パンを分け合う姉弟
「……マリー姉さん。
このパンは、姉さんが食べて。」
ジェームスはそう言って、マリーが半分に分けたパンを力なく地面へ落した。
「何を言っているの?
……助けは来るから、きっと! 助けは来るから!
だから、助けが来るそれまで、2人で生き残ろう。」
ジェームスは痩せこけた顔に少し笑みを浮かべた。
「……優しいね。マリー姉さんは、いつでも。
でも、僕はもう長くない。
例え、今すぐに助けが来たとしても、僕が生き残ることは出来ないだろう。
もう、腕も足もほとんど動かすことができないし、視界がぼやけて、姉さんの顔もほとんどよく見えない。
それに、さっきから意識が何度も飛びそうになっている。
次にそれが来たら、僕はもう永遠の眠りにつくだろう。
そんな死にかけの人間に食料を分け与えるのは、無駄だよ。」
「そんなこと……。」
「姉さんはまだピンピンしているじゃないか?
……僕は、姉さんに死んでほしくない。」
「でも!」
「この無人島での冒険は楽しかった!
豪華客船での旅の途中、嵐に巻き込まれて、海に投げ出された。そして、この無人島にたどり着いた。
海岸に落ちていた瓶の中に入っていた宝の地図。
幾重にも分かれる迷路のような洞窟。
死と隣り合わせのトラップ。
そして、たどり着いた海賊の財宝。
僕はその財宝自体に魅力を感じていない。
でも、その財宝をお姉ちゃんと一緒に探せたことが嬉しかった。
……それで良かった……。」
ジェームスは薄ら開けた目をゆっくりと閉じた。マリーの腕に伝わるジェームスの呼吸の動きが無くなり、石のように重くなっていくのが分かった。
マリーはそれからしばらくして、ジェームスの死を実感した。
それから、数日後、マリーは肉が剥け、骨が露わになったジェームスの死体を抱きしめながら、水平線の先に救助船が近づいて来るのが分かった。
マリーはジェームスの死体の強く抱きしめ、ありがとうと呟いた。
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梨子はその小説の結末を読み切ると、本をゆっくりと閉じた。
梨子は、この作品を生み出した西野圭子の凄さをしみじみと感じた。梨子は読後のすがすがしさに浸っていた。
梨子は小説の世界が抜けきらないまま、背表紙の題名を見る。
題名には「底抜けの壺」と書かれている。
梨子は不思議に思った。作中にそのような言葉は出てきていないし、それを思わす表現が出てきていないのだ。
梨子は読後の爽快感から題名のモヤモヤ感に襲われた。
「コラ! 講義中に何を読んでいるんだ!」
天神教授はそう言って、梨子を問い詰める。小説の世界に集中していた梨子は、頭を切り替えて、本を机の中に隠す。
「……いや、何も……。」
梨子は咄嗟に無理な言い訳を口にする。天神教授は溜息を洩らした後、梨子へ質問をした。
「じゃあ、互いがホモエコノミクスだと仮定した時の繰り返し最後通牒ゲームの最適解は?」
「ホモエコ? 通帳?
ジェンダーレスな銀行みたいなことですか?」
その梨子の解答に、講義室は笑いに包まれる。天神教授は再び大きなため息を漏らす。
「違うに決まっているだろう! ちゃんと講義を聞きなさい!
……まったく、私の講義を差し置いて、どれだけ面白い本を読んでいたんだ?」
天神教授はそう言って、梨子の座っている机の中を探る。梨子は抵抗をする前に、天神教授に机の中の本を取られる。
天神教授は本の表裏を見て、本は何か確認した。
「……底抜けの壺。」
天神教授は一気に険しい顔へと変わる。
天神教授は私の読んだ小説を見て、何かを思い出しているようだった。天神教授は数十秒黙ったままだった。
先ほどまで笑いに包まれていた講義室は静まり返り、微妙な空気となっていた。
「……教授? どうかしましたか?」
梨子は教授にそう問いかけると、放心状態の教授はこちらの世界に返ってきて、笑顔を作った。
「……ああ、真面目に話を聞かない君にあきれ返ってしまっただけだよ……。」
教授はそう言って、教授はゆっくりと本を梨子の机の上に置いた。教授はすぐに教卓に戻った。
「もう時間だね。
では、今日やった最後通牒ゲームの復習はきちんとするようにね。
話を聞いていない人は特に!」
教授は梨子の方向を見る。
「……それと、次回はもしかしたら、特別講師を招くかもしれない。
できれば来ることをお勧めする。」
教授の視線は梨子を見つめたままだった。
梨子はその教授の意図にまだ気が付いていなかった。