2人の幼なじみとして恥じない、ふさわしい、特別な由亞になりたい。これが3つめの理由ね」

 「え?」


 だらだらと全身から汗が出る。制服が体に張り付く。

 恵の説明を求める視線が痛い。

 

 「特別な俺たちと普通の由亞は、一緒にいるとどうしても由亞だけ浮いちゃうからね。周りからどうしてあの子が?って白い目で見られる。由亞はそれが嫌なんだよね~。居心地悪いもんねぇ。でも俺たちの側を離れるのも辛い」

 

 にやにやとうれしそうに笑う蓮を、なんとか否定したくて一生懸命首を横に振る。


 「ち、違う! 私、蓮と恵から卒業しようと思って、2人とは違う高校を受験した!」

 「か・い・ら・ん・ば・ん」


 わざとらしくゆっくりと告げられた言葉に、びくっと体が反応してしまう。

 そんな私の頬をつんつんと蓮が突く。


 「高校受験の願書を準備してたときにさ、回覧板に知らない高校のパンフレットが入ってたんだよね。それが今、俺たちが通っている高校」

 「……。」

 「ねぇ、由亞。わざと入れたでしょ? やっぱり俺たちと一緒の高校に通いたくなっちゃったのかな? あはは。恵は盗聴も尾行もしてたから由亞の志望校を知ってたんだろうけど、俺は普通に公立に進学すると思ってたからさ、ほんと焦ったよ。大慌てで由亞のお母さんに話聞きに行って、願書取りに行って、も~大変だったんだから」

 「……。」


 黙秘を続ける私に蓮がそっと近づく。

 

 「もう気づいてるだろ」


 耳元で囁かれた、艶のある低い声。

 耳に息を吹きかけられ、反射的に蓮を睨んでしまい、後悔した。


 「由亞は、俺たちとず~っと一緒にいたいんだよ。俺たちのことが大好きだからさぁ」


 どろどろに溶けてしまいそうなくらい甘い瞳が私を見下ろしていた。

 今までで一番甘く、体を蝕む毒のような笑顔に体が動かない。蛇に睨まれた蛙みたいだ。

 そしてそんな蛇にばかりに気がいっていたから、私は彼の暴走に気づけなかった。


 「…僕のことが、大好き。っかわいい」

 「んむぅ!?」


 うるうると水の膜が張った瞳を幸せそうに細める恵が目の前にいた。そのことに気づいたときにはもう、唇にやわらかいものが触れていた。

 驚きに開いてしまう口に容赦なく恵の舌が入り込む。


 「ふぅぁっ!?」


 上顎を撫でるように何度も舐められ、甘いくすぐったさに体が震える。それだけでいっぱいいっぱいなのに、熱い舌は今度は下顎に移動し、くすぐりながら口腔を蹂躙する。

 腹の辺りがぞわぞわして体に力が入らなくて、その場に倒れ込めば、恵も私の上に軽くのしかかり、しなやかな指が私の首をふわふわと撫で始める。

 もう全てが限界で抗議する気持ちで恵のワイシャツを握りしめたのに、さらにキスが深くなった。なぜ…。


 「あ~もう、恵ストップ。由亞が窒息するから」

 「チッ」

 「けほっ、こほっ」


 蓮が恵を羽交い締めにして私から引き剥がしたことで、ようやく深く息を吸うことができた。


 「あーあ、涙目になっちゃって、かわいいね。ていうか恵のことは拒絶しないんだ~。あんなにめちゃくちゃにされてたのに」

 「拒絶されたことがあるみたいな言い方するな。…されたこと、あるの?」


 眉間に皺を寄せつつも、いつものように涙目で恵は私を見る。が、私は恵の瞳よりも唇に目がいってしまった。唾液で濡れるそれはいつもより赤く、腫れているように見え…顔に熱が集まる。


 「……か、かわいい」


 私の視線に気づいたのか、恵も顔を赤くしてじっと私を…特に私の口元を見つめる。

 そんな視線を受けて平然としていられるわけもなく、私は慌てて俯いた。


 「えー、なにこの状況。納得いかないんだけど。俺、傷ついちゃうなぁ」

 「あ…」


 蓮がしょんぼりと眉を下げて、捨てられた子犬の瞳で私を見ていた。悲しいと呟きながら、彼は私の隣に座り込む。

 蓮もなぜか私のことが好きだ。好きな人が他の人と親しくしていたら、確かに傷つくかもしれない。そのことに気づくと同時に罪悪感が胸に広がる。


 「ご、ごめ…ひっ」


 謝罪の言葉は途切れた。

 私の手に蓮の手が触れていたからだ。

 しかもただ触れるだけではない。

 男らしい太い指が、私の指を一本ずつ撫でるように絡め取っていく。突いたり、くすぐったりしながら、最終的に恋人つなぎになってしまった手を蓮は持ち上げる。


 「由亞、後でお仕置きだよ」

 「っ!」


 彼は目を細めて、私の手の甲に唇をくっつけた。

 ちゅっとわざわざリップ音まで立てて。じわじわと顔に熱が集まる。


 「蓮、離れろ」

 「え~。手握ってるだけじゃ~ん」


 2人を意識するなんて、おかしい。本来ならあり得ない。

 蓮が言うからだ。私が2人とずっと一緒にいたいだなんて…あんな顔で言うから。

 

 もちろんその言葉を否定するつもりはないし、2人のことは大好きだ。

 だけど、そこに恋愛感情はない。


 冷静になろうと深呼吸をする。そんな私の肩を誰かがつんつんと突いた。


 『あのぉ、お取り込み中すみませんなんですけどぉ。ワニの存在忘れないでもらえます?』


 困った顔をする白ワニが私の真横にいた。

 …忘れていた。

 白ワニは気まずそうに私から目をそらす。確実に全て見られていた。恥ずかしい。今すぐこの場から逃げ出したい。


 「え、忘れてなかったよ?」

 「あぁ」

 『わーお。最近の若者は恥じらいがないんですね~。見せつけってやつですか?』

 「ま、待って。私は忘れていました。ごめんなさい」


 恥ずかしさもあり土下座する勢いで謝罪すれば、白ワニに迷惑そうな顔をされた。


 『ワニは仕事さえ円滑に進められれば、他は別にどうでもいいんで。…じゃあ願いは、月城由亞さんに料理の才能を授ける、でよろしいですか?』


 もうそれでいい。私の今の願いは、この気まずい白ワニの前から一刻も早く消えることだ。

 しかし、私が頷く前に首を横に振る人たちがいた。


 「よろしくないよ~?」

 「その願いは無意味」

 「…え?」

 

 ぽかんと口を開ける私を見て、蓮も恵も首をかしげる。


 「あれ? どうして由亞も驚いて……あぁ、そういえばまだ言ってなかったか~」


 蓮は一人納得した様子で頷いている。

 嫌な予感がした。

 未だに体に力が入らず一向に立ち上がれない私に蓮がぐっと近づく。


 「どうして由亞は気づかないのかなぁ。お前はもう、とっくの昔から「特別」なのに」

 「と、特別?」


 迫る蓮から逃れようと後ずさる。だが力が入らない体では無理があったようで、先程と同じように倒れ込み床に背中を打ち付けた。


 「俺たちがなによりの証拠だよ」


 目を細める蓮は仰向けで倒れる私にまたがり、閉じ込めるように床に両手をつく。

 

 「こ~んなに頭がおかしい俺たちを、由亞はなにがあっても受け入れてくれる。「普通」の人には無理だ。俺の両親にはできなかったこと。だから、由亞。お前はずっと昔から「特別」な人間なんだよ」


 コツンと自分の額を私の額に押し当てて、あははっといつものように蓮は笑った。

 その笑顔は私の思考を飲み込む化け物のように見えて、血の気が引いていく。


 …否定はできない。

 蓮も恵も怖い。話が通じない。だけどそれでも、拒絶したくない。

 2人の手を離したくない。2人の幼なじみであり続けたい。ずっと一緒にいたいって願ってしまう。うれしいとすら思ってしまった。

 そんな私は、確かに「普通」じゃない。


 でも…


 「わ、私が欲しかったのは、怖い「特別」じゃない」


 声が少し震えた。

 だけど私は、蓮から目をそらさずに、自分の意見を言った。

 そんな私を見下ろす蓮の瞳はゆっくりと弧を描き、頬は幸せそうな桃色に染まる。


 「そこで、そんな特別はいらないって言わないところが、たまらなく好きだよ。俺を受け入れてくれてありがとう。大好きだよ、本当にね」

 「え、いや。受け入れてはいな…んむぅぅう!?」


 言いかけた言葉は蓮に食われた。

 普通に口を開けていたから蓮の舌は簡単に私の口腔に押し入り、歯を一本ずつ撫で、舌の裏側をくすぐり、そのまま舌に吸い付く。


 「ひゃっ…んぅ」


 熱い舌が生き物みたいに暴れている。蓮は私よりも舌が大きくて長い。絡め取られるように何度も口の中を撫でられ、体中がびりびりと震える。


 「あはっかわい。鼻で息をするんだよ」

 「ひぅ…」

 「特別な由亞ならできるよね~っちゅ」


 蓮は私の唇を甘噛みしたり、くすぐるように唇を押し当てたり、かと思えばくちゅくちゅとわざとらしく音をたてて舌を絡める。


 「ほら、鼻で息して…そう、上手……いだだ、恵。良いところなんだから、邪魔するなよ」

 「は? 無理、限界。由亞ちゃんは僕の彼女なのに。あり得ない。離れろ」


 蓮と恵が言い争う声が聞こえる。

 蓮の口撃のせいで視界がぼやけて状況がよくわからない。酸素が足りてないのか意識が朦朧として頭が回らない。とりあえず今のうちに呼吸だけは整える。


 「由亞は俺と恵の2人のことが大好きで、俺たちとずっと一緒にいたんだ。つまり由亞は俺のものでもあるんだよ」

 「ふざけるな。僕と由亞ちゃんは結婚する。お前が入る余地はない。…だけど、それが由亞ちゃんの願いだって僕もわかってるから、我慢して、止めなかったし……愛人なら許す」

 「えー! 俺も由亞の夫を名乗りたい~!」

 「僕は妥協したんだから、お前が我儘を言うな!」


 呼吸を整えている間に話がおかしな方向に進んでいた。

 たしかに私は2人と一緒にいたいけど、やはりそこに恋愛感情はない。

 さきほどは2人を異性として意識してしまったが、あれはただの気の迷いだ。

 おそらく今後も幼なじみ以上の感情を抱くことはない。きっと、たぶん。そうであってほしい。


 「あの…2人とも……」

 「じゃあ日本の常識を変えちゃおうよ。一妻多夫、一夫多妻が当たり前の世界にすればいい。これをワニさんに叶えて貰う願いにしよう」

 「…は?」


 私の言葉を遮るように蓮が笑顔で恐ろしい提案をした。


 「それが、由亞ちゃんの願いなら、いい」

 「…え?」


 不服そうな顔をしつつも、恵は頷く。

 この場で私一人だけが、青ざめる。


 「ま…」

 「由亞が構って欲しそうだね。恵、キスしてあげなよ?」

 「かわいい」

 「んむむむむ」


 ま、待って。それは全然1ミリも私の願いではない。

 そう言いかけた言葉は蓮に覆い隠され、恵に呑み込まれる。

 涙でにじみぼやける世界で、「逃がさないよ」と目を細めて笑う蓮の顔が見えた。




 『あーはい、承知しました。それくらいならワニの力でどうにかなりますので、ええ。叶えておきますよ。では、また第二のダンジョンでお会いしましょう。ワーニワニワニワニ』




 カッと当たりが真っ白な光に包まれて、意識が遠のいていった。

 



 

//////////☆



 夢が途切れて、目が覚める。

 最近こればかりだ。

 まどろみつつスマホの画面をつければ、3時半。


 「はぁ」


 なぜこんな中途半端な時間に目覚めてしまうのか。

 理由なんてわかってる。だから抗って二度寝する。右へ左へ寝返りをうち、羊を数えて、柔軟して――それでも眠れないから、

 

 「…息苦しい」


 結局いつものように外に出る。

 そこで気づいた。


 「なに、これ?」


 私の右手首には緑のツタが、左手首には青のツタが入れ墨のように巻き付いていた。

 おまけに右手の甲には、でかでかと「1」という数字が記されている。


 気味が悪くて眉間に皺が寄る。タトゥーシールなんてつけた覚えはない。

 今日は終業式なのに、先生にばれたら叱られる。

 必死に手の甲の「1」を擦るが、そんなことで消えるわけもなく。

 ただ手が赤くなっただけだった。


 「…え、困る」


 真向かいの家の扉はまだ開かないし、バイクの音も聞こえてこない。

 だけど今はなによりも、このタトゥーシールを落とすことが先決だ。

 私は慌てて家の中へ戻った。



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