始まりの物語
天界の神ワンビョクは夢にうなされていた。
幼馴染であり、長年慕っている神インジュがこの世から消されるという悪夢だ。
これは夢だ、悪夢なのだと分かっていながら、ワンビョクはその夢から覚めることが出来ない。
その夢はあまりにも鮮明で、まるで外れることのない予知夢のようで、ワンビョクは目を離すことが出来なかった。
助けられないのは分かっていた。
だからせめて共に消えよう、添い遂げようと彼女の体を抱きしめる。
だが、消えたのは彼女だけだった。
そんな現実に絶望し、夢の中のワンビョクは絶叫する。
声の出る限り彼女の名を、インジュ、と。
声の出なくなったワンビョクは叫び尽き、眠りへと落ちる。
そこで現実のワンビョクは目を覚ました。
「また、この夢か……。」
ゆっくりと布団から体を起こしながら、重い頭を振りながら呟く。
そのまましばらくぼーっとしているかと思ったら、バッと布団を剥いで立ち上がる。
寝所と書屋を隔てている障子に歩み寄ると、スパーンと勢いよく開けた。
窓際にある机に真っ直ぐ向かっていくと、その上にある和紙のような紙を一枚手に取る。
そして、紙の束の側にあった筆置きから、1番細い筆に指を這わせた。
その瞬間、部屋の外からパタパタと忙しい足音が聞こえ、ワンビョクは動きを止める。
その音の主が誰なのか、ワンビョクはすぐに分かっていた。
目を伏せながらふーっと一息吐くと、その閉じかかっていた目を見開く。
すると、神である証の黄金色の瞳が光り輝き、その瞳の奥で七色の光がぼぅっと浮かんだ。
その瞬間、部屋の外で鳴っていたパタパタとした忙しい足音も、窓の外から聞こえる鳥の囀りも草木が風で揺れる音も、止んでしまったのだった。
まるで、時が止まったかのように。
ワンビョクはその光り輝く目を見開いたまま、筆を筆置きのすぐ側にあった硯の墨に付け、紙を机に置いた。
墨から筆を上げると、硯の側で墨を落とす。
墨の量が適量になったのを確認すると、紙を手で押さえながら何やらさらさらと書き込む。
そして書き終えると、筆置きに筆を納めて目を閉じた。
すると、止まっていた時が動き出したかのように、再び部屋の外からパタパタと忙しい足音が鳴り出し、窓の外からは鳥の囀りや草木の揺れる音が聞こえ始めたのだった。
ワンビョクはその音を聞きながら、腰まである長い髪を束ね、頭の上で団子結びにする。
側にあった衣紋掛けに手を伸ばした瞬間、
「主天様ぁー。」
部屋の外から声が上がった。
ワンビョクは苦い顔をしながら、そこに掛けてあった白い外套を手に取る。
「主天様ぁー。お目覚めですか?内官のユハでございます。朝の執務のお時間になりましたので、朝のご支度のお手伝いに参りました。」
ワンビョクは押し黙りながら、外套を羽織った。
「主天様?お返事がないようですが、念の為失礼致します。」
内官が部屋の扉に手をかけた音が聞こえた瞬間、ワンビョクは外套を閃かせて隠れ蓑のように扱う。
すると、ワンビョクの体は空間に溶けていき、内官が部屋に入った頃にはワンビョクの姿はもうどこにもなかったのだった。